鍼灸の可能性に想うA

 

漢方鍼医会  二木 清文

 

3.西洋医学と鍼灸の関わりを思う

前回は筆者が経絡治療をえらぶまでと大師匠の話を書きました。今回は大師匠の脉診から西洋医学と鍼灸の関わりについて、かなり生意気でしょうが書かせて頂きます。

前回に脉診だけで間違った証なら腹痛を起こすとか、鍼の向きが逆さだったことを見破れたことを書きました。実態はそんなものじゃなかったそうです。通常の臨床では脉診のみで総て指示を飛ばしたりせず四診法は駆使したそうですが、大抵は脉診段階で「この病気はいつ頃始まって・こんな経過で・今はこんな状態やな、よし週に何回来い、何回で治る」と宣言したそうです。また初診なのに「三十年前に結核をやったな」とか、顔も覚えてもいない再診の患者に「何年前に・こんな病気で・何回来たな、経過はこんなものか」とも診察したそうです。

どうしてそんな技術が身に付いたのか、多分指先で脉状を徹底的に覚え込むしかなかったのでしょう。事実、丸尾先生も助手時代には緊脉や弦脉というのは痛みを表す脉であって寸関尺は天人地に一致し左右も一致しているから、患者のどの部位に痛みがあるかくらいは不問診で診察できたと言われていましたし、筆者も主訴部や磁石のついている部分くらいは脉診出来たのですが、治療の主体となると証判定に一生懸命で余裕がなくていつの間にか出来なくなってしまいました。その点でも大師匠の脉診は如何に凄かったかが、お分かりでしょう。しかし、逆に言えば証決定のウェイトを減らす方法さえあれば脉状診に専念でき大師匠のような脉診が習得可能になるかも知れません。

特筆すべきは、その予後判定能力と西洋医学の病名と一致させる力です。前述のように脉診段階で治療間隔と回数を言い当てるのはもちろん、例えば頚腕症候群の患者が言われた通りの回数を通ってもまだ痛みが不十分だと余計に来院すると、脉を診るなり「おまえはもう来んでいいと言うたやろ」と瞬間湯沸器です。「そんなこと言われても痛みが」「もう三日したら治る」と本当に追い返すのですが、その通りに治ったと言いますから大した自信です。但し、治らないものは治らないと言いましたし、判らないものは判らないとも言ったそうです。これも大した人物だと思います。筆者も高校生の時に眼球痛で京大病院に入院したのですが、原因不明であることを「判りません」と正直に伝えてくれた研修医に出会い、「医者になるならこんな正直な医者になろう」と感心をしたものでした。

西洋医学の病名と脉診を一致させろとも、口を酸っぱくして言われたそうです。例えば「これは胃潰瘍だから、嘘だと思うならレントゲンでも何でもしなさい」と指示されれば本当に胃潰瘍で、「よし治ったから気に入らなかったらもう一度検査してもいい」と検査をすれば、本当に解剖学的にも治っているのです。「脉診で診断したものは必ず西洋医学で言えばこんな病気に該当すると、どのような状態にあるということが判らなければならない」旨のことを繰り返され、自覚症状のないポリープのようなものまで言い当てたそうです。

大師匠流本治法で作った脉を一度だけ見せてもらったことがありました。鍼管を使ってかなり深く刺鍼もしていたことから血に対するアプローチだったのか、凸凹が整っているのはもちろんですが太い脉でした ⇒ 柔らかさに関しては久しぶりの手技なので正当な評価は出来ませんが深浅の幅は少なかった(薄かった)ように思いました。病理考察というものがあったのかどうかは判りませんが、おそらく大師匠自身は古典もかなり読まれていたので触覚による脉状オンリーでなかったと思いたいのですが。

何故、筆者が大師匠そのものを直接知らないのか?筆者が弟子入りしたときには既に故人だったからです。ご自分の脉を診ていなかったのか,いや脉状が大師匠と言えども詠みきれなかったのか?体調が優れず弟子にはさせなかった按腹が疲れるようになり、奥さんが「鍼だけにしたら」というと「患者の身体を色々触らんと判らんから」とのことだったそうです。誤治をしたときには丸尾先生も筆者も気分転換に治療室から外に出ることにしているのですが、大師匠は手直しの鍼を素早く行うと奥さんに「見とけ」と命じて二階に上がられ、周囲は書物を調べているのだろうと思っていたのが実は神棚に向かって般若心経を上げていたことを後で聞いたそうです。また夜にはしょっちゅう泣いていたとも聞いていますから、やっぱり人間だったんですねぇ。死因は頚部リンパ腺癌だったそうです。医者の不養生とはまさにこのことを言うのでしょうか。「弟子達のために」と行われた病理解剖に丸尾先生は最後しか間に合わなかったそうですが、小指頭にも満たない癌が原発部位だったとのことです。「あと10年あったら全国に一派を立てるのになぁ」が病床での言葉だったそうです。大師匠が生きておられたら鍼灸業界は本当に変わっていたかも知れないと思うと、一度だけでもお会いしたかったですね。

  3.1 助手として修業

ここから筆者の話に戻ります。短期間で緊急スクランブルがこなせるほど治療室見学は大きな体験となり、助手として修業する決意を固めたのでした。ところが、洋上大学ではあれほど絶大なる効果を発揮した経絡治療なのに外来臨床に投入すると効果が出ない。考えてみれば洋上大学での患者は年齢も若いし発熱していると言っても一過性の病気だから経絡さえ動けば大抵は治って当然で、対して外来患者は何人もの先輩達が手を変え品を変えで安い料金を目当てに通っているのだから治るはずがありません。この現実も助手として修業をしなければならないと決意させた一因でした。

話が少し飛びますが、経絡治療のような専門課程教育からすれば「面倒くさい技術」に、何故それほどまでにこだわるのか?答えは前述の外来患者を作り出している現状にあると思っています。そして、師匠の次女を家に送っていく最中に通行がなかったので赤信号を待ちきれずに渡ろうとしたら「お兄ちゃんは悪いことをする」と言われたのです。赤信号で横断することが違反だというのは大人から教えられたことなのでしょうが、その訴えかけは小さな純粋な魂からの「正義」だと直感しました。この「正義」を守ることは経絡治療を行うことだと確信したので、それ以後は総てが経絡治療を基準とすることに揺らぎがありません。違う例えでは、名古屋の天野靖之先生が、中途失明から按摩屋に就職して二ヶ月目に収入が二位を記録したそうです。でも、漏れてきた患者の声は「今度来たのは力があって強揉みが出来るぞ」!!これでは患者を治しているのか逆に破滅に導いているのか判らないと、すぐに辞めて鍼灸専門の道に進まれたそうですが、その後も「治してしまったらもう来てくれなくなるじゃないか」「当たり前だ、来てもらわないようにするのが仕事だ」と盲学校の先輩達と散々やり合ったそうですまさに同感ですね)。鍼に頼った生活をしてもらおうと言うのが目的ではなく卒業してもらうのが目的で大師匠のように総てに近い患者に最初から治療回数を宣言したいのです。だから脉診には無限の可能性を今でも感じるのです。

大師匠の考え方、つまり脉診と西洋医学の診断結果を一致させなければならないという話をしてみると、ほとんどの先生は「鍼灸は鍼灸独自のことをやっているんだから、西洋医学の結果を気にしながら行うことはない」と言われます。確かにレントゲンでは腰椎ヘルニアが出ているのに痛みが止まってしまったり、逆に検査では何ともないのに症状が出て苦しいというケースは溢れています。後述しますが緑内障や胆石のように、物理的障害があっても鍼の届かない内部のこともあります。それでも「優れた医学とは、この医学で表現すればこの表現になる」と翻訳が出来るものであって、唯一翻訳の出来ない医学が西洋医学だと感じていますが、筆者の浅学のせいでしょうか?

筆者の助手時代は、徹底的に脉状にこだわり「こんな症状はありませんか」と問診をしました。何故なら助手が間違っても「まだ修業中だから」と笑い過ごしてもらえるし合っていたなら「先生の教育がいい」と、どちらに転んでもいい方に解釈してもらえたからです(もちろん筆者の助手達にも同じことをさせています)。これでト脉での風邪や命門での妊娠や疼痛の程度や経過などは診断する自信がつきました ⇒ 重按からゆっくり指を軽くすると同じ脉位でも硬さが変わり、遠い時間が重按で経過とともに浅くなっていると筆者は診ていますから、一週間程度なら「この日の状態はこうだった」くらいはすぐに身に付くと実感しています。癌が特有の脉状になることは既に何度も発表されていますが、人工透析の脉を触られたならあれが多少おとなしい程度で蟻ありが無秩序に這い回っているような嫌な感触です。他にもまだうまく表現出来ませんが胃潰瘍やバセドー病などの脉状も発見しています。

ですから、筆者も脉診と西洋医学の診断は一致させなければならないと考えます。現代医学の言葉を東洋医学に置き換えるのは池田政一先生が既に行われている仕事で参考にさせてもらっていますので、もう一歩進めて「これは西洋医学で言えばこうなるだろうが、ここの部分は西洋医学では該当しないが東洋医学の言葉ではこうで例え話をするならこうなる」と、バイリンガルを目指して努力中なのです。

 

4.自らの体験

 4.1 緑内障発作

筆者は先天性緑内障です。もう8年前のことですが調子が悪かった水泳大会の夜に緑内障の大発作を起こしてしまいました。少しでも動けばまた発作が起こるのではないかと恐怖し、やっと鍼を持ち出したのは明け方近くで3時間を経過していたでしょうか。夢中だったので証は覚えていません。まるでテレビのモザイクが一面に掛かったようにしか見えず「今日は仕事を休んで眼科で診てもらおう」と思っていたのですが、「いや、待て。失明したら鍼の限界を悟れるし、見えるようになったら鍼の可能性をもっともっと追及できる」と、どちらでもポジティブに考えるようにしなければ自分のことを信用して来てくれている患者に申し開きが出来ないと考え、そのまま根性で仕事を続けました。主な証は脾虚肝実で治療し眼球周囲を緩める以外は敢えて標治法をしなかった結果が、今も鍼灸の可能性を追求し続けているのです。

 4.2 胆石の経験

今まで腎石を落とすのは「医道の日本」誌に発表した帯脈流注治療などを用いて、膀胱経二行線や鼡径部が緩まれば落ちると確信できたので得意としていました(これこそ病名がハッキリするしレントゲンには写りやすい)。ところが、胆石については落とす方法の文献があると聞いたことはありましたが具体的なことが判らず、調子の悪い患者を回復はさせられても落とすことは出来ませんでした。しかし、ついに我が身にも胆石仙痛の洗礼が... 

夜中に腹部の何とも言えない鈍いような鋭いような痛みで目が覚め様子を伺っていると胆石に間違いなく、まずは指で経穴を探って肺虚肝実であることを確認し最初は毫鍼で施術するものの不快な響きが残るので、瑚Iに切り替えて治療すると明け方にはまた眠ることが出来ました。もちろん治療は時間があれば何度でも繰り返していましたが、当日は仕事中に不用意に力が入ると深部が響いて、早く歩くことも出来ません。夜は痛みを覚悟していたこともあって5時間の睡眠でも身体は楽になり、明くる日はチリチリする程度で普通に近かったのですが... 午前の患者も最後の標治法を残すのみとなり、ちょっと休憩とイスに向かっていたときに「うっ!!!」。

胆石仙痛は脂汗が出ると言いますが、それどころかいきなり息が詰まって動けなくなりました。どうやってベッドまで這っていったのか、途中から切り替えていた瑚Iで脾虚肝実で治療すると胆を瀉している最中に石が落ちていくのが判ります。その後4時間ほど発熱していましたが、済んでしまえば嘘のようで。念のために四日後に検査を受けると、医者は腎石を最初疑っていましたが腎臓は奇麗なもので胆嚢は炎症を起こしていましたが石はありませんでした。

修羅場をくぐってしまえば強いですね。その後、早速二人の胆石を落とすことに成功しています。証はもしそうでなければ脾虚肝実に仕向け、背部では腎兪・三焦兪と志室のやや内側の著明な反応と脊柱の際を緩めることがポイントと追試中です。

 

「鍼灸の可能性」をまだまだ書き尽くせませんが、恐らく素人時代に描いた魔法使いのように治す技術を習得することは、身体で覚え込めるものだと確信しています。うまく習得できない人は、順序立てが悪いのではないでしょうか。成功したからいいようなものですが、私のように「火事場のクソ力」からの発想もあるでしょう。しかし、これも順序立て復習し理論付けをすれば、新たな技術の確立となるでしょう。

今回は随分生意気なことばかりで申し訳ありませんでした。ご意見をお待ちしております。

522-0201 滋賀県彦根市高宮町日の出1406

TEL0749-26-4500



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