《第十五回漢方鍼医会夏期学術研修会》

基調講義

 

証決定への手順

 

実行委員長(滋賀漢方鍼医会)二木 清文

 

☆はじめに

 医学の始まりは「手当て」だと思います。人類が集合生活をするようになって農耕が始まるまでには相当の時間があったと思われます。それ以前は野山を駆け巡って獲物を捕って来ると言うことが殆どだったでしょう。その中では毒虫がいたり毒蛇がいたり、或いは、毒草に触れてしまったりなどもありますし、怪我をすることも多かったと思います。患部が怒張して苦しんでいる人を見て、何とかしたいと、恐らくその怒張している部分から出血したら楽になったと言うことも経験しているでしょうし、また、思わず手を当てた場合もあるでしょう。ですから「手当て」と言うのでしょう。

 この様に、怒張している部分から血を吸い出してやれば楽になるのではと考え行動するのは隣人愛としてごく普通のことだと思います。また、その反対に不幸にして毒を吸い出してあげている側の人が毒を飲み込んでしまい亡くなってしまったこともあったと思います。そんな不幸な事故を防ぐために動物の角を持ってきて、中をくりぬいてストロー状にして吸うようにしたのでしょう。これが「吸う角」と書いて吸角療法ができた経過だと想像するのは堅くないことです。西洋医学については今日ここでは触れませんが、西洋医学も始まりは瀉血が基本らしいです。

 そして、手当てをしていくうちにツボ療法というものが偶然に発見されたのでしょう。例えば、歯が痛いときに患部には手が触れられないので気休めに合谷の所を偶然に揉んでいたなら歯痛が治ったなど、この様な事は子供の頃、鍼灸の道に入る前に経験された方も多いかと思います。また、伝え聞いて胃が痛い時に三里付近を揉んでいたら楽になったという経験が積み重なっていったでしょう。

 ツボと言うものが発見されて、だんだん経穴を連ねた経絡と言うシステムに古代の人達は結び付けていったのだろうと、これも想像に難くないと思います。そして、ここが大切なところですが、経絡を効率的に運用するために考案された道具が鍼灸だということです。

 中国に初めて行った時に、偶然通ったコースが武漢で馬王堆漢墓がある所ですから、博物館で例のミイラを見てきました。その馬王堆漢墓から一緒に出土した本に『十一脉灸経』と言う本があり、その頃に発見されている経絡と言いますか、成立していた経絡が十一あったと言う事です。また、「灸経」と言う事ですので、お灸のための本と言う事です。鍼とお灸と言うのはバラバラに発展してきたものなのかもしれません。或いは、鍼の方が後から製造技術が追いついてきたのかもしれません。この辺りは良く分からないのですが、しかし、一緒に発展してきたものではなく鍼灸と言う道具のために経絡が考案されたのではないということが分かります。これが大切なポイントです。

 西洋医学をベースにした鍼灸というのはやはり違うであろうと思います。何故鍼灸と言う道具が発明されたかを考えれば分かると思います。研究を一生懸命されることは悪くはないのでしょうが、まず土台を考えてから研究されるべきではないかと思います。

 脉診や腹診についても、効率的に経絡を運用するために生み出されてきたテクニックだろうと思います。経絡は生命の誕生と同時に存在してきたものです。それに対して人間が後から見出してきたものです。恐らく古代の人達も解剖を良く知っていたはずです。魚も良く食べたでしょうし、豚の肉や羊の肉も食べていたはずですので、内臓というものを良く知っていたはずです。紀元前の解剖の正確な図が残っているらしいですから。しかし、あえて生命現象というものに拘って医学を発展させたというのが、漢方医学の素晴らしい所だろうと思います。

 

☆病理考察と証決定

 「漢方はり治療」における証について、少し考えてみたいと思います。

 福島弘道先生は「証とは病の本体であり治療目標である」と非常に端的に定義されました。鍼灸で治療するものは何かと言った時、それは証です。初心者は初心者なりの証があります。それから、ベテランはベテランなりの証があります。そしてその証と言うのは病の本体であると言う事です。病の本体が突き止められたなら、それは治療目標になると言う方程式を非常に簡潔にまとめられています。

 池田政一先生は、「証とは、どこで、何が、なぜ、どうなった」と定義されています。「どこで」とは五臓六腑です。「何が」とは気血津液です。「なぜ」とは少し飛ばしますが、「どうなった」とはどのような病症が現れてきているかです。

 「なぜ」と言うのは、例えば肝の疎泄や、肺の宣発粛降などがどうしたという病理を言っています。ですから、池田先生の証の定義と言うのは、病理のことを高らかに宣言されているのです。

 病理考察を掲げて漢方鍼医会は創設されました。病理と証が同一線上に有るという事は重要なことです。病理の証、脉証の証、病症の証と『古典の学び方』には書いてありますが、病理の証と脉証の証は一致しなければいけません。これは、このあとも出てきますが、脉状との整合性が取れていなければなりません。特に一番把握しやすいのが脉ですから。ですから、病理と脉はイコールでないといけません。病症の証と言うのは身体各部に現れているものですが、ここをどのように結び付けるかがこれからの課題です。

 証について、「後世に伝承する為に考案されたシステムではないか」と言うユニークな説を聞いた事があります。漢方医学の特徴は、証が決定できれば治療ができると言う事です。理解度が違っていても証決定はなされます。そうすれば治療もできることになります。

 私も参加しているのですが、証決定の要点の第一弾が先日学術委員会で合意されました。その証決定の要点を見ますと、「患者の主訴、愁訴を気血津液の変化として捉え、それを四診を通して病理考察し、いずれの臓腑に関わる病症かを弁別し、脉状診との整合を図った上で証を決定する。証には選穴や手法も含まれる」と、非常に端的に上手くまとめられていると思います。漢方鍼医会は気血津液論を全面的に取り入れていますから、気血津液の変動をいかに証へと結びつけていくかということです。

 我々が鍼で操作できるものは気しかありません。その中でも、経脈外を素早く巡っている衛気と、経脈内を巡っている営気があり、衛気営気の手法が明確に打ち出されて、しかも、しっかり臨床実践できている団体と言うのは少ないと思います。年数の浅い方は、漢方鍼医会に所属された事を大いに誇りに思っていただき自信を持って頂きたいと思います。なかなか血を動かす手技は難しいです。瀉血は抜くばかりですので、血を補う事ができる会と言うのを誇りに思って欲しいと思います。

 気を動かすことによって津液が動き血も動いて来ます。これが、どのように変化しているからこのような病症になっていると言う事を四診法である望聞問切を通じて、五臓六腑のどの変化であるかを考えます。そして、脉状診との整合を図った上で証決定します。ここの脉状診と言う事が大切です。

 その昔は比較脉診と言いましたし、今は脉差診と言いますが、脉の寸関尺に三本の指を当ててどこが強いか、弱いかを比較し、肺が弱ければ肺虚、肝が弱ければ肝虚などと言うように、経絡治療が始まった時には、技術を早く伝承する為に、浮沈、遅数、虚実をとりあえず比較して証を求めると言うやり方から始まっています。乱暴な言い方とは思いますが、「とりあえず弱い所を探す」と言うやり方から始まっています。

 しかし、「証決定の要点」では五臓脉診や全体の総按、七表八裏九道などの脉状を見極めて、それが診察と合っているか、脉診から診て、それが気血津液のどのような変動であるかが相互に診られる診察法をして行かなければいけないと言う事が書かれている訳です。脉状との整合を図った上で証を決定します。

 証には選経や選穴と手法も含まれます。ここが大切です。我々は、経絡治療をも含めた大きな治療体系を構築すると言う事で、「漢方はり治療」という名称を用いていますが、出所は経絡治療と言うくらいですから、まず経絡のどこを使うのかと言う選経の段階も大切なのですが、選経だけを求めるのではなく、例えば、秋になり急に涼しくなってきて使える経穴が変わってきたと言うときに私の治療室でもそうですが、火穴が使える患者さんが多くなってきました。また、Z理(そうり)が開いて汗が止まらないので水穴を使ったり、先日来た赤ちゃんは大人がエアコンをかけすぎるのでZ理(そうり)が閉じてしまって汗が出ず、体調が悪くなって夜鳴きをしていました。この時も小児ですが火穴を使って治療をしています。

 このように、選経と選穴はお互いが補うものだと思います。選経の効果を更に高めるのが選穴であると思います。或いは、「このような選穴をしたいのでどのような選経にしていくべきか」と診察をします。土台としては、選経があってその上に選穴があると言うことにはなりますが、どのような経穴をどのような目的で使いたいのかと言う、選穴まで考えた上で証を考え、それから、衛気営気の手法をどのように用いていくのかと言う事も考えた上で治療法を決める事が大切です。その事を高らかに謳い上げたと言う事が大事なことだと思います。

 

☆臨床における証決定

 これから研修を進めていく実技の中で出てくる訳ですが、色々診察をして、「腎虚の陽虚で行きましょう」とか「肝虚の陰虚で行きましょう」とまとまったとします。しかし、この段階はまだ仮設の段階です。実際には違うかもしれないのです。本当の事を言えば、治療が終わって患者さんが治った時に、自分が立てた証は正しかったと証明される訳ですが、しかし、「腎の陽虚なので太谿を使おう」と決まったなら、いきなり経穴を触って鍼をしても良いのかと言う事になります。これでは少し乱暴すぎます。そこで、目的とする経穴付近を軽擦する事が今日の実技の中で入ってきます。そうする事によって、脉はもちろん改善するでしょうし、腹部、肩上部も改善します。その他の部分も改善するはずです。大切なことはこの三点に限らず、すべてが改善しているかどうかを診ることです。

 よくやってしまうことですが、経穴に直接指を置き、脉が良くなったと言う一点尺度で判断するのは非常に危険なことです。これは、脉が柔らかくなったと思ったのと、実は脉が開いていたのとでは紙一重だからです。言葉で言うと簡単なのですが、実際に診てみると、腹診でも柔らかくなったと思っていたのが、実は熱気が胸に上ってしまって力が抜けていただけであったと言うこともあります。ですから、一点尺度ではなく、複数点の尺度で全身が改善されているかどうかを確認する事が大切です。

 また選穴まで考えるときに、「良い方向に向いている」ということで妥協しない事が大切です。特に腹診で診ていると分かりますが、先程のお腹の力が抜けてしまった時と同じように、下腹は充実したように診えるのですが、上腹部の力が抜けてしまっていたなどと言う時があります。全体のバランスがパーフェクトになるように経穴を見つけることです。その経穴に行き当たるまで証を検討すべきだろうと思います。

 

☆実技研修の目的

 少し具体的に普通部、研修部の実技の時間に沿って説明を加えて行きたいと思います。まず一時限目は、基本修練をします。基本刺鍼、脉診の基礎、自然体の姿勢、軽擦の仕方になります。特に普通部の方においては基本刺鍼が重要になってくると思います。

 自然体の基本については足を肩幅に開いて一番楽な姿勢で立つのですが、このままでは肩上部を触ってもらったり、深呼吸をすると分かりますが、実は自分が立ちたい姿勢で立っているとそんなに緩んでいないのです。眼の見える方は見ていただくと分かりますが、これは股関節の形状でどうしてもつま先が開いているからです。そうなってくると中学校の数学で出てきたベクトルの中心が臍下丹田に来ていないのです。どうするかと言うと、自覚的には内股になりますが、客観的に見てつま先を平行にします。そのようにしますと肩上部も柔らかくなりますし、深呼吸もしやすくなります。この時、臍下丹田に力点が来ていると言う事が分かると思います。物理的に、ベクトルの中心に重心を合わせたわけです。このような自然体の基本を学んで頂きたいと思います。更に、基本が分かった方は臨床的な自然体も考慮して研修を行なって頂きたいと思います。

 臨床的な自然体とは、要するに臍下丹田に力が加わるようにすることです。例えば、どうしてもベッドを回り込んで立たなければならない時や、五十肩などで腕を開けない時に立って手のツボを使わなければいけない時には基本の自然体では立てません。或いは、腰の施術をするときなど、しゃがんで鍼をしなければいけない時にも臍下丹田に中心が来ているという、その時の臨床的な自然体と言うものを自分なりに工夫してすぐにその姿勢を取れるようにすると言う事です。そのためには基本の自然体をしっかり行ない臍下丹田に力が加わっている状態を良く覚えていただく事が大切になってきます。

 研修部においては、菽法脉診の取り方を特に再確認することに重点を置いてください。どうしても経験を積んで来ると忙しい臨床室ですから、研修会のように時間をかけて問診などもしませんので、そうなってくると問診もしながら一緒に脉も診ている様になっているでしょう。並行して行っているとどうしても脉を感じようと言うような指使いになってきます。軽く脉に指を当てているつもりなのですが、指が脉のある所を探すようになっているはずです。三菽と言うのは豆の重さ三つと言う事になっていますが、指を脉の上に持っていっただけで三菽の重さとなるので、撓骨茎状突起に指を置いて示指、薬指を添え、ゆっくり軽く脉の上にずらしていき、脉の拍動部に指が来たときに脉が無いからといって慌てて探しに行かないことです。これは三菽で触れない脉状なのです。これをどうしても「脉はどこかな」と指を沈める傾向にあるので、三菽をしっかり診ることです。一秒と言う事に意味はありませんが、一秒位は軽い状態で指を止めると言う癖をつけることが大切です。

 軽擦の基本的な練習については今回初めて出てきます。指の形状や、色々な先生のやり方によって「これが正しい軽擦」と言うものはないのですけど、『難経』の一番最初には、経絡は一日に五十回巡るとあり、一呼吸に六寸進むともあります。六寸ずつ進むと言うことは経絡内を流れている営気が六寸進む事になります。ですから営気の軽擦とは、かなりゆっくり動かす事になります。衛気は陽気と言っても良いと思いますが、これは素早く動きます。営気よりも積極的に早く動かします。意地になって早く動かす必要は有りません。軽やかにスピーディーに動かす事を心がけてください。そして、目的とする経穴の付近を正確に軽擦する事を学んでほしいと思います。

 二時限目は証決定の要点に従って証立てに取り組みます。これも基礎的な修練になって来ます。この時限ではなるべく脉診は最後にしてください。腹診の復習も最初に出てくるとは思いますが、気血津液がどのようになっているかを皆さんで検討しあって、脉状を考察し、本当にそのような脉状になっているかを確認し、目的とする選経された中の選穴の経穴を実際に軽擦してみて病態が上手く改善するかを診てほしいと思います。ですから、この時限では原則として鍼は持たないと言う事です。ただ、モデルの状況によって治療した方が良ければご自由にしてください。

 先ほど臨床的な自然体と言う事が出てきましたが、経穴を軽擦するときに手を伸ばした不自然な形で行なったものと、自然体を作って軽擦をしたものでは大きく差が出て来ます。臨床室ではやってしまうことなのですが、脉を診ながら足の軽擦をしますと「これで間違いない」と思っていても姿勢が自然体になっていないので余分な力が入りパーフェクトな反応を示してくれない時があります。ですから、ここでも自然体で軽擦すると言うことが大切です。

 三時限目は前半に衛気営気の手法を腹部で刺鍼修練します。具体的な刺鍼修練になります。会長講演でも言われていましたが、脉診と言うものは色々あって良いと思います。そして診察も色々できます。気、津液、血と言う段階で腹診すると言う事になっていますが、これを、衛気が流れている深さ、営気が流れている深さと言う様に二段階で診ることも出来ます。この病態に対しては衛気の手法を用いていくべきなのか、営気の手法を用いていくべきなのかと言う判断ができます。

 これはあくまでも適応と言う事で、臨床の中でもこれから病理考察とどのように結び付けていこうかと言う事に関してまでは至っていません。けれど例えば、営気を動かして血を動かさないとC血(おけつ)が溜まり津液がドロドロになっている場合では、営気の手法をお腹にすると非常にお腹も柔らかくなり、他の部分も改善します。しかし、反対に衛気を補うと、眠くなり、動かないものを動かすと、逆に堅くなります。反対に衛気を補わなければいけないのに、逆の静止をするような陰気、営気を補うと、お腹や脉が硬くなったりします。

 これを応用して自分の手法が本当に衛気の手法になっているのか、営気の手法になっているのかを修練して行きます。自分の手法がどのような状況にあるのかをみながら、後半は総合治療になります。そして実技シンポジウムを見て色々な情報を得て、四時限目も総合治療をしていきます。

 

証決定と情報整理

      証を決定する時、情報を捻じ曲げてはいけませんが、情報は整理すればよいのです。少し笑い話で説明すると、「関西のおばちゃん」はずけずけものをいうことで有名ですけど電話で「友達から聞いたんですけど鍼灸院はパチンコ屋の横にあるらしいですが自動車でこのように向かって」と、ちょっとどこから来るんですかというのが抜けてしまっています。それでも今の例ならまだ自動車で向かうとあるからましな方で、「スーパーの横にあると聞いたんですけど何分掛かりますか」って、こんな情報だけでは分かりませんよね。北からなのか南からなのか自動車なのか電車なのかなど、「どちらの方面から何で来られますか」と尋ね直せば、非常に情報の交通整理がしやすい。だから情報というのは、整理すべきなのです。

 そうすると治療法則は絶対的なものではないと言う事が良く分かってくると思います。六十九難は選穴論だと言われましたが、昔は選経も含まれていると言われていました。肝虚と決定した時には、今までは「肝経と腎経を補うのだ」と思い込んでいましたので肝経を補ったら自動的に腎経も補っていました。しかし、そうでないケースもあります。これは、病理の進行状況によります。肝の血中の津液は不足しているけれども、腎は津液を一生懸命送っていても肝が受け入れられないだけであれば、腎経を補う必要はありません。ですから、肝経の一経のみで良いと言うこともあります。ただ、腎が元々津液を送れないので肝の血中の津液まで不足していると言うことになってくると、これは肝経と腎経を連続で補わなければならないと思います。このあたりは柔軟に対処して行かなければいけません。

 

☆おわりに

 なぜ古典を勉強しなければいけないのかです。これは受け売りなのですが、山野を駆け巡って色々な毒を処置してきたり、経穴を発見し経絡の治療に発展してきたというように、古代の人は非常に右脳が発達していました。人間は生命体としても、生きる知識を良く分かっていた時代だと思うのです。これが、集団生活をすることによって段々左脳が発達してきて爆発的に発展することによって文字が発見されて色々な治療法も残されるようになって来ました。それが古典の時代だと思います。

 そして更に情報化が進み交通機関も発達し、我々が受けている情報と言うのは、古代の人に比べれば数百倍から数万倍だと思います。何かニュースがあればインターネットを見ればすぐに分かります。携帯電話でニュースが流れてくるサービスを受けている人でしたらリアルタイムに情報が出てきます。そうなってくると、右脳の方を押さえつけてしまって、我々は生命体の知識として得られるものは古代の人には追いついていないと言う事です。池田先生も良く言われていますが、「良いことを発見したと思ったらすべて古典に書いてあった」と。我々は古典を忠実に再現できるような姿勢が一番大切ではないかと思います。その為には思い込みで幅の狭い治療をしてはいけないと思います。

 さて、まとめになりますが「目的意識」と言う事を先ほどから繰り返しています。

 また例え話になりますが、イチロー選手が大リーグに渡米して随分になりますけど、福留選手が実は破格の年俸で今年渡米しました。何故福留選手が欲しかったかなのですけど、フォアボールでも何でも攻撃が長くなることを常に考えている選手だからなのです。ですから犠牲フライも犠牲バントも、フォアボールだって躊躇なくこなせるのです。対してイチロー選手ですが、これもイチロー選手自身が話していたことの受け売りになりますけど「私はどうしてヒットを打てるのかが説明できる」「ヒットを打つための理論を持っている」というのです。そして「ファンはヒットを打つところが見たいのだから」と、フォアボールは積極的には選ばないのです。さぁ治療家としては、どちらのタイプの方がいいでしょうか?

 概ねはイチロー選手タイプだと思います。例えば肩こりに対してクリーンヒットで取ってもらいたいでしょうし、取ってあげたい。ところが私が駅ホームから転落してしまったケガのように、症状がひどすぎて時には一歩ずつ前進させる少しだけでも改善させることに終始しなければならないケースもあります。だから、「このピッチャーからはヒット連発は望めないから一つでも塁を埋める」と福留選手のような態度が必要なこともあります。

 ここで我々の話になりますが、鍼灸院の経営者であり治療家は、プレイングマネージャーなのです。イチロー選手も福留選手も使わなければなりませんし、ホームランバッターやその他の選手を使い分けて行かねばならないのです。幸いにして、自分自身で色々な役割になれます。イチロー選手にも福留選手にもなれるのです。その時々で今はどうすべきかを考えて、変化をつけながら治療をしていきます。けっしていつもホームラン狙いばかりではいけません。

 しかし、それでも証決定ができない時があります。例えば脉を診る事の出来ない患者さんもありますし、末期の癌の患者さんで病態が複雑すぎて全然分からない患者さんがあると思います。こう言う時は仕方がありませんので経絡を大きく軽擦して選経だけ確定させて、その中でどの経穴を使うかを考えなければいけないかもしれません。

 初心者の証決定では往々にしてあると思います。しかし、それを「私は漢方はり治療の域に達していないので駄目だ」という様には思わずに、「これは初心者のレベルの証決定だ」と思っていただければ良いと思います。大切な事はなぜそのようになったのかと言う病理を考察することです。この次にはどうしたら良いかと言うデータベースを蓄積していく事だと思います。

 今回の「証決定の手順」は、証決定の要点に基づいて診察をしていくのですが、自分のレベルではこの患者さんをどうするべきか、あるいは、病理考察をどこまで進めるべきかを考えることです。例えばベテランの先生でしたら一瞬で病理を考察できるのですが、入って間もない人は病理考察ができるレベルが違います。しかし、どこまで追求したらよいのかという目的意識を持って、自分なりの証決定に持っていく事が「証決定の手順」であろうと思います。このような証決定を治療室でするためには、どのようにすれば良いかをこの二日間で切磋琢磨していただければと思いお話させていただきました。




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