不眠症の病理考察と治療

(滋賀県)二木 清文

 

1.はじめに

少々長くなりますが、まずは辞書から睡眠と不眠症について調べてみます。

睡眠とは「ねむること。ねむり。何らかの生理的な原因によって周期的に生じ、感覚や反射機能その他種々の生理機能が低下し、意識は喪失しているが容易に覚醒しうる状態」(三省堂、大辞林)とあり、「睡眠は覚醒wakefulnessとともに24時間周期で現れる行動上の基本的リズムで,持続的な意識消失と全般的な身体機能の低下状態を伴う.睡眠はノンレム睡眠*nonREM sleepとレム睡眠*REM sleep2相に分けられる.脳波のほかに筋電図,眼球運動,自律機能の指標となるものを同時に記録することにより,これらの区分は容易になる.ノンレム睡眠相では脳波は高振幅徐波化のパターンを呈し,抗重力筋の緊張が低下するとともに呼吸,脈拍,血圧などの自律機能は安定する.レム睡眠相では脳波は覚醒時のような低振幅速波化のパターンを示し,抗重力筋の緊張は完全に消失し,急速眼球運動rapid eye movementREM)を伴う.自律機能は変動し,夢を見ていることが多い.覚醒から睡眠に入ると,まずノンレム睡眠が現れ,その第1段階から第4段階へと次第に進む.約1時間30分から2時間経過すると,レム睡眠が現れ,約10分から30分持続する.このような反復を一夜に3回から4回繰り返すのが普通の睡眠である.睡眠を引き起こす原因ないし機構については多くの手法を用いた研究が行われてきたが,まだ十分な説明は与えられていない.睡眠中枢として,一義的に規定されるような限局した脳部位はなく,むしろ広範な脳構造がそれに参加するものと考えられる.睡眠時には代謝が低下するので周期的にエネルギーを節約し,消耗を防ぐことになるといわれている.レム睡眠は新生児では全睡眠の約50%を占めるが,成人では約20%まで減少する.レム睡眠は夢の体験とつながるとされているが,発育中の脳にとっては内因性の脳刺激になっているという推測がある.しかし,睡眠の生物学的意味はよくわかっていないのが現状である.睡眠と区別されるが,睡眠と似た様相を呈する病的な状態として傾眠*somnolenceあるいは嗜眠*lethargyがあり,刺激を与えても意識が回復しない昏睡*comaがある」(南山堂、医学大辞典Promedica)とありました。

対して、不眠症とは「十分に眠れない状態が続くこと。神経症・鬱病・分裂病のほか、体の調子の悪い時、興奮している時などに起こる」(三省堂、大辞林)とあり、「不眠症は,その障害の状態から,入眠障害disturbance of sleep induction,熟眠障害dof sound sleep(浅眠,中途覚醒),早期覚醒early wakingに分類される.不眠症は,睡眠障害*のうちで最も数が多く,原因もさまざまだが, 1)騒音などの外部環境やその変化, 2)身体疾患や脳器質性障害, 3)精神分裂病*,躁うつ病*,神経症*や性格障害(人格変化*)などの精神疾患, 4)アルコールや薬物中毒などがあげられる.一般に不眠症といえば,神経症性不眠をさす.彼らは不眠に対して過度の不安や恐怖をもっており,実際に眠っていても眠れないと訴える.神経症性不眠を訴える患者のポリグラフをみると,入眠期に深い睡眠に入らずに覚醒したり,睡眠が浅くなるなどの不規則なパターンを示す.また彼らは音などで覚醒しやすく,深く眠った後も入眠したことを否定するなどの特徴がある.うつ病*や精神分裂病では,自覚症状だけではなく,ポリグラフの上からも不眠のサインが認められる.例えばうつ病のポリグラフをみると,全睡眠時間の短縮,早朝覚醒などがみられる.精神分裂病では主として入眠障害が認められ,ポリグラフでは急性期にNREM睡眠(ノンレム睡眠*),REM睡眠(レム睡眠*)がともに減少するといわれている.なお,アルコールや薬物中毒*では離脱時に不眠が生ずる」(南山堂、医学大辞典Promedica)とありました。

説明中にも様々なタイプの不眠症がありましたが、鍼灸が臨床で扱う不眠症の大多数は入眠困難か覚醒過敏の病状と思います。

 

2.かつての不眠症の治療

筆者は学生時代よりいわゆる「経絡治療」一筋で(逆に言えば池田政一先生の真似に聞こえますが、経絡治療しか知らないし鍼灸の基本形と信じて疑いようがない)、視覚障害者でありながらも助手に入れる幸運に恵まれました。しかし、当時は病理考察が中心ではなく比較脉診でしたから、局所の選穴には有名穴や一般論を適応させていたことになります ⇒ アンダーライン部分に対して、この文章の核心が後述されますのでよく覚えておいてください。

当時を思い出してみると、不眠症に対しては肩こりを丁寧に緩める・眼球の上に知熱灸をする・蟀谷こめかみに深めに刺鍼して緩めるなどに気配りしていたでしょうか。いずれにしても血の変動あるいはC血によるものだと捉えていました。これで睡眠薬は使用していないか使用頻度の低い人は大抵治っていました。けれど、ご想像通り重度の更年期障害や異常に神経質な人、あるいは服薬を嫌いながらも鍼灸治療に疑問や恐怖感を持っている人にはほとんど効果がなかったこともあります。

その中でも心に残る失敗例なのですが、患者は五十台後半の女性で職業は清掃員。主訴は全く眠れず疲労感が強い。睡眠薬も相当量を飲んでいるが、それでも全く眠れない。(筆者は知らないが)以前に五十肩で来院された際には、ゆすられても起きないくらいベッド上で熟睡していたことを思い出し、ワラをもすがる思いだと言われました。初期では更年期障害も考慮しながら肩こりを充分に緩めるように背部への置鍼を中心に行いました。師匠の治療室は完全予約制ではなかったので、治療間隔を患者側で調整することが出来、この患者は「まだ眠れない」と毎日来院されたのです。中期には精神疾患とドーゼを考慮し、置鍼は控えて百会や督脈上への透熱灸を中心としました。「人間は数日全く眠らなかったら死んでしまうので、あなたのは寝た気がしない状態でちゃんと睡眠は取っているはずです」と焦らないように説得するのですが、やはり当事者と観察者では違うもので毎日来院されます。ところが、気がつくと治療中に軽い寝息を立てて眠っていることがあり「耳まで寝ていないだけの動物的な睡眠は必ずしています」と説明しても、会話を報告して「絶対に寝ていない」と主張されます。

こうなると治療家も人間ですから号が沸いてきます。百会の透熱灸はぬるいだけと言われれば熱くなるまで続けるし、肩こりが強いと言われれば徹底的に深刺しも含めて緩める(これで治療中に何度か眠れたと言われたから経絡治療もどこへやら)。結局は家庭の事情から来院されなくなったのですが、ご主人が入院中にも「身体が資本だから」と通院されたのに人間的な感情の高ぶりにより患者を・病体を見失ってしまい、苦い思い出だけが残りました。どんな治療家も感情が先行して患者を冷静に見つめられない経験はあるでしょうが、筆者はこの失敗例を思い出しては戒めています。

 

3.不眠症の病理考察

さて不眠症を病理考察してみます。俗に「寝た気がしない」と訴えられますが、これは疲れすぎて眠れないということで脾胃に過度な負担がかかっているか貯蔵している津液の不足と思われ、病因の大半は労倦と判断してもいいのではないでしょうか。

病理は周期的に現れる現象とあるので、覚醒は陽気が旺盛になる時間帯であり睡眠は陰気が旺盛になる時間帯と考えられます。つまり、不眠症とは陰気不足により陽気が抑えきれず入眠困難になったり、夜中に陽気が吹き出してきて覚醒過敏になっていることです。代表的なものは肝の陰虚による虚熱が肺をあぶって乾燥させる肝虚肺燥証で、陽気が抑えきれないために夜中に寝ついて暖まったころに激しい咳を発生させます(脉型は肝虚ながらも肺が沈んで硬くなっています、当然覚醒過敏で不眠症と訴えられます)。

これをもう少し延長して考察すると、不眠症の患者は決まって胸が熱くなってとか胸が締めつけられるようで眠れないと言いますから、熱が胸に蓄積して陽臓である肺や心を焙って眠れないのです。筆者の体験でも友達と機嫌よく呑んで帰ってきて酔って眠っていたのですが、夜中に目が覚めたときには宵寝をしたからだと思っていたのに次第に吐き気がします。「外で呑むからだ」とて文句を言われないように、最初は我慢をして眠ろうとしたのですが胸が熱く手足が火照ってどうしても眠れません。吐き気は強くなるばかりなので「これは食中毒だ」とトイレに駆け込むと驚くほど吐いて、胃熱が取れたのでその後には手足の火照りと胸の熱感は消えて眠れたのです。

筆者は『医道の日本』19986月号に「花粉症の治療」と題して、呼吸を司る上焦が充分に働けないのは中・下焦から充分に気血津液が送られてこないためで、上焦と中・下焦の交流点は隔愈であり、隔愈の硬結を緩めれば花粉症は治るとの発表を行いました。不眠症はこれとは逆で、熱は上昇したり外に出ていこうとする性質があるので何らかの原因で発生した中・下焦の熱が上焦に溜まってしまい、交流が悪いために再び中・下焦に戻せないために発生すると考えられます。つまり、本治法においては下合穴を用いることが有効であり、局所においては隔愈の硬結を緩めるか下腿後面の膀胱経上で氣を引き落とすように反応点を緩めることで、現在は臨床成績を上げています。

患者は六十歳、男性。職業は事務員。若いころから病気などしたことがなかったのに二年前に胃腸を壊してから元々神経質なのが余計神経質となり、この半年は不眠症となり服薬すれば何とか眠れるのだが恐ろしくて鍼灸で治して欲しいと来院。安易な投薬治療が湿邪となり腎の津液を不足させ、元々神経質で肺の巡りが微妙だったものにも障害を与えて肝にC血が溜まって不眠症となったと考え、難経七十五難型の肺虚肝実証で治療。皮膚のきめは細かく背部は総て瑚Iで行い隔愈を充分に緩めました。鍼灸治療への恐怖感も一回で消え「気持ち良かった」と帰宅。経過は二回目では眠気に襲われるようにはなったがまだ眠れないと言い、三回目では中途覚醒はあるものの眠れるようになり、現在五回目では治療中にも眠るようになっています。

 

4.結論

不眠症の経過はある程度脉診でも読めますが、基本的には患者の自己申告を信じるしかありません。言葉によるコミュニケーションは難しく失敗例の二の舞いになりそうなことが現在でもしばしばあります。不眠症は勿論ですが治療はドーゼを抑えて患者に鍼灸治療は気持ちいいと実感させることが肝要と思われます。

そして、本治法においては難経による治療法則を運用しているのですから、局所や背部\穴においても漢方医学を実践しているのですから明確な理由による選穴は必須であり、生意気ですが鍼灸師が生き残れる唯一の道ではないかと思います。

5220-0201 滋賀県彦根市高宮町日の出1406




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