全包括的(ホリスティック)な健康観の為に

仁義なき戦い

      (闘病と予防編)

  進化論争の中ではホモサピエンスとはひどく病的な突然変異のように扱われる場合が多いのですが、実際、色々な角度から眺めても「これだけ大きな大脳皮質を持ちながら、どうして?」と思われることを繰り返してきました。病気についても、再三、家族を巻き込んで苦しんだのに何度でもまた病気になる、まるで「仁義なき戦い」を繰り返しています。でも、現代人の戦い方は余りに下手というよりダダをこねているだけに見えるのですが・・・?

                                                                 

「病気」とは必要なものなのか?    

  どうしても病気にはなると思うんですよ。だって一生病気をせずに死んだという事実を聞いたことがないから。(話によれば)仏教では『人間界には十界があって最下層の「地獄界(病気)」を体験することによって健康の有り難さを体得することができる』と説き、一段高い位に進級する為には、「地獄界」まで一旦下降してからでないと上昇できないとされているそうです。

  また、病気になることによって自己有機体システム【自己組織化】が促進され、かえって丈夫になることだってあるのです(ケガの功名という意味ではない、自己超越を果たすという意味ですね)。

  さらに、 「病気とは自然の警告反応であり、むしろ感謝すべきだ」  と当院のパンフレットでも度々繰り返していますから、やはり病気とは必要なものらしい。だって「此の世に不必要なものなどない」はずなのですから。

  しかし、不必要に病気になることはない。例えば冬にインフルエンザに感染するとしても、誰もが逃れられない訳ではないのですよね。

  そりゃインフルエンザ菌が居るから病気になるのだから「病原菌が存在するのが悪い」という発想を普段します。けれど、人間が病気をするということを中心にするならば、病原菌はインフルエンザでも何でもいいんですよね。

病原菌は常にウヨウヨしていて、たまたま身体の抵抗力が落ちたところをかす めて行っただけの話で「そんな病原菌がかすめて行ったくらいで感染するような弱い身体にしておいたのは誰や」という話が抜けていると思いませんか?

      

病名は原因を表してはいない     “マイナスの医学を超えて"

  例えば「これは坐骨神経痛ですね」とか「リウマチです」とか通常は言われているのは病名なのでしょうか?そうではありません。これらは皆、症候群であり病名とは言えないと思います。何故なら病名が判れば原因も判るはずですから、当然治療法も判らなければ現代医学の思想には合致しないのです。

  普通はこれらのように分類をしてから「さてと原因は・・・」となるのですから、患者が病名と呼んでいるのは実は症候名に過ぎないのです。しかも、病名が特定出来ても治療法がない場合もあるのです(代表例は更年期障害)。

  検査をして原因を探る事は悪いことではないと思うのですが、病名だけが一人歩きをしてしまって全体性を見失い問題解決の糸口のないマイナスの医学に陥っているのが現状です。真の医学とは「診断・即・治療」が可能な医学ではなければならないのです。それが経験的実践の中から生まれた東洋医学です。

                                                                

予防なき医学から未病を治す医学へ

  こんな風に書き進めると少々絶望的になってしまいますが、先ほども書きましたが要は病気にならない丈夫な身体にすることの方が大切なのです。残念ながら現在日本で認められている医学(西洋医学)では、衛生思想は発達しましたしワクチンの接種も行われてはいますが予防に関しては全くの無力です。

  そこで、病名診断によるマイナスの医学から脱却して、環境的・社会的・精神的に或るいは霊性まで視野を広げて健康を捉え直す全包括的(ホリスティック)な健康感に立脚する医学の発生が必要となってきたのです。脉診流経絡治療は未病を治すホリスティック医学の旗手であります。

  TRADITIONAL  JAPANESE  MEDICAL

        脉診流 にき鍼灸院

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