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 鍼灸師「二木」が歩んできた道は、ラッキーそのものだったと思います。それはいくつも転換点がありましたので、このページのタイトルではトピック的にまとめて流れをわかりやすくしてみました。
 なお、様々な先生方との交流から大きな教えを頂その影響により変化が生まれてきたわけですが、敢えて流れをわかりやすくするために師匠である丸尾先生と宮脇先生と大阪漢方の森本先生以外はタイトルには名前を出していません。決して常に独創的に考えて確立してきたものではなく、皆様に支えられての技術だと感謝しております。
一人の鍼灸師ができることはたいしたことではないのですけど、次の世代のために何か一つでも残せればとは思っています。
2016年7月10日 本部研究部発表「難経九難を踏まえ、本治法選経・選穴の一考察」


  1.学生最終年で経絡治療の勉強会へ参加するチャンスをもらう。
  2.宮脇先生の鍼灸院を集中的に見学させてもらえるチャンスをもらえる。
  3.直後に参加した近畿青年洋上大学で極限状態での医療行為をすることとなり、鍼灸の力のすごさと素晴らしさは人生を決定づける。

 わずか五ヶ月間の出来事だったのですけど、自分でも振り落とされないように勉強を頑張りましたけど何か導かれているかのように状況が変わっていきましたから、鍼灸師としての二木は完全にここで作られています。その後にも迷いがないわけです。

  4.将来のために下積み修行を希望し、師匠である丸尾先生に巡り会わせてもらう。
  5.下積み修行へ入ったは定型的な仕事がなかったので、足の反応を素早く見比べて奇形治療のパターンを判定する独自技術を発見する。
  6.道具魔である丸尾先生に様々なものを見せてもらい、瀉法鍼の存在を知る。

 丸尾先生に技術も人生も教えをいただいた下積み時代は、鍼灸師としての二木をもう一つ決定づけた濃厚な時間帯でした。道具にこだわる癖もこの時代に染みついたものであり、誰もが可能なことではないのですから若いこれからの鍼灸師は下積み修行を経験してほしいと思います。

  7.二十三歳で開業、やり直しはできないことから思い切って大きな治療室を建築。
  8.仕事をもらえることはうれしいのだがしんどい、ふと思い出した自然体の大切さと自らも運動をすること。
  9.治療スタイルを試行錯誤する間に、瀉法鍼の使い方を発見。

 20代前半で鍼灸専門として仕事を確立できたのは、治療法の優秀性のおかげです。そして道具が大切であり姿勢が大切であり、自ら運動することも大切だと感じた一年目でした。

  10.仕事も治療成績も順調なのだが、本治法が強引だと気づき漢方鍼医会に参加する。
  11.難経七十五難型の肺虚肝実証と治療法を発見、鍼灸治療にも病理考察をと取り組み初めてすぐ得られた大きな成果。
  12.漢方鍼医会とは別に滋賀での独自テキスト「経絡治療の臨床研究」を発行、腹診点方式による証決定もこの頃には追試をしていたが便利なものの今は封印。

 開業する前から助手を入れたいとイメージはあったものの、経絡の優秀さはそれを可能にしてくれました。だからこそ経絡を積極的に動かそうとすれば強引な方向へ流れてしまうのであり、経絡の力を引き出す治療法を求めるようになったところで出会ったのが漢方鍼医会です。地方組織として参加する前には、独自テキストの発行もしました。

  13.第一期の学術検討委員会へ参加することとなり、夏季学術研修会へ新たな取り組みを組み入れていく。
  14.独自にていしんへの取り組みを始めていたのだが、森本式ていしんが紹介され一気にていしんのみの治療へとシフトする。
  15.第15回夏季学術研修会を滋賀漢方主催で開く、実行委員長を務める。

 滋賀が地方組織として漢方鍼医会へ参加するまでの道のりは、かなり険しいものがありました。その分だけ本当の治法で夏季学術研修会が成功させられたときの喜びは大きいものがありました。

  16.二木式ていしんを公安、まさかオリジナルの治療用具を持つことになるとは。
  17.伝統鍼灸学会で聞いた「難経は片手ずつの脉診をしていた」の言葉から、長かった脈差診の呪縛から解き放たれる。
  18.「取穴書」の制作に携わる、二度目のチャレンジで自画自賛の資料が完成。臨床的自然体も、後で加える。

 漢方鍼医会へ在籍していたのに十数年経過して、やっと菽法の高さへ全てを納めた脉状で治療を終了させられることに納得できるようになりました。オリジナルていしんや臨床的収斂法の開発により、歯車のかみ合い治療法へ生まれ変わりつつあります。

  19.二木式ていしん第三弾の「邪専用ていしん」を製品化、実は別のていしんを企画していた途中段階で試作していたものだが意外な使い方を発見して単独のアイテムとしたものです。
  20.すでに六十九難の治療法則を型どおりに行うことはなくなり陽谿からの治療は実用化させていたが、森本先生が提唱される五邪論の治療について陽谿からのアプローチも含めて法則性を発見。
  21.実は邪論の方が割合としては高いことがわかっても気血津液論との切り分けをどうする、時邪を組み合わせることで明快に切り分けられることを発見。

 「虚すればその母を補い」が治療だと教わってきましたが、小児鍼は陽谿から行っているのであり井穴刺絡も陽谿を使うことが多いのですから、必ずしも陰経から出なく陽谿から治療を開始することには不思議を感じませんでした。ただ、「どうしてこの経穴になるの?」がわからず、五邪論の治療も見よう見まねでやってみると確かに効果絶大の経験をするのですが「どうやって外邪と絡んでいるの?」がわからず、病理考察が基本のはずなのに手探りの治療と混在の時期がまた訪れます。しかし、自ら制作した邪専用ていしんにより邪の処理が重要であることを認識しました。陽谿からの処置を含めて邪論の法則性も確立できたのですが、気血津液論との使い分けに時邪が活用できるとは思ってもいませんでした。


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