ニューサイエンスの考察(6)                              滋賀支部    二木  清文

十返舎一九のパフォーマンス

 

  実に感銘する内容ばかりの福島会長の「経絡治療学原論」(上巻)の補注で紹介されているエピソードですが、聞診に優れた木村という名人がある時、豆腐屋の声を聞いて「気の毒だが間もなく亡くなられるな」と言ったところ、すぐに角で倒れて息絶えたという報告を聞いたとあります。気の調整を行う経絡治療だからこそ可能な診察法で、常々それくらいの技量が欲しいと努力をしている(つもり)なのですが・・・。

  ところが、最近の医療体制では脳死か心臓死かという問題ばかりが取り上げられ、判定基準をどうするこうするで気の調整など迷信のように扱われます。患者にとっては脳死でも心臓死でも死ぬことには変わりがないのに臓器移植に目がくらんだ医師主導型の議論であり、ここでも患者不在の現状が明確に現れています。

 

  前回「ニアデスかりの報告」では、一応に素晴らしかったという感想のニアデス体験を報告し、死後存続の可能性を認めるなら死という表現は破壊的イメージで用いられてきたが生成への第一歩なのかも知れないと仮定できる。死は植えつけられたイメージに心が垣根を作ってしまったものではないかと私なりの意見を述べさせてもらいました。生体移植なら輸血なら当然と誰が決めたのでしょう?ドナー(提供者)の生命に別状がないから議論の対象にならないのでしょうか?これに基準を定めるとしたなら「ターニング・ポイント」で提唱される自己有機体システム論が有効だと思うのですが、かなりの原稿量を必要とするので詳しくは原書を参照していただくとして、やはり臓器移植を行う行わないにかかわらず「死」の捉え方をやり直す必要があるのではないかと思います。

 

  その前に化学式で表される此の世の現象を確認してみたいと思います。これからは社会的にも医学論議にもエントロピーという単位を理解しておくことは有効だと思います。エントロピーとは純粋な物理単位であり、大学の先生が試験問題を難しくする為に考え出した名称でもなければ宗教的な信念でもない、温度が温度計によって時間が時計によって計れるのに対しエントロピー計というものはなく計算式によって後から求める以外にないのが面倒なだけです。様々な意味に解釈できるのですが、総括的に「無秩序の量」と理解して戴ければ間違いないでしょう。

  中学の時に習った熱力学の法則を思い出して下さい。熱量の総和は常に一定である、例えば太陽光が地球に降り注ぐとして、海水を暖めたり光合成に使われたり又は雲によって宇宙に跳ね返されたエネルギーを全て足し合わせると元の太陽光のエネルギー量と等しくなる(熱力学の第一法則)。しかし、元のエネルギーは全て他のエネルギーの形に変換されるかと言えば、摩擦で消耗され変換されないロスが生じる(熱力学の第二法則)。このロスして飛散してしまったエネルギー量をエントロピーと言います。

  エネルギーの総和は常に一定である(第一法則)が、秩序的エネルギーは次の段階の秩序的エネルギーと無秩序的エネルギー(エントロピー)に変換される(第二法則)。この二つの法則により全ての事象は熱力学に換言して表現できるようになりました。

  これを宇宙に当てはめると、ビッグバンの強力なエネルギーで始まり空間が増大し、即ちエントロピーが増大して全体が冷え(現在の状態)、やがて絶対零度すれすれでゆっくり停止することになる。これでは絶望的観測に頭を打ってしまった。

  しかし、これは閉鎖系という周囲から全く影響を受けない特殊な独立環境にのみ適応されることが分かった。例えば、ある容器に熱湯と水を入れるとぬるま湯になり(熱湯の秩序的エネルギーは無秩序的エネルギーとして消耗されエントロピーが増大したと言える)、さらにエントロピーが増大して最終的に水になるなどです。これに対し生物は無秩序から秩序を作り出すことができる、例えば、無秩序的エネルギーの他の動物の肉を食べて自分に合った秩序的エネルギーの栄養を合成できる、開放系というシステムなのです(低レベルでのエントロピーはやはり生産されるが)。この開放システムを徹底的に解析するとイリヤ・プリゴジーヌの「散逸構造」となるのですが、「生きている地球“ガイア”」はオゾン層により隔てられた生命圏を保ちながらも外界に開放する生きたシステムで、これに当てはまります(但し、宇宙が開放系なのか閉鎖系なのかはまだ分かっていない)。

  これに、アインシュタインの相対性理論から有名な式、E=mc2(Eはエネルギー、mは質量、cは光速)を持ち出すと、質量もエネルギーの一つの形態と見做せるようになり、エントロピーの概念と合わせて不変のエネルギーなど存在しないことが分かります。こう考えてくると「人間もエネルギーの一つの表現形態」としか見えなくなるのです。これは90年4月の研究部講師の山下先生も発言されていることです。けれど念の為に書き加えておきますが、決して〔人間    熱機関〕という意味ではありません。まして「機械の中の幽霊」や「機関車の中の馬」などで皮肉を表現してきたのですから。

 

  さて、しばらく物理学のややこしい話にお付き合い頂きましたが、これで人間もエネルギーの一つの表現形態としか見えなくなり、しかも、死後存続の可能性もニアデス体験から非常に高くなるとしたら、我々は一体「死」をどう捉えたらいいのしょうか?結論を急ぐべき事でもないと思いますが、少なくとも臓器移植を目的に基準を変更しようとする医師主導型の論議に反対することはできます。『命』をオモチャにされてたまるか!

  「死」が破壊的イメージで用いられるから、せめて利用できるものを早く摘出しようと敗北的発想が出るのです。カプラ先生も「ターニング・ポイント」で死者は常に明け方などの人気の少ない時間帯を選んで病院の裏口からひっそりと気付かれないように運び出され、闘病の結果を称えられることはないなど、「死」が敗北的イメージて用いられてきたことを指摘されています。「死」の問題を回避して医学の発展は有り得ない、その証拠に「健康的に死を迎える」という概念を忘れてしまったとも指摘されています。

 

  この「健康的に死を迎える」という表現は既に年頭所感で出しているのですが(誤植でしたけど)、「二木は抽象的な説明ばかりで独自の主張が分かりにくい」と反論されそうですので、具体のない抽象は存在するが抽象のない具体は存在しないという観点より、逆理的にある具体例を出してみます。これで「死」の抽象が少しでも変われば幸いです。

  「東海道中膝栗毛」という話を書いた作家・十返舎一九は、彼の弟子達に「私が死んだら直ちに火葬するように」と遺言をしました。彼の死後、弟子達は言われた通り直ちに火葬をしたのですが、その最中にドンドンパチパチ・ピーヒャラピーヒャラと数十発の花火が打ち上がったのです。どうやら芸能人でもあったサービス精神旺盛な十返舎一九の、自分の身体を使ってただ一度だけ行えるパフォーマンスであったのです。

  しかし、ちょっと考えればおかしな状況に気が付きます。彼はパフォーマンスをする為に誰にも気付かれないように衣の下に方向をも考えて花火を巻き付けていたのだし、死の直前でありながら充分な思考力と体力があったはずです。それよりも自分の死期を悟っていた以上に「死の恐怖」を超越して名前を上げる道具にさえ使ってしまった。彼が「健康的に死を迎えた」と表現しても差し支えないと思うのですが・・・。

  現在の社会状況は複雑過ぎるし、病院での営利主義的延命作業が行われるのでなかなかこのような形は取りにくいかも知れませんが、普段から身体を鍛えていたなら「健康的に死を迎える」ことは可能だと思うのです。「死」は決して破壊的イメージだけで用いるのは危険だと思います。経絡治療家だからこそ、「死」の抽象的イメージを逆転する力が発揮できるのではないでしょうか?

 

  それでは今回の結論に入ります。「健康的に死を迎える」という概念の復活は是非達成すべき緊急課題だと思います。しかし、我々は死を迎える姿勢の為だけに生きているのでしょうか?宗教的な発想をすればそうなのでしょうが、それじゃ余りに面白くない。経絡治療家は、今生きている人達の為に働いているはずですよね。じゃ何の為に一生懸命に生き続けなければならないのか?

  山下先生は『聖』(ひじり:これについては次回に書きます)に向かう為だと発言されていますし私もそう思います。もっと手近な表現ならば「感動をする為」じゃないのかなぁと思うのです。気持ちを通わせ・言葉を愛情を交わし・心を奮わせて感動をしたいから未来に向かって爆進出来るじゃないでしょうか。素晴らしい人々に出逢い・素晴らしいドラマの出演者として生命の“コズミック・ダンス”を演じて感動を覚えたなら、また感動がしたいから一生懸命に生き続けるんじゃないでしょうか?

  「ポスト・ヒロシマの課題」で既に書いたように、美しい風景や美しい人には沢山出会うけど、人生を変えるような出会いはそうざらにはないのだが、私自身がそうであったように身体を治してもらえるという体験は人生を変えるような素晴らしい体験になりやすいのですね。それに気付いた我々から変わって行かねばならない。だから経絡治療そのものが今の私の人生だと言っても過言ではないのです。ここまで導いて下さった全国の先生方に改めて感謝すると共に、もう一歩踏み出して「健康的に死を迎える」というイメージを全世界に広げられたら最高だなぁと夢を見ています。かなり生意気な私に意見を下さい。それは東洋はり医学会からの「世界の共通言語」の確立にも役立つはずなのですから。

          参考文献

福島弘道                「経絡治療学原論」(上巻)    (東洋はり医学会事務局)

バーバラ・ブラウン      「スーパー・マインド」                (紀伊國屋書店)

アーサー・ケストラー    「機械の中の幽霊」                      (ぺりかん社)

                        「ホロン革命」「還元主義を超えて」

フリッチョフ・カプラ    「タオ自然学」「ターニング・ポイント」

エリッヒ・ヤンツ        「自己組織化する宇宙」

ジェームズ・ラブロック  「ガイアの時代」                      (以上、工作舎)




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