この文章は2008年10月10日の院長ブログからの転載です。


夏期研実技編(その3) 実践的手法修練が採用されるまで


 夏期研実技編の第三弾は、今回の夏期研の中で私的には「画期的な進歩でなかったか」と自負しているものです。

 それは、2.手法を統一するためには、基本刺鍼以外にも実践的な刺鍼修練が必要であり、腹部を用いての衛気・営気の手法修練を取り入れることでした。

 私がよく繰り返している言葉なのですが、「脉診も腹診も『鏡』なのだから全ての情報は正しくどのように取り出すかが問題」です。
 鏡とは正面から見た時・左から見た時・右から眺めた時・上や下から眺めた時、見える映像は全て違っているのですがどれもが正しいのです。だからこそ、今はどの情報が必要なのかをまず選択することであり、どのように取り出すかが診察での最重要ポイントとなります。
 それともう一つ大切なことは、「このようになっているはず」と情報をねじ曲げないことです。微妙な触覚で大量の情報を読み取る脉診や腹診ですから、思いこみによる情報の歪曲は事実と虚像を混同してしまう可能性が高く、事実を受け入れることがまず大切になります。

 少し話が脉診の方へ反れますが、私が開業当初に戸惑いから気付いたことを記しておきます。
 臨床室では時間短縮と患者さんの安心感のために、どうしても診察開始の問診と同時に脉診も並行して行うものです。最初に入った東洋はり医学会では、アルコール消毒は気化熱により身体が冷えてしまい瀉法へとつながるので行わない方がいいと教えられて学生時代の外来臨床ではそのまま真似していたのですが、助手に入ると「衛生面からも患者さんからの信頼からも適切な消毒は必要である」という師匠の方針の元にヒビテンによる消毒を行いました(現在でも同じように行っていますヒビテンは手術の消毒にも用いられているので効果については問題ないのですけど、それでも気化熱により若干は身体が冷えてしまいます)。
 すると、どうでしょう。脉状が沈んだり細くなったりが当然なのですけど、逆に浮いたり太くなったり跳ねていたものが落ち着いたりと、予想に反する反応を示すケースが多いことにビックリしたものです。またポイント的に腹診するだけならそれほど脉状は変化しないものですが、腹部全体を回すような触診をすると大きく脉状が変わってしまうことにもこの時期に気付いていました。
 「どちらの脉状を信じればいいのか?」と疑問を抱いたのですが、答えは簡単でした。消毒する前や腹診する前の脉状にはもう戻らないのですから現在のものを診察するしかなく、「どちらの情報も正しい」ということです。つまり、「鏡」だと理解したわけです。

 さて衛気・営気の手法へとどのようにつながってきたかに話を戻しまして、「若葉マーク鍼灸師に贈る思い出の症例で「ていしん」へと全面的に切り替えるきっかけを記述したのですが、「ていしん」を臨床の中心としたと同時に衛気・営気の手法のあり方について疑問に感じるところがでてきました。
 本治法に関しては難経七十五難型の肺虚肝実証に代表される実を処理するために「陰気を補う」という意味で営気の手法を行う、あるいは五要穴としての特性から例えば合水穴の逆気して漏らすの時に「出す」と「出させない」を衛気・営気の手法で狙いを使い分けるということで、臨床的にも触覚的にもすんなり入ってきました。
 ところが標治法としては、どうも納得できません。冷えていたり軟弱な部分には衛気の手法、熱が充満していたり硬結の部分には営気の手法というのが一般的なアプローチとなるのでしょうが、従順にアプローチしても成功するとは限らないことが分かってきました。
 それならば”ていしん”と”毫鍼”の用途判定をしたように、実際に背部などで衛気の手法と営気の手法のどちらも行ってみて適応するものを行えばと発想し実行したところ、寒熱や硬軟という一般的なイメージだけでは適切でないことが分かりました。

 そして、衛気の手法と営気の手法はどのような基準で適応するのかを考察したところ、「この病体は衛気を欲しているのか営気を欲しているのか」の違いによるものだとの結論に達したのです。
 鍼灸師である我々が病体に対して行えることはもちろん鍼灸なのですが、突き詰めればきを操作することだけなのです。瀉血という飛び道具で血を抜くこともできますけど、効果として気の流れを助けていたとしても更衣としては抜いているのであり直接に補うことはできません。しかし、営気の手法であれば「血中の陽気」を補うことができますから、経脈内の気を今は補うべきなのか・経脈外の気を今は補うべきなのかが判断できれば、衛気の手法と営気の手法がより効率的に使い分けられることになります。
 その判断法は、意外と簡単でした。前述のように脉診も腹診も『鏡』なのですから、実際に鍼が施せる腹部で「この病体には衛気だろうか・営気だろうか」という二段階の深さで触診し、流れが悪いとかすべらか過ぎるとか力があるとかないとかケースバイケースではありますけど「どちらを施術すべきか」は、触診と手法を交互に行うことですぐ体得できましたし実技を行っても全員がすぐ体得できています。

 ここでまた、思いついたことがあります。
 腹部でどちらの手法が適合なのかを試していると、適合する手法と不適合の手法では脉診も腹診も含めて全身状態が大きく変化するので、手法修練としても応用できるのではないだろうかと気付いたのです。
 手法が適合する場合には全身が改善しますし、不適合な手法を行えば全身は悪化します。その手法がうまければうまいほど改善も悪化も顕著に現れることとなり、即ち実践的な手法修練に応用もできるのです。
 この手法修練が採用されれば、漢方鍼医会で修練している限りは世界中どこの会員も同じ手法を修練していることになります。。
 鍼が使い捨てのディスポになった時代から刺鍼技術は下降線に入り、鍼灸学校乱立時代になって教育レベルの低下と同時に刺鍼練習さえしなくなった現代、様々な鍼灸の研究会はありますけど手法修練を行っている会自体が少ない中で、漢方鍼医会は指導者の丁寧なる基本修練を大切にしてきましたが、客観的評価のできる手法修練ができるということは画期的ではないでしょうか。

 問題がないわけではありません。本治法と標治法で同じ手法を用いるケースも多いのですが、どうして本治法では衛気の手法を用いたのに標治法では営気を用いなければならない治療があるのか、またその逆もそうですし病理考察や脉状との関連性なども未解決のままです。
 個人的には手法の転科ということで解決はしているのですが衛気と営気のどちらの手法も用いないと充分に気の巡らない局所もあったりで、とにかく「不足している側を補うことが優先される」「まだ充足している側から借りてくればいい」という理解で留めています。
 問題は積み残したままですが、講師陣の英断により今回の夏期研では手法修練の一つという位置づけで腹部を用いての衛気・営気の修練が三時限目に採用されました。

 夏期研の学術を組み立てる中でいくつもの提案事項があったのですけど、全国レベルで一気に普及でき今後にもつながるものとして二年連続のアピールで手法修練が採用されたという経過でした。
 自画自賛にはなりますけど、手法に関しては夏期研を挟んでみんな本当にうまくなりました。指導者と対になっての基本修練だけではどうしても感情が入ったり意地を張ったりなど変な癖が最初に付いてしまうとなかなか修正できないものですけど、客観的に自分の行った手法に対して病体から返答があればこれには抵抗できませんから必ずうまくなります。
 漢方鍼医会は研修会だからこそ開発できた修練法であり、このような試みにアドバイスをいただいた講師陣には本当に感謝していますし、様々なフィードバックをいただいた方々にも感謝感謝であります。


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