実は、鍼は元々刺すことが目的ではなかった?
霊枢『九鍼十二原篇』について


 何がきっかけでも構わないのですが「鍼灸師を目指そう」と思った時、まだその時には素人ですから専門的知識がないので「鍼やお灸を使ったなら何かができるかも知れない」と発想しています。それはそれで、素人なのですから鍼灸との接点さえあればいいのです。しかし、実は鍼灸は経絡や経穴を効率的に運用するために考え出された道具にすぎません。
 「えっ、そんなテレビやネットでは鍼を刺すことで人体にどんな変化があるのかを解説している記事ばかりなのに」と思われるでしょうが、霊枢『九鍼十二原篇』を読めば刺さない鍼が一番で、次には手術道具のような鍼が来て、やっと最後に刺す鍼だということが分かります。これは経絡を運用するのに、その順番で段々と探求していくのが効率的だということを示してもいます。
 では、ごく簡単にですけど九鍼十二原篇を解説してみます。

鍼灸を行うためには、古典を読むことが必須!

 まず鍼灸を含む漢方医学を学ぼうとする時には、中国の古い時代に残る医書を学ばねばなりません。鍼灸師が俗に「古典」と呼んでいるものです。
 どうして古典を読まねばならないかなのですけど、現代人は情報化社会となり知識が豊富で便利な道具も揃っている反面、日常生活での知恵というものが薄れてしまいました。検査や解剖学の発達により人体の隅々まで分かったつもりでも、肩こりや風邪を治癒させる方法を未だに会得していないことを例にすればよく分かるでしょう。ところが古代の人たちは日常生活の知恵に優れていて、また自然から学ぶこともよく知っていたので現代人の感覚ではつかみ取れない関連性も見いだしていました。その古代の人たちが考案した道具である鍼灸なのですから、古代の人たちの知恵をまず学ばせてもらわねばならないということなのです。
 そして驚くべきことでもないでしょうが、漢方医学の真髄は全て古典に書き尽くされています。道具などの工夫により新たな修練法が開発されたり効果の新たな証明方法が発見されることはあったとしても、既に真髄は古典にあるのですから古典を読まねば漢方医学の修得はできないのです。

『九鍼十二原篇』の概要

 鍼灸に関連する古典としては『難経』が全てを集約しているといわれています。これは極論過ぎるといわれるでしょうが、低く評価されることはない『難経』ですから、話を進めるために今回は全てを集約していることにしてください。その『難経』のベースとなっているものに『黄帝内経』というものがあります。『黄帝内経』には様々な説があるそうなのですが、一般的には自然哲学に根ざしたZASaq 22qq 病理学的な内容が多い『素問』と鍼灸のことが多く書かれている『霊枢』から構成されるというのが定説です。その『霊枢』の一番目に登場してくるのが『九鍼十二原篇』です。
 『素問』も『霊枢』も複数の著者によって書き表されたものであり、時代的にも長く掛かっているので編纂された最後の段階になってダイジェスト版のような『九鍼十二原篇』が挿入されたものと推測できます。これを先頭に挿入していることに、大きな意味が込められています。
 『黄帝内経』は、黄帝と主に岐伯との間で問答をするという形式で記述されています。岐伯は鍼博士であり、他にも数人の鍼博士が登場してきます。国王である黄帝がそんなに医学に詳しいはずはなくフィクションなのですが、「国民の健康を思って書かれた書物ですよ」ということがこのあたりからも読み取れます。

簡略版『九鍼十二原篇』、

*以降の部分は、古典というものを全く知らない人のためにこの文章のために付記したもので、『九鍼十二原篇』には書かれてありませんので、あしからず。

 黄帝が岐伯に質問をします。「私は国を治めているのだが、子供というべき民には自給ができなかったり病気をしているものがいるので可哀想だ。負担の大きい強い薬や石でできた鍼ではなく、細い鍼によって微妙な刺激で治療ができるそうだから、鍼の教典として残したいので順番に教えていってくれ」と、問いかけています。
 これを受けて岐伯は、「臣下の私に手伝わせてください。黄帝の質問に対しては筋道があり、一から始まり九で終わります。」と、順序立てて説明を始めていきます。
*古代の中国では「九」という数字が最大を表し同時に縁起のいい数字とされたので、九つの項目にまとまるようにした節が確かにあります。

 「微鍼で重要なことは、述べるのは容易ですが実際には難しくて、未熟ものは形にこだわるのですが、すぐれているものは神(気の動き)を重要視します」と、手法というものがいかに繊細なものかということを、まずは説明しています。
 「虚実に対しては、九種類の鍼が最も適切に対応でき、補瀉を行います」と、補瀉を鍼で行うのだと話が進みます。


 九鍼はそれぞれに形が違います。
 一つめは、ザン鍼で、長さ1寸6分(ザン=金へんに、讒のつくり)」です。ザン鍼は先端は大きくて鋭く、よけいな陽気を瀉して取り除くのに使います。
*鋭いといっても、皮膚が切開されるようなことはなく、こすって使います。なお、寸法はその当時の表現であり、現代の一寸六部よりかなり小さくなります。

 二つめは、員鍼で、長さ1寸6分」です。員鍼は卵形の鍼で、肉のすき間をこすり、肌や肉を傷つけることなく、気を分散させ瀉します。
*筋肉の隙間のことを「隙(げき)」といい、卵形の先端に突起をくっつけたものが現代の円鍼であり、その突起で隙を軽く叩き、あるいは卵形の部分で皮膚全体をこすります。突起を付けない卵形のみの円鍼も改良型として多く用いられています。

 三つめは、テイ鍼で、長さ3寸半(テイ=金へんに、提のつくり)」です。テイ鍼は先端は黍や粟の粒のようで、おもに脈を押さえて、深くさすことはなく、気をいきわたらせるのに使います。
*鍼の先端に黍や粟の粒のような丸い突起を付けており、丸い突起の側で補法を行うとされています。粒なのですから皮膚が凹むように押さえつけてはいけません。本ホームページでは「ていしん」と表現しているもので、オリジナルデザインへと変更しやすいので先輩諸氏が色々と工夫をされており、「二木式ていしん」もその一種です。

 四つめは、鋒鍼で、長さ1寸6分」です。鋒鍼は角が3つある刃物で、長い間治らない病気を外に出すのに使います。
*具体的な使い方としては、お血(おけつ)を排出するための瀉血の用途に用いたのでしょう。

 五つめは、ヒ鍼で、長さ4寸で幅2分半(ヒ=金へんに、皮)」です。ヒ鍼は先端が剣の先端のようで、大量の膿を取るのに使います。
*文字通り、膿を取るときに使ったのですから現代でいえば手術道具ということになるでしょう。

 六つめは、員利鍼で、長さ1寸6分」です。員利鍼は、先はからうしの尾のようで、丸いところと鋭いところがあり、中ほどは、わずかに大きく、横暴な気を取り除くのに使います。
*横暴な気を取り除くとあるのですから、これも瀉血が目的の鍼だったでしょう。

 七つめは、亳鍼で、長さ3寸6分です。先端が蚊やあぶのくちばしのようで、ゆっくり行って静止させ、長時間とどめて様子をうかがい、面倒をみて、痛みやしびれを取ります。
*現代で最も頻繁に用いられている毫鍼の原型ですが、鋭いのは鋭いのですが、丸みを帯びた鋭さだということが読み取れるので、現代の毫鍼の方がその後の制作技術向上により変化をしたのだと分かります。そして本文に「ゆっくり行って静止させ、長時間とどめて様子をうかがい、面倒をみて、痛みやしびれを取る」とありますから、不覚刺鍼するのではなく置鍼のために用いられていたのであり、深く刺鍼するというのはこの時代には想定されていなかったことだろうと思われます。

 八つめは、長鍼で、長さ7寸です。先端は鋭く、身は薄く、遠方のしびれを取るのに良いとされます。
*こちらの方が現代の毫鍼の使い方に近そうです。ただ「長い鍼ですよ」と書かれているので、あまり頻繁に用いた感じではありませんし、当時の材質だと靱帯へ深く刺しても無害であったかどうかの疑問があるので、ここからも頻繁に用いられていたとは想像しにくいものです。

 九つめは、大鍼で、長さ4寸です。先端は棒のようで、わずかに丸く、関節などの水を排泄するのに用います。
*これは刺鍼するための鍼とは違ったようです。先端が丸いのですから、特定箇所を押さえる使い方だと想像され、「邪を払う」のような役目だったのでしょう。


 ここまでで『九鍼十二原篇』としては半分あたりで、この後も黄帝と岐伯の問答が続きます。邪気や虚実を考えずに鍼をすればかえって悪影響をもたらすことや、刺鍼での注意点、五要穴の説明、十二の原穴について、手法での注意点と続いていきます。私が研修会へ参加させてもらった当初は、補瀉を説いているとされた段落について暗唱をして教室の中で大きな声で発表をしていくということもやっていたくらいです。
 注釈を入れた部分からもおわかりになるでしょうけど、刺鍼は確かにされていたようですが現代のような深い刺鍼はなく、身体へ刺さるものはむしろ手術道具のようなものが目立ちます。つまり最初の三つは接触までの鍼であり、これらを重視していたことが読み取れます。
 毫鍼は特に20世紀になって細いものが製造できるようになると、簡単に身体へ刺さってしまい響きも発生しますから、いかにも「これは効いた」という手応えが術者にも患者にもあり、そして偶然にも深く刺鍼したことで瞬間的に痛みが取れたりなどするものですから、次第に深く刺鍼することそのものが鍼の目的と混同されるようになっていったことは想像に難いところです。けれど『九鍼十二原篇』では、そのようには書かれていません。黄帝が「負担の大きい強い薬や石でできた鍼ではなく、細い鍼によって微妙な刺激で治療ができるそうだから、鍼の教典として残したいので順番に教えていってくれ」と、問いかけているのですから、鍼とは鍼灸術とはそのようなものでなければならないのです。


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