このページは ブログ『子供に贈る、視覚障害者お父さんの子育て日記』 よりHTML変換して掲載するものです。

掲載日   2007年4月29日
タイトル 「ぼく、信成です」

お母さんと信成のツーショット はじめまして、ぼく二木信成(にき のぶなり)です。
よろしくお願いしまーす。
お母さんとツーショットの写真も、見てくださーい。

ついさっきまでお母さんのお腹の中にいて、それも水がたくさんあって暖かくてとても居心地よかったんだけどさ、「もう早く出てきなさい」とお父さんからは催促が始まるし「にんにくんはいつ産まれてくるのかな?」とお母さんはやきもきし始めるし、愛菜お姉ちゃんは僕が寝ることになっているベビーベッドで遊ぶのがお気に入りになってきちゃうし・・・。
それで期待の星としては、いつこの世界に出てこようかとタイミングを図っていたんだけどお母さんが「できる限り沢山仕事に出ておきたい」っていうし、自宅出産ということでマンションではなく治療室の二階で産まれることは知っていたんだけどお父さんの仕事も止めたくなかったし、愛菜お姉ちゃんにも一緒にいて欲しかったから土曜日の夜から準備に入って日曜日の朝、つまり2007年4月29日2:35に皆さんの仲間へ入れてもらいました。

「安心して産まれておいで」とお父さんお母さんから何度も聞いていたから、僕も最初から親孝行しようと思ったんだ。
あれっ、そういえば愛菜お姉ちゃんは病院で産まれたんだけど土曜日の夜にお父さんが仕事を終えてから彦根のおじいちゃんに送ってもらって、病院へ駆けつけてから陣痛が本格的に強くなって、お父さんの呼吸法の大きなかけ声でお母さんが力を入れて産まれたんだってさ。
それが2005年6月18日 21:20だったんだって。
まぁお父さんがすぐに祝杯を挙げるには愛菜お姉ちゃんが産まれた時間帯も親孝行だったろうけど、家族全員だけじゃなく助手のお姉さん二人からも「出産に是非とも立ち会わせて欲しい」というリクエストもあったものだから、この時間帯にしたんだよ。
それにお腹の中は真っ暗だったから、夜中の方が安心だったんだ。

それで僕の信成という名前は、お父さんが考えてくれたんだ。
にき鍼灸院のホームページの中に、すぐ僕のためのページをお父さんが作ってくれて、そこにはこんな風に書いてあるんだ。

名前の由来:人を信じ・信頼され、成長していく人になって欲しいとの願いです。また「二木」という姓は地球に根を降ろしている木がしかも二本もあるのですから、地球を成長させられることをみんなから信じてもらえる人になって欲しいとの願いです。

「子供が産まれたなら24時間以内にページを立ち上げる」とお父さんは豪語していたんだけど、愛菜お姉ちゃんの時には病院のお見舞いの後にみんなで夕食を食べていたならすっかり疲れと酔っぱらいで眠ってしまってページ公開が48時間になってしまったそうだから、僕のページは気合いを入れて準備をしていたのにマンションで愛菜お姉ちゃんを寝かせていて思わず一緒に夢を見てしまい気が付いたらタイムリミットまで一時間だったそうで、必死で公約達成まで頑張ったそうな。
BGMが「ドラゴンボール」のテーマで、ちょっとやかましいですか?
ビデオでもいきなりデビューしましたから、どうぞご覧ください。
愛菜お姉ちゃんのページは、ここだよ

それでさ、お父さんもお母さんも「この世界に産まれてくるということは自分で目標を何か設定して出てきているはず」と信じていて、子供も空の高いところからこの世界の方を見渡していて「あの家へ産まれたい」と感じたから産まれてくるとも信じているんだ。
「この世界に産まれてくるということは魂の修行」だと信じているらしいから、産まれたことによって虐待を受けたり子供のうちに死んでしまったりすることも、それはそれで試練を乗り越える力を蓄えるための自分で設定した目標ということで仕方ないらしいんだけど、この世界で色々と刺激を受けているうちに「本当に自分がやるべきこと」をいつの間にか忘れてしまっている人が多いとも、お父さんお母さんは感じているらしいんだ。
僕としても、自分で設定して産まれてきた目標を忘れないように家族の協力は大切にしながらも、僕自身のための人生を忘れないようにしよーっと。
お父さんがほとんど目が見えていないんだけど、これは絶対に自分でこの家に産まれたかった証拠だと思うよ。

そうそう、まずは他人に迷惑を掛けないことが大切だね。
でも舞鶴のおじいちゃんが、「人というのは必ず迷惑は掛けるものなんだから『自分は迷惑も掛けている』ことを最初からよく考えておくことが大切」と教えてくれていたなぁ。
絶対に人へ迷惑を掛けないことなんか土台最初から無理なんだから、出来ればそれを上回るように人へ協力してあげればいいんだよね、分かりました。
でもでも、小さなうちはやんちゃはするよ。だって「魂の修行」なんだもん。

それからさぁ、お母さんが僕の検診を受けに病院へ行った時に外を見ると、パジャマを着たままの人がタバコを吸いながら歩いていてビックリしたんだって。
妊娠中も出産後も平気で刺激物を続けている人が多くなっていて、「子供のために犠牲にはなれないなんて言葉は信じられないね」と助産師の先生も話していたよね。
お父さんもお母さんも「この世界に生まれたならそれは一人の人間」として人格を尊重すべきだと考えていて、つまり妊娠が分かった段階から同じ目線で愛菜お姉ちゃんも僕のことも見ていてくれたんだ。
だから「宝物だけど決して子供は親の所有物じゃない」と考えてくれて、刺激物を遠ざけることは無理なくすごく当たり前にできたんだって。

それにお母さんはマタニティースイミングだけじゃなく色々と運動や安産灸をしてくれたけど、お父さんも僕が産まれる三週間前から愛菜お姉ちゃんの時と同じように早起きをしてお母さんと一緒に朝の散歩をしてくれたんだ。
まぁ散歩中の会話は駄洒落合戦の方が多くて、お笑い養成講座だったかも知れないけどね。
お姉ちゃんも僕も、間違いなくお笑い路線で大きくなることでしょうね、まいったなこりゃ。そんな家に産まれたかったんだから、やすきよキャラを目指しまーす。


関西弁には「男のしゃべりはみっともない」というのがあるらしいので、最後にもう一つだけ。
愛菜お姉ちゃんは病院で産まれたんだけど、その時のお産は機械に囲まれて管理されての出産がお母さんにとってはとてもストレスだったんだって。
その後に吉村医院・お産の家の話を聞く機会などがあり、「二人目はもっと自然な形でのお産がしたい」と堅く心に誓ったそうなんだ。
そして様々なサークルや「にき鍼灸院」の患者さんの話などから、「助産院 noriko」さんと出会うことになったんだって。

助産師さんそのものは誰でも同じなんだろうけど、勤務の立場だとお医者さんの判断を仰がなければならないケースも多いのか質問をしてもハッキリしたことを答えてくれる人が少ないというかいなかったらしいんだけど、norikoさんはいつも的確に詳しく答えてくれたことに、まずお母さんはとても安心をしたんだって。
norikoさんの情熱と的確な判断には、僕もお腹の中から安心していたんだよ。

それで、自宅出産のことについてはお父さんが僕のページに詳しく書いてくれるだろうから省くけど、僕はとても安心して産まれてくることができたんだよ。
みんなが見ていてくれたし、なんといっても頭が出たならあとはお母さん自身の手で僕をこの世界に引っ張り出してくれたんだ。
それから、お父さんが僕の臍の尾をハサミで切ってくれたんだ。
愛菜お姉ちゃんも、声を出さずに涙をポロポロ流して泣いていてくれたんだ。

だから、これから僕自身の人生を少しは人に迷惑を掛けつつその分だけ人に協力して、お父さんが付けてくれた名前のように地球を踏みしめて成長させるように生きていくね。

では、皆さんこれからよろしくです。

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