『鍼灸』とは、『経絡』を効率的に運用するために考え出された道具


『鍼灸』が先か、『経絡』が先か

 「鶏が先か卵が先か」という言葉、よくご存じと思います。原因と結果のどちらに主要因があるのかが分からない時、よく用いられています。つまり、鶏がいなければ卵は産まれるはずがないのだが、卵から鶏は産まれてくるので、結局はどちらが先立ったのかがよく分からないので、どちらが原因でどちらが結果なのかが分からないということです。
 何故こんな話から始まるかというと、『鍼灸』というものを素人さんのレベルから見れば治療方法の一つなのですけど、現役の鍼灸師のほとんどと鍼灸学校のやはりほとんどの学生から見れば毫鍼を刺鍼することそのものが治療行為であり結果を求める唯一の手段です。つまり、鍼灸師は鍼やお灸という更衣によって卵を産み付けてこれが鶏へと成長するのだと主張するのですが、素人さんが求めているのは成熟した鶏だけであり、卵を生んでからの仮定などほとんど関係ないのです。素人さんが求めているのは、治療で改善をしたという、「結果」のみなのです。
 「鶏が先か卵が先か」を議論しているのは、鍼灸師だけという愚考に何故気付かないのだろうと常に思っています。


『手当て』から、『吸角療法』ができるまで

 人間がまだ農耕生活を始めていなかった狩 猟時代、男は山野を駆けめぐり女は家で子育てをしながら待つというスタイルがこのころに成立したのでしょう。
 そして獲物を追い求めていると、時にはケガをしてしまいます。ケガした身体で戻ってきた時、痛みに耐えている姿を見て「何とかしてあげたい」と思うのは当然のことで、思わず患部へ手を沿えていたことでしょう。自らも患部へ手を沿えることは、子供でもしていることです。ですから、治療行為のことを『手当て』といいます。
 また時には毒虫に刺されたり蛇にかまれたり、毒のある草に触れてしまったなどもあったでしょう。すると患部はどす黒くなるか腫れ上がっており、苦しむ姿を見て「この毒を抜いてあげられたなら」と発想するのは当然で、初期の瀉血療法が産まれたと思われます。ヒポクラテス時代の西洋医学も全く同じ発想から発生しており、世界中の医学の原点は瀉血療法なのです。
 ところが毒が多いので口で吸い出す必要があった時、不幸にして助けてあげようと吸い出していた人が毒を飲んでしまい、逆に命を落としてしまったという事故もあったでしょう。そこで事故を防ぐために、動物の角をくりぬいてストロー状にして吸い出すことを思いつき、これが吸角療法となりました。

『ツボ』と『経脈』の発見

 吸角療法が確立しても、それでも手の出せない事態があったことは容易に想像できます。例えば激烈な歯の痛みが発生したとしたなら、顔面から吸角療法を施してやろうとしても痛みが強すぎて、手で振り払われてしまい患部を触らせてもらえないでしょう。
 それでも「何とかしてあげたい」という気持ちで、患部から遠い手や足をさすったり押したりしていたなら、不思議なことに病状が回復したという経験をします。このようなことは、現代人の我々でも偶然に体験していることが案外と多いものです。
 「これは一体何なんだろう」という経験を重ねているうちに、どうやら治療に使えるものだということが分かってきます。つまり『ツボ』の発見であり、ツボ療法の原点となります。
 ツボを押さえていると響きがあったり、ツボ療法を組み合わせているとどうもツボを連ねた流れがあることが分かってきて、つまり『経脈』が確立してきます。
 経脈を探っているとその流注上に新たな経穴(ツボ)が発見され、経穴を活用することで経脈の働きがより詳細に把握できるようになってきます。古典書によっては経脈のみ記載があって経穴の図示さえないものや、経穴名は書かれていても系統立てての記載でなかったりということがあるようですが、経脈と経穴は足を交互に踏み出すようにお互いを補いながら発見されてきたことに間違いはないでしょう。

経絡を効率的に運用するために考え出された道具たち

 経脈や経穴の概念が確立してきて知識も深まると、今度はこれを効率的に活用する方法が考案されてきます。東洋医学はあちこちにあった地域医療から優れた技術を寄せ集めることで成立しており、例えば推拿という経絡按摩があったり内部から整えるための太極拳がでてきたり、そしてお灸や鍼という技術も個別にでてきました。
 お灸と鍼が別々に進化をしてきたという証拠は、馬王堆から出土した書物がそれです。「十一脈灸経」と、お灸の書物であり個別の技術であったことが分かります。ちなみに十二経絡のうちこの時代はまだどれが未発見だったかというと現在の心経であり、現在の心包経のことを当時は心経と呼んでいました。陽経が六腑あるために対応するものを探し出したのが心経なのですが、心臓の陽気はそれを包んでいる心包を通じてでてくるということで、名称そのものを譲っています。
 その中でも鍼とお灸は相性がよかっただけでなく、併用することで効果が飛躍的に向上したことから結婚をしたかのように「鍼灸」というセットで用いる技術へと進化をしていきました。

「鍼灸術」は、経絡の調整のための学問

 想像に難くない範囲で歴史を考察するだけでも、鍼灸を用いるために経絡という理論が考え出されたのではなく経絡というものが先に存在していて、それをどのように効率的に運用するかということで現れてきたのが鍼やお灸だと容易に判断できます。
 明治維新での漢方撲滅や第二次世界大戦後のいわゆるマッカーサー旋風を乗り切るため、西洋医学でも効果があることを証明できるように努力してくれた先輩諸氏には敬意を感じます。けれど危機を乗り切るために別方向からも効果の証明をしてもらったという話であり、それを根拠に西洋医学をベースとして鍼灸の治療スタイルを構築しようという考えは歴史を踏まえれば明らかな間違いです。西洋医学をベースとしても治療が成立することは事実ですから認めるにしても、鍼灸師には西洋医学の持つ検査が直接できないのですから、わざわざ独自の診察手段を捨てて、効率の上がらないやり方を選択するのか、本当に理解しがたいです。

鍼灸術を極めるために

 経絡を運用するための道具として鍼やお灸が存在すると考えたなら、それを運用するための独自の診察法が見極められてきたことも、歴史を踏まえれば当然のことです。ここでは敢えて漢方医学の大きな立場からのことですが、病状に対して「この薬」「ここへ鍼」と対処療法をしているのではなく漢方医学にも生理があり病理があります。漢方独自の病理が考察できるようになれば、病の本質を診断することができ「なぜこのような病状になったのだろう」という理論が把握できればその先の予測もできるようになります。ちなみに脉診で不問診ができるなら、唯一の予言のできる医術に達することができます。
 治療家になるためには人体の構造を覚えたり臨床で出会うだろう各論について理論と対処法を机の上で勉強していくことと、同時に触診をするために触覚を磨くところから始めなければならないので時間が掛かり努力も必要です。しかし、これは人命を扱う医療なのですから安易な妥協は許されません。
 加えて鍼灸術の「術」という文字は、仁術の術であり、最終的には人が行うものなのですから人格者になるための修行も同時に必要です。若い人たちは条件が許すなら、是非とも下積み修行から入ってください。「俺が直してやる」とか「鍼灸をすることで社会に認めてもらおう」などという濁った心があると、発せられる気も濁ったものとなり治療がうまくいくはずがありません。学と術の両輪がそろってこそですが、術は技術だけでなく仁術も表していることを忘れないでください。


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