この文章は 「にき鍼灸院」院長ブログ からの転載です

ていしんを試作中(その7)、最高ポイントで抜鍼する


小児鍼試作品、第一弾  「ていしんを試作中」シリーズは一ヶ月半ぶりの記述となりますが、その間に色々と新しい発見や経験があるものの、理論的な背景が今ひとつぼやけているので掲載を見送ってきました。
 掲載した写真は、次に開発している小児鍼バージョンと二木式ていしんを並べたものです。形状としては同じなのですが、長さが違います。二木式ていしんが55mmなのに対して小児鍼バージョンの試作品第一弾は30mmとしました。しかし、これはちょっと小さすぎてなくしてしまいそうですし、ひっくり返して使うのにも小さすぎて素早く操作できなくしてしまいました。ということで、現在は40mmと45mmのものを発注しています。小児鍼については、完成品ができたならまた報告をします。
 「院長ブログ」にのみ掲載している第16回漢方鍼医会夏季学術研修会を終えてで陽経から治療を始めることを書いており、小児鍼はその代表の一つであるとも書きました。またていしんを試作中(その6)邪を払うでも「それまでの小児鍼は、小児とは陽気が旺盛だからまずこれらを制御してやるという意味で陽経の流注上を刺激していたのですけど、そうではなく邪を受けやすいので邪を払ってやることが補の効果につながっていると仮定し追試すると、さらに成績が上がっていたのです」と報告しているように、「邪を払う」ことに最近着目しているのですが、その前に衛気・営気の手法ができていなければ「邪を払う」ことすらできないので、今回はその考察となります。

 夏期研で「腹部を用いての衛気・営気の手法修練」を再度取り入れるために講師合宿の中で実技交換をしていたなら、一年前と少し変わっていることに自分自身で気が付きました。それは衛気の手法が大幅に時間短縮されていたことです。
 営気の手法についても多分短くなっているのですが、ダイナミックに行うことを寄り意識しています。メリハリのある手法となることを意識していると書いてもいいかと思います。

 ここで話を少しオリジナルていしんを開発しようと考えた段階に戻します。メールマガジン あはきワールド「刺してもダメなら触れてみな」ということで書いたのですけど、背部肉離れの激痛で苦しむ高校生に、当初は難なく治療できていたものが連日の来院に打つ手がなくなり思わず深く刺鍼すべきかと迷った時に『衛気の手法を行っているといいながらも実は深すぎるのではないか?』とふと自分の手法が疑問になり、思い切って元々刺さらないていしんで施術したなら劇的に回復したことがていしんを主体とする治療への転換点でした。
 そして”ていしん”を使いこなすのに今ひとつ工夫が必要だと感じていたそのタイミングで”森本ていしん”を紹介してもらい、「こんなに使いやすい”ていしん”があったとは」と、一気に”ていしん”のみの治療へとスタイルは変化したのでありました。
 けれど”森本ていしん”はあくまでも森本先生の手に合わせたデザインであり、私の手に合わせたものではありません。難経七十五難型の肺虚肝実証を中心に陰実証の研究をもっと深めたいですし、剛柔治療を行うにはもっと確実な変化が欲しいところですし、何よりも鍼の握り方を知らない人が多すぎるのでそれが補正できる道具を残したいという欲求がオリジナルデザインを発想させました。

 そして”ていしん”のみの治療に切り替えてからしばらくして腹部を用いての臨床的な衛気・営気の修練法を開発したのですけど、これは患者さんの身体を借りて毎日訓練させてもらっていますから、手法が大きく崩れていることはないだろうと安心はしていました。参考:夏期研実技編(その3) 実践的手法修練が採用されるまで
 ところが、”ていしん”のみの治療を行えば行うほどいつの間にか手法の時間が短くなっていきます。”二木式ていしん”を導入後には、さらに顕著です。これは”ていしん”が太いからなのか?ていしんが重くなったからなのか?自分の手に合わせたからなのか?いずれもこの理由は当てはまると思います。
 それに加えて、毎日患者さんの身体を借りて修練している間に抜鍼のタイミングを最高のポイントで行えるようになってきたからだと思います。登山に例えるなら頂上は一点しかなく、その頂上で抜鍼することが最高ポイントとなりますが、術者は頂上に達した時点で「よし手応えがあった」と感じるものです。しかし、手応えがあってから抜鍼したのでは既に頂上を過ぎて下り坂に入っており、これでは最高ポイントで抜鍼できません。つまり手法が最高の状態ではないのです。
 手法を最高の状態で完了させようとするなら、鍼が患者さんの皮膚に接触をした時から抜鍼の準備に入っておく必要があり、「そろそろ手応えがあるはず」というところでは抜鍼動作が開始されていなければなりません。そして押し手の重さや刺し手の操作が適切であっての話ですけど、気が補える頂上に達するタイミングと抜鍼のタイミングがピタリと一致していてこそ、最高ポイントでの手法となります。

 少し視点を変えて取穴の実技を思い浮かべて頂くと、もっと具体的なイメージになるかと思います。まず軽擦を繰り返すことで普段は潜在的な経絡が活性化され経穴も明瞭な反応となってきます。そして、軽擦の幅を徐々に狭めて目的の経穴を取穴することになります。この時にはソフトランディング・ソフトテイクオフで粗雑にならないことはもちろんですが、「尺取り虫」つまり経穴を通り過ぎたなら逆方向へ後戻りはしないことが重要です。ですから経穴反応を覚えておいて、その手前からブレーキを掛けなければなりません。新幹線をピタリとホームで停車させるには、駅の手前から徐々に減速を始めて予測をしながらブレーキの力を加減しているのと同じです。
 取穴は自分の身体を用いて修練することができますけど患者さんの身体を借りて指導を受けながら訓練することが大切です。そうでなければ、臨床を一人でこなすことができません。これと同じで手法も自分の身体で会得する努力が必要ですが、手法は一発勝負の要素が強いので腹部を用いての臨床的な修練法でタイミングを会得する必要があるだろうと最近は特に実感します。

 手法とは指導者(先輩)の手から教わってきたものですけど、マンツーマンで教わるということは担当していただいた指導者の個性も反映されてしまうということであり、実は同じ研修会なのにガイドラインだけで同じ手法になっていないというのが技術の世界です。これはお医者さんが手術をするのに「腕」が違うことと同じですから現場の人間にとっては常識的なところなのですけど、素人の患者さんにとっては大変です。お医者さんは外科的な素質を持っている人が手術を担当し、素質の薄い人は内科などへと住み分ければいいのですけど鍼灸の世界にそれはない話ですから、「腕」を磨く訓練が必要です。素質に頼るのではなく鍼灸師はなんとしてでも「腕」を自らの努力で作らねばなりません。
 だからこそ秘伝・口伝に次ぐ極秘事項だった手法の違いをうち破れる腹部を用いての臨床的な衛気・営気の手法修練が開発できたのですから、さらに積極的に取り入れるように推進していきます。毫鍼のことを批判するつもりはなく必要があればいつでも私も毫鍼で刺鍼する用意はしてあるのですが、”ていしん”を用いたからこそ手法修練を思いついたのでありその中から最高ポイントでの抜鍼が見つけ出せた経験があるからこそ、”ていしん”をさらに追求しています。


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