2006.3.19

 

「漢方鍼医基礎講座」 その10

 

二木 清文

 

 

 この「漢方鍼医基礎講座」というものを、昨年の五月から始めました。合同例会の一ヶ月を抜かして本日の三月で十回、最終回になります。

 一番最初にもお話ししたことなのですけどなるべく雑談的な治療室の感覚で横の話が入って、それを聞きながら基礎的なことを一通り話してしまおうとしたものです。基礎理論だけが淡々と流れていくものは、これはあまりにもおもしろくない。しかも、お経を読んでいるみたいなもので頭に残らないですよね。うちの宗教は仏教ですからお経はそれなりに覚えた時期もあるのですけれど、聖書もそれなりに覚えられるのでしょうけど分からないですよね。何故かといえば「おもしろくない」から、それから意味が説明されないからです。これを何とか十回シリーズでやってみようではないかということで、試みてきました。

 内情をばらしてしまうと「九回で終わるような予定をしておくと一回溢れるのではないか」と予想しておいたら、その通り十回目に溢れてきました(笑い)。今回で終われそうなので、あと一時間よろしくお願いします。このシリーズは今後十年間は使える内容になったのではないかと、自分では思っています。

 

 例のごとくいつもの前振りなのですが、「プロとしての仕事をする」という事から入っていきたいと思います。

 これは私自身の体験なのです。私は先天性緑内障、つまり眼圧が高くなり視神経を圧迫して段々と視力がなくなるという病気なのですが、これが自分で語るのも何ですけど非常に重いのです。産まれた時には、右目がビックリの真っ白でほとんど焼き魚の目玉状態だったらしいのです。産まれて二日目なのか四日目なのか、京都の病院で簡単な手術のようなものを受けたように聞いています。七ヶ月目には、京大病院で右目の手術を受けています。その後に小学校で、今度は左目の手術を受けています。房水というものが眼球内を流れているのですけれど、これが詰まってしまうので眼圧が上昇するから抜くようにバイパスを造る手術を七ヶ月と小学校の時に受けているのです。それでも眼圧が非常に高いままだったのです。ちなみに右目が焼き魚状態で産まれてきたものですから、左目が見えていたらしいのです。ところが二歳前に左目が急に濁ってきて、「あぁこの子は全盲として生きるしかないのかなぁ」と親は思ったとのことです。ここで最終的には初回大会で世界チャンピオンになったWBCの準決勝進出のように奇跡が起こり、右目が見えるようになってきたのです。私が物心付いた時には、右目で見るものだと思っていたのです。

 そして高校一年生の時に原因不明の眼球痛、本当に目玉が痛かったのです。それまでも眼圧が上昇して眼球だけでなく頭痛がして、特に中学生の時には週に何回も保健室で寝ているという状態だったのですけど、これが給食の頃になってくると回復するものですから困ったものですね(笑い)。そのような経過で高校生の時には再び京大病院へ入院。最初は左眼球に痛みが発生して右眼球に移ったような状況になり、入院した時には既に左眼球はあまり痛みがなかったのですけど急激に眼圧が上昇して60という値は緊急手術が必要な値です。完全に目玉が飛び出してしまい、瞼が閉まらない状態でした。担当医が「どうしようどうしよう」という状況だったのですが、それがスカッと抜けてしまったのです。あまりに詰まりすぎて詰まっていたものが飛び出してしまったような感じで、急激に眼圧が下がってそれ以後は左目の眼圧が上昇することが全くなくなってしまったのです。これを主治医に「どうしてこのようになったのか」と聞くと、「分からない」と答えてくれました。「分からない」ものを「分からない」と答えるなんてとても偉い人だなぁと、高校一年生だったのですが思いました。私はその時に自分が鍼灸師になることをあまり意識していませんでしたし、まして経絡治療家になるという意識は全くなかったのですけど、「もしも自分が医者になるとしたら分からないことは分からないとハッキリ言える人になろう」と強く意識したことを覚えています。

 それで右目に話を戻しますが、「この子は二十歳から二十五歳までに失明するだろう」といわれていたのですが鍼灸の専門課程に入って経絡治療と出会い、自ら治療をすることによって視力を保持し現在四十歳になりますけど何とかではありますがまだ見えています。けれど残念ながらこの年になるとまた一段階体質が変わる時期となり、今年に入った辺りから眼圧の値が非常に悪くなりました。今までにも何度か急激に眼圧が上昇したことはあるのですけど、その時には内服薬をちょっと飲むと回復をしています。今回もこれは緊急ですから仕方がありません。子供もまだゼロ歳ですしお父ちゃんは頑張らねばなりませんからね(苦笑)。いつ全盲になっても大丈夫なように教育を受けてきたわけですしそのための準備もずっとやってきたのですが、やはり失わなくていいものは失うわけには行きません。もちろん鍼灸治療もしています。でも、とりあえずのために薬を使うことは必要だと思います。

 この薬は非常に副作用が強いのです。手足が痺れるのですが、特に寒い時には非常に痺れました。この冬は皆さんも感じておられたように厳冬でしたよね、ものすごく痺れた状態で治療室に立つこともあったのです。ある時ですね、出勤するのが遅かったからだったと記憶しているのですがストーブで手を温めて患者さんのところへ行くと、脉を触れている感覚など全く感じられないのです。鍼を持っている感覚もないのです。それでどうしたと思います?それでも私は治療をしたのです。これは患者さんをだましているのではなく、この時こそ「三点セット」を用いたのです。脉診そのものは出来なくても肩上部の柔らかさくらいは触れられましたし、腹診でも指先とか手掌では分からなくても例えば手背を用いるとか手首付近を用いるとか、それに加えて病理の考え方で選経・選穴をしていきました。これは内服薬によるものですから半時間もすると症状は回復するので、仕上げの段階では既に脉診が出来るようになっていたので確認はさせてもらえました。

 

 私の考える「プロ」としての条件ですが、いかなる状況においてもクリアできるレベルを持っているのがプロだと思うのです。よく例に出すのが走り高跳びで、180190を飛んでいる選手は2m位が目標でしょうから常に150は飛べていなければなりませんね。これはいつか話をしたテレビドラマ的手法と映画的手法の違いにつながってくるのですけど、目標値を高く設定しておいてそこへ向かっていくと必ず通過しなくてはならないものを持っていてそれなりの結果が出るものが映画的手法、テレビドラマ的手法というのは積み重ね積み重ねがうまくいけば映画より素晴らしいものが出来上がりますが現実的には難しい、困難の方が多い到達線までなかなか達せられないだろうという手法です。ただし、テレビドラマ的手法の方が充実感はあると思います。その「仕事」ですが、常に180190が飛べる選手は少々発熱していても足首の捻挫があっても150位は飛べるでしょう。調子がよければ2mも飛べるのです。それで一番調子がいい状態をオリンピックなどの競技会へ持っていこうということになるのですが、でも150は絶対に飛べる。普段は背面飛びなのだけれどものすごく調子が悪ければ正面飛びでもベリーロールでもどんな方法を使ってでもクリアしていく、要するに飛べればいいのですからね。そのようなことが出来るのが「プロ」だと思うのです。

 治療に対して100%でなければならないと思うのですが、常に能力を一杯まで使う必要もないと思うのです。まずは患者さんが治療を受けられる量(ドーゼ)というものを考慮しなければなりません。これもよく出す例え話ですが、関西のおばちゃんはずけずけしていますから「今日はいつもより腰が痛いしサービスで鍼をようけ打っといて」という時に、そのような時に沢山鍼をしてしまうと絶対に失敗をします。これは過敏になっているからで、逆に鍼数を少なくしなければなりません。その鍼数を少なくしたことによって能力一杯のことをやらなかったのかというと、能力一杯はしていないでしょうが治療としては100%になっているのです。いつもと同じだけをやってしまうと治療としては120%150%になって「後で体がだるかった」「余計に痛くなった」ということになりかねません。その時の治療量にうまく合わせていけるというのも「プロ」の条件になると思います。

 例えを変えるとこれもどこかで話をしたかも知れませんが、コップ一杯のお酒で満足をする人がいたとします。常にコップ一杯のお酒を出していると「あんたのつぎ方はうまい」ということになるのですが、コップ半分でいい人もいますし三杯飲まなければ満足しない人もいます。そこへ一本調子でコップ一杯のお酒を出し続けていたなら、コップ半分で満足の人には「あそこのお酒はきつい」ということになりますし、三杯飲みたい人にはなまぬるいことになります。ところが、困ったことにコップ一杯で満足という人がたまたま来るものですから、医者というのは自分のレベルがどの辺りなのかを非常に気付きにくい人種なのです。

 

 話が暴走しかけているので路線を戻しますが自分の体調が悪い、私のように内服薬からのものでなくても風邪をひくこともあるでしょうし捻挫などをすることもあるでしょうし、これも私のことなのですがこの間の水泳の後から自分自身が腰痛になっている日など色々あります。治療家自身の体調が常にパーフェクトとは限らないのです。そのような時でも最低限クリアできる目標をちゃんと持っていて、それがこなせるのが私は「プロ」だと思います。そのための基礎技術・基礎研修というのが、さらに大切になってくるわけです。そのために我々は研修会を開いているのです。

 それでは余談ばかりが長くなってしまいますので、本文を読んでもらいます。

 

 

具体的にはどう生かす

 当たり前のことになってしまいますが、付随症状まで含めて病状把握が簡単になるので患者への説明と説得が具体的にできることと、治療パターンの選択が容易になるということです。

 しかし、「あぁいつものパターンか」と注意を怠ると誤治を起こしたり、治療成績が芳しくないのに思考が滞って悪循環に陥ってしまう危険性もあります。診察時にはポイントを絞り込んで正確な証決定につなげる努力が大切です。

 

 

 これ以前の部分に西洋医学の病名と合わせるということが書いてあるのですけど、これはまた読んで頂くとしてせっかく西洋医学のことが出てきましたから一緒にコメントしますが、経絡治療家の先生の中には「西洋医学のことは意識しなくてもよい」とか「西洋医学の病名は関係ないのだ」と強く言われる先生がおられます。治療としては確かに関係ないのです。我々が出来ることは鍼灸であって、使える道具も鍼灸でありそれからツボだけなのです。ですけど西洋医学の病名を知っておくことは大切ですし、第一患者さんは西洋医学の言葉でしか理解できないのですし西洋医学の言葉でしか情報を持ってきてくれないのです。そこへ腰椎ヘルニア・腰椎すべり症・頸椎ヘルニア、あるいは腎結石・腸捻転・胃潰瘍という病名があって、それに対する付随症状が分かっていて対処法も分かっていればより良いだろうということなのです。

 本文は読みませんでしたが「ある無名の鍼灸師」と書いてあるのは私の師匠の師匠、つまり大先生のことです。出会ったことはないのですが、大橋巨泉みたいな顔をしていたとのことです(笑い)。この先生は家庭環境に恵まれなかった方なのですけど、四国の按摩屋に就職されたのです。非常に変わっていた方らしく、「何が食べたい」と聞かれたので「僕は骨のない魚が好きだからそれだけあればいい」というので山奥ですけど四国は四国ですから毎日刺身が出てきたのですが、それを毎日文句も言わずに食べたらしいです。その間にずっと勉強をしていて、本に書いてある脉診のことを「これはこうなっているはず」「あれはそうなっている」と全部をいちいち自分で拾い出しておられたのでしょう。それで五年目くらいになってくると、診察をして脉診をして曲泉や陰谷ばかりを一生懸命に揉むのです。「おいおい俺は肩がこっているんだ」「肩こりが治ったらええんやろ」ということで、多少は標治法的な局所のことも揉まなければ按摩屋の親父に怒られたでしょうからやったと想像はするのですけど、でもほとんどは本治法で用いる五行穴や五要穴ばかりを施術していたらしいです。それで本当に肩こりが取れているものですから、取れているものに文句の言い様はないのですね。それでさらに脉診を実践され、「もう按摩は飽きたから鍼がやりたい」ということで大阪に出てこられ一日に最高で120人くらい診察されていたと聞いています。伝説の漫才師かその先生かというくらいに無茶苦茶な人だったらしく、ちょっと文句を言ったくらいなら瞬間湯沸かし器ですからシッカロールが治療室の端から端まで飛んで真っ白けにしょっちゅうなっていたらしいです。

 その先生曰く、西洋医学の病名と我々鍼灸の診察とは一致しなければならないものだし、一致するはず。またそのように結果も出なければならない。例えば胃潰瘍があって自覚症状がなかったとしたら検査に行かせると本当に胃潰瘍であり、そして「治ったからこれでいい」とその先生が言った時に「まだおかしいように感じるのですけど」と患者さんが反論したくらいなら「治ったからええんや、嘘だと思うなら検査してこい」となり、本当に治っているのです。時には「もうこれで治療しなくてもいい」と宣言した患者さんが三日後に「まだ痛むのですけど」と来院すると、「もうこれは自然に回復するから」とこれを追い返したらしいのです。それくらい診察できたそうなのです。その時に強調されていたのが、脉診や腹診はもちろんそうなのですけど「いかに患者さんが治るか」ということでした。そのためには西洋医学の病名はよく知っておかねばならないし、それに合わせられなければならないということです。私はそのように教わってきましたし、そのように実践しています。

 つぎに背部兪穴の項目へ移ります。

 

 

 兪穴の最初はどこに ⇒ 良い本治法をすれば時間が経つほど脉はより改善する =患者自身の力で自然治癒力が高まる =患者は気持ち良くなり眠気も催す =患者は気持ち良いし治療家は施術が少なくなりお互いのためなので、本治法と標治法の間には時間を置くことを推奨しています(営業的にもプラスと思われます)。

 次に、背部施術の手順ですが、これは本治法を補う意味で選経と同名の兪穴(つまり肝虚証なら肝兪と腎兪、難経七十五難の肺虚肝実証なら補いですから腎兪のみなど)を、まず補うと背部全体の艶が格段に良くなることを確認しています。もちろん補う側は、前述の追試結果から内実外虚(盛り上がっている側)になります。

 

 

 今回は本治法の話が済んでいるということで進めていますけど、まず内実外虚の項目です。詳しくは本文を読んで頂きたいのですけど、通常で考えるなら盛り上がっている側の方を実で下がっている側を虚と診たいのですけども、ところが内外ということを考慮すると外という部分は非常に薄いので下がっている側は内が虚なので外が実、盛り上がっている側は内が実ですから外が虚ということで、補う時には盛り上がっている側からということになります。

 それで本治法が終了してから背部はまずどこから施術すべきかと言えば、本治法で使った経絡の兪穴でこれを補っていきます。私が専門課程の三年生で宮脇先生の鍼灸院へ見学に行った時なのですけど、とにかく必死で勉強はして本治法は出来るようになっていたのです。でも、奇経は知らなかったのです。「もっとよくキケイ!」という感じですけど(笑い)。その時にひょっこり聞いたのです、「背中にどうして治療するんですか?」。これは呆れられましたね。「滋賀の先生に最初は聞いて来い」というくらいに呆れられましたね。

 簡単に言えば本治法とは家の棟上げのようなもので、基礎をやって・一気に棟を上げ・屋根も入れて・横壁も入れて、さらに最低限のライフラインが入るところまでと思った方がイメージ的には正しいですね。電気・水道・ガスの最低限のライフラインまでは来ていて簡単な流しも付いているので、裸電球くらいは点るというところです。これで一応家の形は整って、寝起きもそこで暮らそうと思えば出来るのです。ところが、それだけではやっぱり快適とは言えませんよね。綺麗なカーテンを付けたりカーペットを引いたりテレビも欲しいと思いますし、せんべい布団ではなく綺麗な布団も欲しいと思います。より快適にしていく・より生活がスムーズになる・それからどうしても棟上げだけでは整わない部分、例えばドアが自動で閉まらないとか寒い地方であるなら二重窓で風が入らないようにするであるとか、他にも玄関に段差があるので段差をなくすための板を当てるとか手すりを付けるとか、そのようにしないと「最低限は出来るよ」という造りだけではどうしてもうまく行かないものがあります。そのような部分を標治法だとイメージしていただければいいと思うのですけど、その標治法が分からなかったのです。

 それは教えてもらって、その次にした質問が「標治法の一番最初はどこを使うのですか?」と聞いたのです。「それはいい質問だ、二木君よく勉強してきたねぇ」って自分がやる時にはどこからやるのか分からない、知らないから聞いただけの話なんですけどね(笑い)。その時のことをよく覚えているということなのです。

 では、ちょっと急ぎますがこのまま補助療法へと進めていきます。

 

 

  7.補助療法について

  【奇形治療】「総論編」に収録。

 

  【刺絡治療】 

 栄気に対する瀉法という言い方もできます。唯一血を直接動かす方法で、三稜鍼により皮膚を傷つけて出血させC血を取り除く治療法です(最近は衛生面より滅菌済みの注射針などディスポーザブルなものを用いることを推奨しています)。手技からしても分かるようにむやみに用いる方法ではなく、患者の同意を得てから施術することが肝要です。

 手足の末端にある井穴より刺絡する方法が現代では最も一般的ですが、痛みのある局所より細絡を見つけて刺絡したりもします。また心臓が苦しい時の左手小腸経少沢を刺絡したり、高血圧の治療で耳介後方からの刺絡など特効穴的な使い方も一部にはあります。

 吸飲カップなどを用いて強制的に血を抜き取る方法もありますが、手によって絞るのが一般的です。C血を取るのが目的ですから、最初出てきた黒色が赤く変化をした時点でやめます。C血の探し方については付録「知熱灸施灸点選択とその病理考察」を参照してください。

 

 

 この刺絡とは、何年かに一度は検挙された・逮捕されたという問題になる部分ですねぇ。今年(2006年)にはかなり大々的に検挙されたのでメーリングリストにも出ていた話なのですが、「刺絡」と「瀉血」は違うものなのか?辞典からも、刺絡とは瀉血の部分的なものと捉えればいいのではないかということです。ですから、瀉血とは血を大々的にドバッと採る方法、刺絡とは経絡上で血の流れをよくするために物理的に少し手技を加える方法というように理解して頂ければいいかなぁと思います。

 それでここにも書いてありましたが、現代ではディスポーザブル(使い捨て)な道具を用いて手絞りというのが一般的です。昔は肩上部から肩こりの治療としてドーンドーンと取っていた物があったらしいのです。それからこれは東洋はり医学会北大阪支部に所属していた時に聞いた話なのですけど、アメリカの大統領が重病になって薬が効かなくて医者が来たのだけれど瀉血をした。病名までは忘れましたが瀉血をするとすごく状態がよくなるのですが、ちょっと持ち直してもまた悪くなるので瀉血を繰り返し、最終的には失血死をしたという講演でした。まぁこれはあまりに場当たり的なやり方ですね。

 結論としては、刺絡というものは当たれば非常に効果的なものです。ですから、必ずC血を探してください。ここではC血の探し方についてまでは割愛しますけど、井穴刺絡が出来る状態なのかどうかをまず研修会の実技中に確認して、視覚障害者の先生は指先で覚えて・目の見える先生は目で確認できるようにして、明らかに経絡の流れが物理的に悪いという箇所を指で押さえるのです。これで循環がよくなるかどうか・脉状が改善するのかを確認して、そこから数滴取るという形で行って頂きたい。やってはいけないことは、節操なく取るということです。

 おバカな話ですけど、心臓が苦しい時の特効穴は左少沢と教えてもらいました。開業一年目だったと記憶しているのですが、おばあちゃんは心臓が悪いのです。電話で発熱しているらしいし喋る時には首を振っているといいますから「これはかなり悪いぞ」と警戒していたのです。おばあちゃんがそれでも来院したいといわれますから「それじゃお医者さんへ行って許可をもらってから」と返事していたのです。しかし、発熱している時に「どうしても肩こりがひどいからまずこれだけ取って欲しいから」ということなので、「熱があるのだから誰か家族が付き添ってください」と私は念を押したのです。けれどお婿さんが送ってきて、ポンとおばあちゃんだけを置いて、それも「ちょっとその時間帯は予約は困るのだ」と伝えてあるのに「うちはこの時間帯が良いから」ということで、「それならもう一度時間を調整しましょう」と電話で話していたのに向こうが都合のいい時間帯におばあちゃんだけをポンと置いて帰られましたから、あれはピックリしました。おばあちゃんは「とにかく肩こりが取って欲しいから」ということでしたけど、胸も痛むということなので左少沢の刺絡をするととてもよくなったのです。発熱もよくなったのです。しかし、私はこれについて烈火のごとく怒りました。「どういうこっちゃ、何年も何度も何度も診ている患者さんなら様子も分かっていることだし、緊急の連絡先やどこのお医者さんに掛かっているなども分かっているけど、心臓が悪くて首を振りながらでないと喋れないような人を、しかも発熱状態で家族が誰も付き添わないというのはどういうこっちゃ?」と、これでもしおばあちゃんの具合が悪くなって救急車にでもなれば私が救急車に乗車せねばならなくなりますし、あなた達のような家庭では私が何か悪いことをしたようにいわれかねないと、開業一年目でしたからまだ二十三歳か二十四歳でしたけど、これは怒りましたね。怒る時には、怒らなければなりません。

 このように少沢はよく効きます。逆に「や」の付く元自由業の方が来院されたのです。その時はとても目の調子が悪かったのですけど、背中がそれも心臓の裏あたりがとても痛むということなので少沢の刺絡をしようと思いました。左側の方が効果的ということで順番に指を探っていったのですけど、あれれ「ない!」。まぁ右側でもいいかと探ると、これまた「ない」(笑い)。これは困りましたねぇ、苦笑いをしていると、「いやぁ昔悪いことをしてたんですわ」と言われました。とにかく治療をしたなら楽になったということでもう一度来院してもらったのですけど、その時に見てみたなら入れ墨が打ち抜きで彫ってあったのです。普通は背中にべた書きで入れるものなんですよ。入れる時にべた書きでももちろん相当に痛いのでしょうけど、前側に入れるだけでもさらに痛むのに確か観音様だったと思うのですけど前後がバッチリ揃っていたのです。前側に観音様の顔が書いてあり、後側には観音様の頭の後ろ姿が書かれてある状態ですね。恐ろしく根性の座っている人だったんですね。ビックリしました、これは忘れられません。

 それでは、次へ進めます。

 

 

  【子午治療】

 「経絡時調整」とも呼ばれる方法で、一日の二十四時間に対して十二経絡がそれぞれ担当する時間帯があるとされていることを応用しています。十二経絡がそれぞれ二時間ずつ担当する(旺気すると書かれている)のですが、その経絡が何らかの障害により旺気できなかった時に十二時間後の時間帯を担当している経絡から助けてやろうという治療法になります。その組み合わせを福島弘道氏が非常に覚えやすい歌にまとめてくれています。

 『胆心が肝小して、肺膀大腎の胃心包が脾三した』(たんしんがかんしょうして、はいぼうだいじんのいしんぽうがひさんした)と覚えます。

 運用方法ですが特定の経絡の片方のみに障害が発生した時に、反対側のペアの経絡のおおむね絡穴に強い圧痛が現れているのでここから作用させて障害されている経絡の旺気を助けます。もっと具体的に書くと、左側の背筋(膀胱経)のみに非常に強い痛みがあった時には、「肺膀」の組み合わせですから反対側つまり右側の肺経で列缺付近を探ると飛び上がりそうな強い反応が現れているはずなので、ここに太い毫鍼で反応が取れるまで刺鍼をすると治療家までが驚嘆するほどの効果を示してくれることがしばしばです。他の経絡での組み合わせや運用方法はこれに準じますが、大切なことは特定の経絡のみに障害が発生しているかどうかです。特定の経絡にのみ限局したものでなければ、この子午治療は適応ではないということです。「片方のみ」と書きましたが、特定の経絡のみに障害があるならば両側に行っても適度な効果は得られます。

 用鍼についてですが、偶然の発見という話もあるそうですが根拠は不明なものの金三十番という太さが最も効果的とされています。しかし、ステンレスの太めであっても十分に効果が得られますし緊急時には圧痛を強く指圧するだけでも驚嘆するほどの回復を得た実例もあります。

 

 

 まずこの子午治療は「たんしんが・かんしょうして・はいぼう・だいじんの・いしんぽうが・ひさんした」の、一行を絶対的に覚えてください。「たんしん」というおっさんが関衝、つまりチャチャを入れて「はいぼう」という大臣が持っていた「いしんぽう」という本がとびちってしまったという歌の意味はそのようですが、とにかく「たんしんが・かんしょうして・はいぼう・だいじんの・いしんぽうが・ひさんした」とこれだけ覚えてください。これが覚えられたなら、子午治療は使えるようになります。

 ここにも書いてあったのと似ているのですが、まず私が覚えたのはうちの親父からだったのです。このような勉強をすると、症例が舞い込んでくるものなのです。皆さんのところにも、きっと舞い込んできますよ(笑い)。学生時代ですが二階にいると「降りてこい」といわれ、どうしたのかと思うと突然にそれも左側だけの背中が痛くなり動けなくなっていました。脉診をすると左側はほとんど触れず、右側は正常に触れたのです。この場合はそうだったのですが、痛む側の脉が極端に薄くなっていることを子午治療の目安にはされない方がいいです。これはもがいていて、最後には姿勢が動かせないまでの状態になっていたからこのようになっていたのでしょう。「これはどうしたものか、按摩をするというのも気が進まないし、鍼をしたいけれど本治法をするにも姿勢が変えられないでは・・・」。ハット思い出したのです「さっき子午治療を勉強してたんやんか」。

 これは膀胱経だろうということで、左の背中が痛むのだから右の列缺を探ってみると激しい圧痛があったのです。しばらくグイグイと揉んでから「動けるか」と尋ねると、もちろん充分ではありませんが動けるようになっていたのです。その時点では金三十番は持っていなかったのですが、持っていた一番太い鍼を学生でしたから時間があったので三分から五分は刺鍼していたでしょう、それで「動いてみて」というと痛みは残るものの動けるようになったのです。その後に本治法をしたのかどうか覚えていないのですが、多分しているでしょう。それから標治法はほとんどしなかったはずです。もう一度最後に子午治療をしておいたら、明くる日には動けるようになっていました。この印象は強烈でしたね。

 それからこれは失敗の方なのですけど、親父の子午治療以前のことだったはずですが運動会が終わって帰ろうとしていたところに「ちょっと来い」と古木先生に呼ばれたのです。何かと思えば「中学部の子が腰が痛くて治療をしているのだが、わしはもう宴会に行かなあかんのでお前が代われ」って、宴会に行くために呼ばれたんかいっ(苦笑)。それで何をしていたかというと、膀胱経一行線の痛みだったのでまず子午治療をしていたのですけど、これで少しは動けるようになったのですがその時はまだ子午治療のことをよく分かっていませんでしたが、これで少し動けるようになりました。次は中医の考え方で、腰態点に水平に鍼を入れていました。まぁこれも効果がありました。それから本治法はやったのかどうか覚えていないのですけど、多分やっているでしょう。その後に標治法もして、「あぁ動けるようになったこれからは二木君に頼むわ」と言われたのですけど、連休が空けてから一週間登校してこなかったのです。それでどうだったのかと聞くと、「あの日は良かったのだが明くる日からは痛くてとても動ける状態ではなく整形外科へ行っていた」とのことでした。子午治療が効いていたのかどうかは分かりませんけど、手技として子午治療をしたのはこれが初めてでした。それからドーゼ過多で寝込ませてしまったのも、これが初めてでした。そのようなことを覚えています。

 それから治療室で横臥位にまではなったものの固まって動けなくなり、「オシッコがしたくなってきた」なんて患者さんもいましたけど、「たんしん」の組み合わせで心経に鍼を当てて動かせるようにした等々があります。効果のある時には劇的に「本当に一本で完治したのではないか」と思えるほど効きます。ただし、これは動けなかった時の話で、動けないものが動ける程度にはなるという効果の程度に思われておかれる方がいいと思います。

 それから我々は最近瑚Iのみを用いていますが、瑚Iでは子午治療は出来ないのか・指圧をする以外にはないのかということなのですけど、適応かどうかの確認は強い指圧によって行い森本瑚Iの太い側を当てることにより子午治療は充分に出来ます。森本瑚Iを持っていない方は、太い側をずっと当てておいてください。これで営気の手法となるように極端ではいけませんが、押し手を少し重くしていれば子午治療は絶対に出来ます。

 それでは、次へ進めます。

 

 

 【ナソ・ムノ治療】 

 ナソとは頚肩腕症候群のKとWを点字で書いて日本語でそのまま読むとナソになり、ムノも腰仙部のYとSから来ています。経穴には「禁鍼穴」や「禁灸穴」など、文字だけを解釈してしまうと鍼灸を施してはいけないものがあります。しかし、そんな馬鹿な経穴が設けられるはずはなく「むやみに乱暴な鍼灸を施してはいけない経穴」と解釈するのが妥当でしょう。ナソもムノも禁鍼穴に該当する部分を有しているので、粗雑な手技にならないように注意してください。

 ナソとは狭義では欠盆を中心とする鎖骨上窩を指し、広義では横隔膜より上の上焦を治療部位とするものですが、通常は狭義で用います。肩は内経を含めるとすべての経絡が通過している部分なので、ここに丁寧な手技を施すことにより頑固な肩こりを始め、さまざまな症状に効果が期待できます。おおむねの対応部位としては、鎖骨上窩の首との境目を前から母指・示指の順で、順次小指へと向かいます。他にも鎖骨上窩の外端では内臓によく響いたりもしますので、いろいろと試みてください。

 ムノも狭義では鼠径部の帯脈・五枢・維道・居を指し、広義では仙骨部も含めた腸骨稜周囲を指すものの、やはり通常は狭義で用いています。鼠径部は胆経の巡る部位ですが、その深層には陰経が腹部に侵入する部分でありますから陰経の流れを改善し下焦の病に特に有効です。下焦に働きかけることにより生殖器病にも効果的なだけでなく、内臓の不調により発生する肩こりにも著効があります。

 ムノでは刺鍼をする場合には、ナソよりもやや深めに刺入し瑚Iの場合には長めに施術することが肝要です。施術順序ですが、背部の標治法が終わってからナソ・ムノの順で行うのが一般的です。

 ポイントとしては、鎖骨上窩を探る時にはまず示指から小指までをそろえてその背面で概略(Z理の状態と反応点)を観察します。この「指の背面」という場所でも特に爪際はZ理の状態を敏感に観察できるので、慣れれば鎖骨上窩を探っているだけでも施術の良否が判断できるようにもなります。また顔面の触診はベタベタされても気持ち悪いし掴むような感じでは恐怖感すら覚えるので、「指の背面」を活用していただきたいと思います。

 

 

 ここも書いてある通りなのですが、実は最近ナソでは鎖骨上窩を用いていません。もう六年くらい前になりますが治療室を改装している時に、「首藤傳明先生のところへ見学に行こうではないか」ということで無理矢理押し掛けたことがあります。後から自分の塾の関係者以外はほとんど見学を受け入れてくれないと効いて、ビックリしました。それがたまたま私の書いた瑚Iの記事を読んで頂いており、「あっ!電話が掛かってきた」のような感じで受け入れて頂いたのです。その時に「ちょっと奥へ来なさい」ということで、お菓子まで用意して頂いたのですけど3mくらいある大きな仏壇の前にノートパソコンがちょこんと置いてある奥の間に通してもらい色々な話をしていたのですけど、その時に「慢性の肩こりとは実は頸椎ヘルニアなんだ」と頸椎ヘルニアの治療をしなければならないという話になったのです。慢性の肩こりがあるから頸椎ヘルニアになってくるのか頸椎ヘルニアがあるから肩こりになってくるのかは、これは「卵が先か鶏が先か」の話と同じなのでどちらでもいい。これらは病院で診察を受けても、ヘルニアとは診断されないだろうという部類のものがほとんどです。それを効果的に緩められるのはどこかといえば、斜角筋なのです。たまたま私も、それに気が付いていたのです。それで頸椎ヘルニアの話をしていて、「そのような場合には斜角筋付近がよく効くと思うのですけど」と話すと「一緒のことを考えているな」ということで、それから首藤先生には一年に一度か二度程度お会いする程度なのですけど、私の方は目が見えませんから近くまで行くと首藤先生に声を掛けてもらっているというずうずうしい奴です。

 このような経緯があるので欠盆は全く使わないかといえばそのようなこともないのですけど、最近は斜角筋付近を緩めることでかなりの用が足りているので非常に便利です。

 次にムノについてですが、これはまず最初に本治法で全身の気を回します。次に背部の施術をするのですが、昔はその後に脉診すると堅くなっていることがよくあり「やり過ぎた」と評価していました。実はよほど拙劣でなければ、そうではなかったのです。上から下まで膀胱経を伝わって気を落としてきたのですから、次は足先まで落としてきた気を「どうしてもう一度引き上げてあげないの?」ということなのです。それで五枢・兪道・居の深い部分から陰経が腹空内に侵入してきているので、ここを緩めてやることで陰経の力によって再び腹空内に気を呼び込むことで、標治法としても気を全身一周させることが出来るのです。

 これは実技によって既に確認されていることですし、まだ確認されていないのであれば是非とも脉状が一気に柔らかくなることを見せてもらってください。標治法でもぐるっと一周回すという目的のために、このムノ治療というのはとても効果的です。ここにも書いてありましたが、もちろん瑚Iでも出来る治療法です。

 それでは、次は皮内鍼と円皮鍼へと進めます。

 

 

  皮内鍼と円皮鍼】 

 

 ご存じの補助的な道具で特に鎮痛効果が期待できます。西洋医学的には筋緊張を緩和したりリンパ循環を改善するという説明になるのでしょうが、東洋医学的には経絡を通調させることにより痛みが解消すると考えられます。置鍼の項目でも書いたように気を集める作用も当然ありますが、浅い刺鍼により経絡を通調させていると解釈するのが妥当でしょう。

 したがって皮内鍼はほぼ水平に刺鍼しますから、経絡が暴走をして発生させているような自発痛に対して有効でしょう。あるいは経絡が旺気しないために発生している自発痛にも有効でしょう。これに対して円皮鍼は垂直にやや深く刺鍼することになりますから、ギックリ腰や肉離れなどのように経絡流注が物理的に阻害されている場合に有効でしょう。

 刺鍼部位ですが、皮内鍼は痛む部分の中央や鈍麻の部分で良いと思われます。円皮鍼は筋肉が通常部分と緊張している部分の境目や、筋腹にできた溝の上端に入れると効果的です。円皮鍼は左右対称に入れることが肝要です。あくまでも経絡の流れを補助させるものですから、最小限の数にしておかないと効果を発揮してくれませんのでご注意ください。

 

 瑚Iのことばかりを強調していたのですけど、うちの治療室を基準に話をすると唯一刺鍼をするのが皮内鍼と円皮鍼です。残念ながら皮内鍼については、自発痛も皮内鍼の力を借りなければ止められないものが最近はないのであまり使っていません。でも、円皮鍼はよく使っています。

 それで、私は刺鍼自体を悪のように語っているわけではありません。ここを間違えないでください。ただし、「どのように経絡を使っていくのか」「全て経絡の変動として置き換えて考えられているか」で、特に円皮鍼は物理的に経絡の流れが阻害されている時に有効です。例えばぎっくり腰というのは簡単にいえば筋肉が痙攣を起こして緊張をしている状態で、柔らかな部分と緊張した部分の筋肉の境目が出来ます。これは川に大きな石が投げ込まれたような状態で、石から先には全く水が流れなくはないのですけど、量がとても少なくなってしまいます。これを改善してやろうということなのですが、最終的には投げ込まれている石を排除するのが一番いいのですけど、それまでのつなぎとしてロープで斜めに石を引っ張り上げてとりあえずの水量を確保しようというのが円皮鍼だと想像して頂ければいいと思います。

 ぎっくり腰で大事なことは、必ず正常部分と緊張部分の境目に円皮鍼を入れることです。以前に助手がやったことで、こんなことがありました。腎兪付近から痛みがあったのですけど、本治法から標治法を終えるともう腎兪付近の痛みはなくなっていたのです。ただ、大腸兪から膀胱兪あたりには痛みが残っていました。それで円皮鍼を指示したのですが、「ちゃんと腎兪から入れておくように」と指示したのに入れておかなかったのです。これでは痛みの軽減は少なく、「何故そのようなことをするのか?」「もう痛みは取れていたのでいいかと思いました」「経絡のことを考えてやってください」と、腎兪の方から円皮鍼を入れるとやはり痛みが消失するのです。そのようなことで、守るべき原則というのは必ずありますから「痛いからここへする」にはならないように。この間は久しぶりに聞きましたね、「あぁそこが痛む・ここですか・そこそこ」と「あーこれ治療」にはならないでください。これが大切ですね。

 それから、円皮鍼の場合には左右対象に入れることです。それとどこでも話していることですけど、節操なくやらないということです。

 

 本文の朗読は省略しますが、この後にローラー鍼や円鍼のことが書いてあります。私は「気」というものについて色々な捉え方があるのですけど、まず大切なことは「気」とは流れていないと、そこにあるだけでは役に立たないのです。それで標治法で行ったものというのは、まだ点の段階だと思うのです。鍼というものは点・ポイントですからね。それをローラー鍼で面に広げて、円鍼で流してやることが大切だと考えています。

 特にローラー鍼は気持ちいいです。背中のかゆい場所をかいてもらっているようなもので、どんな患者さんでもまず気持ちいいといわれます。ところが中には過敏な方がおられて、その場合には痛いといわれますけど。ほとんどの患者さんは「気」というものを意識はされていませんが、この段階で何かが流れていることを意識されているようです。

 このようなことで標治法については非常に簡単でしたけど終えてきて、このシリーズの目的とするものは講義できたのではないかと思います。

 

 最後になりましたけど、最後の最後に言いたいことがあります。

 鍼灸師とは、『金を儲けるのは下・患者を治してやっと中・人を育てて上』と昔は教えられていたのです。まさにその通りだと思います。

 ついこの間も本部入門講座で実技講師をしたのですけど、「まず儲けて」という発言がありましたから「その発想があなたをうまくさせない」と言いました。もちろん私たちは経済人ですから、収入ということは大切です。大切なことなのですけど、それ以上に大切なことは「治療をしてあげている」のではなく「治療はさせてもらっている」ものであり、私たちのこの技術というものは古典を書いてくれた昔の人たちから、それを伝えてくれた人たちからとその上に立っているから、わずか数年で治療家として沢山の人たちを治せる技術が身に付いているのです。言い換えれば巨人の肩の上に乗っているだけなのです。私たちが出来ることというのは、その巨人達が積み上げてきたものにまた一つ薄っぺらな石を重ねて、それで次の人たちがより高い位置に上がってものが見えるようにしてあげること、これしかないと思うのです。

 「あんたがやっていることはちっぽけだ」と言っているのではありません。そうではなくて、技術というものは私のものではなく受け継いでいくもの、それ自体が財産なのだと言っているのです。私たちは財産を享受して、それを殖やすということをやっているのです。何かを儲けるとするなら、「自分の心を豊かにしてくれるものを儲けるんだ」と思って頂きたいです。だから先程も教えを読んだように、「金を儲けるは下・人を治してやっと中・人を育てて上」なのです。

 私が最初に鍼灸の勉強会に接した時、福島弘道という先生は非常に毒舌でした。その通りで、初めてカセットを聴いた時には無茶苦茶な発言をされていました。でも、「その情熱とはどこから来るものなのか?」と思いました。井上恵理先生の話を聞いた時もそうですし池田政一先生もそうですし、それからここの滋賀でも私が教えてもらった先生達や滋賀以外の先生達は「人を育てる」ということを考えておられます。それは何故かといえば、「技術というものは財産」なんだと思っておられて、「その財産を育てるにはどうすればいいかといえば人を育てること」だと考えておられるはずです。

 そのようにすれば、お金というものは後からついてきますよ。内部暴露をしますと、うちの治療室は世間の経済状況からすれば悪くないです、うらやましい方じゃないでしょうか。でも、私は「今月はいくら稼がなければならない」などと考えたことが一切ありません。「お前の立場だから言えることだろう」と思われるでしょうが、そのように言われれば反論のしようがありませんけど私は学生時代から「この技術をもっと広げたい」と思っていましたし、大阪に助手へ行った時には滋賀へまだ知らなかったことを何とか持っていこう、東京へ行った時にも何とかこっちへ持って帰ってこようと、そして今は滋賀で研究したことを本部へ持っていって全国へ広げようということを、させてもらっているつもりです。それによって「私自身の心も豊かになれば」とも思っています。

 

 それでは今後の人たちが活用できる資料になったかどうか、自己採点ではかなり参考に出来る資料になったのではないかなぁということで今年度一年間の十回シリーズを終えたいと思います。

 ありがとうございました。




講義録の閲覧ページへ戻ります。   資料の閲覧とダウンロードの説明ページへジャンプします   『にき鍼灸院』のトップページへ