2005.12.19

 

「漢方鍼医基礎講座」 その7

 

二木 清文

 

 

 よろしくお願いします。七回目ということで、間もなく第四コーナーを回って最後のバックストレートから十回のシリーズが完結していく訳なのですけど、今回と次回で「脉診」と「選経・選穴」それから各々証の病理」を二回でまとめていきます。九回目には補助療法を、十回目には全体総括をやっていく予定です。

 

 それで毎度のことながら「時間がない時間がない」と言いながら余談の方から入るのですけど、年の瀬になって一杯色々なニュースが流れているわけですがこの間本部の忘年会に参加しているときにも出ていた話です。自分たちが鍼灸師になっていくこと・開業していくことももちろんそうですし治療をしていくこと、それから振り返ってみれば大事件が幾つも起きていますから皆さん分かっておられるでしょうが人生を生きていくことにもつながることから喋っていたのですけど、「テレビドラマ的手法なのか映画的手法なのか」という言葉が私にはいつも引っかかっていることでありよく説明に用いていることがあります。

 まぁぶっちゃけの話を言いますと当時オールナイトニッポンにはスペシャル版があって、「宇宙戦艦ヤマト」の製作の途中経過でのスペシャルが何度かあったのです。それで製作者が出てきて話をするのですが、あの当時は映画が非常に不況だったのです。最近は一本興業で超話題作ばかりをやっているので映画の興行は回復したみたいですけど、あの当時は二・三本立てというのが普通で映画は流行らない時期だったのです。それでも制作側は映画を作りたがるのですよね。その時にプロデューサーが話していたのです。私は小学校六年生か中学一年生で「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」という、DVDまで持っているという名作のスペシャルでした(笑い)。

 テレビドラマ的な手法というのはどういう事かといえば、一回一回が完結になっているということです。一日一日が完結ですよね、私たちが生きているということも。その中で人の関係がしっかり描かれていくし、誰と誰との相関図もしっかり描かれるので自分自身がドラマの主人公のような感じになっていくのです。自分の生活にもオーバーラップして見えてきます。

 ところが、何故その流行らない時期でも映画が作りたくなるのかといえば、映画というのはスタートがあって・「訴えかけたいものはこうだ」というゴールがあるのです。そのゴールに向かっていくためには経過ポイントというのが2・3点あって、それをトントンとんと経過していって、なおかつ二時間から三時間以内という制限時間の間でゴールに到達していかなければならないのです。ということは、余分なものは描けないのですけど「何が訴えたいのか」がしっかりしていますから大抵は制作者の意図したものがしっかり伝わる、あるいはそれ以上の感動が伝わるのです。だから製作サイドは、映画というものが作りたくなるのだと語られていました。これが非常に印象に残っているのです。

 これ私は、人生でもそうじゃないかと思うのです。目標とは大きく立てないと、絶対に到達できないものだろうと思うのです。うちの治療室を中心に語るなら私は幸いなことに視覚障害があっても助手に雇ってもらえましたし、それを手助けして頂いたのも大阪の視覚障害の先生でその当時東洋はり医学会を導いておられたのは傷痍軍人で全盲プラス難聴という障害を持っていた福島弘道先生であり、または私の師匠である丸尾先生も片大腿切断の先生なのですけどその先生たちは何をされていたかというと、助手を雇って人を育てるだけでなく「治療室を大きくするためには」「研修会を大きくするためには」ということを常に考えておられたのです。「今日は十人来院してくれたらいいなぁ」「十五人来られるかなぁ」「寒いから五人の設定だけど時間をたっぷり掛けて治療してあげれば、その患者さんはしっかり定着するかな?」なんては考えておられなかったのです。「もっと人を集めるためにはどうしたらいいか」「もっと技術を開発するにはどうしたらいいか」と目標がしっかりしていたのですよ、『鍼灸の未来を創るんだ』と。

 そのためにどうしても経過すべきものというのは、開業をすること・助手を入れて人数を多くすること・自分の足元の研修会を持つこと・テキストを持つこと・それから研修会の幅を広げることも必要だったでしょうが、そのように経過する点がしっかりしていてゴールもしっかりしている。だから大きくなれたんだなぁと先生たちを見て思っていました。

 この間の忘年会では「とりあえず開業がしたい」ということで、東京と滋賀県の住宅事情などが違いますから往診が悪いというのではありませんが「往診だけでもいいから」という話には「そうじゃないでしょう」と意見を述べてきました。「開業をするということはベッドがあるということだし即ち自分の城があるということで、開業をする時にはベッドが一台だけでは絶対にダメだ」と今まで相談を受けてきた人にも必ず言ってきたのです。「とりあえず一台をおいて」「一台だけは絶対にダメですよ」という具合です。何度も喋っていますけど「こんにちは」と患者さんが来て、「さようなら」と帰る時に他の患者さんが来ていなかったらとても不安なのですよ。帰る10分前にでも次の人が来れば「ここはしっかりやっているんだな」とたまたまこの一時間はベッド一台だけだったが「自分のための時間だったんだ」と思っていただけるはずなのです。一日に患者さんが三人しかなかったとしても、九時半と十時と十時半に予約を取ってしまえば「ここは流行っている」とどの患者さんにも思っていただけるのです。それから自分も仕事の効率がよくなるし、時間制限が付いているということはそれだけ頭を使って治療をすることにもつながってきます。そのためには着替えのこともあるので、ベッドが二台以上ないとダメなのです。一人で開業するにも、「出来れば三台以上を持ちなさい」と常に言い続けています。

 一日をテレビドラマで考えてみると、今日は往診をあそこへ行って・こういう話をして・あんな話もしてと人間の相関図をしっかり描けるようなものを好まれる方が最近は多いのですけど、いや始めてラジオで聞いた時にはそのように言われていたのですから当時からテレビドラマ的な生き方を好まれる人が多かったのでしょう。ますます最近はテレビドラマ的な生き方が好まれているようで忘年会でも「映画よりテレビドラマの方が好き」と言われていましたが、「大きくなりたいのであれば・何がしたいのかがハッキリしていれば映画的な手法を考えてみれば」と話していたのです。たまにはテレビドラマでも人間関係が・周囲の状況がよく分かるがために映画よりものめり込んで心に大きく残るものもあるはあるのですけど、でも映画よりもテレビドラマの方が手法は難しいですし感動が伝わる・大きくなる率は違うのではないかと思っています。

 

 もう一つだけ、手短に話します。前述の本部例会に参加する一週間前のことになりますが、ロングディスタンスと呼んでいる長距離の水泳記録会に毎年協力してもらっている人が主催されている知的障害のスイミングクラブがカーニバルをやるのでデモンストレーターに来てくれないかという話になりと喋れば聞こえはいいのですけど、日曜日の水泳大会なのに水曜日の午後に携帯電話へ掛かってきて「来てくれるやろ」のようなメッセージが残っていたんです(笑い)。そこへ出かけてデモンストレーションはしたのですけど普段はやっていなかったスピード泳法ですから筋肉痛バリバリになりました。オリンピック出場経験のある方もデモンストレーターに来ておられて「せっかく来たのだから」ということで、片大腿切断のもう一人の方と一緒に個人レッスンを受けさせてもらえました。

 私は右目しか見えていないのですが、クロールで右手はうまくかけるのです。ところが、高校生の時にはもう少し見えていたので左手が視界に入ってこなかったので、これは普通に泳いでいても右目には見えない状態なのですけど見えないは見えないにしてもスポーツはやはり視力で行う部分が大きいので不安になってしまいました。それで左手を右目の視界の中に入り込むような泳ぎ方に、いつの間にかしてしまったのです。「それは違う」と教えられたのが非常に遅くなってからで、なかなか直らないのです。今でも気を付けているのですがどうしてもそのような泳ぎになるので、「どうしたら直りますか?」とコーチをお願いしたのです。「君はキックが強いようだからイアン・ソープの泳ぎ方をやってみたら」となりました。どのように泳ぐかというと、両手ともに前へ伸ばしておいて右手だけをかいて、右手がもう一度頂点に戻ってくるまで左手は待っているのです。普通は交互にかきますよね、そうではないのです。次に左手でかいている時には右手は伸ばしたままで、左手が頂点に戻ってくるまで待っているのです。そのようにすると水の抵抗が非常に少ないですし、かきが一番大きいのです。その代わりこれは無茶苦茶に力がいります(苦笑)。50mの泳ぎ方ではないですね、最低でも100m以上できれば200mから800mくらいまでの泳ぎ方になってきます。この水の抵抗が少ないがために一かききですごく進むのです。私を基準にいうと、左右合わせて1と勘定すると今までの泳ぎ方では25mで大体11になり、疲れてくるとそれが12から13に落ちていきます。一番最初の疲れていない時に、ゆっくり大きくかいて9なのです。ところが、イアン・ソープの泳ぎ方にしてみるとなんとビックリ疲れていない時には7かかりませんし、昨日に測っていても平均8なのです。

 ということは、いくらゆっくりかいていても交互にかいている11から13よりも、絶対に速いのです。ターンをした時の勢いでも、疲れてきても新しい泳ぎの方が早いことを自分でも分かるのです。

 これはすごい盲点でした。「うまくならない」というのはどういうことかと言えば、無駄な力が入っているということなのです。指導を受けている時もそうでしたし、逆に私たちが脉診や刺鍼を指導している時にも初心者や伸び悩んでいる人には「無駄な力が入っている」と指摘するのですが、まさにその典型が自分だったわけです。無駄な力が入っているから交互にかいている時にはローリング、つまり身体が揺れている上に呼吸をしようとガバッと顔を上げるものですからその時には90度近くまで横向けになるので自分で進もうという力を押しとどめていたのです。その無駄な力がなくなると一回のかきでビューンと進むようになって、しかも焦らないようにバランスを取るという泳ぎ方をしているものですから結果的に速くなっているのです。無駄な力が抜ければそれだけ速く泳げるようになりますし、もちろんこれは鍼であってもそうですし野球や柔道をやるのも絵を描くのもそうだと思います。この「無駄な力」というのが推進力の妨げ、つまり自分の技術が伸びることへの妨げになっていることを実感できた、とても良い体験だったのです。

 実技の中で「うまくなりたい」と思えば、まずテレビドラマよりも映画的な手法を目指して頂きたいということと、なかなか上達しないなぁと感じている時には無駄な力・自分は前へ行こうと思っているのに前へ行こうとしている力を自分で押しとどめているんだということをちょっと覚えておいて頂きながら、話を進めていきたいと思います。

 

 『脉診流鍼灸術』といいながら全然脉診の話が出てこなかったのですけど、脉診の話に入っていきます。では「脉状観察について」というところなのですが、前文は飛ばして「実際にやってみよう」という箇所から読んでもらいます。

 

 

2.実際にやってみよう

 では、脉が訴えかけているものを確かめてみましょう。まずは脉診を全くしたことのない人でも容易に判断できる祖脉から始めましょう。容易に判断できると言っても、この祖脉が臨床現場では病体把握の第一歩となり、長い付き合いになりますから仲良くしてやってください。

それでは浮沈(脉が浮いているか沈んでいるか)と、遅数(脉が速いか遅いか)に注目してみます。風邪をひいた時を思い出していただければ分かるでしょうが、概念として浮は表病であり沈は裏病のことで、数は熱病で遅は寒病を表わすことになります。表病に熱が加わるのが普通ですが冷えるようでは悪候となり、裏病は冷えていて普通ですが熱があると悪候になります。すると浮数あるいは沈遅は病が順当であり回復も容易であることを表わし、浮遅あるいは沈数では悪候ですから回復は容易でないことになります。さぁ、あなたや周りの人の脉診をしてみればどんな組み合わせになっていたでしょうか。

浮沈での注意点ですが、太った人では脈管がうずもれてしまいどうしても沈み気味に診えてしまい、逆に痩せた人では浮き気味に診えてしまうことです。遅数についても子供は速く老人は遅いのが普通ですが、スポーツをしている人も「スポーツマンハート」ということで遅くなりますので、少し配慮してみてください。

 もう一つ簡単にできるおもしろい実験をしてみましょう。充分に時間が割ける時に、尿意を感じ始めたら実験開始です。尿意が強くなるに従って脂汗をかいて最後は痛みさえ感じるもので、その時の脉は次第に速く細くなりそのうちに指を当てているのさえ痛く気持ち悪いはずです。身体が不快で痛みを感じている時の脉は気持ちが悪く触り続けられないものです。即ち、触って気持ちの悪い脉が「悪い脉」なのです。そして、我慢の限界でトイレを済ませると気分爽快になり、脉は穏やかで触っていて気持ちが良いはずです。つまり、触って気持ちの良い脉が「良い脉」なのです。

確認になりますが「触って」というのは脉診をする術者、即ちあなたの指に触れる脉のことです。予備知識のある人が「脈管がしっかり分かるもの」とか「細いもの」など頭で考えたものを求めていることもあるでしょうが、単純な感覚だけで「気持ち悪い脉」「気持ち良い脉」はどれかとチャレンジしてみてください。

 

 

 えーっ、この「オシッコを我慢して脉が変化する」というのは私が入門した時にも若干は気が付いていました。学生時代はいつでも脉を診ていたのですけど二時限目と三時限目は外来臨床ということで、私は何人もの予約を取っていましたから一時限目が終わったら早くに降りていくわけです。クラスメートは一日で一人、あるいは学期末で治療回数を重ねなければならない時には二人取っていましたけど、私は平均二人以上取っていました。それで降りていく前にトイレへ行くわけですけど、その時に脉を診るのです。それから用を足し終わってからも診るのです。手を洗わずにトイレを出て(笑い)、いえちゃんと洗ってからも脉を診るといちいち変化をしているので「これはおもしろい」と思って診ていたのです。冬には脉が渋っていたのですけど、その時点では何故渋るのかまでは分かりませんでしたが夏とは脉状が違っていることも分かりました。それからトイレで脉を診た時と、ベッドに自分で寝ころんでみた時に指に当たる「強さ」が違うことも分かっていました。けれど、何故違うのかまでは分かっていませんでした。

 「実際にこのような実験をしてみなさい」といわれたのは就職してからの大阪で特別講習を受けた時なのですけど、「脉診が分からない分からないという人はこのようにすればいい」と教えてもらったのです。まぁ勤務をしているのですけど、アホですからこれをやってしまうのです(笑い)。師匠が「何してるんや?」と質問されますから「教えられたことをやっています」「あぁそういうことやったら、やっとりや」(という具合です笑い)。本当に身体が震えるまで我慢をして、「その時の脉は糸のようになるよ」といわれていたのを本当に糸のように・キンキンになっていることを確認しましたし、トイレから出てきて爽快な脉を診て「あぁいい脉とはこういうものなんだなぁ」と覚えたものです。

 助手時代ですし、しかも今も血の気が多いですがまだまだ血の気が多いので自分が本治法をしてまぁまぁいいなぁと思っていたものを修正されると、それが非常に腹が立つのです。個人の鍼灸院へ行った場合には、患者さんは院長先生に手を触れて欲しいのですから満足しないのは当たり前の話であり、一本も院長が手を触れないというのはあり得ない話なのです。形だけででも、本当は手を触れていなくても形だけでもやらないとダメなのです。ものすごく不満だったのです。逆に学生時代にはもっともっと治療をこなしていたのに、ツボを一生懸命触ったり・肩上部の柔らかさを確認したり・腹部をこねくり回したりとかしている時期もありました。幸いなことに奇経治療のパターンを決定する特殊な個人芸を持っていたので自分の居場所というのがありましたし、置鍼を沢山する鍼灸院でしたので鍼管を使って置鍼をする方法が今まで自分がやっていた方法が示指と中指をすらせてピッピッピット叩く方法なのですけど、拇指と示指で示指を弾くのですけど爪を当てるようにすると水平部分が龍頭にしっかり当たるのでぶれずに弾入出来る方法を一ヶ月くらいでマスターできたので自分の居場所があったのですけど、でもやりたいのは本治法ということですごく不満に思っていましたが、その実験をやることによって「いい脉」とは何かが分かった経験があります。

 それからそれから助手に来た人には研修会の参加にかかわらず浮沈・遅数からリセットして入るわけですけど、ある程度出来るようになってきたなら今度は肩上部の緩み・腹部の緩み・脉状の三点セットで「どれくらいうまくいったか」を確認するように指導しているのですが、それでもやっぱり主観に流されやすいのです。どこが違うのかと考えると、どうしても脉に頼りたがっているのです。今脉の話をしているのに「脉に頼るな」と喋るのもおかしな話ですけど、脉診のみに集中するというのは非常に危険なことなのです。一生懸命になりすぎて肩上部や腹部の緩みなどそっちのけになっていますから、そんな時こそ「浮沈・遅数がしっかり整っているかどうかで診なさい」と繰り返しています。

 臨床では、どうしても中学生くらいでは跳ねた感じが治まりにくいです。これは仕方ありません。思春期の一番生命力の溢れている時期ですから、男性も女性もそれらしい身体や声になっていきますし自我も変わっていきますから、この時期は女性の妊娠期間中もしくはそれ以上に生命力が溢れているので微弦の状態になっているので、仕方のないことですしある程度浮になることも仕方ありません。しかし、なるべく浮沈は押さえてください。遅数に関しても押さえてくださいということになりますが、治療の際にはどちらを重視するかというと、私は浮沈だと思っています。遅数も変化させなければならないのですが、ものすごく冷えていたり内臓に腫瘍を持っているような患者さんであれば遅脉が改善しないことがあります。それでも治療効果を持続させるには、浮沈をどうしても整えてください。ここを覚えていただければいいと思います。

 

 

3.脉診の手順と注意点

 脉診をする基本を確認しておきましょう。

術者が右利きであれば患者の左側に立ち、左利きであれば患者の右側に立ちます。電動ベッドがあれば高さを調節して姿勢が崩れないようにします。コツとしては前に出している足がベッドと平行になっていれば、背中を伸ばしたままで対応できるようになります。姿勢を崩さないという意味では、術者の脇は閉めておくことも大切です(脇が甘いと示指に力が入り正確に脉診することができなくなります)。患者が痛みを感じなければ、腕を診脉に便利なように引き寄せても構いません。術者の目線は立っている側と反対の患者の肩先あたりとします。そして、

 @術者の母指は、患者の陽池穴に当てます。

 A指は橈側より回し中指を橈骨茎状突起に当て、示指・薬指を添えてソフトに橈骨動脈上にスライドさせます。これで示指(寸口)・中指(関上)・薬指(尺中)に該当します。

 B「脉をしっかり感じよう」とするあまり指をすぐ沈めてしまいがちですが、スライドさせた状態で既に軽按なのです。菽法脉診の三菽という脉位は極めて軽いものですから、スライドさせた状態で既に三菽と思って良いでしょう → スライドさせた時に直ちに脉が触れないと「あっ大変だ」と脉を探しに指を沈めるのでしょうが、沈脉であれば触れないのが当然ですし必ずしもすべての脉位が三菽にあるとは限りませんから、あなたの触覚は鈍いのではなく鋭敏なのです。後にも出てきますが術者の気に入るように脉診するのではなく、慌てず客観的な脉診に徹しましょう。

 

 

 この指を脉の上へスライドさせていくということですが、全くの「指の重さだけ」というのが基本です。学生会員を指導している時などにはかなり口を酸っぱくして繰り返しているのですが、実はベテランの方がさっと脉を診に行く癖があるので毎日自分の脉診をした時に確認しておいて欲しい事項なのです。脉を「さぁどれかな」と診に行きたいところなのですけど。

 ちなみに先月の合同例会の中で問診から入っていくという話があったのですけど、問診から入っていくと逆に変な先入観が出ないのかという話にもなりました。大阪の森本先生は「わしは腹から診る」と言われ、二木は「脉から行く」と言いました。まぁどちらからでもいいのですけど、その時の脉診というのは私は何も考えていないのです。寸関尺も五臓も五行も何も考えず、ただただ自分の感覚で診てその時のインスピレーションを大切にしているのです。別に神のお告げを聞きながら治療をしているわけじゃないんですよ(笑い)。そうではなくて、脉というものはどうしても先入観を持って診てしまうことを防止するために何も聞かずにポンと診ているのです。お腹だって何も聞かずにポンと診れば、それは一緒のことだと思います。より気血津液を重視して診ていくのであればお腹からになるでしょうし、精神を含めて身体全体のことを診たいと思えば脉になるのではないかと後から考えていました。人それぞれのやり方なので「必ずこうしてください」と言っているわけではないのですが、大事なことはその時にも橈骨形状突起から指をスライドさせ、いきなりは沈めません。一呼吸おいてからしか沈めません。

 

 

 C脉を沈めていく時、「寸陽尺陰」を意識します。元々寸口は脉位が浅いうえに均等に圧をかけているつもりでも示指にばかり力が入りますから、極端な表現でなく薬指のみを沈めて、中指や示指はそれに自然と追随するだけの操作とします。また脉診する指を操作する時には、母指は支えだけですから敢えて力は入れないように気を付けます。

 D浮沈に関してですが、肥満では沈んだように・痩せていれば浮いたように感じるので考慮を忘れないようにしてください。また左右で浮沈が違うケースも珍しくないので、全体的にはどうかということを観察するようにします。診察能力が向上すれば、脉の「上がり」か「下がり」のどちらが速いかということも、浮沈を判断する基準となるでしょう。

 E「反関の脉」(奇形ではないが橈骨動脈が肺経に沿わず大腸経のほうに反り返っている状態 → 関上のあたりから反り返るのでこの名前があります)を含め、極端に脉を触れにくい場合は脉診だけで診察をする必要はないのですから、あまり執着しないことです。触察できなかった脉位はすべて虚として扱うという説もありますが、病理から推測し腹診や他の診断目標を参考に通常通りに四診法で証決定して治療を進めるべきです。

 

 

 反関の脉が出てきました。私の結婚披露パーティーの時に師匠である丸尾先生からお言葉を頂いた中に「何でもものを喋るやつだった・何でもどんどんやっていく奴だった」と言われ、まぁどんどんやっていくことは否定しませんけど(笑い)。その中で「わぁ先生えらいこっちゃ!脉がないと二木は言ったことがある」との一節がありました。「嘘や、それはいうてへんで」とずっと思っていたのですけど、この講義の予習をしている時にちょっと思い出したのです(苦笑)。確か左手が反関の脉、右手はちょっと反関もあるのですけど脉が二本ある方は多くが沈んでいるのでパッと通常通りに脉診をすると、脉が触れなかったのです。「わぁ先生、この患者さん脉があらへん」と確かに言いました(笑い)。これが冬でおばあちゃんなどであれば脉がすごく沈んでいるのでパッと診ただけでは分からない、しかも心臓の薬を飲んでいたりすると脈拍自体が遅くなりますし脉も開きますから多分言わなかったと思いますけど、まだ四十前後の女性で置鍼をすることから背中の開くシャツを毎回着てこられるという非常にまじめな方で、喋り方も「今度助手さんに来られたんですか?どうぞよろしく」と向こうから言われるような方だったのでこれは接しやすい方だと思ったところが前述のようなことだったので、思わず叫んだということを思い出してしまいました(苦笑)。大抵は私の方が治療室であったことを覚えているのですけど、一つだけ丸尾先生の方が覚えておられました(笑い)。

 「反関の脉」とは文字通り関上の辺りから反りくり帰っているということなのですけど、時にはもっと上の方から反りくり返っている人もあります。両方の手が反関という人もおられます。百人に一人ないし二人程度おられるのですから、これは奇形ではありません。しょっちゅう巡り会うはずです。その場合には、触れない脉は虚ではなく病理から推測します。完全な反関の脉でなければ、治療している間に触れてきた患者さんもあります。解剖学的にいうと橈骨動脈の六部定位を触れている部分は、血管が二本あっても全く不思議ではないそうですね。ちょっと名前は忘れてしまいましたが、深い部分を巡っている血管と浅い部分を巡っている血管です。どこの先生だったか反関の脉でもそのまま指を当てて寸関尺を判断し、そのまま証決定が出来るんだといわれていましたが、私は未だにそのような器用なことは出来ません。

 

 

 F一回の脉診は短くする。初心者では何かを得ようと必死なのは分かるのですが、前述のように脉診で最も大切なことは「脉が何を訴えようとしているのか」を察知することで、ガチガチの頭で考えながら触診していてもフィーリングは得られないのです。首をひねりながら長時間悩んでいる治療家では患者を不安にさせるだけです(脉を診る指には自然に力が入って患者は痛がっています)。一回で分からなければ、時間を置いて二回・三回とやり直せば良いのです。それに術者が自分の気に入るように脉診をしようとしていませんか?

 

 

 えーっと、ここは先程の水泳の話につながってきます。脉診を「分からないから」と長時間診ているということは、自分で自分にどんどん無駄な力を入れていくことになります。分からなければ理論編のところでも喋ったように、漢方とは環状線のようにぐるぐる回っているのですから分からなければ次へ進んで、もう一度戻ってきた時には次の理解が出来るこれは脉診でも同じことだと思っていただければいいでしょう。目の前におられる患者さんを何とかしなければならないのですから勉強のように一冊ゆっくり本を読んでからというわけには行かないでしょうけど、「分からないから」とずっと触れ続けるのではなく、分からなければ一度脉を離します。それで肩上部を触ります・腹部を触ります・軽擦をしてみます、それでも分からなければ背項診をしてみます・問診もしてみます、それでも分からなければどさくさに紛れて奥へ入って本で調べてみます。大切なことは一度で分からなければ脉を離してしまうことで、無駄な力が入ると自分で自分のことを分からなくさせてしまいます。

 

 

 G脉診至上主義に陥らないことは口を酸っぱくして繰り返されている言葉ですが、ベテランと言えども常に気を付けなければならないことです。確かに情報量が多くリアルタイムで変化をしてくれるので、脉診ほど臨床現場で代用できるものは見当たりません。しかし、微妙な感覚で触知するものは術者の先入観による錯覚に陥りやすく、特に思い通りに運ばない時に限って焦りから脉のみで解決しようと意地になった経験があるはすです。証決定はもちろん、治療結果の判定も総合判断で望まなければなりません。

H母指を陽池に当てずに脉診する方法もあります。母指は患者の母指の横に出てくる形となり「把握法」とも呼ばれています。この方法のメリットとしては手の小さい女性治療家でも脉診しやすいことと、寸陽尺陰が意識せずに実現されることです。デメリットとしては微妙な力加減が難しく術者は少ししか指を操作していないつもりでも相当に動いていて乱暴となり血管を押し込んだり引き寄せたりしていることもあるので、この脉診専用の修練も必要となります。しかし、術者が体調の悪い時もあり、そんな時には感覚補正のために普段の方法と併用したり、どうしても判断しにくい時の併用法として用いるのが良いのではないでしょうか(または把握法をメインにしても構いません)。

 

 

 このようなことで大体脉診については語ってきたのですが、「脉診至上主義に陥らないように」とは口を酸っぱくして繰り返しているのに、どうしても夢中になってくると陥ってしまいます。私の治療室で助手をした・あるいは見学に来られた方は知っておられるでしょうが、腰痛が主訴で来られた患者さんに私はほとんど脉診だけで治療をします。腰の状態は、大体脉診で読めます。ところが、膝関節痛の方は絶対に膝そのものを診察するのです。何故かといえば、脉だけで読む自信が全くないからです。腰痛の場合には内臓腫瘍からの放散痛などもあるかも知れませんけど、まぁまず原因は腰です。一人だけ肺癌が脊髄に転移していて両側性の坐骨神経痛での激痛になっていたのですが、これを何とかして欲しいといわれたのですが「両側性の坐骨神経痛というのはおかしいから」と忠告したら「人間ドックでは何ともなかったから」ということなので、「一応治療はしますけど、あなたは糖尿病もなさそうだからもう一度検査は受けられた方がいいですよ」ということで後から判明した経験があります。

 話が反れましたけど、腰の場合には痛むのが右か左かで痛む側の脉が必ず細くなりますし、あるいは跳ねてきます。これが寸関尺で、当然寸口の方が高い部位ですし尺中の方が低い部位ということになります。そのようなことを合わせていくと、後は例えばヘルニアの症候・骨盤がずれている症候などを問診から合わせていくと「あぁこの腰はまずこのようになっとるはずや」と分かるので、私は触診をしていません。ところが膝は膝の方が先に悪くなっているケースがあります。大多数は腰の方が悪くて腰痛が発生するほどではないのでバランスが悪いのを膝が支えているために膝が痛み出している、膝関節痛の七割がこのようにして発生してくる変形性膝関節症だと思っています。あるいは同時に進行しているケースもあります。外傷の場合にはもちろん外傷なのですけど、膝か腰かどっちから発生してきているのかが分かりません。ですから、膝を触診して腰のことも判断しないとどちらが先なのか分からないので、膝関節痛の場合には脉診だけでなく必ず局所の診察もしています。

 あるいは腰痛の場合でも、自信がなければ横臥位になってもらい必ず触診しています。この間から来院している高校生はバスケットで接触し転倒してから腰が痛むのですが、あまりに痛むので学校へも行けない状態なのです。最初は学校へ行ってから来院するようにと言ったのですが、「いやそれどころの話じゃないんですよ」との両親からの説明なので「それじゃすぐに診察しましょうか」ということで見てみると亀裂骨折を起こしていたのです。最近若い女性を中心に、特に大きな衝撃を加えたわけでもないのにパーンと割れてしまうことがあるみたいです。一番最初に見つけたのは確か看護婦さんだったのですけど、お昼ご飯を食べて「さぁ仕事だから」と立ち上がった瞬間に痛みがでて「それから一年半痛みが取れないのです」といわれて来院されました。病院に勤務しておられますからMRIから何から何まで検査されたのですが、さっぱり分からなかったのです。ちょっと職場を軽いところへ変えてもらってそこの先輩が「腰痛だったら鍼へいってみれば」ということになり、うちが鍼灸院では二軒目だったらしいですが「これは亀裂骨折ですよ」と判明したのです。骨折の脉というのは明らかに分かるもので、左の寸口が浮いてきます。関上も同時に浮いてくることが多いです。当然自発痛がありますし動作痛は亀裂骨折の部位にありますから跳ねてきます。尺中はあまり上下がないというか、のっぺらぼうで平坦な脉、これが骨折の脉です。この脉状が触れたので「これはおかしいな?」ということで、打診をしてみました。骨折が一番分かりやすい方法としては、骨折をしている部位より遠くから叩いてその部位が響くかどうかです。この腰の場合であれば上部の関係が認められない椎骨を打診して響くかどうかになりますし、あるいは腸骨を打診して響くかどうかです。部活で足に亀裂骨折を起こしていることが多くあるのですけど、その場合には脛骨もしくは腓骨それから指先から打診して響くかどうかです。それから骨折の場合には確実に腫れがあります。鍼灸院に来院される場合には数日経過していますので、その夜に「夜間痛があったかどうか」を確認することも大切です。

 そのようなこともあったりして開業歴が長いですから少しずつ腰のことなどは診断できるようになってきましたけど、それでも脉診至上主義に陥るのは怖いです。

 最後の項目で「陽池には指を当てない把握法という脉診方法もありますよ」ということですが、これは私は今でもやっています。これから本格的な寒さになってくるのですけど、特に今年は「鳥インフルエンザから感染しては大変」ということで用心されているためにまだ少ないようには感じていますし私たちも用心しなければならないのですけど、風邪をひいた時が一番脉診の精度が落ちると思うのです。自分が腰痛で相当に力が入っていたりするなら精度が落ちるかも知れませんが、まぁ有り難いことに自己治療というものが我々には出来ますからね。それで風邪をひいてしまった時には、治療室に立って最初の三人くらいまでは陽池に指を当てる方法と当てない方法との両方をやって、自分の体調からしてどれくらい感覚がずれているかの補正をするのです。かなり咳き込んでいる・涙が出るほどくしゃみも鼻水も出るなど補正が出来ないほど体調が崩れている時には一日中両方の方法を用いますが、そこまででなければ三人か四人こなせばその日の感覚の補正は出来ます。しかし、感覚補正のために今でも用いています。

 

 ざっとですが、脉診について述べてきました。他の先生方、特に古典を基準に寸関尺それぞれの脉状を講義されているもの・書物がありますので、それらと並行して今後も勉強していってください。この講座では脉診についての復習という感じで進めさせてもらいました。次に選経・選穴ということで入っていきます。

 

 

   1.治療法則

 1.難経六十九難

 難経医学が提示した特色である「相生治療」が打ち出されています。主体は選経論ですが、治療法則として大切なエッセンスが詰まっていますからしっかり押さえてください。本治法における補瀉の順番はこの六十九難に従うことになります。以下の四項目が要点となります。

  @虚すればその母を補い ⇒ たとえ方としては幼稚なのですが、子供が弱ると母親が看病をして一緒に疲れてしまうので親子ともに治療をしないと病気は治しきれないという意味です。病の原因となっている経絡だけを補えば目的が達成されるかといえば、母に当たる経絡より病が流れてきて発病しているケースもあります。五行関係より補完的な意味で母経も同時に補うのが良いと記述されていると考えられ、親子二経を補うこととなります。具体的に書き出すと肝虚証であれば肝経・腎経を共に補うことであり、腎虚証では腎経と肺経、肺虚証では肺経と脾経、脾虚証では脾経と心経(臨床では心包経)になります。

 選穴では、主証となる経絡では母穴を補うこととなりますが、親経においても母穴を用いてしまうと子経に対して相剋となってしまうので、自穴を用いることとなります。つまり証の五行の性格の母を二経とも用いれば良いのです。同じく肝虚証なら肝は木ですから母の合水穴ということで曲泉・陰谷というふうに導けます ⇒ 肺虚証(太淵・太白)、腎虚証(復溜・経渠)、脾虚証は火穴を用いるのが原則だが実際には太白・大陵が一般的。

  A実すればその子を瀉す ⇒ 先ほどの幼稚なたとえの続きでは、母親がぐれると子供も真似をしてぐれるので親子とも懲らしめないといけないという意味でしょう。しかし、実際には「脉型ではこのようになっているよ」と、五行を説明するだけで臨床では一経のみを瀉すだけで治療は成立するでしょう。

 選穴に当てはめれば、肝が実したならば子穴の行間を用いて瀉すことになります。

  B虚せず実せずんば即ち経を以てこれをいう ⇒ 正経の自病と呼ばれるものです。これには二通りの解釈ができます。一つ目は一経のみが変動をしているのだから、その経だけを補瀉すれば良い。二つ目は一経のみに補瀉を施しただけで全て整ってしまえばそれ以上は施す必要はない。どちらも治療室を訪れる患者には当てはまらないと思われますが、頑健な人であれば二番目の解釈が適合する可能性があるかも知れません。要するに過ぎたるは及ばざるがごとしというところです。

  Cまさにまず補って後にこれを瀉す ⇒ 一般に「補法優先」と略されています。病は精気の虚から始まるのですから、その虚を先に補わなければ邪を追い出す力は得られないという意味です。よほど顕著な邪であれば救急法として先に取り除かなければならないケースもありますが、病を回復させるには虚を補ってやらなければなりません。つまり、証の頭文字は「虚」であって「実」ではいけないのです。

 【付け足し】

 血を貯蔵している肝が虚し、血を送り出す心も虚したのではたちまち死亡してしまうので心虚証という証決定はしません。心が病んだ時は脾虚証で治療します。

 

 

 

 これは学校で習われて、国家試験に出てくる定番中の定番です。この六十九難に縛られないようにとも最近いわれ始めていますが、やはり基本として六十九難を押さえておいて欲しいと思います。書かれていたように肝虚証であれば曲泉・陰谷、肺虚証であれば太淵・太白、腎虚証は復溜・経渠、脾虚証であれば太白・太陵というこの基本形は覚えて頂きたいと思います。

 それから「実すればその子を瀉し」と「正経の持病」については、私の中でまだまとまりがついていないのですけど最近「実すればその子を瀉し」というのは、これは陽経のことを指しているのではないかという気もしています。いわゆる九鍼十二原篇に出てくるガッと抜き去る瀉法をするのではなく、営気の手法を施すことを示しているのではないかという気がしているのです。ただ、オーソドックスにはここに書かれていたように覚えて頂きたいと思います。

 何度か話をしたことがあると思うのですけど東洋はり医学会に所属していた時の肺虚肝実証というのは、肺経と脾経を補いその後で肝経に直接九鍼十二原篇に出てくる瀉法を加えていたのです。これはこれで、すごくいい治療法だったのです。開業をした年だったと思うのですが、ものすごい頭痛がしていた患者さんに太淵・太白と補って太衝か中封に瀉法を概ね加えるのですが池田先生は曲泉に加えるといわれていて、曲泉は痛いだろうなぁと思うのですけど(笑い)。それで中封の方が反応がよかったので用いることにしたのですが、これは現在のように「三点セット」が確立していませんでしたから脉診をして当時のまだつかみ所のない腹診をして患者さんも楽だと言われますから決めたもので、ステンレス八部二号鍼を迎随に逆らってミリ数でいえば8mmから9mm程度は刺していたはずですが、すると「うわっ怖い」と言われますから「何が」と聞くと「頭の痛いのがスーッと引いていく」と。当時はそれですごく得意になり、後は陽経の処置をしていたのです。

 でも、ある時に気が付いたのです。肺虚肝実証でも脾虚肝実証でも他の何でもいいのですが、「相克調整」という方式でしたから、例えば肝虚肺虚証のように証決定して治療をするのです。しかし、これで陽経までくるとかなりの数の鍼をしなければなりません。三焦経を補って・小腸経を瀉して・胆経を瀉して・大腸経は補って・・・。ふと気が付くと、膀胱経以外は毎回全部手を出しているなぁという感じだったのです。「どうもこれは違うな」と疑問になったのです。六十九難には純粋に当てはまってこないし、経絡を積極的に動かしてはいるけれど間尺に合わせるようなバランスの取り方をしているのではないだろうかと。それで六十九難というものにもう一度戻って検討している時に、漢方鍼医会からお誘いがあったというのが私の鍼灸師としての一ページになります。

 ここで話をしていると全体が止まってしまいますから、少し急ぎますが六十八難に進みます。

 

 

   2.難経六十八難

 六十九難は五行を遵守する選経・選穴でしたが、五行の中にも五行が存在しているので同じ証でもさまざまな病症となります。そこで病症が顕著であれば、陰経ではツボの持っている特性を優先させて選穴することも珍しくありません。

 @      井木(心下満) ⇒ 心下部がつかえて息苦しかったり、悪心や食欲が出ない        などの時に用います。

 A      栄火(身熱す) ⇒ 身体から熱が抜けない、あるいは暖まらない時に用います。

 B 兪土(体重節痛) ⇒ 体中がだるくて身の置き場がなかったり、節々が痛む時に用います。

 C      経金(咳嗽寒熱) ⇒ 咳が止まらない、あるいは体温が上がったり下がったりを繰り返す時に用います。

 D      合水(逆気して泄らす) ⇒ 冷えのぼせや、五心煩熱(手足ともに火照ること)、あるいは汗や大小便が出すぎたり出ない時に用います。

 *もちろんのことですが、六十九難の選経に六十八難の選穴を組み合わせるので、二経とも同じ五行を選穴することになります。例えば内臓症状が主体なので証は脾虚証だった時に咳嗽もかなりあるということで、これを考慮すると経金同士(商丘、間使)で治療することになります。

 

 

 基本はここに書いてある通りです。それで六十八難の選穴というものを身に浸みて覚えたのが、開業をしてその年だったと記憶しているのですが、心臓性喘息のおばちゃんが来院されたのです。農家のおばちゃんですよ、真っ黒け(笑い)。その方がベッドに寝られると、ゴホンゴホンゴホンと体中を震わせて咳をされるのです。「私喘息の薬も飲んでいるのに夏なのに、恥ずかしい」って「恥ずかしいならもう少し痩せろ」という感じだったのですけど(笑い)。普通なら肺虚証で治療したいところなのですけど、その時の証がどう診察しても脾虚証なのです。よく聞いてみると、心臓がちょっと悪いようなことも言われました。それで脾虚証で治療をすると、ピタリと止まるのです。でも、帰宅される頃にはまた出てくるのです。「これは」と思い立って、咳嗽には当てはまらず実際は経金穴の寒熱往来に当たっていたのでしょうが私のその時の発想としは咳嗽で、商丘に続いて間使を用いました。経絡治療の世界に入って三年から四年経過していたのに、間使というツボは使ったことがなかったのです。五行表を見て「あっ、間使だ」という感じでした。これでやってみるとすごく持続力があり、「なるほどこれは」ということで・・・。ここから今日の結論に入っていきますが、「選経・選穴とはこういう事だったのか」と思ったのです。

 基本は六十九難が選経論だと思っています。選穴まで書かれていてそのように当てはまってくることもかなり多いですけど、選経論だと思っています。そして選経が確定してから、選穴へと進むのです。選穴の場合には五行的に取って構わないケースも多くあるのですが、六十八難を重視して選んで頂きたいと思います。漢方は非常におもしろく「逆気して漏らす」などと書かれていて、「全然出ない時も漏れ出ている時もこのツボを使いなさい」とあるのです。両極端のものが一緒のところにあるのです。実際にそのようになっていて、心臓なら沢山動きすぎるのも動きが足りないのもどちらも障害を出しているのは心臓そのものなのです。だから非常に合理的に出来ているのです。

 それで通常の使い方をしたい時には、六十九難は全て衛気の手法で構いません。陰虚証になると当然陰気を補わなければならないのですけど、経金穴や合水穴というのはツボ自体が深いので普通に鍼をすれば身体が勝手に営気の手法として陰気を補うように取り分けてくれるのです。逆に井目穴・栄火穴というのはツボ自体が浅いですから、軽くしないと衛気の手法は出来ませんし実際に当てにくいですからそのようになるのです。これをどうしても逆の方法でやりたい、例えば栄火穴の「身熱す」が一番分かりやすいと思うのですが体が熱くて熱くて仕方ないので冷やしてやろうと思う時には衛気の手法なのですが、身体が冷えて温まらないという時には営気の手法を使うのです。このようにして、ひっくり返してやればいいと思うのです。

 もう一度、繰り返します。六十九難というのは選経論だと思っています。証決定をする場合には、まず選経を確定させてください。選経が決定してから、次に使うツボを考えてください。いきなり実技の中で「これは何だと思います?じゃツボは?それじゃ触ってみましょう」、これは絶対にダメです。左右の治療側が違っているということもありますし、五行的に合っている例えば肝虚証でやるべきところを腎虚証としてて陰谷・尺沢でやりたいとすれば陰谷が重なっているので、いきなり取穴をしたのではこれでいいように見えてしまいます。この場合でも肺経まで探って、本当にこれでいいのかまで確認して欲しいのです。また右治療側で行わなければならないものを左の陰谷を触ってよくなったように見えた、もっと極端には右の腎虚証であるものを左の陰陵泉を触った時に五行の水という性質が重なっているために脉が「ある程度改善した」「お腹もある程度改善した」という現象が発生してくるのです。しかし「三点セット」で比較すれば明らかに分かります、これは違うということが。「三点セット」を含めてまず選経を確定する、それから選穴に移る。「じゃ左の商丘を触ってみましょうか」式の実技は、これは絶対に間違いです。

 

 今回はここまでになります。次回以降に陽経や下合穴などの話をして、具体的な証に合わせた話をしていきたいと思います。




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