ニューサイエンスの考察(5)                              滋賀支部    二木  清文

ニアデスからの報告

 

  「悪魔の辞典」で医者の項目を引くと、「我々が病気の時にはしきりと望みをかけ、健康の時には犬をけしかけたくなる奴」とあります。(鍼灸師も含めた)医者とは一般大衆から見ればそんな職業なのでしょうか?少なくとも人類が性別も老いも死もなく、病気もなかったら必要のなかった職業であるこは間違いないでしょう。

  しかし、ニューサイエンス的に考察をすると、遺伝情報を積極的に交換する為の雄と雌の性別を設けたのだし、分裂によって自己を保存するよりも全く新しい有機体を生成することによって階層性を有する複雑な構造が可能になり、進化を数千倍も早く達成できたと考えるのが自然ではないでしょうか。逆に言えば、老いも死もない原核生物は医者も要らない代わりに単純階級に甘んじるしかないのに対し、真核生物は高層階級を目指したので老いも死も医者も必要とするようになったのです。

  これで「死」の必要性は簡単に立証されてしまったのです。再び「悪魔の辞典」から今度はいかさま医者の項目を引くと、「免許状を持たない殺し屋」とありました。これまた一般大衆からはそんな風に見えるのでしょうか?

 

  前回「機械の中の幽霊を越えて」では、人間とは神経結合のわずかの隙間に住んでいる幽霊なんだねと還元主義に対する皮肉を込めた有名な表現である「機械の中の幽霊」を紹介し、人間は「人体という機械の中に住む幽霊なんかじゃない」と思わず自分で書きながら怒っていました。そうなんです。随分回り道をしてきたようですが、実は私が「ターニング・ポイント」以外の本まで狂ったように読み始めたのは、もちろん「システム論」と私が昔から描いてきた思想が合致したからですが、心理学や意識の問題、そして「死」の問題を追求する鍵があったからなのです。今までは本からの丸写しに近い部分もありましたが、ようやく経絡治療家らしく自分の臨床を混ぜて、非常な難問ながら現在までにたどり着いた「死」の問題を2回に分けて取り組んでみました。

 

  「死」の必要性は立証されました。しかし、実際問題としては身分法の立場からも社会的立場からも、我々の治療室のベッドで患者に死なれることは非常に困ります。治療家でなくとも寿命があることは分かっていながら落ち込んでしまいます。中途半端な継続治療のまま亡くなられた患者の個人的体験から、90年4月の高等部懇談会において質問をしてみました。各先生方の答えの最後に、柳下先生が「全員に言えることだが、そんなことをいちいち気にしていたのでは絶対に大成しない、誰の手の内で死んで行くかの問題であって、それがたまたま鍼灸家の手の内であっただけなのだから」と発言されました。

  また、第九回経絡大のシンポジウム「営業繁栄の秘訣」の中でも、重症患者にどこまでアプローチするかで議論がなされ、塩見先生は「死ぬ患者は予言をしてやり、ほとんどがその通りに死んで行く。それこそ最後の脉を診ていた患者もあり、手の内で死んで行った患者は数え切れない、但し全員にする訳ではないが」とか、伊藤先生は「力量に合わせてみるのだが、病院などに回すことでも信頼は増す」など幾人かの発言があります。また、第十回経絡大の際、指導の香取先生から「何度か死脉を見たし、予言もしたが満足できる治療内容だった」と言われました。これらの中で一貫した言葉は、「例え誤診をしたことがあったにしても誠意を尽くしていれば問題が発生することはなく、最後まで任せてくれる患者も出てくる」とのことでした。全国の先生方いかがでしょう?

 

  ここで、誰もが抱いている「死の恐怖」は何故起こってくるのでしょう。多分、死後が誰も体験したことのない世界だからですね。もしも「死後の世界はこうなっているんだ」という完全な観光ガイドのようなものがあれば(その前に死後存続が保証されていなければなりませんが)、死ぬことは恐くないはずですよね。私なりの進化論でも特に高等生物が人類のような形に落ち着く必要はないのですから、宇宙のどこかには核戦争の脅威を回避するだけでなく「死の恐怖」をも超越した善的宇宙人が存在し、地球人はなんて愚かなことで悩んでいるんだろうと見ているかも知れません。

  そこで、今回のテーマであるニアデス(臨死)体験を語るのに、「死後の世界」を独断でも想定すると話が進め易いと思います。“此の世とあの世は地続きである”と自ら霊界のスポークスマンを自称する丹波哲郎が、映画「大霊界」で描いているモデルが様々な報告と余り矛盾のない標準的モデルであると思われるので、ここで紹介してみます。

  まず、死ぬと(先祖のことが多いらしい)案内役が現れ、待ち合い所のような「精霊界」に案内され、死後の説明を受け霊界の配属先が決定するのを待ちます。身体的障害は全て消失するので、障害者の方が死を受け入れ易いらしい(この点で、目が開くなら私は死ぬことも少し楽しみにしている)。死後は想念で話し合えるので外人とも言葉を気にしなくて済みます。また、三大欲のうち自己保存欲は死んでしまったのですから必要がなくなり、食欲も最初は錯覚で残りますがやがて消失し、性欲だけが異常に強くなります。

  やがて気の合う仲間ばかりの天国のような(?)「霊界」の村に配属されますが、ここは光の世界であり、此の世でどのような行いをしたかにより耐えられる光の強さが変わるのですから、悪いことをしていると真っ暗な階層に配属されてしまいますよ。此の世は修行の場と位置付けられるところから、自殺は勝手な修行の中断であり、かえって何万年と苦しむ結果となるようです。

 

  当院の患者に胆石の手術が原因で3回死にぞこなった人がいます。今でも宗教なんて信じないと頑張っている人ですが、あの世は確かにあったと報告してくれました。

  1回目は、川の向こうで同じ病室の死んだ人達が「こっちへ来い」と呼んでいるのですが、川をどうやって渡っていいのか分からず考えている間に、看護婦さんの呼び声で気が付いたそうです。2回目は、花畑で遊んでいたら案内人が現れて、付いて行こうとしたがモタモタしているうちに気が付いたそうです。3回目は、良く覚えてはいないが雲の上を手招きされるように歩いていたと言います。

  「このままじゃ死んでしまうから何とかしよう」とは思わなかったのかと聞くと、「全く苦しさはなかったし何も考えていなかった、言われることを一生懸命やろうとしただけで、とてもすがすがしい環境だった」という感想でした。「4回目に死ぬことは恐くないか」と聞くと、「どんな形であの世に通じるのか、後から分かることだから自分では防ぎようがないけど、あの世はあるんだから恐くはない、孫を見ていたいからもう少しこちらには居たいけど」という答えでした。この人は自己保存欲が希薄のくせに痛みへの自己主張が強くて治療には苦労しましたが、強力に死後存続の可能性を裏付けてくれました。

  これとは別に、最近各方面からのニアデス(臨死)体験の報告がされています。アメリカの自殺名所の滝に飛び込んで死にぞこなった人達の感想からは、「鮮明に過去の出来事を思い出していた」「とてもすがすがしかった」「未知の世界が広がっていた」などであり、一応に「周囲の時間経過は遅くなり自分の思考時間は加速されていった、様々なことを考え、まるで環境と(宇宙と)一体になったようだった」という答えが導かれた。中には「あんな新鮮な体験をもう一度してみたいと常に願っている」という人さえ居ました。また、登山中の事故でニアデス体験をした人も、苦しい時間が長かったはずなのに「最後には苦しさはなく素晴らしい世界へ導かれるようだった」と証言しています。

  いやはや我々が普段抱いている「死」のイメージとは随分掛け離れている、というよりは全く逆の報告がなされています。カプラ先生が「タオ自然学」の冒頭“コズミック・ダンスへの招待”で描かれるダイナミックな世界像は生成と崩壊のプロセスから導かれるものであり、象徴的に例えられているヒンズー教の踊る神『シバ』は生成の神であると同時に破壊の神でもあるのです。新しいものを創るには古いものを壊さねばならない。「死」は破壊的イメージで用いられてきましたが、生成への第一歩なのかもしれませんね。

 

  確かに素直に殺される動物はいませんが、安らかに死んで行く動物は沢山います。私は「死の恐怖」が故意に歪められたイメージの産物だと思います。裁判での極刑が今でも死刑であるからです。死刑は誰が見ても“みせしめ”で用いられてきたのです。「罪を犯せば苦しんだ末に殺されるぞ、死ぬことは恐いぞ恐いぞ」と脅かされて心に垣根を作ってしまったと思うのです(死刑制度の是非については議論を避けたいと思います)。

  心の垣根については豊富な実験があるのですが機会を改めるとして、要約すると簡単に乗り越えられるけど頑丈な壁だと言えます。あるニュースを聞いている時でした。私は臓器移植には否定的なのですが、エホバの証人の信者が輸血を拒否したので人口血液を試験的に使用したというものでした。「この時代に輸血を拒否するなんて意地っ張りだなぁ」と思ったのですが、次の瞬間にハッとした。輸血も臓器移植の一つなのです。いつ・一体どこで・心臓や肝臓の移植は駄目で輸血ならいいという基準ができたのか?輸血には歴史も実績もあるから大丈夫とどこで判定されたのか?勝手に心に垣根を作っていた結果以外には考えられません。勝手なイメージの産物だったのです。

  鍼灸師も含めた医者は「免許状を持った殺し屋」ではありません。世界像の変革(パラダイム・シフト)は「死の恐怖」の改革を伴わないと成功しないと感じます。これに最も発言する力があるのは経絡治療家であると、再び強調したいと思います。

      参考文献

ピアス                  「悪魔の辞典」                              (岩波書店)バーバラ・ブラウン      「スーパー・マインド」                  (紀伊國屋書店)アーサー・ケストラー    「還元主義を超えて」「ホロン革命」

ジェームズ・ラブロック  「ガイアの時代

エリッヒ・ヤンツ        「自己組織化する宇宙」

フリッチョフ・カプラ    「タオ自然学」「ターニング・ポイント」  (以上、工作舎)




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