このページは ブログ『子供に贈る、視覚障害者お父さんの子育て日記』 より、HTML変換をして転載したものです。

掲載日:2009年7月9日
タイトル:「ぼく、隆成です」




臍帯切断後に全員集合で記念撮影  随分前から胎児名「ろさき」で登場していましたが、この度ようやくお腹の中から飛び出してきて仲間入りすることになりました「隆成(たかなり)」です。どうぞ、末長くお願いいたしまーす。

 それで名前の由来と意味なんだけど、お父さんが僕のホームページに次のように書いてくれているんだ。
 成長し成功する人であって欲しい、それも隆起するような勢いでという願いを込めての名前です。しかし、一人だけ成功するのではなく「二木」という姓は地球に根を下ろした木が二本もあるという意味なのですから、失速し掛かっている地球全体を隆起させ成長させる人であるようにとの意味でもあります。

うーん、いきなりきつい課題を突きつけてくれたものですね。愛菜お姉ちゃんは「みんなから「愛される」人になって欲しいということと、菜の花の菜は地球の意味で「地球を愛する人」になって欲しいとの願いです」とあり、信成お兄ちゃんは「人を信じ・信頼され、成長していく人になって欲しいとの願いです。また「二木」という姓は地球に根を降ろしている木がしかも二本もあるのですから、地球を成長させられることをみんなから信じてもらえる人になって欲しいとの願いです。」とあるのに、いきなり「成功する人であって欲しい」ですよ。兄弟も三人目なので末っ子になる可能性がかなり高い上に次男ときているのに「成功しろ」ですか、成功のためには手段を選ばない曲がった人格にだけはならないように今から気を付けよーっと。
 まぁでも、僕は信成お兄ちゃんと同じく鍼灸院の二階で自宅出産ということでこの世に出してもらったんだけど、お父さんが白衣のままだから分かると思うんだけど写真のように昼間のお父さんが仕事をしている最中に出てきたものだから全員集合の中で見守られていたということで曲がった人格になることは、見守られていた全員の力があるので許してもらえないでしょうな。
 それにお父さんが得意げに説明していたんだけど、隆成の「隆」は隆起するというイメージから出てきたのは確かなんだけどこの漢字から連想される名前はやっぱり西郷隆盛。それで西郷さんは盛り上がったところで終わってしまったから自分の理想を実現させるには「成功」の文字が必要だったんだって。信成お兄ちゃんにも同じ意味が入っているんだから、兄弟で力を合わせれば何とかなるでしょう。おぉっと、愛菜ゴッドねえちゃんがまずは兄弟を仕切ってくれるでしょうけどね。

 話は突然変わって、僕がお腹の中にいた時にはとても重大で悲しい事件が発生してしまったんだよね。それは彦根のおばあちゃんが突然亡くなられてしまったことです。従兄弟の育海君が生後一ヶ月以内の新生児から乳児の段階に入ったところで初めてゆっくり実家へやってきて、おばあちゃんは育海君を存分に抱くことができて、とても満足だったと何度も話していたそうなんだ。その時に僕がお母さんのお腹の中にいることも知っていてくれたんだけど、僕の顔をおばあちゃんが見てくれることはかなわなかったんだよね。
 愛菜お姉ちゃんは生後一ヶ月間は一緒に暮らしていて久しぶりの孫だから存分にかわいがってもらったし、信成お兄ちゃんもまだ歩けないのにベビーカーから身を乗り出して飛びついていったくらいに大好きで優しいおばあちゃんだったのに、僕は手を触れてもらうこともできなかった。けれど、おばあちゃんはずっと僕がお腹の中にいた時から今も見守ってくれていると信じているし、絶対に間違いない。だってお父さんは僕が産まれた日の朝に、いつもは気配りばかり感じるのに嬉しそうなおばあちゃんがやってきているのを感じていたと喋っていたもんね。ある意味ではずっと見守ってもらっているんだから、それも幸せなのかも?そうそう、おじいちゃんはまだまだ元気なんだから、しっかりお小遣いをもらっておこうっと。

 それで話がまた戻ってさ、まだつわりが完全には終わっていない時のお葬式だったから妊娠がおかしくなってしまわないかとみんなは随分とお母さんのことを気遣ってくれて、それは同時に僕のことも心配してくれていたんだよね。けれど忙しい中でも舞鶴のおじいちゃんおばあちゃんができる限り彦根まで来てくれて助けてもらったから、生活が安定するまでには確かにかなり時間が掛かっていたようだけど順調に大きくなることができたよ。そんなこともあるからさ、曲がった人格にだけはなれないね、やっぱり。

僕の出産直前になって、もう一つ大変な事件があったんだ。彦根のおじいちゃんは出産予定日の一ヶ月くらい前になって突然に病院での出産の話を持ち出してきたんだけど、「そんなこと今さらいわれたって」という感じでもあるし信成お兄ちゃんと同じ助産師のnoriko先生に取り上げてもらうことしかお父さんもお母さんも考えていなくて了解済みのはずだったから、これには相当に困惑し苦慮したんだって。
 おじいちゃんの主張としては、「おばあちゃんがいなくなってしまったんだから人手が足りず緊急事態への対処も不安」とのもっともらしい理由には聞こえるんだけど、信成お兄ちゃんの時だって直前までお父さんへはプレッシャーをかけ続けていたみたいで基本的に出産という素晴らしいイベントを理解しようという頭がなかったみたいだし、自分が出産に関わるということ自体に否定的だったみたい。
おじいちゃんがまだ学生時代に甥や姪の出産が家であったとのことなんだけど、その当時は西洋医学的な検診が不充分で危険なことが確かに多かった。苦しむ声を聞いたり出血の臭いや、それに今は胎盤は業者が化粧品に加工するなどで引き取るのが当たり前になっているけど昔は川などへ捨てていたとのことで何度かその役目をさせられたから嫌な思い出になっているとか。それに出産にはどうしても多少の出血が伴うんだけど、その出産シーンを幼い兄弟に見せるのはショックを与えるとしか考えられないとか。
 でも、それはおじいちゃんの思い出や頭の中で考えたことであって、しっかり準備してきた自宅出産をひっくり返されるような理由にはならないから、お父さんお母さんは強行突破を迷わず決断してくれたんだ。おばあちゃんがいなくなってから精神的に苦しみ続けているおじいちゃんのことは知っていたし可哀想にも思うけど、譲れないものは絶対に譲れない。久枝おばちゃんは心配をしていた組だけど決して反対ではなかったし、浩彦おっちゃんと理恵おばちゃんが出産時期に合わせて彦根に戻ってきてくれるという協力までしてくれたから、僕は無事ににき鍼灸院の二階で産声を上げることが出来ました。みなさん、本当にありがとうございました。
 そうそう、このままの文章だとおじいちゃん一人が悪の根元で妨害工作を繰り返してきたように読めてしまうから名誉のために書いておくけど、もしも鍼灸院が大忙しだったなら実家で出産してもいいと許可を途中から出してくれていましたよね。準備があるから実質的には鍼灸院の二階に出産場所は決定されていたんだけど、それは分かっていての言葉だったんだよね。それから出産後には自ら愛菜お姉ちゃんと信成お兄ちゃんの子守をしてくれましたし、お母さんに差し入れの巻きずしを買ってきてくれたりと優しい面がいっぱいあるのに、頭に血が登ってしまうとどうにも熱が冷めるのに時間の掛かってしまうおじいちゃんなんだよね。まぁ元々は鉄工所をしていたということで、熱くなったものは簡単には冷めないし堅くて当たり前か。

さてさてまた話は変わりまして、信成お兄ちゃんも自己紹介の中で書いていることなんだけど、僕もこの家に自分で産まれてきたかったから産まれてきたと思うんだよ。愛菜お姉ちゃんが「ふわふわ浮いていたなら捕まえてもらってお腹の中に入ったなら動けなくなったけど、とても嬉しかった」と僕が産まれる二週間ほど前に体内記憶のことを喋っていたんだけど、数年後に喋れるようになったならまた改めて体内記憶のことは報告しますね。
 雲の上から眺めていて「あそこの家に産まれたい」ということになり、「どっちが先に」ということで「じゃ私が先に行くね」ということからまずは愛菜お姉ちゃんが産まれて、次に信成お兄ちゃんが来たから、最初から兄弟の約束が出来ていたんだって。そして僕はその時の相談の輪にはいなかったんだけど、雲の上で既に知り合ってはいたから兄弟になることに何も抵抗はなかったんだ。産まれてくる時には人生のプログラミングをしているんだから、名前につぶされないようにプログラムを実行するぞ。

 自己紹介といいながらも半分以上は事件報告のようになってしまったけどさ、これから長い人生でもあるし三人兄弟のにぎやかな家庭にもなったということで、まずは生存競争にたくましく耐えていきます。そして、やんちゃはしながらも兄弟で助け合って、大きくなるね。

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