還元主義を超えて・全包括的(ホリスティック)な健康観の為に

こんな私に

    誰がしたその

  国の予算の中で医療保険費が実に3分の1近くを締めて、財政を圧迫しているという話題を聞かれたことがあると思いますが、患者にとってはとにかく身体が治ることが先決で、医療制度の改革などは特に関係ないかも知れません。

  それでも、「3時間待ちの3分診療」「延命処置のマカロニ症候群」「病院越冬隊」「薬漬け・検査漬け」「脳死状態からの臓器移植」・・・など問題が上積みされる一方で、医学は進んだと言われながらも健康人の優位性は向上せずに病人ばかりが年々増えているように思われます。

  この問題は確かに行政や制度も医療従事者も悪いのですが、患者側に全く問題がないかと言えば、むしろ責任の半分は患者側にあると思うのです。

 

本質的には「認識」の問題なのです!

  当院では勿論のことなのですが、救急などで処置の優先順位を替えることはあっても、患者に対して病名や病状によって区分やランク分けをするようなことはありません。但し、現代(西洋)医学では診療科目の専門化と検査装置の技術革新により医療機関にランク分けがあります。けれど、機関毎にハッキリと目的を示しているのですから、個人的にはその特徴を把握して利用をするなら決して非効率的な制度だとは思いません(その患者に合った治療法や治療家を紹介できるのも良い医療人の条件であり、時には西洋医学的検査や病院を紹介することだって有り得ます)。後は患者側の認識の問題なのです。

  それでも、未だにこんな会話がされているのは考え物ですね。「私はしっかり診て欲しいから大学病院に行きたい!」。要するに費用は大して変わらないのだから時間さえあれば誰だって高等医療機関に通いたいという発想をするのですが、ご存じですか?大学病院などの高等医療機関は確かに設備や治療法は最新ですが、 医療機関ではなく研究機関なのです 認識の問題ですね。

  ニューサイエンス運動の旗手フリッチョフ・カプラは「現代の危機は本質的には総て認識の危機なのです」と明瞭に答えています。つまり、病気を治すのには薬も手術も鍼灸も何だって有効なのです。医術には優劣などなくその違いは身体に作用する「質」の違いだと言い換えられます(時にはお祈りが効きもしますから)。問題の「質」をどれだけ把握するかが我々の課題なのです

 

一つの例ですが、これも問題ですヨ!

  (実話です)ラジオで医者が発言をしていたのですから相当数の医療従事者が常に思っていることと理解して構わないでしょう。最近の患者は「レントゲンを撮ってください」や「診断書を書いてください」とか注文してきますが、「誰に指示されてレントゲンが必要なんだ」とか「何の目的に使うから診断書が必要なんだ」という説明を一切せずに服を着たまま座っていられたのでは、医者だって人の子ですから「そんな奴を誰が診てやるか!」と頭にきます。

  上記のような我が侭な訴えは勿論ですが、実際に当院でも様々な質問に対して殆どの人が「ずっと前から」「大分前から」という答えをされるのですが、「大分前から」では人によって感覚が違いますから3ケ月前かも知れませんし1年・5年・10年前では処置が大きく違ってきます。初対面で診察・診断・治療まで行うのですから(当院には脉診という方法で独自に情報は得られますが日本語は正しく使いましょう)。つまり、まず覚えている範囲で結構ですのでどれくらい前から症状が起こりどのような経過なのか客観的事実を述べてから、家庭や人間関係や環境の問題などを付け加えて説明して欲しいのです。

 

  普通、健康と病気は対立的に捉えらますが、より広い新たな視座で本来の医療を考え直しているホリスティック医学では、健康という大きな円の中に小さな病気という円を描いて、病気とは健康の表現形態の一部だと捉えています。「こんな私に誰がした」のでなく総て本人の責任なのですから、自然治癒力を最大限に活かして自ら治癒させることです。医療はそのお手伝いなのです。

    TRADITIONAL  JAPANESE  MEDICAL

        脉診流 にき鍼灸院

522-0201  滋賀県彦根市高宮町日の出1406

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