この原稿は誤解を極力減らすため、2004年1月12日付で随所に加筆してあります。原文は学会誌『漢方鍼医』通巻十一号()1999年12月発行に掲載されたものです。

 

論考

瑚I(ていしん)を臨床追試して

 

(滋賀)二木 清文

 

1.はじめに

筆者の臨床経験はわずか十数年しかありませんし、池田政一先生の真似に聞こえるでしょうが学生時代より伝統鍼灸術しか知りません。いや、今更他のスタイルの鍼灸術は取り入れられなくなっています。その中でも考え方が変貌する事件がいくつかありました。例えば開業をして自分一人で総ての決断を下す立場になったり助手と臨床を進めるようになったこともそうですし、用具を工夫することでローラー鍼なども積極的に取り入れるようになりました。また伝統鍼灸学会にも幾度か出演の機会を与えてもらえましたし、機関誌だけでなく『医道の日本』など研究会以外の雑誌にも原稿を書くようになりました。

その中でも劇的に考え方の変わった出来事が二回ありました。一回目は“漢方鍼医会”の設立につながる、漢方における病理と菽法脉診という概念に出会ったことです。漢方病理を追求することによって附随症状だけでなく予後判定なども正確となり、何よりも過去の遺物のように言われていた難経七十五難の治療法則を臨床実践できるようになり陰実処理により好成績を得られるようになりました。また難経七十五難の追試は「証の腹診点方式」という腹診の新たな領域を提供してくれました。

二回目は今回の選経・選穴への再認識です。従来「瑚I(ていしん)」と言えば小里式瑚I(ていしん)という先端に尖った側と尖った先にやや大きめの丸い突起の付いた寸三程度のものを用いていました。ところが、選経・選穴の勉強を進めるうちに鍼を体内に侵入させる意義があまり見つからず(後述しますが刺す意味が全くないと書いているのではありません)、同時に毫鍼に対する疑問が大きくなっていました。そこに紹介されたのが大阪漢方鍼医会の森本繁太郎先生が考案された『森本瑚I(ていしん)』でした。材質は銅で寸三程度の長さに片方だけがやや細い段が付いているだけのシンプルな形状です。もっとイメージしやすい表現では、寸三の毫鍼と太さの関係が逆になっています。

森本先生曰く「九鍼十二原編に書かれている瑚I(ていしん)とは明らかに違う」ものですが、使用してみると押し手には強く氣が集まってくるのを感じるだけでなく、コツをマスターすればより綺麗に陰実の処理も出来るのです。筆者の臨床から得られた感想では衛気・営気の手法をより忠実に実践するには、しなりの発生する毫鍼よりも形状の変化しない瑚I(ていしん)の方が適していて、毫鍼を無理に排除しているわけではありませんが必要を感じないことから、現在の臨床室では瑚I(ていしん)のみでの治療となっています。

以下、瑚I(ていしん)について書くわけですが、一応基本は「森本瑚I(ていしん)」ということにします。森本瑚I(ていしん)が優れているのは、全体が細いのに先端が尖っていないので手技が非常に行いやすい点だと筆者は感じています。

福島弘道先生と脉診流経絡治療に出会ったときにも「これこそ鍼灸の真の姿だ」と確信しましたが、生意気ながら奥がこんなにも深いものとは予想もしませんでした。

 

2.瑚I(ていしん)の考え方について

「経絡治療家」と言えども、瑚I(ていしん)と言えば毫鍼の補助とか代用というイメージでした。陽虚証においては瑚I(ていしん)を用いる方が陽気を飛ばしてしまう可能性が少ないのでベターだと言われてきました。つまり、瑚I(ていしん)には毫鍼ほどの治療力はないという誤解があるように現在でも強く感じています。まして西洋医学に治療理念を求めているいわゆる「刺激治療」にとっては、下世話な表現ですけど「身体に鍼を刺してなんぼ」という世界ですから、接触はしても刺鍼されないという瑚I(ていしん)など治療効果からは計算外とされているでしょう。

しかし、筆者は近年ではありますが、既に小里式瑚I(ていしん)を用いての瑚I(ていしん)をメインとする治療も行ってはいました。きっかけは劇的な治験例によります。患者は十七歳の男子高校生。最初はバスケットボール中に他人と接触して背筋の肉離れを起こしての来院でしたが、一度治癒したのに、一週間後に同じ個所が痛むと言います(結果は寝相が悪いのがセミダブルベッドの隙間に背中が嵌まり込んで肉離れを再発していた)。何度目かの治療では連日なので万策尽き、腹臥位にもなれないというのでほとんどやけくそで本治法の後には座位のままで瑚I(ていしん)のみを施すと、なんと劇的な著効を得ました。経絡治療を標榜し浅い鍼を心がけていているつもりでも、ひょっとしなくても毫鍼を用いることだけで深すぎるのではと気付いたのです。

皮毛肌肉で説明すれば、毫鍼を用いる接触だけのつもりでも数ミクロンは刺さってしまい肌肉にまで作用してしまうので病体に対して不適切な場合があり、皮毛にしか作用させてはならない場合には絶対に刺さらない瑚I(ていしん)を用いなくてはならないのです。これは衛気だけを動かす必要があったと書いてもいいでしょう。衛気・営気の手法が確立していなかった当時の臨床でも冷静になれば背部の凸凹に対して、盛り上がっているのは内実外虚だから補的に・凹んでいるのは内虚外実だから瀉的なアプローチがよいと研修会で検証しているのですから、用鍼についてももっと氣を配るべきだったのです。

もう一度整理すると、鍼を施術する際には衛気(皮毛)営気(肌肉)の概念を頭に入れておかないといけないということです。(選経・選穴が正しいとの前提ですが)衛気(皮毛)とは氣の巡っている部分ですから本当に浅く接近するだけでも効果は充分にあるもので、営気(肌肉)とは衛気(皮毛)を通り越してしまった総てが「営気(肌肉)の領域」になるのですから刺鍼するほうが有利にはなりますが、「調整すべき深さに刺鍼する」事が肝要です。従って、瑚I(ていしん)とは衛気(皮毛)の調整に有利な用鍼であり、決して治療力の劣る補助具ではないのです。

 

瑚I(ていしん)を積極的に取り入れ始めた頃の考え方はこのようであり、基本線は間違っていないと現在でも考えています。では現在の臨床ではどうかというと施術は全て瑚I(ていしん)です。、円皮鍼や皮内鍼という補助療法までも「刺鍼する」という部類に含めれば100%にはなりませんが、お灸やホットパックや補助の特殊鍼を含めても深く刺鍼することは一切ありません。

これは漢方鍼医会全体で取り組んでいる「衛気・営気の手法」が進化し、より厳密に臨床へ生かすためには瑚I(ていしん)の方が適していると判断したためです。しかし、私個人は瑚I(ていしん)を選択しましたが毫鍼でも同じように衛気・営気の手法は行えるのであり、こちらについても技術は進歩しています。その術者の手と理念によって適した用鍼は変わってくると思います。

そこで当時用いていた選択条件を、そのままここに残しておきます。用鍼の適応については、肩上部や腰部膀胱経二行線の左右それぞれに瑚I(ていしん)と毫鍼での散鍼をして、さらに瑚I(ていしん)の上からは毫鍼を・毫鍼の上からは瑚I(ていしん)を重ねて散鍼する事で緩み方の落差から容易に判定が出来ます(比較をしてみると衛気(皮毛)面は緩んでいるが深部が硬かったり、時間経過とともに衛気(皮毛)面が突っ張ってきたりするものですから衛気(皮毛)面も深部も同時に緩むことを確認してください)。

 

3.本治法の意義

今さら「本治法の意義」など語らなくてもいいとは思うのですが、いわゆる「刺激治療」と比較する意味で例えてみましょう。

身体に治療を施すことを畑を耕すことに例えます。通常なら、まず水をまいて土を柔らかくしてから目的に見合った道具で耕すことになります。鍼灸治療でなら本治法は、身体を目的のように耕せる基本動作であり栄養の源なのですから、さしずめ水を捲く作業となります。

こんな風に例えるといわゆる「刺激治療」は、さしずめ畑に水も捲かないままにいきなり耕す作業をするようなもので、見た目は派手で土も大きく掘り返されてはいますが、これでは乱暴すぎて実りが多いはずがありません。鍼に通電をする方法もありますがトラクターなどの大型農機械を投入するようなもので、大きさや深さを考えていればいいのですが侵入時でさえ機械の重みで小さな花壇などでは壊されてしまい百害あって一利なしです。深く耕すことが悪いというのではなく、何でもかんでも力任せに耕しても適切でないことの方が極めて多いという意味です。

対して水を捲く作業の本治法を行う経絡治療では、耕す際には既に土は軟らかくなっているで最小限の力で済み、最小限の力だからこそ慎重に適切な加減に気づくのではないでしょうか。つまり、鍬で深く丁寧に耕す必要のあることもスコップで色が変わるようにひっくり返すことも手持ちショベルで必要な分だけ耕してすぐに種を植えることも可能なのです。あるいは大型機械で土地改良をする(手術をする)判断も容易です。また土には自然治癒力があり水さえあれば自然発芽すること(本治法のみで治療を終了することが出来る状態になる)ことも充分可能です。

 

4.用鍼について

これも今さら繰り返すまでもありませんが、経絡治療においては微鍼を用いることが美学のようにさえ言われています。確かに微鍼の方が痛みを発生させる確率も低く、鍼灸治療の醍醐味というのか本治法には短すぎない程度の微鍼が適していると実感しています。しかし「瑚I(ていしん)について」の項目でも書いたように、刺鍼することで逆に病体を壊してしまっていることもあるのではないでしょうか。要は「目的の深さに刺鍼する」と言う姿勢ですから、時には深く刺鍼する必要もあるだろうし、接近だけで目的を達成できる場合もあるでしょう。すると、決して瑚I(ていしん)は補助的な道具ではありません。むしろ「瀉法にはステンレスだ」とか「補法には寸三がいい」などの固定観念の方が、様々な体型の人がいるのですから自己の技術確立には妨げとなるでしょう。

但し、深く刺鍼できる技術がなければ臨床で不都合を生じることもありますし、浅い刺鍼感覚はつかみにくく、基本刺鍼は毫鍼から始めるのがベターだと考えています。

 

5.瑚I(ていしん)による本治法

森本先生は「刺鍼をして患者を壊すくらいなら、壊さない鍼だけを用いればいい」と森本瑚I(ていしん)の発想を控えめに語っておられましたが、その臨床成績が総てを物語っているでしょう。鍼灸を施術するということは毫鍼を刺すことであるという固定観念を捨てればどうでしょうか。古代の製鉄技術では現代のような微細な毫鍼は製造できなかったはずなのに治療法則は確立していたということは、その時代の道具でも充分に現代と大差のない効果があったということです(逆に言えば森本先生も引用されていたように古代の方が鍼は効果があって、変に道具の進歩した現代は西洋医学と同じで道具の力に頼りすぎて術者の人間的な力を軽視しているのではないでしょうか)。

毫鍼の製造技術は進み身体の深い部分への施術が容易になると、学生時代に誰もが出会った「一本の刺鍼だけで治ってしまった」という衝撃的な出来事に遭遇します。そして次第に治療効果の劇的差に魅了され、一つ覚えの力押しというのか「治療は毫鍼で行うものだ」と言う観念が根づいたとしたらどうでしょうか ⇒ ひつこいですが通電による鍼治療とはこの典型だと言えます。

逆転の発想で「本治法は瑚I(ていしん)で行うものだった、瑚I(ていしん)を用いることで難経の治療法則は成り立っている」と仮定すればどうでしょうか難経六十九難の治療法則は衛気を操作するものですから大した疑問はないし、今までも陽虚証には小里式瑚I(ていしん)を用いるべきだと主張してきました。問題となるのは難経七十五難型の治療法則で、営気に対する手法が瑚I(ていしん)でも可能かということです。結論から書くと「全く問題はありません」でした。

「脉診至上主義ではいけない」と繰り返し叫んでいながらも、どうしても脉診に頼りがちで、瑚I(ていしん)のみでの本治法に取り組み始めた当初にはこの疑問に対しても検脉だけでは答えが出ず悩みました。正直に書けば腹診や全体症状は良好なのに毫鍼の素早い脉状変化に再び誘惑され、自己治療での経絡の響きにも離れがたいものがありました。けれど、その誘惑を振り払ったのも自己治療の経験でした。筆者の証が難経七十五難型の肺虚肝実証だったときに思い切って森本瑚I(ていしん)のみでチャレンジしてみると、最初は経絡への響きこそ鈍かったもの徐々に深くまろやかに浸透し、(いつも仕事を始める前に行う事情もあって)毫鍼であれば半時間程度で響きが消えてしまうのに、対して森本瑚I(ていしん)では三時間以上も持続し眼底にも心地よく響いて「C血(おけつ)が流されているなぁ」という実感がありました。これ以外にも自己治療の経験により【経絡の反応は毫鍼ほど速くないが丁寧に着実に動いて仕事を完了する】と、明確な答えは導かれました。

例え話をしてみましょう。(雪のない地方の方にはピンと来ないかも知れません)融雪をする際に最も少ない労働は水を捲くことです。この時に高圧水栓で水を捲くと仕事は速いのですがアスファルトの色が見えると溶けたと思ってしまい溶かし残しが多いのに、対して普通水栓ならば仕事は速くはありませんが丁寧で溶かし残しがありません。これに当てはめると毫鍼は高圧水栓で仕事も劇的で速く多少の無理も力で押し切れるのですが仕上がりに荒さが目立ちやすく、瑚I(ていしん)は普通水栓で仕事は決して早くなく力押しもできませんが穏やかで丁寧に仕上がります(衛気や営気は病体中で勝手に巡ってくれるので、治療家の仕事量に差は生じません)。

いつの間にか毫鍼の効果の早さに《鍼灸の主役は毫鍼だ》と勘違いをして、本治法にも毫鍼を用いるようになってしまったのではないかと想像しても無理はないでしょう。いえ決して素問・霊枢や難経が記述された時には瑚I(ていしん)だけを用いていたと断言しているのではなく、現代のような毫鍼は存在しなかったのでもう少し冷静に毫鍼の用途を考える必要もあるのではと書いています。肺虚肝実証もC血(おけつ)がゆっくり流れるのでタイムラグがより生じるものの、時間経過とともに治療効果を実感できると、滋賀では何人もの証言を得ました。

 

6.選経・選穴について

では、治療の良否はどこで決まるのでしょうか。刺激治療では手技がそのほとんどを握ることでしょう。これに対し我々は経絡の持つ素晴らしい力を最大限に発揮させることを目的とす経絡治療家なのです。つまり、経絡治療の真髄は選穴論にあると叫ばれながらも、脉診優先と個々の実力差から大多数は「取穴をして脉が改善したから...}と具体的には実行されていなかった矛盾を正す時期に来たのではないでしょうか。

筆者の経絡治療入門当時は、脉差診ですから本治法にあっても多くの経絡を操作したので手技50%で選経・選穴50%と感じていました。余談になりますが筆者の助手達には「それでも経絡を重視することで難病を克服出来たのだから素晴らしい出会いだったのだ」と繰り返していますし、前段階があったのだから現在があるのだと本当に感謝しています。次に漢方病理と菽法脉診を学んでからは、使用経絡が最小限に絞られたので手技35%で選経・選穴が65%と感じました。さらに瑚I(ていしん)で本治法を行うに至っては手技20%で選経・選穴80%を実感しています。つまり、大げさではな経絡治療とは診察力も含めてですが選経・選穴を導く段階でほとんどの勝負が決まるのです。

また標治法においても散鍼という方法は反応点を捉えるだけでも充分ですが、病理から導かれる選穴に対する施術は病症回復を大きく左右します。具体的には病理考察を把握し、それに矛盾しない選経・選穴を実践することです。だからこそ脉診や腹診のみに頼った証決定の癖をつけないことが肝要です。

 

7.では、毫鍼は必要ないのか?

それでは鍼灸学科で教育される毫鍼治療は元々不必要だったのでしょうか?九鍼十二原篇にも毫鍼の記載があるのですから、そんなことはないはずです。このあたりから森本瑚I(ていしん)だけではないぞという論が始まるのですが、経絡治療家と言えども病体に相当深刺鍼でないと回復しがたい病状もあるでしょう。「あるでしょうと書いたのは、瑚I(ていしん)のみで治療を行っている治療家が存在するのであり、瑚I(ていしん)を積極的に用い始めた当初では深い刺鍼と瑚I(ていしん)の二面でアプローチしていたのですが、臨床には何ら不都合がないという理由でいつしか毫鍼は持たなくなってしまいました。しかし、九鍼十二原篇にはその他の鍼も記載されているのですから瑚I(ていしん)だけが治療の総てではないという証拠ではあります毫鍼はいつでも取り出せるように用意だけはしてあります。

研究の性格が違うので詳細は本文に譲りますが、筆者は『医道の日本』誌上において「帯脈流注治療」と「外風池」なる研究を発表しました。簡単に紹介すると...

 ㈰「帯脈流注治療」とは、経絡とは蛇行はしながらも身体の縦方向に走っているのに唯一帯脈だけが横方向に走っていることに着目し、帯脈は全経絡のバイパス的な役目をしているのではないかと発想しました。バイパスということはどこかの経絡に不都合があれば気血が迂回をして、さらに慢性渋滞となれば帯脈の流注上が硬結のように硬くなってしまいます。つまり、病理解釈がしっくりしない体幹から下肢にかけての多経絡に渡る病症は帯脈の病であり、これを効果的に治療するには腸骨稜の上下(特に腰眼を起点とする上側)の帯脈流注上に直接施術することです。また帯脈が下肢に分布している起点が、秩辺の内下方の反応点で「下秩辺」と命名し、特に下肢の冷感に有効であります。反対に腹部と腰部の疾患には帯脈が必ず絡んでいることになるので、先に帯脈流注上に施術をすることで局所の処置が大幅に軽減されると言うものです。

 ㈪「外風池」とは、分解後線の外端で完骨の上方の治療点を命名したものです。歯痛を止める際に反応点を除去しているうちに偶然発見したものですが、刺鍼中に脉が突然柔らかくなり遠隔部に鍼響が走るのが特徴です。病理解釈としては、熱は上昇する性質があるので病気の際は頭部が最も影響を受けますが、熱が去った後に何も残さないのでしょうか。洪水でも川の流れが穏やかになったとしても傷跡は残しているもので、熱の吹き溜まりが外風池だとしたら遠隔部に鍼響が走ることも熱が均一になることも脉が急に柔らかくなることも矛盾なく説明でき、その他の検証からも外風池は三焦経上に位置していると結論しました。三焦に関する病症(特に頭部付近)に用いて有効です。

これらの治療法は、経絡に対するアプローチは選経・選穴・流注に加えて「経絡の深さ」も考慮しなくてはならないと推測されます。もちろん毫鍼でなければ効果は出ないというのではなく、瑚I(ていしん)適応の病体には瑚I(ていしん)で充分に「帯脈流注治療」も「外風池」にも効果ると考えていたもののその後の臨床で衛気・営気の手法に加えて施術時間の考慮により瑚I(ていしん)でも全く同じ効果が得られることを確認していますただし、置鍼は氣を集める作用があるようで、氣が集まると血が動きやすくなり(病名を持ち出すのは不本意ですが)腰椎ヘルニアのような骨の異常を伴う物理的な病状に対しては顕著であり、その治療家のレベルによっては外しがたい位置づけとなるでしょう。

 

8.瑚I(ていしん)での手技について

瑚I(ていしん)と毫鍼の手技については、実際に鍼が刺さるのか刺さらないのかの違いだけで全く同じだと考えていますし、ちょっとした握り方・抜鍼方法の工夫以外は何も変わっていないと思います。

握り方は、先端の段差はあまり気にせず長柄鍼と同じ原理で近位指節間関節より添えるようにして差し手示指が極力伸びるようにします(鍼先に指先が向くことで氣が入りますから添える母指も鍼先に向けます)。「握る」のではなく、拇指と示指の間で「軽く挟む」という表現の方が的確で、毫鍼においても鍼は握るものではないと考えます。

営気に対する手法は、これも毫鍼と全く同じでしょう。慣れないうちは長時間の接触により疲れから鍼が揺れ始めるのを待っているのがいいでしょうし(鍼が揺れ始めたときから初めて営気が動くのです)、慣れれば意図的に鍼に震顫をかけると早く手技が完了します。但し、注意していただきたいことがあります。「瑚I(ていしん)による本治法」の項目でも書きましたが、毫鍼に比べれば瑚I(ていしん)の仕事は遅いので今まで気付かなかった脉の変化をします。難経七十五難型の肺虚肝実証の時、肝実の脉は若干のタイムラグのあと実が直接取れてきますが、瑚I(ていしん)では一度脉が全体に盛り上がってから肝実が取れ始めます。筆者も瑚I(ていしん)に全面的に切り替えた当初は、この脉が一度盛り上がるのを「胃の気が充実した」と勘違いしていました(当然最終的な出来上がりが悪い)。また水道による融雪で例えますが、最初数十秒はたちまち溶けるのですがそこから池のように水が溜まるだけでなかなか溶けません ⇒ 水温が低くなって溶けないのです。瑚I(ていしん)では血を操作するために力を蓄積する必要があるからではないかと解釈しています。

 

9.終わりに

以上、瑚I(ていしん)の臨床追試を中心に書いてきましたが、我々の実践するものは「鍼灸術」というくらいですから瑚I(ていしん)だけでなく他の鍼も用いるべきと考えていますし、灸も用いているのだし刺絡や吸角や温熱器具など、病体改善のためには無秩序でなければ駆使してもいいと筆者は思っています。筆者は助手に「考え方の根本が経絡の調整に結びつくなら、カイロやその他のテクニックも取り込めてしまうのが経絡治療の最も強いところだ」と話しています。その意味では本文中には便宜上用いましたが、伝統鍼灸学会で「本治法と標治法を区別する意味がない」という主張にも賛成します。




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