2005.5.15

 

「漢方鍼医基礎講座」 その1

 

二木 清文

 

 今回から「漢方鍼医基礎講座」を開始します。その昔、福島弘道先生という経絡治療の大家がおられました。昭和の傑物です。この先生が120分のカセットで50巻、合計100時間にも及ぶ「経絡治療学原論」という講義を残されています。テキストを読めば分かることにはなっているのですけどそれだけではイメージが掴みづらい、あるいは理路整然と書くためにその箇所でもう一つ補助的な情報があればいいのだがそれでは本にはならないので、分かりづらくなっていた部分を補って頂きました。100時間の講義を何回聴いたでしょうか?5回は聞いていますから「経絡治療学原論」だけで500時間、本部でも直接講義を受けていますしその他も含めると合計1000時間くらいはあの「毒舌」を聞いたことになるでしょう。ということで、皆さんにイメージしやすいものを・イメージして頂くものを作ろうということで、担当をさせて頂きます。

 ですから、内容そのものについて深くは突っ込めません。深い部分については、テキスト『経絡治療の臨床研究 やさしい解説と実践取穴法』の該当する部分を読んでください。色々と雑談の方が多くなると思います。申し訳ないですが、同じことを何度でも喋ると思います。でも、何度も喋る中で「あぁここはそのようにするのか」ということをイメージして頂きたい、これが本来の目的なのです。ギャグは適当にしておきます(笑い)。

 

 それでは早速中身に入りますが、まず皆さんに覚えておいて頂きたいことは「研修の意義」です。我々がどうしてこのような研修会を開いているのか?もちろん初心の方は教えて欲しい・技術が欲しい・知識が欲しいなのですが、でもベテランの先生は何故続けているのですか?お金儲けですか?いいえ、私もその他の役員の先生も誰もお金をもらってはいませんし、この講義をするにもお金はもらっていません。むしろ毎月の会費を払っています。それだけに「懇親会をやれ懇親会をやれ」と、今年は私が無理矢理に回数を増やさせたのですけどね(笑い)。お金は有意義に使おうということです(笑い)。でも、会費はちゃんと払っています。

 何故そのようにするかといえば、技術を習得した人も人に教えることによって、自分が教えられるからなのです。やはり基礎が一番大切なのです。ところが、少し慣れてくるとおうちゃくになってその基礎がどこかへ吹っ飛んでしまうのです。それで自分が基礎を教えることによって、「あぁしまった」「昨日の治療でうまくいかなかったのはこれが原因だったのか」ということが、実際にあります。決してそれだけではなく、基礎の確認・基礎をより固めるために研修をしているのです。

 もう一つの意味で「研修の意義」というものを考えて欲しいのですが、ここに出席されている人もそうじゃないかと思いますし特に現在の学生さんについては当てはまるだろうことなのですけど、「研修すること自体が目的」になっているケースがかなりあるはずです。研修自体が目的ではいけないのです。鍼灸学校には「鍼灸師になりたい」と思って入ってきているのです。しかし、鍼灸学校に入って「どのような勉強をしよう」というところまで描いて入学してきている人が、どれくらいいるのでしょう?おそらく九割くらいは「鍼灸師になりたい」ということだけが目的だったろうと思っています。鍼灸師の免許を取ったらこのような治療をして・このような鍼灸院を経営したい、あるいはもっと研究を深めるための文献を書きたいなどそこまでイメージして入学してきている人が残念ながらほとんどいないと思います。いきなりのパンチでしょうが、研修をすること・学習をすることに対して、持っている意識が違うのではないかと前々から思っていたことなのです。

 野口英世のように手にやけどをして不自由だったものが手術を受けて回復したから、「私はあのように貧しい人を救ってあげてなおかつ新しい医療を研究する医者になりたい」と、そこまでイメージできている人が一番いいのですけれど、そこまで医療の世界が外部からでは正直分からないのです。もっと困るのが「鍼灸師になったらお金が儲かるだろう」というだけで入学してきている人たちです。こうなってくると研修すること自体が・学校で勉強すること自体が目的になってしまうのです。するとそれだけで目的が達成されているために、それ以上の意欲が沸かない。もう卒業してしまった人は自分の胸に手を当てて考えてみれば分かるでしょうけど、一年生に入学したばかりは一所懸命に勉強しているのですが二年生になると少し慣れたこともあってさぼり始め、三年生になると満足の域に入っているのでもう勉強をしないのです。これではダメです。

 それなら「あんたはどうやったんや」という話になりますけど、二木の場合はちゃぶ台こそひっくり返したことはありませんでしたが叩かれたことはいくらでもあるというそれこそ星一徹のような厳しい父親で、もう幼稚園くらいから「視覚障害があるのだから自立して医療の世界で生きていけるように」という教育を受けてきました。ほとんどすり込み状態でしたね。アヒルだったでしょうか、最初に見たものをお母さんと思う習性があるのでオモチャの電車を見せると、お母さんだと思い込んで付いて走り回っているテレビを見たことがあるのですが、ほとんどそれに近い状態だったでしょうか?ですから、私に関して言えば小さな頃から自立するという思いはあったので「自立するだけではダメだろう鍼灸専門で行きたい」、免許は持っているのだが按摩はやらずに鍼灸専門になりたいと思っている時に研修会へ引っ張って頂き、そして今があります。

 

 そこに「勉強すること自体が目的ではいけない」ということを、印象づけられた事件があります。それは「近畿青年洋上大学」という中国までを船で往復するという、要するに青年の船なのですけどその事業にどうしても参加したい。そうすると夏休み中の研修に取れる時間がとても少なくなります。お馬鹿な話ですが七月中は水泳の練習をしなくてはならず、お盆からは洋上大学に出かける。洋上大学に行くとなれば一週間程度の準備期間が必要で、そうなると研修には十日間程度しか取れなくなってしまうのです。どうしても取得しておかなければならないという単位ではなかったのですが、やはり取得しておくべきであり先程の話ではありませんが一年生は一所懸命に勉強して・二年生は少しさぼって・三年生はもっとさぼっているに近い状態でしたから、その単位を取得するにはどうしたらいいのか?前年に先輩(川元先生)が大阪の支部長先生のところで研修させてもらい、非常に伸びたという情報を知っていましたから、元々鍼灸専門という意志があったので「見学をさせて欲しい」といきなり頼んでみたのです。その時点ではこの研修会に正式には参加していなかったので普通なら断られても仕方ないところが、その先生がすんなり許可をしてくれたのです。これはそれまでの繋がりのお陰ですね。

 さぁ大変です、勉強しなくてはならない(笑い)。それでも、まだそれは大阪の先生のところで研修を受けさせてもらうのが目的での勉強です。実際、その時点では手足の五行穴に施術を行う本治法のみが、経絡治療だと思っていたのが現状だったのです(苦笑)。ところが、本治法は先生が行われるのですけどその後背中に置鍼をしたりお灸をしたり奇経をやったり。まず奇経というものが分からない。手足に磁石のテスターを付けて患者さんに痛むか痛まないかと尋ね、「よっしゃこれやな」と言われたならペンで印を付けて後で分かった小さなPM鍼という小さな鍼を付けて・5分か7分かタイマーを掛け・抜鍼したならお灸をして・・・。「なんですかそれ」という感じです(苦笑)。

 奇経灸は知らないだろうと言うことで、それは教えて頂きました。奇経についてはテキストも読んで頂きたいのですけど、正経の他に奇経があって排水路のような役目を果たしていると考えてください。洪水が起こった時に貯水タンクへその雨水を貯めてやると、地上の洪水がすぐ引くので擬似的に回復するのです。ただし病気が治るかと言えば貯水タンクに貯めているだけの話なので、貯水タンクを開放すればまた洪水状態に戻ってしまいますから持続力に乏しいという治療法なのですが、瞬間的な治療効果が魅力です。それを手足に磁石を張ってテストする訳です。それは分かったのですが、やはり奇経灸が分からない。奇経灸というのは主穴に3壮・従穴に2壮とか、5壮と3壮などお灸の壮数を変えることによって奇経の力を持続させようとするものです。お灸の方が持続力があります。お灸だと家でやってもらうことにより、どうしても腰が痛いや肩が上がらないなどが、自分でお灸をすることにより一時間か半日かは分かりませんがどうにかなります。治療補助をご自分でやってもらう方法なのです。「なるほどこれは分かった」と言うことで帰りの電車でまたテキストを読み、明くる日にまた質問をしていました。

 ところが三日目だったでしょうか四日目だったでしょうか、「何故背中にも治療をするのですか」と聞いたのです(苦笑)。標治法というものが分かっていなかったので、これは呆れられました(苦笑)。家を建てることで例えるなら本治法は棟上げのことで、家の骨格を一気に作ることです。これで住めるかと言えば壁くらいまではめ込んでいる状態なので雨露はしのげますけど、水道も電気もなければ困りますしカーテンもなければ茶箪笥や布団がなければ困ります。電気や水道・布団など生活に必要なものを整えることが標治法だと想像されればいいでしょう。「このようなことをやっているのだよ」と説明してもらえると思っていたのですが、あまりに呆れられていて「滋賀で説明してもらいなさい」と言われてしまいました(苦笑)。

 私もこのような状態だったのです。「何を鍼灸でしようか」という目的意識が希薄だったのです。それでも十日間の研修は一所懸命に勉強させてもらって、その後に洋上大学に乗船しました。

 

 すると、いきなり船酔いです。船酔いの治療はある程度調べていたのですが、まず裏内庭のお灸が良い。しかし、私の視力でお灸は出来ませんし船が揺れます。三陰交の皮内鍼も良いのですが、これも船の中ではなかなか出来ない。鍼で調べられたのが内関への施術ということで、補瀉の手技がなんとか形だけはできるようになっていたのですけど脉を整えなければならないということで、今からでは考えられないことなのですけど当時使っていた八部の二号鍼を1cm程度刺してすぐ抜いていたのです。脉が整うかどうかの確認はしていました。こんな方法でも治るものは治ったのです(笑い)。「あっ、なるほどこういうことだったのか」と頭の中で組み立て始めたのです。「研修のために勉強するのではなく、このように患者さんへ対峙するために勉強するのだ」ということを思い知らされたのです。

 その後は飛行機の中での急性胃炎や、人民大会堂の中で突然倒れた看護婦さんがいたり高熱で強制帰国寸前という人が出るわ。やっと上海までたどり着いて船に戻ったとほっとしたのに、別のコースに行ったリーダーが不眠症だというし、片方は頭痛が取れないと訴えてこられました。他の研修やリーダー会議があるのでかなりの人は遊んでいた時間帯だったのですけど、この時間帯を利用して治療してくれと頼まれたのです。いやだなぁと思いながら治療をしたのですけどね(笑い)。「僕はまだ学生ですよ」と断っているのですが、不眠症のリーダーは必死に「頼む、これが治らなければうちの組は今後の研修が何も出来なくなってしまう」と凄い目で頼まれたのです。ここでも「勉強することが目的ではないんだ、患者さんを救うことが目的なのだから勉強をしなければならない、患者さんを救うためにはどうしたらいいのかというのが研修のやり方なんだ」ということが身に浸みたのです。

 ですから、新しい聴講生の方も沢山おられますがここに来られた方は、今日はまずこの一つだけでも覚えて帰って頂きたいと思います。「研修をすることが目的ではいけないのです、患者さんを救うためにはどうすればいいのか」なのです。

 こんな患者さん・あんな患者さんと色々おられます。私は男性ですけれど、女性の治療家には女性に救って欲しいという患者さんも来られるはずです。患者さんの顔を見ればお金が弾けてしまえるのです」あぁ2500円が来た、3000円が来た」と。でも、これじゃいけないのです!!算術ではなく、仁術に徹して頂きたい。算術に徹している人には、それなりの患者さんしか来られないですよね。もう一度繰り返しますが「研修すること自体が目的ではいけないのです、こういう技術を得たいから研修会に参加する」ということを、毎回確認しておいて欲しいと思います。

 

 では、伝統的鍼灸術でなければならないという話に移っていきます。テキストの総論の冒頭部分を読んでもらいます。

 

 伝統鍼灸(経絡治療)とは何か

 本書が目指し解説しようとするものは伝統鍼灸(経絡治療)と呼ばれる分野の技術です。俗に「三千年の伝統ある東洋医学」などといわれますが、東洋医学の中にもさまざまな技術が含まれていてその代表は鍼灸と湯液であります。

 鍼灸の伝統は「素問」「霊枢」「難経」という三冊の本が根幹だとされます。その他にも「傷寒論」などをはじめとする優れた書物が数多く存在するのですが、これらは皆「脉診」を診察の中核とし、五行穴や五要穴を駆使した経絡の運用によって患者の本来持っている自然治癒力を最大限に発揮させることを目的としています。この最も伝統ある技術を、時代的なことも考慮しながら発展させようというのが本書の目的であります。

 

 現代的な鍼灸と古典鍼灸

 では「伝統鍼灸」という言葉を用いるのであれば、まだ伝統の薄い分野の鍼灸術があるのでしょうか?日本の鍼灸業界の現状は、西洋医学の知識を根幹に治効機序を解明しようとする学派が主流であり、大多数の臨床家の技術も脉診は取り入れず通電やレーザーなど現代テクノロジーによるものを採用しているケースがあります。

 このような現代だからこその鍼灸術に対して、本書で取り上げている分野を「古典鍼灸術」と称することもあります。「古典鍼灸術」と書くと古めかしいものをこっそりとやっているかのような印象を受けますが、あくまでも西洋医学に治効機序を求めているものとは違うという意味を強調するための名称であります。古典書物には忠実でありながらも先程も書きましたが時代的な考慮はしているので新たな病気にも対応しますし、道具やテクニックの開発により日々進歩を遂げている最先端の医療でもあります。

 

 伝統鍼灸

 日本伝統鍼灸学会(旧名称は日本経絡治療学会)は、以下のような定義を挙げていますので、参考として収録させていただきました。

   日本伝統鍼灸とは、以下の概念を含むものをいう

 1.中国医学思想

  中国に発祥した医学思想を基礎とする

 2.日本の風土

  日本の風土に培われてきた鍼灸医学

 3.全身調整

  全人的調整を治療目的とする

 4.手指の感覚

  触覚を中心とした診断治療技術を重視する

 

 古典をやっているといっても、私たちのやっている研修会とは、こっそりどこかでやっているものではないのです(笑い)。大きい声で喋っていますからね(笑い)。「医療従事者」という言葉がありますけれども、我々のことは医業類似行為ともいわれています。学校で「医者ではないのだが医者に似た行為をしても良い人たち」と教えられたと思いますが、最近の鍼灸雑誌では医業類似行為の解釈について色々と掲載されていますよね。要するに医者と医者でないかという違いだけ、西洋医かそうでないかの違いがまず一つ、あとは独自のことができるかどうかの違いだけで分けていけばいいのではないかと思います。それで無免許の人は医業類似行為者とはいわない、正規の資格を持たないのだから医業類似行為ではないと覚えておけばいいでしょう。

 さて「伝統鍼灸でなければならない」ということがここにも書いてあったのですけど、鍼灸は素問・霊枢・難経というものを根幹にしているのですから根幹を無視して鍼灸はできないと思っています。経絡治療学会の夏期大学でアンケートを採ったら「私は西洋医学に根ざした鍼灸をやりたかったので余計に混乱した」という回答があったそうです。これは違うでしょう。西洋医学に根ざした鍼灸をやりたいのであれば医学部に入って、西洋医学を学んで、その上で鍼灸をすべきなのです。。

 鍼灸学校は東洋医学をやるところなのですから、東洋医学のことしかやってはいけないと個人的には思うのです。基礎知識として解剖学や生理学・衛生学などはもちろん必要です。西洋医学を勉強すること自体がダメとは言っていません。しかし、西洋医学に根ざした鍼灸をやるということは、方法論的に絶対間違いです。本当に西洋医学に根ざした鍼灸をしたいのであれば、鍼灸学校でやっている西洋医学の勉強では全然歯が立ちません。私の奥さんの妹が医学部にいるのですけど、ちらちら聞いた話だけでも全く勉強の程度が違います。教科書の分厚さから聴診器の値段から違うのです。それだけやって西洋医学に根ざした鍼灸というのであればいいですが、鍼灸学校だけで西洋医学をベースとした鍼灸をやりたいとはものすごいカテゴリーエラーです。

 鍼灸をやりたいというのであれば、絶対に伝統的鍼灸術でなければなりません。鍼灸自体の価値が出ません。以前から研修されている先生方はおわかりでしょうが、本会(滋賀漢方鍼医会)では、瑚Iのみを治療に使用しています。毫鍼は使用していません。それぞれの治療室では毫鍼を使うことが若干あるかも知れませんし、自分の体を使って刺鍼練習のためにある程度は持ちます。刺鍼できる技術がなければ、瑚Iを使いこなすことはできないと思っています。それでも私の助手だったり治療室を見学に来た人は分かるでしょうが、この一ヶ月間だけでなく半年以上は毫鍼を患者さんに刺鍼したことがありません。唯一、患者さんに刺鍼しているのは円皮鍼だけです。お灸も安産灸の三陰交が透熱灸だけで、それ以外は知熱灸です。だから患者さんの身体には、全く傷が付かない治療なのです。

 これは以前の講義でも喋ったことなのですが、患者さんは刺鍼されることが目的ではないのです。身体を治して欲しいだけなのです。だから鍼が刺さろうが刺さるまいが、どちらでも良いのです。患者さんが目的としているものは鍼灸という技術であって・その先生であって、鍼を刺されることが目的ではないのです。でも、施術する側の論理は「鍼を刺してなんぼ」から始まっているので、これもカテゴリーエラーなのです。西洋医学的に発想をするから、まず「刺さないと効かない」というのが前提にあるのです。鍼というのは、接近だけでも効くことがいくらでもあるのです。テレビによく出てくる占い師に何かをいわれただけで、スカッと身体が治ったという話も聞きますけどね(笑い)。言葉でも治るのですから、鍼は絶対に刺さなければ治らないのかと言えば、そんなことはないでしょう。「何のために経絡を勉強するのですか」ということになりますよね。

 

 時間がなくなってきますから話を進めますが、これも雑談的な話題になります。特に新しい方に聞いておいて頂きたいのですが、研修会はまず三回は辞めたくなるのです。正直、私も辞めたくなったことがあります。ベテランの先生もあるでしょう。昨日は今年度から入った助手に聞いてみたのですけど、最初は笑ってばかりいたので「正直に言え」といったら「ある」と答えていました(笑い)。「辞めたい」と思うこと自体は仕方ないと思いますよ。うちの助手にいきなり入った人たちは有無をいわせず首根っこをひっつかまれて連れてこられましたから辞めたくても辞められなかったでしょうが、通常自発的に参加した場合には三回は辞めたくなります。その心自体を恥じることはありません。

 まず一番最初に辞めたくなるのは、言葉が分からないからです。学校で使っている言葉や家で使っている言葉に比べ、業界用語というほどではありませんが聞き慣れない言葉があり、それを使って周囲がポンポン会話をしていきますから、言葉が分からないので通うのが嫌になります。でも、これは仕方ないです。録音を繰り返し聞くとか関連の文献を読むなど、これを繰り返せば二週間程度で言葉は分かるようになります。池田先生の『古典の学び方』という本をさいしょに読んだ時には、本当に頭が痛くなりました(笑い)。肝虚陰虚証だとか腎虚陽虚証だとか、陰虚とか陽虚を何故後ろに付けなくてはならない?どうして腎虚に二つも証がある?そんなことも分からなかったのです。肺虚肝実証は分かりましたけどね(苦笑)。でも、肺経と脾経を補ってから肝経を直接瀉しているという治療法を当時はやっていたのでそのように理解しただけですけど、腎虚陰虚証と腎虚陽虚証が分からなかったのです。病理の理解に関しては、そんなレベルだったのです。しかし、言葉が分からないことについてはある程度慣れて頂くしか仕方ありません。二週間もあれば確実に分かるようになりますから、ここは辛抱をしてください。

 

 次には、多分みんなが一番嫌になるだろう事項です。技術が合致しないといえばいいでしょうか?基本刺鍼を覚えてもらう時に軽擦をして・押し手を作って・鍼をおいて・才気をして・鍼孔を閉じてとなりますが、最初に教えてもらった時には綺麗さっぱりに忘れてしまうか、練習をしたとしても勘違いから型くずれを起こしています。初回での型くずれは仕方ありません。これは最初の方で喋った「教えることこそ最大の教わること」で、指導者が基礎班や聴講班を担当することによって型くずれを指導者自身が気付くことにもつながってきます。型くずれ自体は仕方ないのですが、三回くらいで大体の形ができるようになったら「うん大体はいいのだけれどここが違う・あれが違う・手が重い」などと指摘されるようになります。「おかしいなぁ、手が重いといわれたから直してきたのに」と思っていても手が重いと指摘されてしまいます。これで嫌になっちゃいます(苦笑)。これは2・3回出席していればモデル患者に施術する機会が必ず巡ってきますので、自分のやった鍼がどういう結果になるのかを目のあたりにできます。これを素直に受け止めるようにすることですね。また怖がらずに自主的に施術をすること、これは友達同士でもいいですし家族でもいいですし、自分の身体というものがあります。それで刺鍼をしてみて、出た結果はその通りなのですから仕方ないのです。言い方を変えるなら、飲酒運転で捕まっても「私は飲んでいません」と必ずいうのです。「飲んだだろ」と尋ねると「飲んでません、少ししか」というのです(笑い)。少しでも飲んだものは飲んだのです。それによってアルコールが検出されているのですから、仕方ないのです。これと全く同じことなのです。出た結果が事実なのですから、受け止めて頂きたいのです。

 これが研修会を辞めていくパターンとしては、「何故自分だけがそんなに言われなくてはならないの」「私のことをそんなにけなさなくてもいいのに」、それから「教わったことをやっている」「私の手は充分に軽い」、こんな風に思いかけるともう技術と心が合致しなくなります。

 

 「我」という話題が出てきたのでまたちょっと話が反れますけど、「俺が俺が」というのは決して悪いばかりではないと思うのです。特に我々のように技術を扱っているものはフロンティア精神を持たねばなりませんから「俺がこの分野を開拓していく」「自分はこれが苦手だから克服する別の突破口を見つけよう」などと思っていければいいでしょう。一番いい例が昨年滋賀で開発した陽経腹診です。自分たちのことを認めてもらいたいので何をすればいいのか?それでは腹診というものをもっと厳密に研究して、他が出していないものがあればやってみたい。ということで取り組んでみたら、陽経も腹診で診察できることが分かった。個人的にはそれほど難しいものとは思っていないのですけど、陽経の脉診というものは確立していません。しかし、整えば整うほど陽経の状態は脉診では見にくくなるものですし、それから助手のいる治療室でもそうですし身体の小さな女性でもそうなのですが陽経は両手で一度に診なければ分かりにくいです。陰経は片手ずつ診てもある程度分かりますし手技の良否も分かりますが、陽経は一度に診ないと分かりにくいものを陽経腹診が行えるようになって非常に効率が上がりました。それから手技の適否が腹診でも診られるようになりました。そんなわけで「我」を持っているということは、個人的にはそれほど悪いことではないと思っています。ただし、使い方に「何故」とつき始めてくるとこれはダメです。「何故俺が」「何故うちの団体が」などと発想するようになれば、それはもうダメです。「何故」という言葉が頭をよぎり始めたなら、それはダメなんだと思い出してください。

 

 三番目の理由は、技術がまぁまぁいいだろうと言われてきた時期に治療が分からないという壁に当たります。証を立てても違うと言われて、実際に違っているのですけど自分にはどうして違ったのか理由が分からない。本治法は一通り飲み込んだのだが、標治法が分からない。治療が分からないといってもこの段階になっていればある程度はできるのですから質問をすればいいのです。今はメールという便利な手段がありますし、電話があります。治療室に乗り込むのが一番いいです。そのようにして分からないものは教えてもらって、ある程度分かるようになってくると自分でどんどん開発できるようになってくると思います。今朝も電車の中で喋っていたのですけど、あちこちのことを興味を持ち勉強されるのはとてもいいことなのですが、まず一つを完遂させたらどうだろう?そうすると「おそらく概要からすればこういうことを言っているのではないか」という風に分かってくるので、「治療であれが分からない」「これが分からない」という事項が少なくなってくるだろうという話をしていました。

 最近はパソコンの話がよく出るのですけど、パソコンのことが分からないというのも同じで、分からないという人はいきなりあちこち聞き回っているのです。そうじゃなくて基本的な構造はどうなっているのかということを考えて操作すれば、これは分かるようになっていくと思われるのです。うちのホームページではこれからどんどん動画をアップしようと計画しているのですけど、撮影をしたそのままではファイルサイズが巨大なのですが、処理が分からないので先日まではそのまま掲載していました。ファイル変換をするソフトは手元にあったのですけど、これがメニューが特殊なのでどのように操作するのかがさっぱり分からないのです。あまりに分からないので頭にきて放置してしまっていたのですが、少し頭が冷静になって考えてみました。「メニュー構成が違うのではないか?」、それと「こんなコマンドがあるはず」と。

 治療の組み立ても、大体はこれと同じでしょう。望聞問切という組み立てがあって、それをどのようにしていくのか?パターンが決まっているのですから、それを探すことを忘れていたのです。それでメニューやコマンドを探ってみるとものの見事に成功し、六分の一から時には十分の一にまでファイルサイズを小さくすることができたのです。これでホームページのディスク容量は節約できますし、閲覧して頂く方も快適になります。ですから全体像をよく見るということと、分からないことは聞くということです。

 

 このようにしていけば三回は止めたくなることが克服でき、三回辞めたいと思ったのを過ぎてしまうと今度は辞めたくない。辞めろといわれても、辞めないぞ(笑い)。ここにおられる皆さんは、是非そのようになってください。

 

 それでは今回のまとめに入っていきたいと思います。総論の全体の流れまで行きたかったのですが、そこまでたどり着けなかったので臨床室での話も混ぜながら進めていきます。まず「食わず嫌い」にならないということを、今日は覚えて帰って頂きたい。

 経絡治療というものは最高の技術です。何故最高の技術と言い切れるのか?「マイクの前で喋っているからのはったりだろう」と言われるでしょうが、私はそんなことないと思っています。絶対に最高の技術だと実感しています。実力がないのに声のでかい団体というのがありますけれど、それは話が理路整然としているからです。私たちは今こうして基礎講座をやっているように残念ながら理路整然とは話ができていないのですけど、これは元々がしっかりしていないのではなく治療効果があるだけに複雑なので理路整然とは話せないだけなのです。先程洋上大学で緊急スクランブルをした話をしましたけれど、当時わずか二十一歳で経絡治療にどっぷり浸かっては一ヶ月程度だったのです。それ以前の一年間に学校での学習で概略は掴んでいましたが、絞り込んで学習をしたのはわずか一ヶ月間だけでした。その人が実際に治療ができたのです。それから雑誌発表をしたものでホームページならいつでもダウンロード可能にしている原稿があるのですが、末期の大腸癌の患者さんを治療したことがあります。「死んでもいいから治療して欲しい」と言われました。「死んでもいいから」という言葉には困りましたけど、チューブだらけになって動けなくなるのは嫌だと言われ、確か上の男の子は幼稚園へ入ったばかりで下の女の子は三才だったと思うのですが自分のことはいいから死んでもいいのだが「この子供たちをおいていくのが嫌だから助けて欲しい」との願いでした。最後は亡くなられたのですが、医者の余命宣告より遥かに長く生きられましたし今まで癌で治療を受けてこられた患者さんは、チューブ漬けやモルヒネ投与をしなければならなかったというケースがないのです。

 

 「北斗の拳」というアニメーションを知っていますか(苦笑)。アニメの解説は省略しますが、主人公のケンシロウが「北斗神拳の一番の強みは一度対戦した相手の技術は全て身に付き、その拳が使えるようになることだ」と語っています。これは格闘技の強い人になると、実際の話になるらしいのです。柔道でも剣道でも強い人と対戦すると、「あの人の間合いはこうだった」と真似ができるようになるそうなのです。カーレーサーでも「あいつのやり方はこうだった」と、同じことができるでしょうね。今は電機メーカーがそうですね、「こっちの会社がこんな技術を出してきたから」とそれをすぐ対抗していますね。元々の発想というのが大変だという話で、優れた技術があればそれをすぐ真似できてしまうものなのです。電機メーカーの場合には特許という問題があるので全く同一のものにはならないですし、全く同じものばかりではおもしろくありませんよね。けれど医療というものは「病気の患者さんを治す」という非常にハッキリした目的が一つだけなのですから、あそこでやっていること・こっちでやっていることを「経絡の変動ではどうなのか」をベースに考えれば、全部経絡治療の中へ組み込んでいけるのです。

 今年のカリキュラムの中には矯正法の補助療法も研修していくのですが、矯正法はカイロプラクティックなのか?その分野の人でなければできないものなのか?やはりカイロの講習を受けなければならないのか?と先入観があるかも知れませんが、そんなことはないと思います。本治法を行えば、あるいは標治法まで行えば筋肉は非常に緩くなっているので、後は関節の構造さえ考えればちょっとした矯正法でスッと入ってしまうものなのです。カイロの施術者はほとんどがろくに揉んでいないでしょうし、揉んでいたとしても我々の鍼灸施術に比べれば筋肉も関節も緩くなっていないはずです。それなのに無理にぐっと矯正をされるから「やられた」という感じがするのであり、それを「効いた」と思っている人もいるでしょう。でも、それは作用・反作用の法則で戻ってしまうものなのです。我々の施術であれば緩みきっているのでスッと入れるだけであり、これは戻らないのです。一般のカイロプラクターの施術より私がやる方が効くと思っていますし、実際にもそうでしょう。ある高校生などはサッカーをしていて動けなくなり抱えられてやってきたのですが、ものすごく骨盤が盛り上がっていました。色々と応急処置で押さえてもらったそうなのですがダメで、最初は私も押さえてみたのですがとても痛くて押さえることができない。すぐ近所の子供でしたからまた来てもらえるだろうと通常の治療をして、最後にうつ伏せになってもらって骨盤に手を当てただけなのにごんと音が鳴って、その後はすたすたと歩いて帰っていきました。

 私の例ばかりでは公平でないので他で聞いた話をしますと、柔道選手が肩関節脱臼をしたのですけど知識がないものですから柔道家が引っ張ったり整形外科では全身麻酔で力任せに入れようとしたのですけど入らない。ところが、ベッドにうつ伏せになって腕を垂らすという自力で入れる方法をしたなら入った。その前にはリラックスさせる音楽を聴かせるくらいのことしかしていなかったと、そのお医者さんはいわれていました。

 

 正しい知識を持つということも、これも経絡を中心に考えていけば精神医学のことも分かってくるだろうと思いますし、整形外科も内科も泌尿器科も小児科も婦人科も全て分かってくると思います。経絡の変動ということを中心に考えれば全て経絡治療の中に取り込めてしまう。だから私は、鍼灸においては最強の治療法だと宣言するのです。テクニックというものはこれからますます開発して行かねばなりませんけど、テクノロジーというものは追求しても仕方ないだろうと思うのです。所詮人間は生身の身体なのですから、ハイテクを駆使した現場で停電になったらどうなるのです?自家発電が大きな病院ならありますけど、小さなところだったらありませんから途端にダメですね。「今はレントゲンがないから分かりません」「MRIが撮れないからダメです」、我々にはこんなことはありません。脉診ができればいいのです。脉診ができなくても兪募穴を触るとか、望聞問切の中でできるものをして証決定ができれば、それで治療はできるのです。テクノロジーとしては、極めてローテクです。でも、ローテクがゆえに故障もなければ根幹は揺らぎないものなのです。初回としてはやや堅い話も入りましたが、治療家になるためのことをかいつまみながら治療室のことも話してきました。では、もう少し総論の続きをやります。

 

 

  証(病理)とは何か

 「証の定義は角度により幾通りにもできる」と思います。

 断言的な表現になってしまいますが臨床においては証を三分野に分類できます。病理の証・脉証の証・病症の証です。このうち病症の証は体調や体質などを考慮しながら局所に対する陰陽を観察し手技を判断するものですから、つまり標治法に対する証であり病そのものを表してはいません。

 病理の証と脉証の証は基本的に一致していなくてはなりません。しかし、複雑な病体を観察するのですから診察して即座に納得のできるケースは少ないものです。特に脉診は主観に流されやすいものですから治療の中心でありながらも、脉の凸凹さえ調整できれば劇的効果が得られることもあるので脉診至上主義に陥りやすいものですが、これは非常に危険なことです。

 では、「証」と「病理」とはイコールなのでしょうか?全くのイコールではないにしても、ほとんどイコールだと思います。それに加えて証とは「疾病の状態を分類し、治療パターンを決めるために考えられたもの」と付け加えられないでしょうか。「証」を求めることにより状態把握がしやすくなり、次の世代に伝承しやすくなるために持ち込まれた概念ではないかと考えています。

 

 

 午後は実技になりますが、一番大切になってくるのが「証」です。先程も腎虚陰虚証と腎虚陽虚証が分からなかったという話をしましたけど、「どないしょう」「しょうもない」ということで(失笑)。治療方針を決めること・病理を考えることだと思ってください。本部研修では「証がいくつもあってはいけない」と注意を受けたことがあり、突き詰めていけば一つだというのは確かです。簡単にいえば治療パターンを決めて後世へ伝承するために考え出されたものとは編集中に会員の中から出てきたものだったのですが、これは簡潔で分かりやすいと思い収録したものなのです。

 病理という言葉についてですが、特に聴講生の人は「病理って西洋医学じゃないの」と首をひねりながら聞かれていたのではなかったかと思います。五臓の働きを東洋医学概論で習っていると思うのですけれど、これは生理ですよね。本来の働きということですね。じゃぁ今病気になっているのは、その生理から外れてしまったからということです。それを求めるのが病理です。それで我々がどうして研修スタイルを変えてきたかということについて説明すると、今までは脉診だけをして「これは肺虚だ」「これは肝虚だ」と治療をしてきたのです。これでもかなりの劇的効果がありました。先程の洋上大学中に行った治療は、このようなやり方だったのです。腹診はよく分かっていなかったですから、とにかく脉診をしてツボを触って脉が整ったら施術するというようなやり方だったのです。それでも劇的に効くのです。劇的に効くのですが、劇的に効かなくなってしまったのです。何故かというと「おごり」もそうなのですが、緊急スクランブルばかりだったのでこちらの気が張っていたというのが一つ、相手が若かったということが一つ、もう一つは病気の程度というものを全く考えていなかったのです。治療室と研修会では違うと、言い換えてもいいかも知れません。治療室に通ってくる本当の患者さんというのは、病気の程度が違うのです。何故このようになったのかを考えられなければならないし、説明ができなければ信用もされません。「脉を整えれば治るからいいんだ」ではなく、自分たちも知りたいのです。

 もう少し私の恥をお話ししますと、臨床各論という科目が好きじゃなかったのです。橈骨神経麻痺や坐骨神経痛くらいならいいのですが、それくらいではなく一杯色々な病気が出てきます。それをいちいち覚えるのが嫌だったのです。ところが、経絡治療というものは脉診をして脉が整えば病気が治せるのだからこんなに楽なものはないだろう、という発想で実は入ってきたのです(苦笑)。余計に病名を覚えなくてはならなくなり、どツボにはまってしまったんですけどね(苦笑)。これは前半で話をしたように研修をすること自体が目的になっているのであれば非常に嫌なのです。学校の勉強自体が目的になっていたので、ものすごく嫌だったのです。しかし、患者さんを治すということを考え始めるとその病気が分かっていなければならないので、覚えることも勉強することも全然苦痛にならなくなりましたし、楽しいといえば語弊があるでしょうけど「あぁこういうことだったのか次はこういうことができるだろうあんなことができるだろう」と勉強をすることによってある種胸がわくわくしてくるのです。この間も久しぶりに人工透析をしている患者さんを診たのですけれど、人工透析というものがどういうものかという質問を受けて私も一緒に辞書を調べてみて知らなかったことがあり「今度はこんな観察をしよう」とか、患者さんの不幸を願っているのではありませんが早く来て欲しくてたまらずある種ワクワクしていて、勉強をすることが楽しいのです。そういうことで、何故このような証になるのかを考えること、それが病理なのです。

 このように勉強を進めることによって、我々の医学が「科学的ではない」「気とは迷信だ」「経絡は役に立たない」「脉診には三十年かかる」といった間違った知識に反論しなくても、「このような形はこのように説明できる、だからこの病理ならこのような予後が予想できる」と説明できるようになります。これに従って施術すれば脉もお腹も即座に変化しますから、「経絡というものは迷信じゃない」「気というものは確かにあるものだ」と説明ができます。

 

 残りがもう少しになりましたので、最近の治療室でのおもしろかった話をしてみます。半分失敗になるのですけど患者さんは全くそれに気付いておられず、逆に喜ばれたという話です。

 その患者さんが一番最初に来院されたのは五年くらい前で、腕の痛みが治らないということでした。ピアノだったかエレクトーンだったかの先生なのですけど整形外科へ通ってもどうしても治らず、これは肩甲骨周囲に原因があるのだよという説明をしました。「私が痛いのは肘だ」と訴えられるのですけど、昨日もテニス肘の患者さんがおられたので本当に悪いのは肩甲骨周囲であることを確かめようということで、助手にどのようにすればいいかと聞いたところ私は実は知らなかったのですけどテニスエルボー検査をしました。「うんうん、その方法もあるね」といっていたのですけど、実は知らなかったのです、ごめんなさい。でも、助手も寝たままで検査をしていたので「テニスは寝たままではやらないぞ」とやり返しておきましたけど(笑い)。タオルを絞らせて肘の痛みを確認しておき、肩甲骨周囲の硬結を強烈に押さえて「ここが神経圧迫を起こしているのです」と説明します。別に神経圧迫だと本当には思っていないのですけど、患者さんには西洋医学の言葉で説明しないと分かってもらえないですからね(苦笑)。今度は強烈に押さえたままでタオルを絞らせると、痛みがない。「何故ですか」という質問に、肘は普段腕を開くようにして使っているので肩甲骨で支えていることになり、そこに負担が掛かってあまりに凝りが強くなると筋肉が硬くなって神経圧迫を起こしてくるので、痛みの原因はここなのですと説明します。それでも分かってくれない人には「映画というのは銀幕が光っているのではなく、映写機からの光が銀幕に投影されているのと同じで痛むところイコール悪いところじゃないんですよ」、それでも分からない人には「脳梗塞を起こすと手足が不自由になりますけど、あれは手足が悪いのではなく頭ですよね」とここまで言わなければならない人はこれでも納得していないですけどね。(笑い)実際に痛みを感じる部位と、疾患部位というのは違うことがあります。

 話題にしている患者さんは、このようにして肘の痛みが治ったのです。その二年後くらいに通っておられたのは、転倒から股関節を骨折してしまい手術と入院はされたのですが治りきらないということで通院されていました。その頃から更年期障害は始まっていたのですけど、それも一度は治まりました。最近になってまた更年期障害が強くなったということで来院されているのですが、眠れないのが一番つらい。それで先日のことなのですが、もう少しで終わりだということから何か別の話題で盛り上がっていて一番奥でその患者さんを寝かせていたことをすっかり忘れていたのです。「さぁもう一人だけだから3番を仕上げようか」「えっ、6番は・・・」「あれっ、誰だっけ、しまったぁ」と急行したのです。それで患者さんは「私は治療に来るとよく眠れるので、一時間半も寝かせてもらってありがとう」といわれたのです(会場爆笑)。ちょっとしたテクニックなのですが、患者さんには謝ってはダメです。これはどんな場面でもそうなのですが、特に精神疾患の患者さんには謝ってはいけないのです。それで「そうそう、あなたのために寝かせておいたんですよ」と言っておきました(笑い)。心の中では謝っていますよ。これは私の目的意識がどこかへ行ってしまったために起こしてしまった失敗で、患者さんにはよかったと言うことで治療室の報告もしておきました。

 

 今回は、以上で終わります。




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