この文章は 「にき鍼灸院」院長ブログ からの転載です

ていしんを試作中(その8)、充分に気を補う?
ひな人形をバックにツーショット  「ていしんを試作中」シリーズは、前回ていしんを試作中(その7)、最高ポイントで抜鍼するから半年以上飛んでしまったのですけど、データベースの蓄積をしていたということでご勘弁を。
 二木式ていしんそのものは完成したのですけど、これは第一弾であり今後に改良版を製作する可能性が大いにあります。それよりも、今は「ていしんのみでの治療がどうして可能なのか」「ていしんの臨床でのポイント」に焦点を移してシリーズを再開します。

 先日に鍼灸ジャーナルの企画で松田博公(まつだひろきみ)先生との対談があったのですけど、普通に仕事をしている場面を見学してからの対談という企画でした。時間的な流れについては既に「鍼灸ジャーナル」からの取材を受けましたで報告しているとおりです。写真はこのエントリーが3月3日なので、対談後に和室に飾ってあったひな人形の前で冗談につきあってもらっての記念撮影を掲載させてもらいました。
 その中でも言葉は違いますが、松田先生から「ていしんによる治療というものはゆっくりやっているものだと思っていた」と驚かれている様子を書いています。確かに今思えばホームページに掲載してきた論文でもブログでも、平均的な鍼の速度というのか治療スピードというのか特に標治法における手技の流れについてはあまり書いていませんでした。表現が難しく、本治法よりも多種多様な場面を想定しなければならないので書ききれないのです。
 対談の中でもでていたように、こちらの不勉強が原因なのですが学生時代に初めて鍼灸院で生の臨床を見せてもらった時には標治法がどういうものかを知らず、また本に書かれている説明ともリンクできていなかったので「どうして背中へも施術されるのですか?」と質問をしてしまう始末です。それゆえに、見学をさせて頂いた大阪の先生の標治法は素早かったので「散鍼というものは軽やかにスピーディーに行うもの」だとその時に思い込んだのかも知れません。
 それで、現在の標治法は自分で書くのもおかしいですが、「ものすごいスピード」で行っています。目にも止まらぬ速さというほどではないにしても、刺鍼を前提にした治療を基準にするならスピード違反は間違いありません。しかも、強烈な点数削除級のスピード違反でしょうね。これには、ちゃんとした理由があります。

 経絡治療を学ばせていただいた東洋はり医学会では治験発表が頻繁に行われていて、よく「この病態を回復させるためには充分に気を補うこととし・・・」という表現がされていました。この「充分に気を補う」というフレーズからは、ポイントとなる経穴へは丁寧に時間もたっぷり費やして手法を行うのように受け止められますよね。私の師匠は置鍼から治療に入るという大師匠のスタイルを継承されていましたから散鍼という手技がほとんどなかったのですけど、大阪の見学させていただいた先生だけでなく目にさせてもらう機会のあった本部の先生方の実技もそのようにされていました。
 ということは、要点となる経穴へはリソースを裂いてその他については流すことを重視するのだと理解し、散鍼というものはスピーディーに行うべきものとして練習をし、開業後にはオーソドックスなスタイルを取り入れたのでスピーディーな散鍼を最初から実践しました。この流れが、ていしんのみの治療へと変遷していく中でも引き継がれ、治療効果に何ら問題がなかったので、何も不思議を感じずに今でもスピーディーを心がけているのです。

 ところが、腹部を用いての客観的手法修練を行う中で「充分に気を補う」ということは、時間を費やして手法を行うことなのだろうかという疑問がわいてきました。
 腹部を用いて修練していると、手の重さは顕著に結果として跳ね返ってきます。しかし、時間に関しては銅もまちまちな面があります。初心者の場合には、まず「気」そのものが理解できていませんしコントロールもできていないので、力が抜けるまでの体制づくりも含めて当然ながら時間が掛かります。これは納得です。
 けれど手の重さや一連の動作ができるようになってくると、長時間施術させていると逆に脉や毛穴が開いてきて汗もでてきてしまいます。施術には適切な長さがあるということ、これも納得です。
 では、どれくらいが適切な時間かということですけど、これが前回に提言した「最高ポイントで抜鍼する」ことだと判明してきたのです。要点としては、手応えがあるということはその時点が最高ポイントなので手応えを感じてから抜鍼動作に入ったのでは遅いのです。ていしんなら接触した瞬間から抜鍼の準備に入っておき手応えが伝わり始めたと同時に抜鍼してちょうどくらいになります。一連の手法がマスターできている人なら、時間にすれば1秒から3秒程度と、今までの常識が完全にくつがえってしまいました。

 おぉっと、書きながら以前の記事を読み返していたなら具体的な時間のことを記述したのは初めてのようですね。私は臨床の中で徐々に変化していましたから驚きはしなかったのですけど、一連の手法がマスターできている人なら、時間にすれば1秒から3秒程度という時間は、ちょっと考えられない短さでしょうね。
 滋賀漢方鍼医会の例会で会員は概要を知ってはいたのですけど、改めて時間にこだわって腹部を用いた手法修練を行ってみると、やはり驚嘆の声が挙がるのですが客観的事実があるのですから仕方ありません。どうしても頼りない感じが最初はするので徐々に時間を短くし、短い方が効果が顕著であることを認めてもらいます。特殊な感覚を持っている会員がいて、「最高ポイントで抜鍼すると暖かな風が吹いてくる」と証言していました。これを体験したい方は、研修会に参加して頂くことです。

 さて、一秒から三秒という手法時間が一応本当だとしても、それで「充分に気を補う」ことが可能なのだろうかと・腹部ではそのように反応をしても本治法ではやはりじっくり腰を据えて補うべきではないか、と思われるでしょう。しかし、腹部での反応は本治法でも標治法でも同じです。
 病気を回復させられるものは自然治癒力しかなく、経絡を調整することにより低下している自然治癒力が最大限にまた発揮できるように手助けをするのが鍼灸治療です。例えるなら身体という風船が自然治癒力という風にうまく乗れないので落下しそうになっている時には、軽く風船を押して風にまた乗せてやるのが最も効果的です。けれどバレーボールのアタックのように、強引に風船をたたきつけてもうまく風に乗ってはくれません。これと同じことで、手法をじっくり行えば・補助療法も含めてあの手この手を用いれば気が補われるのではなく、経絡がスムーズに流れることを一番に考えるなら手法にかかる時間など問題外なのです。毎日の臨床でも本治法において一本目は脉も含めて反応が若干鈍いので頼りなく不安になっているのは私も同じですけど、経絡が全身を巡るには時間が必要なのですからそれを信じることです。

 他の治療を受けても回復しなかったという患者さんが来院された時、経絡治療の立場から診察したなら治療をするつもりが刺激が強すぎて逆に壊していると判断できるケースをよく見かけます。治療量が過多になっているのを遥かに通り越して、ぶっ壊しているというものさえ珍しくありません。お酒を飲んで最初は気分が良くなりますけど、飲み過ぎたなら最後は二日酔いになって逆に苦しむことと全く同じです。
 池田政一先生が陽気の性質を説明されるのに、「お酒を飲んで最初は暖かくなるが飲み過ぎたなら急にぞっと寒くなるのは陽気は飛散しやすいからだ」と話されているように、「充分に気を補う」というのはじっくり時間を費やして補うことではなく最高ポイントで補うことだったのです。
 過去を振り返れば「この患者さんはより丁寧に治療をしなければ」と気合いを入れれば入れるほど治癒率が悪かったというのは、ぶっ壊すほどではないにしても本治法のレベルで既にやりすぎになっていたのかも知れません。標治法は幸いにして最初からスピーディーを心がけていましたけど、凝りを緩めようとしてじっくり鍼を当てているというのはかなり考え物でしょうね、きっと。今までの認識が完全にくつがえってしまったのは、私だけですか?


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