ニューサイエンスの考察(10)                            滋賀支部    二木  清文

Break  up  the  wall

 

  フリッチョフ・カプラ先生の『ターニング・ポイント』の中に「感染症が激減した本当の理由」という項目があります。18世紀に蔓延していたペストなどの感染症を制圧することに成功した頃に現代医学が登場してきたので、これらは現代医学の効果だと一般には信じられているのだが、実は医学の果たした役割はほんの少しで本当の理由が3つあることを書いておられます。その理由とは、

@栄養状態の改善(農業の発達により食料が大量に供給され抵抗力がついた、栄養不足が不健康の主要因と考えられる途上国を見れば分かることですね)

A衛生学及び衛生観念の改善(病原菌説が定着し、飲料水の浄化・汚物処理の改善・安全なミルクの供給・食品衛生学の改善への糸口となった)

B生活条件の全般的な改善(出生率の低下にもよるが、急速に増える人口に衛生状況が追い付かないのではないかという不安がなくなった)とあります。

 

  確かに個人の急性疾患に医学の介入は強力な力を見せつけますが、社会全体の健康とすると癌や循環器障害など主要疾患を制圧することはできず、現代医学が無力なことを見ているのに、「現代医学は素晴らしい」という観念を作ってしまったなら、その壁をなかなか超えることができないのですね。自らが作った『心の壁』なのに不思議なものです、

 

  前回「素晴らしい脉診」では、「不確定性原理」に至るまで物理学の歴史を簡単に紹介し、此の世には【絶対】など存在せず全ては【近似値】の表す世界であること、自らの心のパターンが反映した世界であることを証明し、【絶対】など存在しないのですから、まして揺らぎ続けるシステムである生命体には脉診ほど素晴らしい診断法はないと書きました。ただ「タオ自然学」で誤読が起きた実例から念の為に断っておきますが「脉診=オカルト世界」と書いているのでは決してなく、リアリティーは存在しないから量ではなく質で測定からパターンで判断する脉診にも充分科学性は成り立つと主張しているのです。

  しかし、還元主義思想に慣れ切った現代人には受け入れ難い事実かも知れませんね。ちょっとした発想の転換が出来ないなんて非常に悲しい。さぁ今こそ壁を打ち砕いて前進をしなければならないのです。その我々自身が自ら作っているのに乗り越えられない『心の壁』について、今回は極力既存の概念を用いて考えてみたいと思います。

 

  具体例に入る前に、もう少しだけ東洋思想と現代物理学の相似性について書かせてください。前回に現代物理学の現状は根源捜しを続けているクォーク理論と、根源捜しを否定するブーツストラップ理論があることを紹介しました。このうちカプラ先生が絶賛しているのは当然ブーツストラップ理論の方で、直訳すると「靴紐理論」となり編み上げられた靴紐が想像されますが、語源は英語の慣用で乗馬靴を履く時の摘み皮を指していて、万有引力の法則が理解できない人に「紐を自分で引っ張ると空中に浮かんでしまう」と皮肉を込めて使っていたものを転じて、「自己調和を果たす」という意味で使っているのです。そして、互いが互いを巻き込む形で物質世界は成り立っているのだと主張しています。

  このブーツストラップ理論の元祖は、ハイゼンベルクの考えたS行列理論です。SScattering  Matrix → スカッタリングマトリックス行列《散乱行列理論》とは、「観測可能な現象のみ理論に取り入れること」とした量子力学の発想を二次元の行列式で表したものです。ですから、1回の実験データから作成された単独の行列式だけでは当然使われる変数の説明が出来ません。しかし、最初の式の変数を説明する為の別の行列式を示し、その式で使われた変数を説明する別の行列式を・・・とS行列を無限に展開する必要はありますが、最終的に説明されない変数はなくなるはずなのです(まだ完成はしていませんが)。それは、まるで織物に織り込まれる糸みたいで「此の世は関係性の織物である」という発言につながるのです。

  これを東洋思想に当てはめてみると、偶然に発見された身体現象を説明するのに、例えば“ツボ”という言葉を持ち出したら、それを説明する為の経絡・気血営衛・陰陽五行・蔵象論・・・・・と新たな理論により説明され、最終的には元に戻って説明をされない概念がなくなっています。既に(ほぼ)完成した形の「関係性の織物」が東洋思想の中にあったのです。こんなに立派な(大げさでなく)宇宙の真理を描いている医学に目覚める人が少ないなんて、自らが作った『心の壁』に邪魔されているとしか考えられませんね。

 

  それでは具体例に入ります。『心の壁』なんて書くから難しい哲学みたいに思われるかもしれませんが、とても身近に接しているちょっとした発想の転換のことですね。

  つい最近のことでした。障害者スポーツの施設で車イスの人と喋っていたら指を骨折した後が充分曲がらないからと治療を頼まれました。ナソ治療で面白いように指が曲がるようにはなったのですが、とても1回では無理でした。そこで、継続治療を頼まれて困ってしまいました。大抵の個人開業施設は屋内で土足禁止です。勿論私の治療室もその部類で、まして車イス対応の施設など持ってはいません。それと低く設計したつもりでしたが入口前の3段の階段が一部の患者には不評だったので「この際車イス対応のスロープを」とも思ったのですが、基礎からやり替えねばならずとても改造と採算が合わない(我々は経営者でもありますから)。でも、それじゃ障害者が障害者を差別するみたいで悔しくてあれこれ考えているうちに気が付いたのです。車イスそのものを治療室に入れることに執着するのが間違いだったので、車イスだけを土足で上げてやる必要はないのだし、どうしても使いたければ屋内用のものを持参してもらえばいいのです(因みにオイルの関係で汚れが取れないので屋内用は通常別にするらしい)。こう考えればとにかく入れれば正面でなくても裏口でも窓でも高ささえ合えばいいことになります。幸い私の治療室には掃き出し口があるので、ここから入れば服が汚れるだけてベッドまで這ってもらえば無改造で車イスにも対応ができることが判ったのです(スロープは歩行用だけ新設しました)。

  こんな例もありました。脳溢血後遺症で来院されている叔母あちゃんに「新聞くらいは読んでる?」と聞いたら、「読みたいんだけどすぐバラバラにしてしまうから読んでない」と言うので、喫茶店で隅をホッチキスで止めてるみたいに洗濯バサミで止めればいいんだよとアドバイスをしたら、それから喜んで自分で新聞を読むようになっています。

  こんなちょっとした発想の転換を拒ませているもの、それが『心の壁』なのです。

 

  色々な段階の『心の壁』を紹介します。「ホロン革命」で著者アーサー・ケストラーが自らが不思議で楽しい悩みの思い出として語っている実例があります。少年時代に引っ越しをしてきた土地で、初めて出来た友達が「おまえはMTKかFTCか」と質問をしてきた時に、その土地がサッカーの大変盛んでそこの2大サッカーチームの名前だとさえ知らなかったのに、友達を失いたくない一心から「勿論MTKさ」と答えただけなのに、それ以来MTK陣営に配属されただけなのにユニホームからプレイヤーやチームスローガンまで全てが素晴らしく、反対にFTCの全てが気にいらなくなって、終生それは変わらなかったのです。ファンとは『心の壁』を同じくする人の集まりのことだったんですね。

  また、子供を集めてゲームをさせたとします。数色の帽子を被らせた子供達に「君と同じ色の帽子を被っている人は仲間ですよ」と指示するだけで、何故か親しくもなければ合ったこともない仲間を救う為に一生懸命になり、自分が犠牲にさえなりもするのです。

 

  これも「ホロン革命」からおぞましい心理学実験の報告です。「記憶強化に関する実験に参加しませんか、1時間に4ドル支払います」という広告で様々な職業の人達が集まりました。実験はこのようにして行われます。登場人物は3人います。椅子に縛られた学習者は最初に数種類の単語を覚えさせられ、あるカードが示されればそれに該当する熟語を考えて学習を強化していきます。もし誤答をすれば段々に強い電気ショックが加えられ、そのスイッチを操作するのが広告で雇われた人です。それに実験を進行させる依頼主。

  電気ショックは15V単位で変化させられます。学習者は75Vで軽い不平を訴え、150Vで強い不平と実験からの解放を訴え、300Vで再び実験からの解放を訴えます。350V以上では非協力的な態度となって何も答えなくなりますが誤答としてショックは強められ、最高の450Vを3回加えたところで実験は終了します。

  実は電気椅子は偽物で学習者も依頼主も芝居をしているだけです。実験に協力していると信じている雇われた人の行動が問題なのです。実験前の心理学者たちは、一部の異常な位のサディストを除いては最高レベルまで電圧は上げられないと予想をしていました。心理学者でなくとも同じような予想をすると思います。

  ところが、あっと驚く結果が出たのです。何回かの実験で少い時で6割が多い時には9割近くの人が最高レベルまで電圧を上げ切ったのです。広告で集まっただけなので実験を放棄しても、その後に不利益を被る訳でもなく、強い拘束を受けていた訳でもなかったのにです。ただ、迷った時には「続けてください」や「続ける必要があるのです」とボードによる指示が出されただけでした。雇われた人達の名誉のために付け加えておきますが、迷った時の指示がなかった実験では、大勢の人が実験を途中で放棄したのですが、それでも3割近い人が最高レベルまで電圧を上げ切っています。

  この結果から、人間は大義名分があれば人殺しも平気で出来るし、罪を感じない。軍国主義教育の中で育たなくても、いえ平和主義教育の中で育っていたとしてもちょっとした機会があれば簡単に心の垣根を乗り越えて〈人間らしさ〉を放棄してしまうのです。ナチスの兵士が皆冷酷無比なサディスト集団だったのではなく、我々にもナチスの兵士になれる素質があるのです。チャップリンの映画“殺人狂時代”では、「一人を殺せば罪人になるが、大勢を殺せば英雄になる」とパラドックスを描いていますが、そこへもう一つ付け加えましょう。「人間はたまたま属した集団のために戦争をする」と。

 

  アーサー・ケストラーは人間が誕生してからも親の介護が必要な期間が他の動物に比べて異常に長いことを指摘し、盲目的な服従が多いことを「悪魔の弁証法。と呼びました。

  こんな風に書き進めてたら「人間は機会さえあれば本性が顔を表して悪魔に変身する」かのように思えてきますが、悪魔を受け入れないための方法を最後の例に挙げます。

  第2次世界大戦中にナチスのアウシュビッツ収容所での観測データです。ここに収容された人達は「いつ殺されるのか」という恐怖に常に怯えていました。こんな日常生活と欠け離れて極度に束縛され監視をされて一人になれない状態が長く続くと、最初は抵抗もしますが殆どの人はストレスがたまり監視者に対して卑屈になって従順になったり、または妄想状態になったりと諦めて全てを放棄してしまいます(取り調べが厳しくてやってもいない犯罪を認めてしまうのは、これと同じ状態に陥るからです)。

  しかし、中には自分の食料を病人に分けてやったり毛布を貸し与えたりしてしまえる人達がいるのです。どうして一部の人達だけは卑屈にならないのだろうと観察が続けられました。その結果は、この一部の人達は(妄想ではなく)必ず誰かが助けに来てくれると堅く信じていました。「自分が生まれて来たのは何らかの使命があるからだ」と感じ、人生に対して自らが尊厳を意味を与えていたから、命を粗末にすることなく最後まで〈人間らしさ〉が保てたのでした。

 

  今回も含めて何度も理論物理の話を持ち出してきましたが、それは「客観性・再現性・不変妥当性が揃えば立派な科学である」と福島先生が既に立証されておられる《脉診の科学性》をさらに裏づけるのと同時に、此の世に【絶対】など存在しないのだから全ては心のパターンが反映した世界である、つまり『リアリティーは我々の中に存在する』という事が言いたかったのです。実際に我々は身体感覚を殆ど持っていない。呼吸・血液循環・食物の消化・あるいは経絡流中など普段は全く感じることがないのに、ある状況になると感じられる。他にもテレビを夢中で見ていると横で雑音がしていても耳に入らなったりします。突き詰めれば『自我』も我々が勝手に作り出している感覚となります。

  ですから、先ほども少し書きましたが「リアリティーは我々の中に存在するのだから、人生とは自らが尊厳と意味を与えるもの」なのです。我々が文明社会に流され失いかけている人生の尊厳と意味を取り戻す戦いを挑むことが、壁を打ち砕くことだと思います。

                                                      インミラクルス

    自我とは一つの観念であり、動か難い事実ではない(A Course in Miracles)  

        参考文献

バーバラ・ブラウン    「スーパー・マインド」                    (紀伊國屋書店)永田勝太郎            「心身医学へのお誘い」                      (毎日新聞社)アーサー・ケストラー  「還元主義を超えて」「ホロン革命」

フリッチョフ・カプラ  「タオ自然学」「ターニング・ポイント」    (以上、工作舎)




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