東洋医学・治療の説明(その3)

脉診(みゃくしん)

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 「お脈を拝見」とか「この子に脈はあるでしょうか」などといいますが、これは脉診(みゃくしん)を普段の医療として行っていた証拠です。脉診のない東洋医学は、真似事であって東洋医学ではあり得ません。「経絡」とはそれなりの幅と深さがあり、体の中で巡っていない箇所はないと理解されたとして、少し難しいですが漢方鍼医会「用語集」(絶版)から一部引用しますと、

■■脉診
 四診法の中で切診の一つ。診察・診断だけでなく施術の良否を判断するにも大変重宝なので、東洋医学の中では特に重視されている。素問時代には、三部九候、霊枢時代には人迎脈口と進化し、難経時代で六部定位という橈骨動脈の手首側一寸九分を寸口・関上・尺中の三部に分けて脉診することが打ち出され、現代に至っている。
 五臓の気とは胃の気により働いているというのが基本であり、胃の気が充実すると臓の気が太陰の脉に反映される。経絡とは肺経より始まり十二経絡を巡ってまた肺経に至る。これを根拠に肺は経絡の終始する所とされている。胃の気が無いと臓の気はそこには現れず、胃の気のみが寸口に巡るのではなく必ず五臓の気と一緒に寸口に達している。つまり胃の気が弱ると、寸口に反映する脉も弱くなるとしている。これにより六部定位のみで全身状態が把握できるのである。

 何を説明していたのかおわかりになりましたか?そのままでは既に経絡治療を実践している人以外は分からないですよね。

太極マーク3  まず昔々は頭・手・足の身体の三箇所の脈を探って診察をしていたのですが、それでは非効率的ですし、範囲が広すぎて間違った診断の元ですから出来る限り集約したものを研究し、首と手首の脈を比較することが発見されました。さらに手首の脈を人差し指・中指・薬指の三つの部位と浅い・中間・深いそれぞれの深さで診断することにより、3×3の九箇所を診察出来ることが発見されました。
 そして「経絡は環(たまき)の端なきがごとく巡る」とあるように、一つの経絡は自分だけの仕事をしているのではなく全ての仕事を反映しながら流れているので、手首の脉を触れることだけで全ての経絡の働き具合を窺い知ることが出来る。だから六部定位(ろくぶじょうい = 橈骨動脈 = 手首の脉)を触れるだけで瞬時に全身状態を把握出来るだけでなく、病気の発生機序から回復過程や治療回数までも、時によっては始めての診察段階から正確に言い当てることが出来る、それが脉診なのです。もちろん治療家の習熟度によって診察の精度には違いがでてきますから、治療家たるもの常に修行を怠ってはなりません。

 ですから『脉診流(みゃくしんりゅう)』を強調しています。さらに漢方鍼医会では難経五難にでてくる菽法(しゅくほう)脉診を駆使し、沈めて陰経・浮かせて陽経の概念にとらわれず五臓本来の高さへの調整をしています。これにより従来よりずっと鍼数の少ない治療が可能になっています。

研修会での脉診写真    研修会での腹診の写真
 あまり 「五臓六腑」 のことについては触れてきませんでしたが、現代で一般的に用いられている「心臓」や「肝臓」など内臓の名称は東洋医学での用語だったものを、蘭学(江戸の鎖国時代に唯一伝わっていたオランダからの医学)を翻訳する際、不用意に流用してしまったものであり、現代での大きな誤解要因となっています。野球でショートのことを「遊撃手」とも書きますが、これは意味を考えて翻訳したものですからいいのですけどアメリカのことを米国と書いているのは、不用意な当て字であり変ですよね。やはり元々の言葉でないとおかしいです。もうどうにもならないのが残念ですが・・・。
 それでは「脉診さえすればなんでも把握し理解出来るのですね」と詰問されそうですけど、やはり人間が持つ触覚で行うものですからなんでも把握出来るわけではありません。 「ほら、やっぱり経絡も目で見たことはないし感触だけで治療されたのではたまらない」 と反論を受けそうですが、そこはプロの仕事ですからちゃんと誤った治療に陥らない仕組みがあります。

 「望・聞・問・切」(ぼう・ぶん・もん・せつ) という四つの診察段階があり、望診は患者さんの顔色や舌の状態を目で見て診察し、聞診は患者さんの臭いをかぎ分けたり声や食べ物の好き嫌いを聞いて診察し、問診は病気の状態を聞き取る診察で、切診は実際に身体を触っての診察なのですが脉診以外にも腹診(ふくしん)や体表観察など、あらゆる方向からの検討により治療パターンを最終決定まで導いています。また「三点セット」と呼んでいますが、脉診・腹診・肩上部の全てが同時に改善しているかということで何重ものチェックが入るように診察は組み立てられています。

 東洋医学にも独自の 「病理」 があり、診察を総合判断して最終決定される治療パターンのことを 「証」(しょう) といいます。
 参考までに脉位の配当と難経六十九難で一般的に解釈されている証を記した図は ここをクリックすると 表示されます(スクリーンリーダー未対応です、ごめんなさい。
 ただし、この配当図そのままに鍼をするとは限りません。一本目で整えばそれだけで終わってしまいますし、親経を補うとしても剛柔選穴という方法もありますし、あまりに気の巡りが早すぎるときには陽経から治療を開始するなど、多くのバリエーションの中から選択しているのが臨床です。時には邪気の処理から入ることもあります。

てい鍼を施術している写真

補瀉について(かなり専門家向け)

 一通りの治療説明の最後は、「どうして鍼を刺さないのに効果が出せるのか」についてです。素人の方には 「経絡を最も効率的に調整出来る用具が鍼灸であり、調整が目的なのだから深く刺す必要はどこにもない」 と覚えていただければいいでしょう。ついでに 「鍼灸とは堅くなった筋肉をほぐしたり血行を促すだけのものではない」 とも覚えてください。

 さて専門家の方へのメッセージですが、 漢方鍼医会 では難経をより忠実に再現し「衛気・営気の手法」を確立しました。さらには腹部を用いての臨床的手法修練法も開発され、客観的評価で修練が出来るというのは世界でも漢方鍼医会だけだと自負しています。後世に記述された難経の注釈本においては、気を動かせば必ず血も動いてくるということで「衛気営血」という表現をしていますが、やはり鍼灸で直接動かせるものは「気」以外にはないのですから、衛気と営気に対する手法で臨床を進めることが忠実な方法でしょう。
 ところで衛気と営気の違いは何かといえば、経脈の外を巡っているか内を巡っているかだけであって、それほど違わないと感じています。つまり、いわゆる「気を補う」とは衛気の補法で異論はないと思うのですが、「瀉を施す」時に九鍼十二原篇に記載されている邪気を抜き取ることで考えるか充足している側から借りてきてバランス調整すると考えるかで、その臨床が大きく変わってくると思われます。

 難経では「営気の補法は瀉に通ずる」との記載があり、経脈内の営気を補うことで経脈外の衛気をコントロールし九鍼十二原篇の「瀉法」と同じ結果が得られるのだとしています。陰気を補っていると解釈しても差し支えないと思います。もちろん九鍼十二原篇の瀉法を軽視しているわけではありませんし刺絡という方法は血の瀉法と考えることも出来ますが、 鍼灸は精気の虚を補い未病を治すことで治療の目的を達成 させるのが本来の姿ですから、現在の臨床では衛気の手法と営気の手法の二つを用いることで目的は充分に達成出来ています(敢えて補法とはいわず手法という言葉で混乱を防いでいます)。そして、より厳密な手技のためには「ていしん」の方が適しているので、十年以上は毫鍼を手にしたことがありません。決して毫鍼を否定しているのではなく、私の臨床では必要性を感じないので、手にしていないのです。でも、それは患者さんのためではないでしょうか?



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