外風池穴の応用

No.2 脉診による外風池の検証 

滋賀県  二木 清文

 

1.前回の復習

センター試験直前に歯痛で苦しむ女子高生に後頸部への刺鍼が著効を現し、その後も後頸部の刺鍼で成績を挙げていたところへまた激症の歯痛で苦しむ女性がいました。彼女はピリン系の服薬が出来ない体質なので絶対に痛みを止めなくてはならないのですが、胸の熱も含めてあと一歩で決め手がなかった時に以前から着目しつつあった分解後線の外端の反応点に刺鍼をしてみると、助手から「脉が急に柔らかくなりました」の報告と同時に胸の熱も消失し歯痛も緩解したことから、ここは特別な治療点ではないかと追試を開始し外風池と命名したのです。

発想は実に単純なもので、既に治療点として使用されている先生方がおられるかもしれませんが、単なる治療点ではなく三焦経上に位置していることを突き止め病理解釈から、三焦経だからこそ期待できる治効が多数あることを前回は書きました。

今回は論点の半分を脉診に割き、脉診の概要から自己修練法を述べた後に外風池が三焦経上に位置していることを検証して考察を深めることになります。

 

2.脉診について

読者の中には脉診否定派の先生もおられるでしょうが、臨床実践し病苦から患者を救っている治療家が全国には多数活躍しているのですから、古典や脉診を国家試験用の単なる迷信とせずにこの先を読み続けて、後述する自己修練法を是非試して頂きたいと、心から願っています(その上で誌上で古典や脉診を否定されている学派の先生から反論があれば正々堂々と受けて立ちます)。

脉診については今さら説明するまでもありませんが、経絡を診察・診断するための漢方医学の中核であります(漢字についてですが(脈拍のみゃく)はリズムや速度のみに注目した西洋医学的なもので脉(肉月に永遠のえい)とは経絡の虚実や寒熱を東洋医学的に観察しているという意味で、意図的に区別しています)。

脉診方法にも様々な種類がありますが、いわゆる六部定位脉診と呼ばれる脉診法の基本的な指の当て方は、陽池穴に母指腹を当て手部は橈側から回すようにして橈骨茎状突起に中指を合わせて示指・薬指を添え動脈上へスライドさせます。筆者の所属する漢方鍼医会では菽法脉診を中心に、それぞれの会で脉診にも研究課題があるのでこの文章では一般論に留めますが脉診の修練を始める(あるいは臨床家でも再確認のために)時に、特に注意していただきたいことは、普通に力を加えているつもりでもどうしても示指の圧力ばかりが強くなるので、示指は弱く薬指は強くなるように即ち寸陽尺陰に合致するように心がけて頂きたいのです。

 2.1 脉診を五感(視覚)に例える

鍼灸師では検査という手段が使えません。病院でデータを取ってきてもらうことは当然大切で有意義なのですが、急病で駆け込んできた患者にそんな話は通用しません。では患者の言葉が信頼できるのかと言えば、大げさな人や主訴以外は我慢して隠す人がいたり混乱して全く経過が聞き取れないなど患者を信頼しなければならないのですが、残念ながらその言葉を全面的に採用するわけにも行きません。あるいは乳児など自分では喋れず第三者から聞き取るしかないケースもありますが、やはり全面的に信頼していいのかは疑問です。鍼灸師は文字どおり「五感を駆使して治療しなければならない」のです。

ところで、五感の中で情報量が最も多いのは視覚です。実に外部から得る情報の90%を占めています。客観的な事実を観察するのに代用できるものは見当たらず、聴覚や臭覚でも条件さえ整えばある程度予測は可能ても自動車の運転やスポーツに代表されるように先読みをして行動しなければならないときに視覚は絶対必要です。では、我々鍼灸師が人体を診察する時に視覚に相当するものは一体何なのでしょうか?

西洋医学では検査データに頼るあまりに自ら盲目になってしまったことは素人でも明白で、治療経過も数値がなければ判断できず予後判定すら出来なくなってしまいました。対して東洋医学ではどうかといえば西洋医学に追随する姿勢のために同じく盲目になりつつあるのが現状でしょうが、脉診を実践するならば治療経過は脉状に現れるので患者に問うことも簡単で、予後判定もアクシデントさえなければ軽症なら初診時で重症でも数回前には治療終了時期が確実に予言できます。脉診は治療全体を見渡せるという意味でも五感に例えるなら視覚に相当するのではないでしょうか?

もちろん視力には個人差があるように触覚の鋭敏さには先天的な差がありますが、3kmのランニングなら練習すれば誰でも出来るようになる程度の努力ですからプロの自覚で会得すべしです。むしろ診脉力に差が生じるのは治療家の経験と熱心さから導かれる洞察が大きく反映するものです。

        視覚は五感の中心で無視できないことは言うまでもありません。話が少し反れますが全盲は身体障害者手帳では一種一級に該当するのに全ろうで一級はあり得ないのです。いかに視覚障害というのが重度の部類に入るかという事で、勉強会で出会う少し視力が弱い程度にしか感じられない人も想像以上の苦労と工夫を生活の中ではされていることを汲み取って頂ければ幸いです。

         話を元に戻して、視覚は五感の中心で欠くことのできない存在なら、脉診も鍼灸術の死んだんで欠くことの出来ない存在と言えないでしょうか?脉診をしなければ全盲が介助もなしに400m競争をするようなもので、パラリンピック種目には存在するのですから飛び抜けた選手は可能なのでしょうが(世界記録クラスになると200mまでなら本当に解除なしで走るらしいです)並大抵の訓練ではなく、全員が出来るようになるとはとても思えません。やはり目を開けている方が圧倒的に有利で当たり前に出来てしまうことが多いのですから、鍼灸家は目で物を見るのと同じように脉診をすべきと断言します。

・脉診を無視した鍼灸治療は効果がないと言っているのではありません。今でも血の気が多いですが血の気が抑えきれなかった筆者の助手時代に「刺激治療でも治ってしまう意味が分からない」と毒づいたことがあります。その時に師匠(元は船乗りながら事故により片大腿切断となって職業を転々とした結果が鍼灸師に落ち着いた丸尾頼康まるおよりゆきと言います)が見せてくれた実験は、主訴以外にも全身の要穴に刺鍼するというものでしたが脉の凸凹が整っているだけでなく胃の気のある当時の筆者の本治法に比べていい脉になっていたのでした。筆者の驚きとは裏腹に師匠は平然とした顔で「上手な治療家というのは無意識のうちに全身に鍼をしてバランスを取ることを心がけているから当然脉も整っているもの」と言われました。その治療家のセンスなのでしょうが、やはり経絡バランスの調整が出来るということが鍼灸の治効機序だと痛感しました。

その意味では努力中の結果の出し切れていない経絡治療家は、治療システムの優秀性に頼り過ぎで病体把握が甘いのでしょう。しかし、優秀な脉診否定派の鍼灸師でも治療結果の判定は、予後の予測はどのようにするのでしょうか?患者の回復状況や言葉を聞くことも大切ですが、治療直後と経過では差が生じますし言葉に関しては前述のように全面的に信頼するわけにはいかないので、やはり独自に判定できる脉診は必須であり、先程の未熟な経絡治療家でも、患者は治らなければならないのですから本治法だけに執着せず治療量に注意しながら補助療法も用いて脉を整えられれば、効果が期待できることを判定できます。

 2.2 簡単に出来る自己修練法

さて、脉診をこれだけ強調してきたのですから理論の羅列で終わったのでは「二木という生意気な奴が偉そうに原稿を書いてるけど、単なる目立ちたがり屋さ」と非難されるだけなので、勉強会や助手の修練に用いている方法をご紹介します。それで筆者が臨床家であることの証明にもなるでしょう。

脉の評価基準ですが、教科書的には「よい脉とは伸びがあって艶があり絞まりがあって柔らかい脉」となるのですが、筆者もそうだったように初心者にはこの説明では全く理解できません。そこで単純に「触っていて気持ちのいい脉がよい脉で気持ち悪くなるような脉が悪い脉」と表現しています。

最高血圧が200mmhgを越えている患者を想像してみてください。指を弾き飛ばすほどの激しいく堅い脈動で不整脈があるかもしれません。この強い脈動を5分連続で触り続けようとしても恐らくは指が痛くなり無理でしょう。つまり、触っていて気持ちの悪くなるような脉は悪い脉で、この脈動が全身の至る所でうねっているのですから自然治癒力は働こうに働けないのです。

次はよい脉の出番ですが、漢方理論では身体的にも精神的にも平穏安定した状態が平人とされますが、表面的には健康でもストレスがあったり絶好調を保っているようでも負傷を抱えていたりと理論上でしか平人は存在しないので、これは意図的に作らなければお目にかかることはできません。そこで、色々な方法がありますが今回の自己修練法の出番です。

脉診方法は前述の通りです。時間が十分に得られる時で尿意をもよおし始めたら観察開始です。尿意が強くなるに従って脉は数さく(早く)なり、さらに尿意が強くなるとより数となるだけでなく緊から弦(脉はねじりながら縄を編むように細く強くなること、一般的には痛みを現すが身体的不快でも現れる)になり先程の触り続けると気持ち悪くなるような悪い脉となります。それでも我慢に我慢を重ねて「もう絶対にダメ」の脉を観察してから(慎重に?)トイレに駆け込み、その後の脂汗をかくほどの尿意とストレスから解放された爽快感とともに脉を観察すれば柔らかくて伸びのある触っていても実に気持ちのいい脉になっているはずです。これがいい脉なのです。

・脉診は決して名人芸ではありません。「自分なりに脉診はしているのですが、診断ができません」と相談を受けることがあります。この手の相談は、一度や二度の研修会で手ほどきを受ければメーターの数字を読むように脉診が自由自在になるものと思い込んで参加し、自己流を固辞している人が多いように思われます。人命を預かる仕事で自己流がまかり通るようでは、漢方理論など無くてもいいと言っているほどの思い上がりではないでしょうか。自己流は絶対にダメです。習得を焦るのと修練方法が悪いのです。

武術には守破理という言葉があります。守(忠実に批判をせず技術を守り修練する)・破(受け継いだ技術に師匠を越える工夫をする)・理(次への伝承のために理論付けをする)と段階を踏まなければならないのですから、優秀な経絡治療家の元に助手として弟子入りするのがベストでしょうが、研修会での手ほどきを模倣から始め学術と実技を常に合わせるように修練すれば、早い人なら数ヶ月で移行が完了していますし、逆に自己流を固辞するなら遅々として進まない人もいます。その点で視覚障害者は目で見ただけで勝手に模倣するということがありませんし、点字使用者であれば感覚も鍛えられているので早く習得できる方が多いように思います(但し、点字習得の臍に悔し涙を毎日流し続けるほどの努力があったことを忘れないでください)。晴眼者の悪口に聞こえるかも知れませんが、「自分は鈍感だ」「とてもじゃないけど脉診は難しい」と決めつけている方がおられますが、感覚訓練と修練方法の問題なのです。

2.3 「胃の気脉」について

脉についての項目ばかり長くなってきましたがもう少しだけ。「胃の気脉」とは治療の結果触れられる脉状のことで、即ち後天の原気ことであり陽気のことであります。治療とは五臓六腑を活発にするということで、胃が働いて新たな氣を生産するようになったということですから「胃の気」が充実しているとは陽気が充実していることと同義です。

さて話が若干前後しますが、比較脉診とか脉差診という呼び方を聞かれたことがあると思います。けれど古典に記載されている脉とは全て脉状のことを指し、脉位ごとの強さの比較を示しているのではありません。まして脉型によって証を判定するなどとは一切記載されていません。確かにある程度臨床がこなせるようになれば脉型によって瞬間的に証決定できることもありますが本質的に間違いです。何故なら治療時の最終目的は脉の凸凹を整えるのではなく「胃の気」の充実した脉にすることであるからです。脉の凸凹を整えても胃の気のないことは初心者では多々あることで苦労の割に効果がないのに対し、重症で本治法終了時に脉の凸凹が多少不備でも胃の気が充実していれば時間とともに脉は整い病体は回復するものです。

具体的に「胃の気脉」とは、これも教科書的には難しいので筆者は「みずみずしい茄子を触ったような脉」と表現しています。みずみずしいなすは太くて皮がピンと張り押さえても堅くなく弾力があるものでいかにもおいしそうです。これが痩せていたり皮がしわしわだったり水気が少なかったり芯が硬いようではおいしくはないでしょう。治療をして、このような脉にすることが目的なのです。

 

3.検証実験

それでは、外風池を確認する実験を行います。

 3.1 押圧によって検証する

第一段の実験方法は、それぞれの経穴を押圧することによって硬結や流注上の突っ張りが緩んだり寒熱の状態がどのように変化するかを観察します。筆者と当院スタッフと学生見学および懸鐘実験の契約をした患者の合計六人を被験者とし、全員から共通して得られた項目のみを記載します。なお、当然ながら治療中に無作為に検証させてもらった一般患者でも同じ結果が得られています。

・完骨の場合は、肩井の硬結がよく緩みます(風池でも緩む)。側頚部(胆経寄りですからやや後ろ気味)がよく緩みます。側頭部・後頭部への響きはありますが、全体的ではありません。側腹部は緩みますが大したことはありません。胸の熱へも大した影響ありません。

・外風池の場合は、肩井の硬結は緩みますが胆経の経穴ほどではありません。側頚部(三焦経寄りですからやや前気味)がよく緩みます。頭中全体に響きがあります。側腹部が非常に緩みますが、それに留まらず腹部全体がよく緩んでいます。。胸に溜まった熱が引きます。

・完骨と外風池を比較すると、助手からも指摘がありましたが肩井の緩みに関しては共に少陽経ですからあまり参考にはならないでしょうが、風池でも同じ現象を再現できるということは押圧実験の正当性が証明されているということです。側頭部の緩み方および頭部への響きは流注に合致した結果だと思われます。側腹部が外風池で緩むのは胆経の流注のように思われますが、腹部全体も緩んでいることから中・下焦が緩んでいるあるいは帯脈と密接に連動したと考えられます。胸の熱の変化は寒熱羽主る三焦経だからでしょう。やはり外風池は三焦経上に位置していると考えられます。

 3.2 脉診によって検証する

次は脉状によって比較をしようと思います。同じ経絡上の体幹部の経穴同士であれば押圧時には同様な「胃の気」の脉状を触知で来ます ⇨ もちろん治療に適合する経絡でなければよい脉にはなりません。様々なテスト法が考案され実践されていますが、脉診ほど経験値に左右されるものはないものの、コツが飲み込めれば見学に来た学生に脉診させても「胆経では締まった感じで三焦経では広くなる感じがする」と明らかな脉状変化を観察することが出来るようになるのは当たり前で、こんなに便利なものはないと思っています。ぜひ二人以上で実験していただきたいと願います。

では実験結果ですが、完骨と外風池では脉状も胃の気の状態も全く違います。そこで胆経同士ということで完骨と風池を比べると脉状も胃の気も相当に似た状態を示し、加えて押圧実験も同じく肩井が緩むので少陽胆経であることを再確認しました。対して三焦経同士ということで外風池と位置的に一番近い翳風とで比べると、脉状も胃の気の状態もかなり似ていて、脉診による実験の方は全く同じ結果が得られました。これからも外風池は三焦経上に位置していると推測されます。

・外風池が最も胃の気脉が出ることを何度も繰り返す実験の中で確認をしました。前回に書きましたが深部の抵抗が取れてから二・三呼吸のタイムラグをおいて脉状が一気に柔らかくなるように、三焦経は陽気を司っている経絡だから当然のことと筆者の立場からは断言します。

 

4.病理考察からの外風池(寒熱を中心に)

病理的な解釈は前回も書いたように、上昇して来た熱の傷跡が外風池という治療点を生成していると考えています。熱のもたらす影響を台風で例えるなら激しく降った雨は河川に注ぎ河口へ向かって濁流となり、少なからずも被害をもたらしながらも地球の自然治癒力により流れを回復するものの河川にはむごい土砂が堆積し時には流水域そのものを変えてしまったりもしています。これと同じく、身体を上昇して様々な症状をもたらした熱は経絡にダメージを与えるのですが、自然治癒力により流注が大きく変化してしまうことはなくとも、時には経絡上にゴミ溜めのような場所が発生してしまったとしても不思議ではありません。そのゴミ溜めが外風池であり、臨床的にも手応えがあってから二・三呼吸のタイムラグの後に脉が急に柔らかくなることが、ゴミ溜めが解消されて各経絡に潤沢に氣が巡って起きる現象だと推測出来、また全く違う経絡の遠隔部位に心地よい鍼響があることにも矛盾がありません。

これを延長すると、現在発生しているものか過去かに関わらず頭部の熱による病症に外風池は応用できることになります。ただし前回も書きましたがドーゼへの注意が必要なので、総てには用いてはいません。また、ひどすぎるムチ打ちなどでは解剖学の僧帽筋の境目もはっきりしていない柔らかすぎる場合があり、これは経絡が充分に自然治癒力でも回復して以内と解釈でき、実際に刺鍼しても患者に痛みを与えるだけで治療効果はありませんでした。

寒熱の概念というのは伝統鍼灸学会では今や当たり前のこととなりましたが、古典には至る所に書かれているものの各論が不足しているうえに、難経では氣を語るのに重点が置かれて津液を血の中に含めてしまい(実際には難経の中積本がそのように方向づけてしまっただけで原本に営血という言葉は出ていないそうです)、湯液家はC血や寒熱を叫ぶのに鍼灸家はC血も寒熱も言わなくなってしまいました。確かに氣を操作すれば後からでも必ず血も動くのですが、より効果的には血そのものに対するアプローチも重要であり、寒熱に対する認識と処置は取り入れるべきだと臨床に移った段階で、病理を重視する先生方には外風池の臨床価値は止められなくなってしまいますし、その他の流派の先生方も効果を体験されたなら前述の病理は正しいと理解されでしょうから、筆者の初期の目的は達成されるでしょう。

 4.1 三焦経と寒熱

さらに外風池は三焦経上に位置していますから、三焦の司る症状に対しても効果を期待できます。ご存知のように相火論として三焦と心包は説明されています。心包の生理としては、心は陽気が旺盛というより陽気しかないところなので放っておくとどこかへ飛んでいってしまうので包む膜が必要だから心包の概念が生まれた  心気は心包と心包経を通して出てくることになり、脾虚証は脾と心包を補うことで目的が達成されるわけです。しかし、心は陽気が旺盛でも陰気がなく、対して腎は陰気のみで陽気が必要ですから互いに交流をする難経独特の『命門の火』の概念が生まれたのでしょう。ということは、三焦は寒熱を司る府であり経絡であるということです。

筆者の通常の臨床でも三焦を用いる頻度は非常に高く、その目的は上・中・下焦の交流を盛んにして、寒熱状態を均一にすることです。かつて井上恵理先生は「三焦経を運用できれば立派な経絡治療家であり、その点で池田太喜夫と福島弘道の二人は優れている」との発言をされたそうです。すると寒熱状態に改善の思わしくない患者は外風池の適応であり、外風池に刺鍼することで、寒熱状態の改善が期待できるだけでなく他の経絡からの影響で寒熱状態に変動があった場合でも,治療効果が十分に期待できるということが言えます。

 

5.治験例集(その2

 @後鼻漏こうびろう ⇨ 後鼻漏という病名は聞かれたことがないかも知れませんが、かなり頻繁に遭遇する病気です。鼻汁が後ろに漏れて咽に垂れてしまい、最終的には痰と同じように口から吐かなければならない病気のことですが、吐いているのは鼻汁ですから緑色や緑がかった色になっているのが特徴です。西洋医学では原因もハッキリせず命に別状はないので顔面からメスを入れるわけにも行かず処置なしの病気です。

患者は七十三歳男性、盲学校理療科講師、研修会でのモデル患者。主訴は後鼻漏により朝方息苦しくて目が覚め、緑色の痰(鼻汁が溜まったもの)を吐くと楽になる。発病は冬にひいた風邪で、それ以前には何ともなかった。日中にも落ちているのが判るが症状を起こすほどではないものの気持ちが悪い。その他は後頸部の筋が突っ張り回しにくく頭痛があり、軽い腰痛もある。体格は肥満だが虚満という感じ。当日の研修テーマが奇経治療だったため、衝脈(右公孫)- 陰維脈(左内関)へのPM鍼の留置により頚部痛は既にほぼ緩解していました。補助療法が先になることは臨床ではあることなので、そのまま病理考察を進め、原因となった風邪は逆気があり後鼻漏となったので腎虚陰虚証と思われたが、長期間になったため腎の蔵する津液を利用している脾が現在は最も弱っているとして脾虚証で治療(実際には、太白を補い三焦の下合穴の委陽を用いることで命門の火を活性化させ腎も救うことを狙って鍼をした)。筆者は直接は別の班にいたのですが、本治法の直後に仰臥位だからついでにと外風池に刺鍼すると、逆に脉が開いたとの報告が来ました。外風池の病理は上昇した熱の傷跡なのだから標治法の後で仕上げの直前に用いるのがいいとアドバイスをすると、今度は非常に胃の気の充実した柔らかな脉になったとのことでした。経過は良好で研修会にて観察中。

  A後鼻漏 ⇨ 今度も後鼻漏こうびろうですが、患者は素人なので実際にはこの様な訴え方をしてくるケースが多いでしょう。患者は六十四歳、女性。主訴はたまらないほどの頭重と肩こり、不定愁訴。病歴をごちゃごちゃに喋られ聞き取るのに苦労したが、その中でも特徴的なのが起床時には口の中が粘性の強い液体で満たされ塩辛い。日中に口中が塩辛く感じることはホルモンバランスの崩れでは考えられるが、粘性の強い液体があるというのだから鼻汁の可能性が高い。ところが、「鼻水が直接咽に落ちていませんか」と尋ねても否定されるし「その液体は緑がかっていませんか」と言っても強く否定されます(この患者は勝手に鍼灸学校に通い始めた子供に勧められて渋々来院したのですが、鍼灸に対する懐疑心が異常に強く、著効があって心を開いてから何を聞かれても拷問に聞こえたと吐露してくれました、やはり患者の言葉は信じなくてはならないのですがそれだけに頼ることも出来ないということです)。病理考察としては、元来が神経質で愚痴っぽく肺の体質であったものに更年期以後のC血が絡んで不定愁訴を発症するようになり、いつしか後鼻漏も加わってますます肺を虚にして悪循環を招いたと考えられ、難経七十五難型の肺虚肝実証で治療し、患者は怖がっていたが思い切って外風池にも刺鍼すると胃の気の充実した脉になった。一回目の終了時には「鍼はただ悪いところに突き刺すものだと思っていたが違っていたんですね」という感想だったものが、二回目開始時には「口の塩辛いのが取れました」というので「鼻水が直接咽に落ちていませんか」と聞くと「そうだったようです」とのこと。外風池の刺鍼は頭中に響いて気持ちいいとのことで、いつしか治療中にも居眠るようになり七回で治癒。経絡治療だからこそ治癒に導けた症例だと自負していますが、入門当初は本治法以外に決め手がなく苦労していた病気です。

  B強烈な歯痛   単なる歯痛ではなく過労から後頸部のリンパ節が腫れ上って来た特殊な例ですが、これの軽いものは頻繁に遭遇しているはずです。患者は四十歳、女性。主訴は激烈な歯痛。家人が入院中で過労と同時に歯痛が始まり、現在はほとんど口が開けられない。虫歯は特になく歯医者より先に当院を勧められての来院。病理考察としては労倦は脾も犯すが、この場合は同時に守りの弱くなった少陽経に直接侵入して胆を犯し隣接する肝も温まって急性熱症となり激症の歯痛となったので、脾虚肝実証として治療。一連の治療を終えた段階で尋ねると、痛みは若干軽くなった程度というので自信を持って外風池に刺鍼。これは相当に効果があったが、まだ充分ではないという。そこで力技の荒療治だが下顎に母指を除く四本の指を引っかけ顎を引っ張り出すようにすると、リンパ節が圧迫され流れが改善されて痛みが取れるという得意技を施すと激痛が再び走り患者は失神寸前(荒療治ですから多少の痛みがあるのは通常ですが、一瞬なので文句を言われたことはありませんでした)。こちらが慌ててしまい後頸部に円皮鍼などを施して何とか喋れる程度にして終了。ところが、翌日にはにこにこ顔で来院。治療後にも痛くて寝ていたが三時間後から嘘のように痛みが取れ始め、昨晩は流動食だったが今朝はパンを軽く食べられたということです。力技は避けて外風池の刺鍼後の脉と自覚症状に着目すると着実な回復が観察され、四回で治癒。力技の荒療治も時には重要な一つの手段ですが、やはり脉診による予後判定の方が遥かに正しいと猛省をさせられた症例です。

  C重症の頭痛   頭痛にも色々な種類がありますが、その原因のほとんどが不明なのに何故か薬の処方はしてくれるという不思議な病気です。患者は四十八歳、女性。二十歳前から頑固な頭痛に悩まされ、医者が「この薬は強いですから」というのを処方の二倍は服薬して一日がかりでやっと収まる状態。結婚して二児は設けたが休みがちな家事がやっとで、身体のためにとの宗教以外は何も活動が出来ない。当院が脉診を実践していると聞いて「この治療法で駄目だったら、こんな身体だと一生を諦めます」と脅し付きでの来院。最初は週二回から週一回へと体調が改善するに従って回数は減らせだが、体調不良からの頭痛はなくなったものの原因不明の強烈なやつは相変わらず出てきます。治療開始から一年経過あたりで、僧帽筋外縁が明確となり外風池が適応できるのではないかと探りました。繰り返しになりますが、ひどすぎるムチ打ちや麻痺を伴う病体では僧帽筋外縁が柔らか過ぎてブヨブヨしている場合、経絡の自己修復ができていないようで外風池に刺鍼しても痛みを与えるだけで効果がありません。この患者は初診時では僧帽筋外縁がブヨブヨだったものの経過とともに明確化し、外風池を用いるようになってからは最長一ヶ月半も頭痛がなかったと、筆者に演説してもらっても仕方ないのですが「鍼は脉診でなければいけない」と、不可能だとは言いつつも自ら鍼灸師を目指したいことを喋っています。多少調子にばらつきはあるものの、順次回復中。

  歯医者処置後の症状  筆者の体験談です。左上前歯の悪い色が目立つので歯医者へ相談に行くと、「いずれ処置が必要だから思い切って差し歯にしますか」と言われたのでうなずくと、いきなり麻酔注射をされて総ての処置を通してだが一時間半もガリガリ削られてしまいました。もちろん歯を削られることは気持ち良くありませんが、どうも麻酔が体質に合っていないようで自覚的に熱っぽくなりました。その夜は勉強会だったので気分は優れないまま出掛けましたが、頭がボーッとして今一つ集中できませんでした。そこで実技でモデル患者になると、いつもの脉と違って沈んで力がないとのことです。筆者はスポーツも趣味なので、痞満による心臓肥大とは違うスポーツマン心臓と呼ばれる通常より大きな心蔵を有しているのですが(話題の臓器移植ではとびきりのドナーになれると喋っていたら、口を揃えて早く死なないとニュースに出られないぞと言われました)、それでも弱々しく触れたそうです。ちなみに左尺中(腎・膀胱)は菽法の位置が元々低く誤った選経・選穴をすると経絡が自己修復に働いて陽気が損なわれるために骨に着くほど沈み、関上(肝・胆)と比べると「おじぎ」をしているように観察され、陽経の選経・選穴に有効ではないかと同時に服薬の適否の判定も出来るのではないかと追試中なのですが、見事に左尺中は沈んでいました。病理考察は、間違った投薬による急性熱症のC血で難経七十五難型の肺虚肝実証なのですが、陽気が飛んでしまっている状態と酷似なので総て倹jで行うことになりました(倹jとは霊枢『九鍼十二原篇』に出てくる刺さらない接触が目的の鍼ですが、現在の臨床では小里式倹jが主流ながら様々な研究発表から更なる接触鍼も目指しています)。一通りを終えた段階で気分は良くなりましたが頭重が取れていません。外風池は治療点でありますから、特にどうしても深く刺鍼しなければ効果の出ないものではないし、臨床でも成績が上がっているとアドバイスし、実際に倹jで行ってみると見事に脉は柔らかくなり胃の気が出て頭重も緩解しました。

 

まとめになりますが、前回と今回で取り上げた外風池と命名した治療点に関する発表は治療点として活用されている先生もおられるかも知れませんが、三焦経に位置していることと病理解釈が行われたのは初めてだと思います。今回は三焦経が大いに関わっていることは判断できても決定的原因ではなかったので治験例としては取り上げられませんでしたが、腹部でも三焦に関係する症状は外風池で著効があります。どうしても華々しい治験例が中心になってしまいますが、本当に大切なことは条件が整えば必ず期待通りの効果をもたらしてくれるという事実です。ぜひ、追試ください。

脉診の説明に裂く指数が多くて経絡治療の宣伝に思われたかも知れませんが、脉診がなければ外風池の解明と応用法はなかったのであり、やはり筆者は経絡治療という優れたシステムで鍼灸術を運用することが、鍼灸の科学化の最も近道であり技術革新の王道ではないかと実感しています。

522-0201 滋賀県彦根市高宮町日の出1406




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