過敏性腸症候群について

 

滋賀県  二木 清文

 

 

はじめに

 過敏性腸症候群については毎年一度程度遭遇してきたものの、実は鍼灸施術そのものであまり苦労した経験がない。鍼灸では苦労はしなかったものの、治療全体としては苦労したことはいくらかある。これはこの疾患が気質的原因よりも精神的原因によるところが大きく、患者さんとの一体感がなくては回復しない疾患だからである。だからといって口先だけで治る病気でもなければ強引な力任せの治療でも治るはずがなく、いかに患者さんの社会的状況を理解してアドバイスが的確に入れられて、なおかつ苦痛を理解しながら鍼灸術の可能性が信じられるかに掛かっている。つまり、鍼灸師はオールラウンドプレーヤーでなければならないことを理解されてはいるだろうが、その範囲は心理学分野もカバーしていなければならないという証拠の一例なのである。

 幸いなことに今まで扱ってきた症例は全て鍼灸を信じた上で来院された患者さんばかりであり、導入部分でトラブルが発生することはなかった。いきなり「これはストレスが大きな原因ですから」などと切り出したのでは「それくらい分かっていますよ」と怒り始められるか、「それじゃ回復しないんですね」と落ち込まれるかのどちらかになってしまう。鍼灸院に来院される方の大半が口込みであるから、先に患者さん同士である程度のケアをしてくれているのはとてもありがたいことだ。逆に言えば、信頼して来院してくれる患者さんが次の患者さんの教育もしてくれるようになれば、一人前というところであろう。

 先程も少し触れたが、傍目には全く分からないもののひどいと便意を感じたなら数分以内にトイレへ駆け込まないと大便を漏らしてしまうという社会生活には深刻な状況にあるため、この疾患は患者さんのプライドを傷つけないように治療を進めることが最大のポイントだと思われる。

 

 

西洋医学的解説

 それでは、「南山堂医学大事典」より過敏性腸症候群を引用すると・・・

 

腸管とくに大腸の機能的疾患.副交感神経系の持続的緊張亢進状態によって,腸管の運動亢進,分泌亢進が起こり,腹痛,下痢,粘液便,便秘,腹部膨満などを起こす.便通の状態により,便秘型,下痢型,下痢便秘交代型に分けられるが,同一例に種々の型が出現しうる.便秘は腸運動・緊張の亢進による痙攣性の便秘であり,便は兎糞状となり,便遺残感などを伴う.下痢型は,しばしば突発する腹痛とともに起こり,排便により寛解する.粘液便mucous stoolを伴うことが多く,粘液仙痛*,神経性下痢nervous diarrheaなどともいわれる.青壮年層にかなり高頻度にみられ,精神的ストレスや環境の変化によって増悪することが多い.食物繊維との関連も指摘されており,低繊維食が内圧の亢進をもたらすといわれる.治療は抗コリン薬を中心とした薬物療法に加え,心身症的アプローチも必要なことがある.

 

 ということで一般的には下痢が止まらないことばかり注目されているが、実際には下痢から急に便秘になったりその逆で便秘が続いていたものが急に下痢になったりしているケースも多く、過敏性腸症候群とは気付いていないままに来院されることもある。

 西洋医学的アプローチとしては下痢止めの処方や大腸の洗浄であるが、いずれも対処療法であり心療内科を受診している患者さんも多いが、根本的な治療法は確立されていない。

 

 

東洋医学的病理考察

 さて私の所属する漢方鍼医会では、単に脉診や腹診から感覚的に証決定をしての経絡治療を行っているわけではなく、四診法の総合判断はもちろんのこと五臓六腑に生理があるなら病理もあるはずで、診察から診断・治療効果の判定に至るまで病理考察を重視している。実際に古典を眺めると生理や病因も多く見かけるが、実は一番多く見かけるのは病理なのである。しかし、この過敏性腸症候群では内因(内傷)である七情の乱れから病が始まっているのが明白で、さらに患者さんの感受性によって状態はどんどん変化してしまうために、五臓六腑のバランスだけでは語れないところが特殊といえば特殊であろう。もちろん心理的変化も全て病理考察の中に組み込んで説明するわけだが、この文章では個々の症例までは取り上げていないので割愛する。

 七情の乱れとは、ご存じのごとく喜・怒・憂・思・悲・恐・驚が限度を超えて自らを襲うことであり、あまり喜びすぎて体調がおかしくなったという話は聞かないが怒りや驚きなどで病臥に伏したという話は聞くものである。思いを過ごして悩んでいたり恐れから気質的変化を起こしてこの病状を発していることは容易に想像でき、五行の色体表と合わせて関連臓腑の変動が大きいとまず診察をする。他の変化であっても同様である。さらに既往症や七情の乱れから脱出できない要因を探り、関連臓腑との関係を考察していくことになる。

 生理から見れば一番関連の深い臓腑は脾胃であり、過敏性腸症候群を一言で表すなら脾の統血作用が低下したからに他ならない。また胃の受納・化成作用がうまく機能していなかったり小腸の清濁を分ける作用が機能していなかったりと、胃腸の働きによるところも大きい。脾虚陽虚証・脾虚陰虚証あるいは脾虚肝実証として治療するケースは多い。しかし、裏急後重がひどくて貯蔵している血そのものの不足に陥り肝虚陽虚証になったり、清濁の分離が不充分なために体質的C血が溜まりすぎて難経七十五難型の肺虚肝実証で治療しなければならなくなったりと、証は一定しないので慎重な診察・診断が必要である。

 鍼灸施術で毫鍼を用いる場合には、刺鍼時に痛みを絶対に発生させてはいけない。患者さんは元々の精神的苦痛と大便の状況を常に心配しているのに、さらに刺鍼時の痛みに対する恐怖と戦わねばならないようではどうひっくり返しても治療を途中で放棄されてしまうからである。腹部の灸頭鍼は温熱作用も加わるので効果的と思われるが、それは施術者の論理であり効果があるなら何をしてもいいということにはならないだろう。腹部に不安を感じている患者さんに太い鍼を突き立てて着火までしているでは、もう治療ではなく恐怖以外の何物でもない。腹部の施術においても必要な時間帯以外はタオルで覆い隠しておくなどより細かな配慮で患者さんの気持ちから引きつける必要がある。私の治療は瑚Iのみでの経絡治療であり、瑚Iでは絶対に痛みが発生しないので有利である。痛みを発生させないためだけに瑚Iを用いているわけではなく、より厳密に衛気・営気を操作するためには毫鍼よりも瑚Iの方が適していると臨床の中から答えが出てきたので、当然の選択をしただけなのである。大切なことは治療効果が発揮されることであり、その結果は患者さんが決めてくれるだろう。

 

 

心理学からのアプローチ

 これは全ての臨床においても言えることであるが、前述したように口先だけでも力任せの施術でも治すことの出来ない症候である。それだけに心理学的アプローチを熟知しておくことは肝要で、付け焼き刃で本を読んですぐ患者さんへ裏付けもないのに言葉だけで伝えるような生療法は大ケガの素になるので、絶対に避けて頂きたい。

 私は心理学を独力で修得したのであるが、少なくとも複数の立場から書かれた本をいくつも読んだ上で講演を聞き(録音の場合にはやはり複数を繰り返し聞いて)、さらに自己トレーニングを積んだ上で軽微な症例から実践に踏み出していく必要がある。私はレベルは低いものの現役アスリートであるからまず自分のスポーツに対する心理的分析から始め、自分のイメージトレーニングから実践して、中学生のまだ経験の浅い選手の治療で他人への実践へと踏み出したのである。くれぐれも心理的アプローチは机上の空論であってはならない。患者さんを不幸に陥れないために、客観的自己分析の出来ない治療家は心理的アプローチを行わないで頂きたい。

 

 

ストレスを貯めない?

 ところが、心療内科という専門分野を含めて困ったことを平気で口にする治療家が世間にはいるので、路頭に迷わされている患者さんが多いことは目を覆いたくなる。最もよく耳にするのが「この病気はストレスが原因で発生してきたものだから、ストレスを貯めないようにしなさい」と無茶を言われるものである。ストレスが原因で発病したものだと周囲から忠告されたり、あるいは自分でも判断できるから治療を求めてきたのに、今さらそんな診断は不要なのに得られた結果がこのようでは、余計にストレスが貯まることなど明白である。「ストレスを貯めないようにしなさい」という治療家の言葉が、また新たなストレスになることをどうして気付かないのか不思議でならない。「あんたのその言葉が一番ストレスなんや」と言い返してきなさいとアドバイスするくらいである。余談であるが、本当に言い返してきた人がいてスッキリしたとのことであった。

 まずストレスは絶対にたまるものだと割り切ることであり、それをどうやって早く処理していくかが勝負の分かれ目だということを理解されたい。対処法については後述するので、まずは患者さんに「ストレスが貯まること自体は悪ではない」ことをきちんと理解してもらえるかどうかなのである。例えば必ず出てくる生ゴミのようなもので、日常生活からは必ず発生するのだがきちんと整理すれば不潔にならず綺麗なものなのに、整理が悪ければ不潔で悪臭も発生し生活そのものに害を及ぼしてくるのと同じである。生ゴミと同じくストレスの発生が即座に害にはならないのだから、どのように合理的に遅滞なくきちんと片付けられていくかなのである。

 

反芻思考に陥らない

 心身症で一番多く単純であり、理解しやすく誰もが経験したことのあるものが反芻思考であろう。反芻とは同じ動作を何度も繰り返すことであり、同じことを何度も繰り返し考えることにより思考も触覚も時間感覚でさえ歪んでしまうことを意味している。

 牛は草食動物であるが草を一気に消化することはさすがにできず、四つ持っている胃を使って順番に食べた草を移動させることにより消化させていて、一度飲み込んだ食物を口に戻してかむことを反芻という。繰り返し味わうことであり、当然その間に消化物は素の形とは全く違うものになっているだろう。

 人間が食物を消化する時にも自分の都合のいい形に変えているわけだが、時によってはそれが未消化で気持ち悪いものになっていることを誰もが経験されているだろう。反芻思考とはまさにこのことで、例えば旅行中の留守番をしてくれる人が普段から仲の悪い人しか頼めなかったとしたら、旅行中から家のことが常に気になるだけでなく帰宅後に点検をするとあれもこれもが気に入らないとんでもない状態にひっくり返されているようにさえ思える。何度も何度も家のことを気にしていたのに「やっぱり」という感じなのである。イライラしてコーヒーを飲もうとしてもマグカップはいつものところになく、もっとイライラしてシャワーを浴びてもお気に入りのシャンプーまでもが手に届かない・・・。ここで文字通り水を浴びせられてふと我に返ると、「あいつは絶対に私の気に入らないことばかりをやっているはず」と繰り返し思い続けていたことに気付き、普段から仲が悪いのだから最低限の点検をしたに過ぎないと冷静になればシャンプーはそこにあるしマグカップだっていつものところにあったのである。

 反芻思考に陥っていると麻薬中毒でもないのにこのようなことが実際に発生し、いかに人間の感覚というものが時間を含めて客観的ではなく主観的なものかということが分かるだろう。100m競走中の時間感覚や思考回路を思い出しても同じことが分かるだろうし、睡眠時の感覚などはまさに主観的に他ならない。そして反芻思考に陥らない方法と脱出する方法は同一で、「今私は反芻思考の中にあるのではないか」と自問自答することなのである。自問自答が出来れば、その瞬間から脱出が出来る。

 「精神という海を病者は溺れ修行者は泳ぐ」といわれるように、紙一重のものだろうがコントロールできているかどうかが大切である。患者さんにこのような例えを説明することがポイントであろう。

 

ストレスを抜く方法

 ではストレスを抜く方法であるが、これといった決まりはない。決まりがあるとすれば、その人が夢中になれることを夢中になって取り組むことである。私の場合なら前述のように現役アスリートであるから、スポーツに興じることが一番のストレス解消法である。末期の癌患者さんが来院されている時などは寝ても覚めても気になって仕方ないのだが、泳いでいる最中にもそのことを考えていたなら背の立つ温水プールなのに溺れそうになったことが実際にある。これでは他の患者さんにも悪影響だと身を以て知らされたので、走ったり泳いだりボールを蹴ったりなどスポーツをしている時にはスポーツそのものに取り組むようにしている。すると15秒間真っ白になってスポーツのことだけに集中しただけで、ストレスは驚くほど抜けてしまうのである。読書でも音楽鑑賞でも料理でもドライブでも園芸でも何でもいい、とにかく夢中になれる時間を作り出せるようにすることである。さらにその手段が直ちに実行できないこともあるので、二番目・三番目と持ち駒は多ければ多い程良い。

 ところが意固地な人がいて、「私のストレス解消法は演劇鑑賞だ」と自信満々にいうからビデオを見るのか所属している劇団の練習にでも参加するのかと思っていたら、何とチケットセンターに行って予約をしてきたという。人気のミュージカルなどは数ヶ月先の予約しか取れないだろうから「その間はどうするのか」と聞くと、その期日が来るまで楽しみに待っているのだという。期日までには様々なことが発生するのだから他の手も尽くすように進言したが、「これが一番なんだ」と聞き入れてもらえなかった。不器用な人だと片付けてしまえばそれまでだが、明らかに自分で反芻思考の状態に陥れているとしか評価が出来ないだろう。脱出方法は前述の通りである。

 ストレスというものは自ら作り出さなくても必ず向こうからやってくる。しかし、誰かの行動によって自らが動かなくてもよくなったり、時間経過とともにどうでもよくなったりと自然解消するものも多い。社会的不安のように、自分がバタバタ動けば余計に混乱してくるものもある。だからストレスを入れておくバケツが一杯にならないように、適当に調整しておけばそれだけでいいのである。ただし、飲酒は調子のいい時には潤滑剤になってもストレス解消法にはなり得ないので、飲酒が趣味だという人にはご用心ご用心。

 

 

臨床例

 過敏性腸症候群はその人の感受性より不消化の精神状態から発病してくるものと捉えていいだろう。社会的・人間的環境から若年層では女子に、中年層では男子に発病することが多い。

 患者は高校二年生の女子。発症は三ヶ月前からで、持続的な下痢でお腹に力が入らず授業にも集中できない。病院へは通院しているが、あまり症状の改善はない。両親の薦めで来院したが、鍼灸という響きだけで最初は拒否反応を示していた。脾虚陽虚証で治療し腹部は電気ホットパックで温め、標治法は背部に軽く散鍼程度とした。継続治療には応じたものの午前の授業を休んで来院したりもするので叱ると、今度は口を閉ざしてしまった。最初から内因が病の本体だろうとは思っていたが、自分の部活もうまく行かなかったので辞めた上に憧れの男子には恋のライバルも多く、男子の所属する部活のマネージャーに転身までしたのだがマネージャー間の折り合いが悪くて何もかもが膠着状態になっていることを聞き出した。

 反芻思考に陥っていることを高校生にも分かるように話を崩しながら説明し、男子のことは簡単には割り切れないだろうから、まずはマネージャー間の問題を解決するように部活の進退を決断させたところ、マネージャーを辞めてから回復し始め鍼灸への誤解も解けて二ヶ月で完治した。

 その他にも臨床例があるが、社会人の場合には転勤や配置転換を希望してもらうことが多い。もちろん鍼灸治療のみで回復したケースも多く治療直後に劇的な回復をしたケースもあって、これは純粋に鍼灸施術が過敏性腸症候群にも有効であると評価していいだろう。しかし、ほとんどは通院されることで何かのストレス解消にもなっていたことが手伝っているだろう。服薬と併用しながら回復したこともあるが、鍼灸と薬剤の優劣は判定しにくい。いずれにしても刺鍼さえしていれば回復する症候群ではないので、患者さんへの態度を時には優しく時には厳しくと柔軟に対応させながら鍼灸術というものの可能性を信じて取り組んで頂きたい。




論文の閲覧ページへ   資料の閲覧とダウンロードの説明ページへ   『にき鍼灸院』のトップページへ戻る