全包括的(ホリスティック)な健康感の為に

やる『氣』の話U

  インフォームドコンセント(十分な説明に基づく理解と同意による治療)という治療形式をご存じでしょうか?患者に対して医療者が一方的に治療方針を決定し執行してきた習慣を改めようとするものです。これは現代の医学の体制が米国式であり、米国人は自分の病気であったとしても完全に納得のできる形式を求めたからこそ「医療」という専門分野でも発達した制度です。

  しかし、日本では「身体の調子がおかしい」は「機械の調子がおかしい」に等しい表現であり、「診察してもらう」は「修理してもらう」に等しい表現だと書き換えれば筆者の言い過ぎでしょうか?

  要するに、日本人の大多数には 「病気を治すぞ!」という『やる氣』がない のです。せっかくのインフォームドコンセントも強行採決の説明に等しい状況の方が多いようです。色々と考えてみましょう。

 

奇妙な事件?

  (これは1995年7月14日に毎日放送でラジオドラマ化された実話の要約です)

  病院の待合室を舞台にした漫才で、「今日は○○さんの顔が見えないねぇ」「どこか悪いらしいよ」とくるパターンはすっかり有名になってしまいましたが、ある病院の待合室では患者は常連(?)ですから単なる老人サロン状態でした。

  通称「会長」と呼ばれる老人を中心に一大勢力ができていました。このグループは知人に入院者が出ようものなら見舞いの振りをして看護婦や女性患者にセクハラ紛いを繰り返すという始末。そこへ「女帝」を中心とする新興勢力が台頭してきたのです。待合室では派閥争いとなり引き抜きに始まって抽象や嫌がらせ電話など、まるで子供のケンカ。緊張が高まる中に決定的事件が発生しました。

  会長派の一人が胃の痛みを訴えて来院したものの、既にまとめて予約券を出していた女帝派の人達には苦痛を訴えたのに順番を代わってもらえず昼過ぎまで苦しみ続けたというもの。報告を受けて激怒した会長が河原に女帝を呼び出して言い争いになり、遂には決闘となりました(繰り返しますがこれは事実です)。

  でも、いくらなんでも老人ですからすぐに息が切れてしまったので、大将の号令と共に団体戦となりました。これに気付いた病院関係者は大慌てで警察まで出動する騒ぎとなりました。幸い打撲程度のケガが数人で済みましたが、元気なお年寄りは結構なのですが、老人パワーももっと有効に使えないものでしょうか

 

癌が治った話

  逆にこんな話があります。本人も完全に知っている末期癌の患者ですが「人間らしく生きたい」との希望で鎮痛剤以外の処置はしていませんでした。何度か死線をさまよった後に「故郷の伊豆大島に帰りたい」と言い出したのです。電車の中ででも死なれては困るのですが幸いにも現地で受け入れてくれる施設が見つかり帰郷を許可したところ、連絡がなくてそのままになっていました。

  しかし、半年後に「魚がおいしいから食べにおいでよ」とあの患者からの電話なのです。もう半年後には「白内障の手術だけ受けたいから都内のいい病院を紹介して欲しい」との電話。故郷の景色を見た瞬間に「もっと生きていたい」と、要するに気が変わったんですよね。

  こんな話もあります。この老人は草木いじりが大好きで、入院してきても病室にはじっとせず庭の手入ればかりでした。食事療法のみで対処するという方針でしたから放っておいたら癌が小さくなってしまったのです。草木をいじるのに忙しくて病気などしている暇がなくて、気が変わったんですね。

 

病の気付きから自己実現へ

  初めの話では、病気は自分には責任がないから他人の力で治してもらおうと考えるので平気な顔で老人サロンを作っています。しかし、どんな病気でも、やっぱり自分に原因があるから現象として現れてくるのではないでしょうか?自分の責任だと認めていたからこそ、癌の治った人達は反省し【もっと生きていたい】という夢を自己実現できたのではないでしょうか。

  結局は他人任せで「機械の修理」を頼んでいる感覚では病気は治らないということです。病気をするということは、どこかで間違いがあったからです。そして間違いを直すように『やる氣』を起こす=気を変えることによって自己実現していくしかないのです。医療はその入口に案内する役目だと思っています。

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