伝統鍼灸学会、補者のシンポジウムから思いました

昨日まで第54回日本伝統鍼灸学会学術大会へ参加してきました。理事なのですから参加は当然として、一般発表と視覚障害者支援委員会の実技セッションの2つにも登壇してきています。
 理事会が年に数度開催されるので以前とは随分環境が変わったのですが、それでも学術大会は年に一度の鍼灸のお祭であり、硬直しそうになる思考回路のリフレッシュになります。一部に過ぎませんが様々な研修会の実技を経験することで、弱点を発見したり強みを再認識することで自分たちの研修会の貴重なスタミナとなります。
 今回は昨年に私も登壇した補瀉に関するシンポジウムの続きが一番大きく感じました。3つの意見をぶつけてもらうことで補者のイメージというものが少しずつ具体的に見えてきました。補法とは単純に気を追加するだけでないこと・瀉法も抜き取るだけでないこと、その場面や箇所によって使い分けるのだが最終的には経絡を疎通させ円滑に巡るようにすることが補瀉と凝縮できるのではないでしょうか。
 ところがアンケート結果で引っかかったのが、古典を全く無視して突き進んでいる研修会はおそらく一つだけだったものの、独自技術も追加してその研修会の補瀉法を構築しているというところが大多数だったことです。道具が改良されて運用方法を工夫しているだけならわかるのですが、治療スタイルに合わせるため解釈に手を加えているならそれはちょっとです。
 そういう視点で聞いていると、漢方鍼医会は一番古典に忠実な研修会だと実感しました。もちろん古典に記載がないテクニックを追加していたりはしますが、治療体型は古典に忠実です。