2005.9.11

入門講座 基礎講義

 

肝実の理論、その病症と治療

 

二木 清文             

 

 

 

  (新井)それでは、これから九月の入門講座を始めていきます。今まで入門講座ではずっと証を導き出す時に、肺虚だとか脾虚・腎虚・肝虚というような一経の治療から陽経に移ったり、六十九難型といって肺経とその親の脾経あるいは脾経と心包経・肝経と腎経・腎経と肺経のように二経連続で補う治療で証を立ててきました。そして、皆さんが段々証を導き出せるようになってきましたから、今日は七十五難型という治療法を勉強していきます。これは肺虚肝実証、つまり陰実・お血の治療法となっていきます。このことを理論と手技・手法まで織り交ぜながら、午前中の話だけでなく午後も残って頂き手技・手法を行っていきます。それでは、よろしくお願いします。

 

 

  (二木)えーっと、マイクを持ちながら喋るというのは小指が立ちそうなので困っているのですけど(笑い)。いつも滋賀で話をする場合には余計なことをしないように、それから点字を読みながらですからこのあたりはちょっと想像と違っていましたね。滋賀県から来ました、二木といいます。声が目立ちますから多少はご存じのことでしょう。

 家を出る時には普通の通りにやればいいだろうと思っていたのですけど、これだけずらりと隙間なく並んで、頂いて、今から緊張をします。先週は駅伝大会でアンカーだと聞いていたのですけど、「会場へ着いてもまだ一時間くらいは寝ていられるなぁ」とまだ身体が寝ぼけながら行動していたらいきなり「選手の都合でトップを走れ」といわれて、慌ててうまく走れなかったのですけど今は二週連続で同じことをやっている心境です。

 それで資料が膨大になっているのですけど、一部は読み飛ばすかも知れませんがまた家で読み返しておいてください。それからこれは途中に書いてありますけど、これは滋賀で発行している黄色いテキスト『経絡治療の臨床研究』の付録の中に「陰実証の研究」があり、そこから抜粋してきました。時間があれば後で宣伝しますので、無理矢理時間を作って宣伝しますのでお持ちでない方は購入していただければより分かりやすくなると思います。では、早速進めていきます。

 

 

 結論からいうと肝実証と陰実証は=(イコール)なのですが、肝実証には肺虚肝実証と脾虚肝実証があり、さらに肺虚肝実証は普段治療している六十九難型の治療法則ではなく七十五難型という治療法則でないとなりません。

 先程新井先生が「今日は肝実のことをやるんだ」といわれた時に肺虚肝実証のことだけをいわれましたが、肺虚肝実証と脾虚肝実証の二種類があります。それで、先程もいわれたように肺虚肝実証というのは七十五難型というこれ専用に作られた治療法則と表現すればいいのか、今まで学習されてこられた「六十九難型の枠の中で治まらないから」ということで特別に一つ設けられた難であり、これで治療をするんだということです。そのための肺虚肝実証というのが一つ。六十九難型で治療できる脾虚肝実証というのが一つ。この二つをやっていきます。

 まずは『用語集』より、陰実証の定義を転載します。

 

 

■■陰実証

 陰気が虚した時に陽気がその代わりに入り込んで停滞した状態。血が停滞した状態と言い換えても差し支えないだろう。ただし臓の生理を考慮すると陽気が停滞できるのは肝しかなく、陰実とは肝実のことであり、肝実は即ちお血と解釈して差し支えない(熱血室に入る)。

 実熱による内熱であるが、陰実特有の病症を一見して判断することは非常に困難である。なぜならその時の熱量によって病症が変幻自在に変化し他の病型と酷似するためである。守りが弱くなっていたところへ外邪に急襲されいきなり腑の熱となったり外傷による緊急事態は高い熱症状となり陽実証と酷似する。また急性から慢性へ移行したり邪正抗争をまだ盛んにできる状態であれば熱症状はまだ強いので陰虚証と酷似するあるいは体質的に多量のお血を有したり慢性痼疾となれば経絡循環を阻害し冷症状となり陽虚証と酷似するからである。

 治療はお血を流し解消させる。脉は基本として沈弦トだが、左関上に「結ぼれるが如し」という押し切れない脉状が触れる。しかし、決して強く触れるばかりではないので脉差ではなく必ず脉状で判断するように注意が必要である。

 

 

 『用語集』を持っておられる方も多いと思います。ここにもおられる隅田先生にもプロジェクトに入って頂いて作成したものなのです。

 まず「実」という定義なのですけど、用語集の前後を読んで頂くと分かるのですけど「実」というのは陽気が充満・停滞した状態のことをいいます。だから「邪が入っている」というイメージをしないでください。あくまでも充満・停滞です。

 せっかく四大病型というものが出てきましたので簡単に復習しておきますと、陽実・陰実・陽虚・陰虚の四つのことをいいます。「虚」の方から説明した方が分かりやすいので先にしますと、陽虚というのは陽気が少なくなった状態のことをいいます。陽気というのは暖かみをもたらす気と表現したらいいのでしょうか熱をもたらす気と表現しましょうか、いわゆる「気」と表現しているものですからこれが不足した状態ですから冷えを現します。陰虚というのは陰気が不足した状態、陰気というのは冷やす気ですからこれが不足した状態なので受動的な熱が出てきます。だから陰虚は内熱です。「陽虚外寒・陰虚内熱」と盛んに少し古いテープや池田先生のテープを聴かれると出てきますし、「漢方鍼医会発足のきっかけは何だったかといえば陰虚が分かったからだ」と福島先生が一年のうちに六回か七回はいわれていますけど(笑い)。

 実というのは先程も述べたように、充満・停滞のことです。陽実というのは陽気が充満・停滞した状態ですが、陽気ですから当然陽の部あるいは表面といった方がいいのかもしれませんが激しい発熱が一番の症状です。子供などがカーッと激しい熱を出してきているものがそうです。よく「熱が出たら熱いうどんでも食べて布団をかぶって寝ていたら治るんです」という人がいますけど、これは陽気が陽の部位に充満・停滞しているのでそれを汗をかくことによって停滞していたものを排出するので治るのです。

 それで陰実なのですけど、パッとイメージ的では陰の部位に陰気が停滞したことじゃないだろうかと想像されると思います。そうではなく、素問にちゃんと書いてあるのです。「陰の守りが弱くなったところへ陽気が走ってきて充満・停滞する」のだと。陽気という奴は足が速いですからね、タッタッタとね(笑い)。どこかの「ネズミ小僧」のように、隙あらば入り込むみたいなものですね(笑い)。陰の守りが弱くなったり書かれていたように外邪に急襲されたりなどの状態によって、陽気が走ってきて充満・停滞した状態なのです。だからまず間違いなく熱症状、しかも内熱であって受動的に発生したものではなく自ら発生している能動的な熱であることを覚えておいてください。

 ちなみに中が冷える、陰気が多くなりすぎる状態がないのかといえば陰盛というものがあります。通常の鍼灸院においては、なかなかこの状態の患者さんは来られないでしょうね。もう手足がガタガタ震えるほど寒いという、起きていてもすぐ立ちくらみのような状態になって寝ないといられない布団をいくらかぶっても寒いという状態です。僕は何回か診たことがあります。しかし、うちの助手が虫垂炎になって夜中にビールをコップ二杯ほど飲んだところへ突然来てくれといわれて「なんのこっちゃい」と思っていたら、ものすごく手が震えていたということがありましたけれども、これとは違うので区別してください。詳しくはまた用語集を読んでいただければいいと思いますけど。

 

 それで後の方で何度も出てきますけど、陰実特有の病症というものを見極めるというのが、これが困難で困るのです。逆に言えば、特有の病症はないといえばいいでしょうか変幻自在なのです。「ゲゲゲの鬼太郎」は鬼太郎の顔もしているでしょうが、色々化けますしね。もっといい例が「せんとちひろの神隠し」の「顔なし」みたいなものですね、「顔なし」の顔もあるのですけど化けてしまうとそれ自体になってしまうという、まぁそんな感じを思っていただければいいでしょう。今年の一月に屋久島へ行ったのですけど、「どこかで見た風景だなぁ」と思っていたら『もののけ姫』の舞台だったんですね。

 まぁそのようなことで、ここにも書いてあったように熱量が高いと陽実証と酷似した病症。それがちょっと進行すると陰虚証と酷似した病症。もっと進行するとお血ですから全体の流れを阻害して表面が冷え始めるのですが、中には熱があるので便が乾かされて便秘をしているのに胃はお釜のように炊かれてしまって食欲はあるし、熱は上へ上がったり横へも行きますから腰痛がする・肩こりがする・頭痛がする・やる気がしない、そのくせ食欲があるのに「痩せたい痩せたい」と横着なことをいうおばちゃんの症状になっていくわけです(笑い)。

 まず概略を押さえて頂いて、次へ進めた方が分かりやすいでしょう。時間的にギャグを織り交ぜるのが難しいなぁ(笑い)。

 

 

 まず診断でのポイントですが、理論的にも陰実証は全体の半分はあるので常に「これは陰実証の可能性がある」として診察を進めていくことです。極端な話では中学生の男の子でも目の酷使によって近眼が急激に進み、これによって肩こりや頭痛が発生している場合には肝に貯蔵している血がお血になってしまい、陰実証での治療が必要となります。更年期以上の婦人で不定愁訴であればほとんど陰実証でしょうし、時期や程度に関係なく自発痛のある場合もまず陰実証で治療しなければなりません。自発的症状と表現しておく方が的確でしょう。

 運動器疾患の治療が多い鍼灸術ですから、自発痛の有無というのはとても大切です。程度に関係なく、自発痛のあるものは自発痛として分類し陰実証の可能性を大いに考えます。また仰臥位など一定の姿勢なら痛みは感じないが、それ以外だと痛みを感じるものも自発痛の部類に入れておく方が診断としては好都合です(腰椎ヘルニアなど西洋医学的にしっかり病名のつくものが代表例です)。ただし、腹痛に関しては冷えからのことも多いので慎重に判断してください。

 もっと正確には、自発的症状がある場合には陰実証の可能性が非常に高いと表現しておく方が的確でしょう。自発的症状というのは何かに夢中になっていてもどこかで気になっている症状があることを指して表現しています。腹部の不快感や頭重や眼精疲労などが該当しますし、常につらい肩こりもそうです。ずっとイライラしているのもここに分類してしまう方がいいでしょう。逆に立ち上がる時だけに感じて仕事中は忘れている腰痛などは、無理に陰実証の方向で診察しない方が的確です。

 

 

 実技にも関わってきますが、ここが一番のポイントです。

 先程から「陰実証特有の病症というものがない」から診断に困ると話してきました。分かりやすいように、先に七十五難型を発見した時の話をしましょう。私が開業をしたのが平成元年ですから十七年目に入っているのですけど、漢方鍼医会には最初から参画しています。うちのホームページを見ていただければ分かるのですけど、漢方鍼医会一周年の時に一度だけ製作したという、桜の木で出来た門標があります。あれは忘れもしない漢方鍼医会が始まった年だったのですが、今も来院されていますけど定期的に健康管理で通っておられるおっちゃんが調子よかったはずなのに「これから行ったらあかんか」と突然電話を掛けてこられたのです。「何だろう一体」と思っていたら、「今日は急に暑くなったものだからクーラーが会社で入ったのだけれど、たまたまクーラーの前での仕事で風が腰にまともに当たり朝はピンピンしていたのに途中から腰が痛くなり、電話を掛けた時には立てない状態だったので慌てて飛んできた」とのことでした。脉診をすると不思議なことに腎の部位、つまり左尺中がほとんど触れなかったのです。他の部位はしっかり指に触れているのにです。「ハテナ?なんだこれは」、本人は痛みをしきりに訴えておられるのにです。この時にはたまたま肝の脉がガンガンと打ってきていましたけど。

 それまでは七十五難型というのは過去の遺物のように教わっていましたから、「あり得ない話ではないだろう」とは思っていたのですけど・・・。ここにも書いてあったように症状が変幻自在に出てきますので理論的にも半分は陰実なのですから、陰実は常にあると診察の段階で考えておいてください。しかし、その当時は陰実どころか四大病型も理解しきっていませんでしたから「さぁこれは腎虚なのか脾虚なのか、肝虚はないなぁ、やっぱり腎虚か?」と思っていたのですけど、その割に肺の脉はあまり沈んでいない。あまりに症状が強い・自発痛である・突然に出てきた・・・、「待てよ池田先生が何やら話しておられたしこれだけ見事に腎が抜けているということは・・・」。福島弘道先生や井上恵理先生のテープを聴いていて七十五難というのは何度か出てきていたのですが、分かったような分からないような講義でしたし僕の理解が多分追いついていなかったのでしょうけど、どうも最近聞き返してみると先生たちも途中から言葉を濁してはおられました。

 「ひょっとしたら」と思い、どこかで復溜を使うとあったのを記憶していたので復溜に指を当ててみたのです。何も変化が起こりません。「なんだおかしいな、脉は腎が抜けているのにと思っているうちに、その肝の荒々しい脉が治まったと同時に腎の脉も出てきて「あぁ楽になった」と患者さんもいわれたのです。急いで他の部位の脉を診てみると荒々しい上にトもあった脉がほとんどなくなっていたのです。「これはひょっとしたら七十五難かな?」ということで、復溜に一本施術してみてその後は陽池へも施術したのですけど、ここはほとんど「神の啓示」のような世界です。何故かは分からず、後から理論を考えた次第です。このようなことで七十五難の治療を発見したのです。

 今年も暑かったですけれど、この年の夏は忘れもしません今年以上に暑かったのです。どうしても暑いと気の流れも悪くなりますし、汗によって水分が失われますのでお血も濃くもなりやすいです。お血の中にもまだ水分がありますけど、その水分までもがなくなっていきますからひからびて濃縮されていきます。そのようなことでその夏は「七十五難連発やなぁ」と喜んで診ているうちに、段々と発見をしてきたものなのです。

 

 これらを十年間積み上げてきて整理してみると、肝実として診るためのポイントというのは「自発的症状」だろうということに、ようやく今年があけた頃から落ち着いてきました(注釈:自発的症状という表現よりも持続的症状と表現した方が分かりやすく誤解も少ないという指摘を受けましたので、以後は持続的症状と記します)。そうですね、それまでふらふらしていたのが結婚をして落ち着いたから発見できたのでしょうか(笑い)。

 七月の夏季研合宿の時に、新井康弘先生が足が歩行時に突っ張れて痛むということでした。横臥位で安静にしていると痛まないとのことでしたが、長時間立っていたり歩行をすると突っ張れてくるとのことでした。診察をしていくと、どうもこれは西洋医学的にしっかり椎間板ヘルニアになっているようです。「これは肝実・陰実ですよ」ということで、かなりビックリされていましたがここにも書いてあったように、ある姿勢では楽でもそれ以外では必ず症状が発生するあるいは常にイライラしているようなものは、これは肝実に入れていいと思うのです。ちなみにこの時ですけど、診察から腎経から手を入れていくことは間違いないだろうということで僕と大阪の森本先生は肺虚肝実証で行くとしたのですが、名古屋の斉藤先生も肺虚肝実証はいいのだが腎経から手を付けて肝経を瀉すのだと主張されました。「そうじゃないだろう」といちいち検証しながら進めて曲泉に手を付けてみたのですがうまくいかない。「脉の凸凹を調整するのが我々の目指している治療ではない」ということの再確認が出来ました。

 それから常にイライラしているというのか、持続的症状のいい例がうちの奥さんなのです。中学の時にもう少しで全国大会の100m競走に出られる実力だったのですけど、三年生になった時に足の捻挫を起こしてしまったのです。片足だけならまだよかったのですがかばって練習をしていたので両足ともに起こしてしまい、しかもほとんど歩けない状態になったとのことです。西洋医学へいくら通っても治らない。奥さんは京都府でも日本海側の出身なのですが久美浜という京都府と兵庫県の境あたりになりますけどそこに軍隊上がりの不思議に揉んだりすると骨折部位が分かるというおじいさんがおられた。そこへ通って治ったことから「これは西洋医学よりも東洋医学の方がいいぞ」ということで明治鍼灸大学に入っている時にうちの勉強会へも来ていたのです。捻挫をしたその時に、非常に自分に責任を感じて自分のことをなじるように毎日過ごしている間に左の胸郭が変形してしまったのです。診察をしていくとどうも胸骨と肋骨の間の胸肋関節が乖離骨折を起こしていたようで、そこから変形を起こしていました。これが常に不快だったのです。心臓も肺も圧迫されていますし、胃も横隔膜も圧迫されているのでよほど調子のいい時には多少忘れているかという程度で、左の肩は下がっていて左の肋骨は目で見てもボコッと出ている状態でした。これで復溜に営気の手法を行うと「あぁ気持ちがいい」程度なのですけど、陽池を補うと何と目で見ても分かるくらい数ミリの単位ではありますが正常な体位に戻っていくのです。それまで下着(ブラジャー)がずれている状態だったものが、この治療をすると数日間は正常な位置にあったことを学生時代に経験していたのです。去年にうちへ来てそのまま結婚したのですけど、治療を頻繁にするようになって今はほとんど分からなくなっています。妊娠でも出産でも病院の医者は全く気付かない状態だったのです。そういう持続的症状というものを一つのメドに、診察していただければと思います。

 

 

 脉状は「結ぼれるが如し」で、上から下まで途切れることのない脉状をいいます。各部位で菽法を上から下までよく観察していると脉はどこかで必ず途切れているものなのですけど、陰実証の脉だけは上から下まで途切れていないのです。必ずしも指を突き上げてくるような強い脉とは限らず、むしろ弱々しく「被害者でございます」といわんばかりにかしこまりながら実は影の黒幕のように振る舞っているケースの方が多いくらいです。決して脉の強い弱いで判断しないでください。

 

 

 脉のところもサラッと行きます。先程述べました一番最初の七十五難は、たまたま強い脉で分かった訳なのですけど実脉というのは書いてあったように「結ぼれるが如し」という、上から下まで途切れない脉のことだけを言います。逆に言いますと、入門講座の指導の先生に教えてもらっていると思うのですが菽法脉診なのですけど、菽法というのは必ずどこかで途切れているのです。どこかで触れないところがあるのです。この実脉だけが、唯一上から下まで途切れることなく触れる脉なのです。

 今年の二月に残念ながら亡くなられた高橋清市先生ですが、その「結ぼれるが如し」という言葉を池田先生から聞いた訳なのですけど「本当にこの言葉でいいのか」と、論争になった時に東大だったかどこだったかわざわざ国語学者の先生にまで電話をして調べて頂いたのです。高橋先生はいつでも六時半から七時に掛けて電話を頂くのですけど、「あぁ朝から電話が掛かってきたから高橋先生だ」と思っていたのですが一度ものすごく寝ぼけて電話に出たものですから、それ以後は七時十五分から二十分にしか電話を掛けてこられなくなりました。「結ぼれるが如し」の結ぼれる、これは途切れていないという意味に捉えてください。そういう脉状で、決して強いわけではありません。むしろ「越後屋、貴様も相当の悪じゃのぉ」と水戸黄門に出てくる、表へ出たならいかにも被害者のように振る舞っていて裏に回れば大官様とつるんで悪いことをしている、そんな感じの振る舞いをしている脉の方が多いくらいです。

 そのようなことも合わせると、この本の原稿を書いた段階では腹診の方まで追求していなかったので出ては来ませんけど、夏季研でも行いましたし現在行っている漢方腹診でお血の状態もしっかり把握して、合わせて判断していくことが大切かと思います。

 この陰実が肝実しかないということなのですけど、続きを読んでもらいます。

 

 

1.2  病理的には肝実しか有り得ない

 では、陰実はどこに発生するのでしょうか?腑は陽であり臓は陰ですから臓に血や熱が充満・停滞した状態が陰実です。しかし、単純に脉差で「強いもの」を実と捉えてそのまま鍼を行えば誤治反応を起こしてしまうでしょう。生理からはすべての臓で『実』が発生するわけではありません。列挙してみます。

 ★心は元々熱が旺盛なのでさらに熱がこもると死亡してしまう。また、臓ではあるが陽臓なので陰実は有り得ない。

 ★肺は中空であるから充満・停滞は有り得ない。また、陽臓であるから陰実にはならない。

 ★脾は気血を製造しているところなのでここに熱がこもると直ちに死亡してしまうので実は有り得ない。また、脾と胃は密接な関係にあるので少しでも熱症状が現れると胃腸へ伝導するとも考えられる。

 ★腎は陰臓ではあるが津液を貯臓しているところなので津液が増えても冷えるだけで熱が停滞することにはならない。また、熱が停滞すると津液を乾かしてしまうので虚になってしまう。

 ★肝は陰臓であり血を貯臓している。血は熱を持っているので、血が停滞すれば熱が充満し陰実の条件を唯一満たしている。

 

 

 もう少し陰実証の具体像に触れるなら、素問には「実とは充満・停滞」とありますから、陰の部位に陰気が不足した時に陽気が走ってきて充満・停滞した状態が陰実証であり、実熱での内熱となります。生理・病理から考察すれば事実上陰実は肝実しか存在しないことがここまでで判明しました。

 

 

 はい、これは書いてある通りです。この後に「相克的には十種類考えられますよ、でも本当はその通りではないですよ」ということが煩雑ではありますが列挙してあります。今はここには突っ込まないでおきます。今まで皆さんが積み上げてこられた学習から繰り返し読んでいただければ分かることですし、分からなければ一度放置して頂き生理のことを最初から勉強した時に読み返していただければ必ず分かります。

 正直なことをいいますと、今までの部分というのは池田先生の本を三回・四回読んだら私も分かったのです。ところが、次の十項目で9は脾虚肝実で10は肺虚肝実だからいいのですけど、その他の1から8については『漢方鍼医』の第三号に初めてこのパターンを掲載したのですが1・2・3・4はほとんど「古典の学び方」からの丸写しだったですね。一度書き上げてから読み返してみると、よく分かったのです。これはその後にかなり修正したものなのですが、私が読む限りでは「かなり分かるなぁ」という印象なのですけど皆さんが今分からなくてもそのように勉強してください。漢方というのは輪のようなもので、ぐるぐる何度も勉強するようになっています。関東でいえば山手線、関西でいえば環状線です(笑い)。一週目では「あぁこんなものか」というのが、二週目になると全く違った風景が見える、三週目になるとよく分かってきますからもっとよく見える、一回目・二回目で分からなかったことが三回目で初めて分かることなどはよくある話なのです。分からなければ、ある程度のところで次へ進んで頂いていいと思います、それでもう一度回ってきた時に必ず分かりますから。もしくはどうしても分からなければ、無理に先へと進んでしまうのです。そこから少しバックすると、よく分かります。「分からないから」とそこでずっと考え込んだり、特に一番ダメなのは分からないからとポイッと投げ出してしまうことです。一時横に置いておいて前へ進むことは大事なことですけど、投げ出すことは絶対にダメです。横へ置くことと、投げ出すことは絶対に違います。そのようなことで、読んでください。

 

(注釈:講義では関連資料は読み飛ばしていますけど、ここには収録しておきます。)

 

 

1.3 脉が強くても実ではない

 「陰実証とは肝実証だ」と言い切ったばかりでありますが病理からも証明するために、かなり煩雑ですが、「公式的」に相克関係が考えられるケースをすべて書き出し一つ一つについて考察します。脉差診で強いものを「実」とすれば以下のようになりますがそれだけでは治療は成立しませんし、陰実証とは単なる凸凹を触覚のみで調整するようなやり方では治療できないという証明でもあります。

 @心虚肺実証 

 A心虚腎実証 心が虚すと死亡をするので初めからこの二つは有り得ません。ついでに、肺と心は臓でも陽臓なので陰実とは言えません。

 B肺虚心実証 

 両方ともが陽臓なので陰実ではありません。また心に熱がこもると死亡してしまうので有り得ません。後述する腎虚で心実と結果的には同じと思われます。

 C肝虚脾実証 

 肝虚陽虚証の時に脉差診ではそれらしくみえますが、病理から考察すれば陰実の重要な要素である肝が虚しているのですから実とは言えません。また脾に熱がこもると死亡してしまうので、これも有り得ません。

 D脾虚腎実証 

 これは脾が虚して腎の津液不足により腎の脉が硬くなっている状態ですから陰実ではありません。腎は津液を貯蔵しているのでその量が多くなっても冷えるだけですから、やはり実とは言えません。

 E腎虚脾実証 

 これも脾虚陽実証の時に脉差診ではそれらしくみえますが、元々脾虚であり腎の津液が不足して腎虚証に転じたものでありますから、不足した状態を陰実とは言いません。脾に熱がこもると死亡するのでやはり有り得ません。

 さて、ここまでは脉差診や脉型はそれらしくとも病理からは完全否定の組み合わせですが、本物の「陰実」と言えなくとも確実に相剋経を意識しないと治癒に導くことができないケースを次に書き出してみます。

 F腎虚心実証 

 これは結論から書くと心は陽臓ですから陰実とは言えません。しかし、病理からも臨床からも存在します。重症の場合は俗に陰虚火動と呼ばれます。房事や過労により腎精(水)が不足し陰虚証となり、上焦に昇って熱の旺盛な心がさらに熱せられた状態であります。全身的に津液あるいは陰気の不足した状態だと言えるでしょう。病症は小便自利または不利・夜間排尿・手足煩熱・口渇・動悸・胃疲労などです。

 G肝虚肺実証

 これは臨床では肝虚肺燥証のことになります。労働などで肝血が不足すると陰気陽気の交流が悪くなり上熱下冷となって肺が熱せられ津液が不足していると乾燥してしまう証のことです。したがって津液不足が肺脉を硬くしているので、不足した状態を実とは言えません。また、肺は陽臓だから陰実とはなりません。病症は咳・粘痰・赤ら顔・のぼせ・動悸・不眠などを現します。肝の陽気が収まりきれずに夜中から出てくるので夜中に目が覚めて咳をします。治療を考えると肺の方にむしろ問題がありますから魚際あたりを補う方法も考えられますが、本質的には肝虚から病気は始まっているので陰虚証の取穴にしたがって肝血を増やしてやれば良いと思われます。

 H脾虚肝実証

 真の意味で陰実とは言えませんが病理からは立派な陰実証で、肝実を意識した処置を行わなければなりません。この論文の後半で詳述しています。

 I肺虚肝実証

 真の意味での陰実はこれのみで、難経七十五難型の治療法則が適応されます。七十五難型は肺虚肝実証のみに用意された治療法則です。この論文の後半で詳述しています。

 

 

 4.1 難経七十五難型の肺虚肝実証

 治療法則として最も有名なのが難経六十九難でありますが、同時に七十五難についても語られるものの「過去の遺物」のように扱われてきました。

 難経で画期的なことは相生治療を打ち出していることなのですが、この七十五難は相剋治療であり六十九難とは違い、名称と治療法が一致しない上に汎用性もない限定した記述になっているからだと推測されます。

 お血の要因が多発している現代に七十五難型の肺虚肝実証が存在していないはずがないのです。「結ぼれるが如し」なのですから肝実の脉に対しての診断基準に問題があったと思います。基本的に証は病理で呼べば問題は何もありません。特殊な証ではないのです。

4.1.2 慢性タイプ・お血タイプの病理

何らかの原因(中絶や出産など)によってお血が発生し、その熱が腎の津液を乾かしてしまうケースです。したがって気鬱症状があっても不思議ではありません。逆に気鬱から生じることも有り得るでしょう。また急性タイプからの移行も有り得ます。「腎虚で肝実」とも表現されているようですが、肺虚肝実証には間違いはなく、結局は肺気の巡りが阻害されていることが病の本体です。

陰実の病型は「内熱」です。肺虚肝実証も長年の慢性になると表面は冷え始めてしまいますが内熱は残るので、月経との関係から女性の多くは便秘なのに食欲は衰えないので肥満となり、熱があちこちに波及するので肩こりや腰痛などの不定愁訴ばかりを訴え、浅黒い皮膚色になり下腹が膨れて硬ければ大いに疑われます。男性の場合には激症(過去・現在を問わない)によって循環障害を起こしている場合に多いようで、胃腸もしくは便の状態は訴えますが一過性のもので肥満や不定愁訴とは直接関係ないように思われます。

  

4.1.3 治療法

まず腎経から営気の手法を施します。発見当初は何かの参考書で「復溜を補う」と記憶していたので復溜のみを用いていました。これは現在も非常に確率が高いのですが、バリエーションが無いというのはおかしいと思っていました。追試の結果、復溜を用いるよりも効果の高い(復溜では充分ではない)ケースを発見し検討するとお血の度合いによるようです。お血の度合いから太谿(軽度)・復溜(中程度)・陰谷(重度)と使い分けると効果的です。

 続いて腎経と同側の三焦経の陽池にも営気の手法を施します。次に反応と脉を確かめ小腸経にも営気の手法を施します。

 

 

 急性タイプについては、一番最初に発見したもので大体は説明をしました。要するに、何かで急激に冷やされたとか衝撃とか熱を受けたことから発生してくるものがほとんどです(事故の場合は脾虚肝実になるので別に扱う)。慢性タイプのものは、今説明した通りです。あるいは、先程説明していた肝血を非常に使うような状態から他の不定愁訴が出てきていて、元々は肝血の不足なのですけどそれが一過性のものであるから循環障害からお血に変わっていくというものもあります。お血で全体の循環が阻害されているから自発痛が発生していると、覚えておいて頂いて良いでしょう。

 

  (隅田)ここに「男性の場合には劇症(過去・現在を問わない)によって循環障害を起こしている場合に多いようです」と書いてあるのですが、具体的にはどのような劇症を指しているのですか?

 

  (二木)例えばぎっくり腰の強いようなものであるとか捻挫などもそうですし、男性の場合にはものすごくビックリしたこと例えば交通事故を目の前で見たとか家族の死亡などが気鬱のままで脾虚肝実証にはならず、肺虚肝実証として経過していることが多いと思うのです。

 

  (隅田)ということは、循環障害というのは循環器の障害ということではなくて一般的な意味で血流が阻害されているということですね?それから、今まで読んできて肝実の病因はお血である、そして七十五難から来て内熱から時には冷えもあるということですけど、今までの説明で随分納得してきましたが一番大きいのは説明の中にもありましたけど事故あるいは捻挫・外科手術の後などはお血も出やすいですしそれがこじれるとこのような肝実病症が出やすく、しつこい病症が肝実治療で取れることを経験しています。しかし、全く事故などがなくて特に女性などはイライラがあって気鬱が重なって肩こりでも頭痛でも何でもいいですが特定のしつこい疾患が繰り返し出てくる時に肝実の治療をするとうまく行くこともあるのですけど、このようなものはお血とは言えないだろうと私は思っていたのですがこのようなものも病因として含んでいるというのか、そのようなこともあると先生はお考えですか?

 

  (二木)そういうことです。言い方を変えると「卵が先か鶏が先か」を議論しているようなもので、イライラするから全体の循環が悪くなって肝血の発散も悪くなりとうとう貯まってしまうようになり、今度はさぁ頑張ろうと思った頃にはやる気がしないということになります。「卵が先か鶏が先か」の部分があります。

 

 

  (新井)今の隅田先生の関連質問になりますが、男性の場合で慢性の自発痛ですが私が最近経験した七十五難型の症例になるのですけど、五十肩のようなもので夜間痛がひどくてひどくて眠れない患者さんを六十九難の脾虚証や腎虚証でやってみてもどうしてもうまく行かない。そこで七十五難型で何回か治療してみると、自発痛が取れてきたというものを最近経験しています。それで二木先生への質問ですが、七十五難型が出る時というのは季節の変わり目などに多いのですか?

 

 

  (二木)季節としては真冬や真夏など、ものすごく寒いとかものすごく熱い時に出やすいです。むしろ季節の変わり目というのは脾のダメージが大きいですから、また平賀源内先生が有名にしてくれた長夏の土用の時には熱くても脾虚が多いですけれども季節の変わり目は脾虚ですね。また持続的症状がある場合には、脾虚肝実証のことを考えられるといいかなとも思います。

 

 (新井)熱い寒いの激しい時に、多いと思われるのですね。

 

 (二木)七十五難型の肺虚肝実証は、多いと思われます。

 

 

 まず腎経から営気の手法を施します。発見当初は何かの参考書で「復溜を補う」と記憶していたので復溜のみを用いていました。これは現在も非常に確率が高いのですが、バリエーションが無いというのはおかしいと思っていました。追試の結果、復溜を用いるよりも効果の高い(復溜では充分ではない)ケースを発見し検討するとお血の度合いによるようです。お血の度合いから太谿(軽度)・復溜(中程度)・陰谷(重度)と使い分けると効果的です。

 続いて腎経と同側の三焦経の陽池にも営気の手法を施します。次に反応と脉を確かめ小腸経にも営気の手法を施します。

 

 

 

 (二木)七十五難型の治療は、全て営気の手法で行います。逆に言うと、六十九難型は本治法においては全て衛気の手法でいいのです。「えっ!」という顔をされているかも知れませんが、例えば肝虚陰虚証や腎虚陰虚証では陰気が不足しているのですから陰気を補わなければならないのです。でも、経金穴とか合水穴というものは経穴自体が深いのです。ですから鍼を持っていくと自然に営気の手法に近くなって、陰気を補ったことになるのです。言い方を変えると、身体が取り分けてくれるのです。衛気が必要な時には衛気を営気が必要な時には営気を、この場合には陽気と陰気と表現した方が誤解が少ないでしょうから「陽気がより欲しいと思っている時には陽気に」「陰気がより欲しいと思っている時には陰気に」身体の方が取り分けてくれるのです。これがツボの性質の一端なのです。

 漢方とは非常におもしろいもので、両極端が一つにまとまっているのです。例えば栄火穴であれば「身熱す」なのですが、全く身体が温まらない時にも使いますし体が熱くて熱くて仕方ない時にも使うのです。経金穴では「寒熱往来」と書いてありますから、熱が出たり引いたりつまり出ている時も引いている時にも使いなさいと書いてありますし、合水穴は「逆気して漏らす」と漏れている時漏れない時のどちらにも使います。両極端のものが一つになっているのです。これは身体の生理を西洋医学的に観察しても、非常に正しいことだと思うのです。「眠れないから睡眠薬を」「それを飲んだから胃腸薬を」「「今度は負担が大きいから肝臓の薬を」「そうしたなら肝臓が悪くなり腎臓にも負担が掛かってきたので腎臓の薬を」、結局は全ての薬を止めたら一番良くなったなんてことに現代ではなりかねないのですけど、「胃が働いていないから」「胃が働きすぎるから」という時に同じツボが使えるというのはバランスの調整であり「支点をどのようにずらせるのか」あるいは「力のかけ方をどうするのか」ということなので、一つのツボにまとまっているというのは非常に合理的な考え方なのです。

 それで六十八難的に用いたい時には営気の手法を、例えば曲泉・陰谷に無理矢理営気の手法を行ってやると普段は逆気でのぼせを引き戻してくるのですけれども上がらないものを上げたりとか小便が出ないものを出るようにしたりなど、普通なら曲泉・陰谷では小便が出すぎるものを締めるのに用いていますが出せるように使えると私は思っていますし実践しています。

 この七十五難の場合には、六十九難とは違うのですから営気の手法で全て押し切るのです。元々の発想は違うのですよ、これは後から気が付いたことなのです。最初は「お血を流さなければならないから」ということで、陰実なのだから陰気を補わなければならないだろうと営気の手法をやってみたのです、少し矛盾していますね。発明というのはどこかの間違いから起こってくるようなもので、日本海の大クラゲが「えらいこっちゃ」と騒いでいるのですけどコラーゲンが取れるらしいですね。クラゲとコラーゲンは発音だけなら似ていますけど(笑い)。これから喜んで化粧品会社が取りに行くらしいのですけど、そんなものです。すみません、話があちこちしてしまいました。

 ここでポイントになっているのが陽経の部分なのですけれど、陽池の場合はこれは同側を用います。治療側に関して今回は省きますけど、七十五難型に関してももちろん治療側は存在し守らなければなりません。それで復溜を右側で補ったなら、陽池も必ず右側になります。太谿を左で用いたなら、陽池も左になります、まず一つここは押さえておいてください。次に小腸経なのですが、資料では「瀉す」と書かれてありましたがこれは修正が間に合わなかったということで、営気の手法を施すことと読み替えてください。左右を決める時に脉だけで決められればいいのですけれども、脉だけで決められない時には肩上部に指を一本伸ばして当てるのです。すると肩井と天が一度に触れられますので、左右の支正あたりでいいと思いますから小腸経を探ってどちらが緩むのかも確認してみます。当然、緩む側を用います。さらに小腸経の中でも陽谷・養老・支正でどれが一番使えるのかを選ぶことになります。対応としては大体ですが、太谿には陽谷・復溜には養老・陰谷には支正が対応しているようですけれど、必ずしもそうなるとは限りません。小腸経で用いる経穴には、もう一つ法則性が見いだせていません。おそらくですが歪みに対応しているということで体幹へ向かって解消力があるのでしょう、お血が一番多い陰谷では支正となってくるようですが、やはり完全な理論は分かっていません。

 

 (新井)今二木先生が説明されましたが、復溜の時に支正を使うということも相当にされていますよね?

 (二木)確かにあります。もう少しエピソードもありますので、次に条文の解釈へ進みます。

 

 

 【経に言う、東方実し西方虚せば南方を瀉し北方を補うとは何のいいぞや】とあり、【代わる代わる合い平らぐるべし】とあります。相剋関係を利用してお互いの作用により平らになることを狙っていることがうかがえます。

 続いて【南方は火、木の子なり 北方は水、水は木の母なり 水は火に勝つ 子よく母をして実せしめ、故に火を瀉し水を補い金木を平らぐることを得ざればなり】とあります。東方は肝で西方は肺だと明記されていますが南方と北方については明記されていません。難経七十五難では肺と肝には直接手を下さず治療経過が述べられています。六十九難で「実すればその子どもを瀉す」とありましたが、実を落とすために一つ飛び越えた母経を補うという飛躍した記述とも受けとめられそうです。しかし、この難の狙いは相剋関係を利用して平らにすることですから影響力がどのように伝わるかを表現していると思われます。

 前置きが長くなりましたが、脉の変化に合わせて具体的に説明します。脉差では肝(実)心(実)脾(平)肺(虚)腎(虚)になっています。腎経から補うと水剋火で心の実が押さえられ、心の実が収まることで火剋金が解消され肺の虚が救われ、肺の虚が盛り返すので金剋木で肝の実を押さえようとします。肝はたまらずに影響を木剋土で脾に伝えようとするのですが脾は平なので跳ね返され、挟み撃ちとなってとうとう肝の実が収まるのです。この様な経過をたどるために、施術を始めてから肝実が落ちてくるまでに時間差が発生するのです。脉をよく観察すると肝の実が落ち始める前に心や肺が上記のような変化をしています。ところが、これでは腎経は出発点であっても何も恩恵が無く、脉は出たように診えますがあまりしっかりしていません。そこで命門も水と解釈し「命門の火」を補うという意味で表裏であり原気の代表である三焦経の陽池にも栄気を補います。

 発見当初はここまでしか分からなかったのですが、条文とは合わないので敏感な患者の協力を得て追試の結果は実に理論通りだったのです。問題は「南方を瀉す」ことでしたが、これは陽経に跳ね返されてきた熱のことだと考えました。南方と解釈できるものでも心と心包は肝実を落とすために働いていますし三焦も活用してしまったので残るは小腸だけです。反応を探って軽く瀉すと実に良い脉になります。

 もう少し付け加えるなら栄気の手法を用いるといってもやはり「気」を動かしているのであって、血そのものを動かしているわけではありません。栄気が動けば津液が動きそれは血も動くということにはなるのですが、肝に充満・停滞しているお血を実際に動かしているのは栄気が作用することによって水分が動き出してそれに押されて流れ出しているからで、これも条文の解釈に合致したものとなります。

 

 

 ちょっと別の言い方を先にします。六十九難というのは、脉差だけで表現すると虚・虚・平・実・実と並んでいます。(講義中は肝虚証で脉型を説明していますが分かりやすいように腎虚証に置き換えて書きます)腎虚証なら肺と腎が虚・虚、肝が平、心と脾が実・実になります。ですから虚・虚・平・実・実と表現したのです。他の証についても、同じことになります。ところが七十五難型というのは、虚・虚・実・実・平なのです。肺と腎が虚・虚、肝と心が実・実、脾が平になります。だから「平」の位置が違っているのです。

 先程10パターンを列記しましたが一つだけ違うので、私がまだ東洋はり医学会へ通っていた時に漢方鍼医会創設者の一人でもある小里光義先生に「色々なパターンがあるがどうして七十五難だけは別なのか?」と質問したのですが、「まぁこれはそういうものだ」という答えだけだったのですが、「平」の位置が違うものだということが一つヒントになるでしょう。

 ここまでは余談でしたが、まず腎は虚です。ですから、腎を補います。すると水克火が正常に働き、心の実が抑えられます。心が抑えられると火克金が解消し、今まで押さえつけられて虚だった肺が救われます。いじめられていてかしこまっていた肺が復活すると、金克木として肺が肝を普段は抑えつけている状態に復帰します。やんちゃ坊主の肝をお兄ちゃんの肺が普段は抑えつけているのですけど、抑えつけるべきお兄ちゃんがかしこまっていたので(当時の芸能ネタですが)力士兄弟でお兄ちゃんが何も喋らなかったら弟が喋りまくっていたようなもので、この大暴れが肝実のようなものです。今度は肝がはけ口がないものですから木克土というように力が流れるのですが、脾は平ですから奥さんとか相撲協会とかマスコミのようなもので「私は中立の立場だからあなたが黙るべきだ」と木の方へまた影響を跳ね返します。こうなると両方から抑えつけられて大暴れしていた悪者の肝が・お騒がせの人がおとなしくなるのです。このような治療法なのです。

 水克火 → 火克金 → 金克木と影響が伝わって、木克土と次に渡したいのですけれども土は平ですから影響を突っ返すので暴れていた肝が治まるのです。そのために、普通なら経穴に触れたなら瞬間的に「脉が出ました」「変化がありました」となるのですけれども、七十五難型の場合には「タイムラグ」という表現を私はよくしているのですがちょっと時間差があってから脉の変化が生じてくるのです。先程話した一番最初に発見した時でも、いつもなら経穴に指を置いた瞬間に変化が始まるのに「おかしいなぁ何も変化してこないなぁ」と思っている間に肝が平になっていったのでビックリしたといいましたけど、このようなことだったのです。

 このメカニズムを説くのに一年近く掛かりました。説明されれば「コロンブスの卵」で何ということはないのですけれども、頭の中でも脉型を描くことがミソでした。ですから視覚障害者の先生でも、頭の中に寸関尺の虚実がどのようになっているのかを図として入れておくべきだと思います。そうしておくと、病理が解釈できた時に「このように脉が変化するのではないかな?」とか自分が思い描いた脉の変化をするのであれば「これは予後がいいだろう」と、あるいは思い描いた変化をしなければ予後が悪いとか誤治だということにも気付くことが出来るようになります。ちなみにまた余談の方へ走ってしまいますけど・・・

 

 (新井)余談に走る前に、講義を聴いている人の中には少し納得していないような顔が見受けられます。二木先生は腎の虚があるといいましたし、腎の脉が抜けていると話されましたよね。ここで学んできた人たちは、菽法の正脉とは腎は沈脉であると、もしも腎が虚しているのであれば浮いていると思っているのです。そこで二木先生が話されている「抜けている」というのが、ピンと来ているのかなぁと思っているのです。

 

 (二木)そうですね、私も最初は脉が触れなかったので腑に落ちなかったのです。

 

 (新井)それとタイムラグといいますが、例えば復溜に鍼を置いて営気の手法を行うのですけれども少し時間が経過しないと他の箇所に変化が現れてこないという、長めの刺鍼ですね。

 

 (二木)そうです。

 

 (隅田)肝実の治療を実際にやるかどうかは経穴に指をおいて調べると思うのですけど、普通なら一秒と経たずに瞬間的に脉が変化してくる訳なのですけどタイムラグというのは具体的にはどれくらいの時間なのでしょうか?

 

 (二木)五秒くらいは待って頂いた方がいいと思います。「七十五難型というのはあるのだ」「これでうまく行ったことがある」と自信がついてくると「営気の手法が必要なのだから」と思い切って指を置けば一秒から二秒程度で変化が現れてきますしどのように診ていけばいいのか心構えがあるのですけれども、分かっていなければやはり五秒程度は待って頂いた方がいいでしょう。、

 人間の身体には「落差」を付けることが大切だと思うのです。診察をする時にも刺鍼をする時にも、落差というものが大切なのです。「ここは営気の手法をするんだ」「ここは衛気の手法をするんだ」ということで、営気の手法の時には取穴も営気の重さで行うことが大切なのです。だから「七十五難型じゃないかなぁ」と思ったなら、最初から営気の重さで指を当てて欲しいのです。衛気の重さで当てていても段々と変化は出てくるのですけども、それだとやはり五秒から十秒は掛かります。最初から営気の重さで当てることがポイントですね。

 

 (隅田)この図を見ていると腎虚証と肺虚肝実証は治療としても似ているし、脉型としても肺・腎の虚・虚で始まりますからその違いは肝が実であるか平であるか、一言でいえば違いはそこですね。もしも腎虚証で治療をするとすれば、復溜でも太谿でもまずは衛気の手法で行うことになるのですか?

 

 (二木)そうです。例えばこれで復溜に長時間当て続けていると肝の脉が硬くなってきます。もちろん営気の手法は行うべきでありませんから、それだけで脉は跳ねてくると思います。

 

 (隅田)時間がなくなってきたので私の疑問をお聞きします。理論的に言えば「肝実証特有の病症はない」と言われましたが、だけどどんな病症でも肝実証は出現しうる。しかも、二木先生の場合は他の先生に比べて肝実証とする場合が非常に多いですよね。資料を読むと「半分は肝実証だ」とありますが、臨床室ではもっと多くなると今お聞きしました。それでは、病症では全く判断がつかないということですね?

 

 (二木)病症としては自発痛、もしくは持続的症状ということになります。それから鍼灸院へ来院される方の多くはやはり運動障害ですし、都会と田舎の地域差ということもあって私の治療室へ来院される方の六割から七割は農業もされているのでどうしても肝実証は多くなります。

 

 (清水)先程「結ぼれる脉」ということで、肝が押していってもずっと残っている脉だと説明されました。そして肺虚肝実証の治療を説明して頂いたのですが、その時には必ず肝と心が実になっている・肺と腎が虚になっていることを確認する必要があるのでしょうか?

 

 (二木)厳密にいえば確認する必要がありますけども、でも臨床現場でそこまでは診察できません。一番の特徴は肝実なのですから、私が臨床で行っていることは「これは肝実じゃないかなぁ」と思った時には体表観察とともに「結ぼれるが如し」の脉になっているかどうかを確認しています。次は肺虚肝実証なのか脾虚肝実証なのかをこれは病理と合わせて考え脉診しています。ですから臨床現場では全ての部位の脉を確認はしていませんし、確認しなくても大丈夫です。

 

 (野瀬)先程の「腎臓が抜けている」ということが確認したいのと、もう一つ肝実の脉なのですが「結ぼれるが如し」というのは強いということではなく脉幅が広いということなのか押しても押し切れないという理解で良いのでしょうか?

 

 (二木)まず肝実についてですが、脉幅については広いかどうかは分かりません。肝の部位だけが狭くなっているような脉もあります。「結ぼれるが如し」は、その通り押し切れない脉のことです。腎が「抜けている」というのはあいまいな表現ですが、分かっていただければこの表現の方が分かりやすいのですけども腎の脉も菽法では捉えにくいのです。先程新井先生からも指摘されたことですが、腎が虚であれば浮いているはずなのですけども頭の中で思い出してみると浮いているケースの方がほとんどですね。ただし、急性の場合には「腎の脉が触れないぞ」というケースもあります。でも、腎の脉は浮いているという理解から入って頂いた方がいいと思います。

 

 (新井)「結ぼれるが如し」の脉というのは、そのように説明されてもなかなかピントは来ていないでしょう。二木先生が「実だから強い」と理解するのではなく押し切れない、押し切れないといえば骨までピタリと押しても押し切れないというのともちょっと違うのですが、何か気持ち悪いトのようなスムーズに流れていないようなそのようなところがあります。基本は沈・弦・トです。みんなが実際に脉診した時に、腑に落ちると思うのです。

 

 (二木)では、脾虚肝実証の方へと勧めます。

 

 

  脾虚肝実証

 脾は胃と共に気血を製造する源ですから、源が虚しているのに『実』は本来は有り得ません。しかし、停滞することは有り得るので真の意味での『陰実』とは言えませんが脾虚肝実証は重要です。脾には気血も津液もありますから脾が虚すと血を貯臓する肝も虚すのですが、熱の伝導によりお血や血熱が停滞して発病してしまうと肝の虚は関係なくなってしまいます。特に急性タイプは体質に関係なく、脾虚証に占める割合は非常に高いといえます。特徴としては脾の症状よりも肝の症状ばかりが目立っています。ここでも再び証明されることですが寒熱は病理状態を現しているもので、証は病理の名前で呼ぶのが最も適当ではないでしょうか。

 肝の脉は沈んでむしろ弱いくらいの時が多いようです。このため脾虚陽虚証と間違えていた節があったと思います。脉差で表現すれば脾虚は納得できますが左関上が「跳ねている」とはいいながら「実」とは、慣れるまでは納得しにくいかも知れません(結ぼれるが如しの脉になっています)。肺は錯覚でやや沈んでいるように診え腎も錯覚で沈んで診えるので腎虚とも間違えやすいのですが、腎経を触ると極端に沈んでしまうので菽法の位置に落ちついたのか沈んでしまったのかを区別する必要があると思います。

 

  急性タイプの病理

 外邪による熱は太陽経から陽明経そして少陽経へと進行し、あるいは直接に少陽経を侵します。少陽経は陽経の中では深いので即座に腑の熱となり胆は肝と密着しているので肝が温まってしまい熱実となります。あるいは、脾がしっかりしていると胆に侵入した熱を陽経に跳ね返すはずが腑の熱が脾の津液を乾かしてしまい脾虚肝実証となります。風邪などで発熱し節々が痛むという時には脾虚肝実証を疑って有効だと思われます。熱の差し引きがあり月経時の熱に注意が必要です。

 

  慢性タイプの病理

 急性タイプのものが移行し脾の津液が虚して肝の支配部位に熱が停滞したものですが、酒の飲みすぎ・交通事故・産後の気鬱・誤治・薬の乱用なども原因に考えられます。飲食からも胃腸の熱が波及して発症すると考えられます。筋肉に熱が停滞しているものには慢性になっても激症のままで留まっているものがあり、この場合には局所の処置が巧妙であったとしても脾虚を補い津液を増やしてから胆を瀉す処置を行わないと効果がありません。この病理によるものは病院の検査では「何ともない」といわれるものに多く、あるいはしっかり病名は言い渡されても効果がないものがそれです。頻繁に遭遇しているはずと筆者は実感しています。

 

  治療法

 脾虚肝実証は真の意味での陰実証ではありません。したがって難経六十九難型で治療できるはずです。ただし、病理を考えれば一時的に肝実になっているだけなので脾を補い根本に手が加われば肝に手を下すことはカテゴリーエラーとなりますし臨床でもそのようなことはしていません。これは七十五難の項目でも書いたとおりです。治療法はまず手順と脉の変化を記述し、解釈については後にまとめました。

  4.2.4.1 急性タイプと慢性タイプ

 脾経を補います → 全体は改善しながらも右尺中の浮き方は足らず左関上はむしろ指を突くようになります。公式的には心包を続いて補うのですが、これを飛ばして胆経を瀉します → この時点で右寸口は改善されますが膀胱は沈んだように錯覚されます。次に三焦や胃などを用いて整えます。

 

  お血タイプの場合

 脾経に触れると脉は暗くなるという感じなので、ビックリされるかも知れませんが心包をまず補います → 沈んでいた脉が浮き柔らかくなります。続いて胃経の三里から栄気を補います → 左関上の実が見事に収まります。小腸経を軽く瀉します → 全体に艶が出ます。

 

  治療法の解釈

 急性タイプと慢性タイプの場合は脾を補った後に心包を探ると脉が崩れてしまいます。これは肝に熱がこもっているのに陽気の旺盛な心を補おうとして病理状態を後退させるからです。肝実ですが熱は少陽経から侵入したものであり、脾もしっかりして熱を跳ね返す力が復活したのですから病理とも合わせて胆経を瀉せば良いことになり、熱が処理されるので左関上は落ちつきます。

 お血タイプの場合は脾を補ってしまうと、肝に停滞しているお血がさらに注ぎ足される結果となるので、脉が暗くなると考えています。そこで脾を補わずに心を補うと熱は一時的に増えるかも知れませんが血は増えていないので流れが良くなり脉が明るくなると思われます。さらに六十四難を利用して胃経から左尺中(腎と膀胱)へ影響するように栄気を補えば腎の乾かされてしまった津液が復活し(心の力も手伝って)肝のお血を流し始めてくれるでしょう。陽経に押し返された熱を七十五難と同じように小腸経から瀉します。

 

 

 (二木)資料には出しましたが、お血タイプの病理はわざと割愛します。これはちょっと難しいということと、私自身が資料を執筆した時点よりも解釈が揺れているのです。ただし、この春あたりから大阪漢方鍼医会の先生たちがされているのか脾虚証の時に心包経からまず鍼を入れられているのですが、脾虚陽虚証の場合にはうまく行っているようです。おそらく同じことをやっているはずです。「それじゃこの後はどうするの?」と聞くと、「陽経を処置するしかない」とのことで足三里を使われていました、やっぱり。このあたりをすぐに知りたいということであれば、私のホームページに掲載している陰実証関連には少しですが掲載されていますし滋賀で発行している「経絡治療の臨床研究」というテキストには、しっかり掲載されています。とりあえず入門レベルの方で必要なのは、急性タイプと慢性タイプでしょう。

  《注釈》講義時点ではこのように解釈していましたが、それでもまだ納得できない部分があり追試の結果、脉診・腹診・肩上部の緩みの「三点セット」で総合的に判断するとお血タイプの脾虚肝実証もやはり脾経からまず衛気の手法を行い足三里へ営気の手法とするのがいいようです。心包経を先に処置すれば脉診と腹診でいい結果に見えるものの肩上部の緩みが不充分もしくは硬くなり、脾経からの場合は脉診も腹診もそこそこながら肩上部も緩んできます。どちらも足三里を後に処置すると、明らかに脾経から処置した場合の方が成績がよくなります。つまり、総合判断の欠如であり脉診や腹診を信頼しすぎることの危険性を認識した次第です。

 

 (二木)脾虚があるのに肝実というのは、本来おかしいのです。気血津液の製造元が虚しているのに、充満・停滞というのは発生しないはずなのです。全部が虚になるはずですからね。。でも、陽経から熱が入ってきて胆というのは肝と密着していますから胆が熱を持つと肝も温まってしまうので、それで脾虚肝実という状態が発生するのです。

 一番いい例は、これは池田先生も言われているように「転落事故は脾虚肝実」と書かれてあります。脇下項というやつです。転落についてですが、これは古典が書かれたのが項羽と劉邦が戦っていたり「三国志」の騎馬戦の時代ですから、落馬をすることだと解釈できます。落馬をすると打撲をしますよね。打撲をした箇所は当然炎症を起こし、熱を持ちますよね。その熱が少陽経までいきなり入って胆から「肝を温めて必ず脾虚肝実になるよ」ということが書いてあるのです。この状態が続くのは五秒かも知れません・十秒かも知れません・一分かも知れません・三日かも知れません、ずっとそのままかも知れません。元の証に復帰するまでどれだけ掛かるのかは分かりませんが、例えば指をドアに詰めて痛がるのも五秒かも知れませんし一日中疼いているかも知れないのと同じ事です。今なら交通事故になるでしょうしどこかを踏み外すとか人とぶつかるなどもこの「転落事故」の部類になるでしょう、必ず一度は脾虚肝実になります。ただし、どれくらい持続するのかは別問題です。

 私がもう八年くらい前になるでしょうか、ゴールボールという視覚障害者のパラリンピック競技の合宿に参加をしたのです。B推薦だったのですが国際チームを育成しようということだったのですけど、まだ競技を始めて三ヶ月程度ですからディフェンスのやり方をほとんど知らなかったのです。しかし、A推薦選手と一緒にプレーするものですから「お前は下手だ」ということで特訓になり、そのまま試合もさせられるものですから疲れで肋骨から直接落下をしたのです。サッカーのゴールキーパーのようにどんな形でもいいからボールを抜かれなければいいのですけど、視覚障害者の競技ですからボールは床の上を転がってくるので左右色々に攻められてきますから素早く寝転がるようにしてセービングするのですけれど、その時に肋骨から直接落下してしまったのです。かなり痛みは感じていたのですけどあまりの疲れから、新幹線に乗車してビールを飲んだらとりあえず名古屋までは寝てしまいました。明くる日に診察するとやはり肋骨がポッキリ骨折していまして、それまでは別の証で治療していたのですけども三日間くらいは見事に脾虚肝実証で治療しないとうまくいきませんでしたし、それから胆経の熱を営気の手法で処置してやるとスッとするのが自覚できました。

 脇下項というのは実技ですぐに触っていただけます。腹筋の外方に縦に走る筋がかなりの人にあります。避けろといわれれば無人島へでも行くしかないというくらい化学薬剤・化学調味料を使った食事を皆さんしていますから、それで脾に負担が掛かって脾経自体が堅くなっているのです。「こんなところには筋肉はないはずなのに」というところに縦に走る筋、これが脇下項のことだろうと思われます。もう八十歳くらいのご老人だったのですが、一年くらい前に自動車を運転していて縁石に衝突し横に乗せていた実のお姉さんは死亡してしまい、自分は助かったのだけれども精神的ショックも含めて身体が回復しないと来院されました。すごく痩せていた方で仰臥位になってもらうとお腹は船底状態になっていたのですが、脾経の流注だけが目で見てもハッキリ分かるように浮き上がっていたので「あぁ脇下項というのはこれに間違いないな」と思ったものでした。これが必ず発生してくるのが、脾虚肝実の特徴です。

 そのようなことで脾虚肝実証というのは、脾虚証そのものに占める割合が非常に多いと思われます。鑑別には持続的症状があるかどうかをよく診ることです。時間がある時には予診だけでなく治療もしてもらうということで昨日は助手に治療までしてもらっていたのですが、明らかに脾虚証の患者さんでそれまでは脾虚肝実証で継続治療をしていたのですが状態がとても良くなっていたのです。この患者さんは昨日で治療を終了としたのですが、最初は何をしても腰痛がひどかったのに立ち上がった時に少し痛む程度になっていて、敢えて脾虚肝実証を持ち出す必要はないだろうと診断しました。結局は脾虚陰虚証で治療することにより治癒したのですが、脇下項はしっかりありましたけども脾虚に締める脾虚肝実の割合はかなり高いということを覚えていただければと思います。

 

 (小林)今「脇下項」という言葉が出たのですが、私は脾虚証の講義をする際に二木先生から個人的に教えてもらっていました。それで脾虚証の時に腹診で肺積・疳積というのを説明しました。私の講義の時には図に書いての説明しかできなかったので、簡単には説明があったのですけども脇下項の特徴をもっと具体的にお願いします。

 

 (二木)これは実技で確認して頂くべきことなのですが、プラス情報をもう一つ喋っておきます。腹診について滋賀では昔「腹診点方式」と呼んでいて現在は「パターン照合」としているものも併用してはいるのですが、漢方鍼医会全体で取り組んでいる気血津液での腹診においてお血が確認でき他の病理考察を合わせても「どうやら肝実がありそうだ」という時に、左下腹部になる肝・脾・腎と重なっている部分が堅ければ肺虚肝実証の確率が高いようです。右下腹部の肺・脾・腎と重なっている部分にプラスして中も確認して欲しいのですが堅くなっていると脾虚肝実証の確率が高いようです。脾虚証というのは変化が激しいので、脾虚陰虚証でもこの右下腹部は堅くなってきますから注意してください。これは判別しやすいと思います。

 

 (新井)急性・慢性タイプの脾虚肝実証では、「まず脾を補います」とありますよね。それで左関上、肝の脉位は少し突き上げるように堅くなる。それで今まで六十九難といえば脾経を補ったなら次は心包経を補うとしていたのですが、心包経を補うと脾の脉が崩れてしまうという疑問が沸いてきます。というのは、脾一経虚ということも今までやってきたので、「脾経を補っても心包経には進めないのだ」という感覚で診てしまうのです。その代わり「脾の相克の肝が堅くなるのだよ」と解釈すると分かりやすいかも知れませんね。

 

 (二木)一経虚ではなく、あくまでも病理で判断してください。

 

 (新井)病理あくまでも病理なのですが、今までやってきた診察からすれば六十九難では脾経・心包経と補うところを心包経まで補おうとすると脾の脉まで崩れてしまうのだということですね。

 それでは今まで講義をして頂いたのですが、これだけでは腑に落ちていないこともあるだろうと思います。午後の実技で実際にやっていきますので、一緒に勉強していきましょう。




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