難経九難を踏まえ、本治法選経・選穴の一考察


滋賀漢方鍼医会  二木 清文


(この文章は2016年7月10日に本部研究部で発表したものへ、当日にその場でコメントを追加した部分を加筆したものです。原稿量が多くなりすぎたので当日は司会者に読み上げてもらうという形式にし、合間にコメントを挟みました)

相剋調整と下積み時代
 学生時代から『経絡治療』一筋で学んできたのですけど、今から思えば本当に様々な体験を通して「現在」があります。そして未来のために、出発点から説明していきます。
片方刺しによる相剋調整
 入門をさせていただいたのは東洋はり医学会で、福島弘道先生が開発され提唱された「片方刺しによる相剋調整」が当時の治療法でした。六十九難の治療法則を基準に、例えば肝虚証と決定したなら肝経と腎経を補い、反対側で脾虚証や肺虚証を行うというのが概要です。
 ここで素晴らしい発展を遂げたのは、「片方刺し」というシステムを確立されたことでしょう。両方の経穴を用いるのが当たり前だったものを、「脉が整えられればその時点でいい」ということから探索が始められ、その後に効率的な治療側(適応側)の求め方も提唱され、片方刺しは今や日本の経絡治療ではほぼ取り入れられています。漢方はり治療でも、片方刺しは基本です。

近畿青年洋上大学での衝撃的な体験
 専攻科三年生の夏休みに大阪で約一週間の鍼灸院見学をさせてもらい、標治法の存在意義すらわかっていなかった状態から一通りの治療体系を覚えたところで、中国への船旅がありました。船酔いをしたなら治療をというくらいの話題は出ていたものの、いざ出航すると日程の過酷さから「できる人は君しかいないのだから」と、逃げ場のない状態での救急治療の連続でした。
 経験できない体験なのですが人民大会堂での交歓会があったのですけど、そこで卒倒する仲間がいて警備員の目をくぐり抜けながら別室で治療をしましたし、移動で乗った飛行機が離陸をしてから強烈な腹痛が発生し、「今更降りられないから」と治療をしたのもありました。高熱で強制送還の仲間をなんとかしろと言われたり、一週間不眠で全く眠れていないとほとんど船内のキャビンに軟禁状態で治療をさせられたり、帰りの日本海では台風が来る前に強引に帰国するのだと大揺れでの船内は野戦病院のようでした。これだけの体験をすれば度胸はできるというものです。

 (コメント)私が鍼灸師として「臨床は自信を持ってやらなければいけない」、それから「患者さんのためを思って」ということを体験したのが、この近畿青年洋上大学というものでした。この二週間の体験は、非常に大きなものでした。もう少し詳しく話をしたいものがあるのですけど、まだ導入部分なので先へ進めさせていただきます。

下積み修業時代
 学生時代から鍼専門の治療へと切り替えてそれなりの成績も残せていたと思うのですけど、技術的な不足は明らかです。何より盲学校しか知らなかったので社会人になるための基礎が全くありませんから、下積み修行を希望しラッキーにも助手へ入ることができました。

不問診のススメ
 ところが、最初に言われたことは「不問診をしてみなさい」でした。大師匠は独自の治療体系を構築されていた方でしたが、東洋はり医学会のつながりで師匠と出会ったのですから東洋はり医学会のやり方をということで目安がなく、とりあえず大師匠のされていたことを伝えたと後から聞いたのですけど、これが不思議とできるようになってしまいました。でも、わたくしのでしにもかならずおおなじことをさいしょにいうのですけど、会得できた人はいません。正確には途中まで会得できた人はいるのですけど、一番つかんで欲しい治療終了の予言を体得できた人がいません。
 そこで「言葉に直せるものは言葉に直していこう」という方針も加えることにして、今までにいくつか発表をしてきています。

置鍼をしてから本治法
 ところが治療の流れは継続中の患者さんのこともありますから、大師匠の流れのままでした。最初に背部への置鍼、それも百本を越えることがあったかもしれない大量の置鍼から治療へと入っていきます。もちろん最初に四診法での診察はするのですが、本治法からではなく標治法からという流れなのです。
 これも苦し紛れから出てきた奇形グループの瞬間的な判定技術を独自開発していますし不問診もあるというのに、大量の置鍼から入るというのは当時の若い私の柔軟でない思考回路にはとても苦痛なものでした。しかし、「入門する限り師匠のことは絶対に批判しない」と誓っていましたから、この経験が後から貴重なものとなります。本当に濃厚な下積み修業時代を過ごせたことは、ラッキーでした。誰でもつかめるチャンスではありませんが、可能な立場の人は絶対に下積み修行をすべきです。

当時の肺虚肝実証
 「片方刺しによる相剋調整」にも、肺虚肝実証が存在していました。手法は霊枢のものを用い、治療側で肺経と脾経を補い反対側の肝経から瀉法を行うというものです。瀉法にはステンレスの堅い毫鍼を用いていたので今思えば恐ろしいことをしていますけど、激しい頭痛がリアルタイムで消失していく様子を患者さんの口から何度も聞いていたりと絶大な効果がありました。
 ただし、ドーゼ過多を起こすことも多い治療法でした。肝経へ直接に瀉法を加えるということで身体は劇的に動きますけど、その代償も大きいということでしょう。

陽経の瀉法で最後の症状を取る
 標治法から本治法へという治療の流れですから、最後に病証が残っていたときにはどのようにしていたかというと、座位で脉診をして陽経の変動を観察し瀉法で調整していました。肩上部の張りが残っていたり手足の痛みなど、かなりの症状は対処できていました。「沈めて陰経・浮かせて陽経」の脈差診だからこそできていた技ですけど、邪の処理の大切さ、このときにしっかり刻みつけられました。

 (コメント)今ここに出てきたものが後で非常に大切となります。置鍼からその後に本治法ということで勝手にこの漢方鍼医会で有名になってしまっている私の師匠ですが、最後に「ちょっと肩がおかしい」などというときなのですけど座位になって今の表現なら三菽や六菽という高さで小さな変動を見つけて絡穴あたりにチョンという感じで鍼を当てます。そうすると、「あっ取れました」とか「まだです」という感じでした。これで症状を取って、仕上げということになっていました。
 二木君も最後に脉を診なさい、何かおかしいところがあれば」ということで、それで師匠が見落とされていたものを何度か見つけたことがありました。師匠が「これでよっしゃ」と最後にOKサインを出されていたので真似をして、私が「これでよっしゃ」と最後のサインを出したなら患者さんに叱られてしまったことがありました。これは院長と弟子の違いがあり、当たり前のことでしたね。まだ若すぎたということです。

脉診は鏡を見ている
 研修会の門をたたいたとき、鍼灸院を見学させてもらったとき、近畿青年洋上大学での衝撃的な体験をしたとき、そして下積み修行時代と脉から得られる情報はどんどん広がり変化していきました。これは触覚が磨かれ知識や手段が多くなったからでもありますけど、ふと考えれば治療法が変化していることに対して毎度きっちり脉は答えを返してきてくれています。まだまだ経験不足で力不足の時期でしたけど、脉は病態の未来まで教えてくれました。
 つまり、脉診というものは鏡を見ているのと同じだと気づきました。どの方向からどのように見たいかによって戻してくれる答えが違うのであり、どの答えも正しいのです。そして心理学でいうセットが認識されていれば、一見してもわからない情報がすんなり見えたりします。名探偵ドラマのように、何もないところにすごい答えを発見することができたりもします。まだこの段階では、脉診そのものに夢中でした。

開業をしてシステム変更
 約二年間の下積み修行を終えて、二十三歳ではありましたけど開業をしました。本治法から標治法という経絡治療のオーソドックスな形へと変更をしました。そして最も大きな変更は、本治法から標治法へ写るのに半時間近くの間を設けるようにしたことです。

置鍼は血を動かす
 「流行りたければ今流行っているところの真似をしろ」というのは鉄則ですから、よかったものはよかったということで一部ですけど鍼数を限っての置鍼も残しました。慢性腰痛などの患者さんには満足感もあり、置鍼は血を動かせるのでその副産物で気を引っ張ってきていることに気づきました。
 衛気・営気の手法から考えれば、置鍼は営気の手法が必要な標治法に対して効果があったのでしょう。ただ、意識してそうなったわけではなく自然発生的にていしんへシフトすると同時に置鍼はなくなり、標治法レベルで衛気か営気かを選択するようになっています。

三種類の喘息から考えたこと
 喘息は置鍼が適さない症状です。標治法の鍼数も限る必要があり、本治法中心だからこそ本治法のバリエーションを増やすことを迫られます。

呼吸器系喘息
 痰の絡んだ咳をして、起座呼吸をすると楽になります。本治法がそのほとんどであり、少ない標治法でより長持ちさせられるようにと円鍼は下積み修業時代から使っていたのですけど、ローラー鍼を使うことを思いつきました。

心臓性喘息
 心臓の力が足りないために発生してくる喘息で、上半身全体を揺らしながら咳をすることが特徴です。「咳き込むと心臓まで苦しい」という話から診断ができたのですけど、当時は脾虚証といえば太白・大陵しか使っていなかったので肺虚証よりは効果が出てきたものの完治させられず、苦し紛れに商丘・間使に切り替えたならあっさり直ってしまいます。何故か連続で心臓性喘息の治療が続き、六十八難の病症的取穴は常に頭の中に存在するようになりました。

腎臓性喘息
 腎臓が圧迫されると咳が出てきてしまうという喘息です。本治法と標治法の間に休んでいてもらうと段々と激しい咳になり止まらなくなったので、苦しそうなので側臥位で標治法をやろうとしたなら何もしていないのに咳が治まってきたことで判明しました。よく問診し直すと仰臥位になっていると必ず喘息が出てくるので、普段は側臥位で休んでいるということでした。これも連続での治療があり、体位の重要性をより強く意識するようになりました。

 (コメント)これは漢方鍼医会で何度か話をさせてもらっていることです。開業をしたときに考えたことは、様々な古典に経絡は一日に五十回回ると書いてあるので概ね三十分で一周しています。本治法で即座に効果が出ているのですけど、細かな絡脈や細絡・孫絡までしっかり効果が行き渡るには、一周をする半時間が必要なのではと思ったのです。東洋はり医学会の先生の中にも、「本治法をして3分はそのままにしておきなさい、その間に脉が崩れるようであればその証決定は間違っている、いい治療だとどんどんよくなる」という話を聞いていました。では3分にもう一つ0を付け加えれば、経絡が一周してくるからという発想になったのです。その間に次の患者さんの治療へ取りかかれますし、患者さんは気持ちよくなりますから眠たくなって本当に寝てしまいます。私の治療室では患者さんが一台のベッドを概ね一時間占有する形になっているのですけど、その大半は眠っておられることになります。でも、慣れてくると「最初の手足のところから背中への間が気持ちいいんだから」と楽しみにされている方が多いです。
 喘息の話ですが、呼吸器系喘息は省略させていただくとして心臓性喘息です。喘息だということで呼吸に関することですから肺虚証で治療をしていたのですがどうしても治らず、心臓が苦しいという話をされました。心臓性喘息の咳というのはゴッホーン・ゴッホーン・ゴッホーンという感じで上半身全体を揺らしながらになります。それで心臓が悪いのならということで脾虚証に切り替えて、今なら心包経からという治療があるのですけど当時は心経・心包経を使うなら脾虚証の中で用いるとされていたので、そのように取り組んだのです。それで少し改善したのですけど、商丘・間使という六十八難も意識した病床的な選穴をしてみると、あっさり治癒してしまったのです。これで病床的選穴というものを、常に頭の中へ置くようになりました。
 それから腎臓性喘息は、腰椎が前腕している人に発生してきます。腎臓が圧迫されることによって咳が出てくるのであり、体位によって圧迫の状態が変わります。ですから体位を変えることによって腎臓の圧迫が取れれば、咳も止まるということになります。これで標治法での体位の重要性というものを考えるようになりました。

脉のでこぼこ調整?
 二十代半ばですが仕事量も多く、「自分は脉診ができるから」と得意になっていたかもしれません。しかし、陰経で三本か四本、陽経では下手をすればすべての経絡へ鍼を入れているようでは経絡を積極的に運用した治療とはいえ、脉だけに頼ったでこぼこ調整に陥っていたことに愕然としました。
 自分一人であればこの治療法を一生続けていくことも可能ですが、誰かに伝えていくことはできません。仲間もいなくなればおもしろくない単なる労働にしかならないでしょうし、治療力の拡大にも限界を感じ始めていました。


漢方鍼医会へ参加
 そのような疑問を持っていたところへ、漢方独自の生理・病理を重視し、病理考察からの証決定を行っていく研修会を発足させるという情報が入り、誘ってもいただけたので迷わず漢方鍼医会への入会を決めました。

菽法脉診の衝撃
 不問診がそれなりにできましたから、自分の脉診力もそれなりに高いだろうと自負していました。けれど菽法の高さに脉があるのかと問われたとき、「こんな脉診法が合ったのか!」と困惑と感動の入り交じった衝撃に襲われたものでした。同時に、今までの治療法を失い長期間仕事そのものに苦しむことにもなっていきました。

難経七十五難型の肺虚肝実証
 治療法をもがいている中で発見したのが、難経七十五難型による肺虚肝実証でした。池田先生の講演からそれほど珍しくない治療であることと脉の特徴を知り、急に猛暑となった日に職場で強烈な冷房を腰に吹き付けられ激痛となった急患さんの脉状から直観的に判断できました。つまり左関上は菽法が全く途切れず、尺中が抜けたような感じになっていたことから、腎経へ鍼を入れることで肝実を抑える治療が成り立つのだろうと直感したのです。
 治療法については、それまで読んでいた文献からこれも直感的に復溜と陽池を用いるとその場で構成しました。その後にバリエーションを加えたり、一部間違いがあったりと変更はしましたが、腎経のいずれかの経穴と同即の陽池へ、いずれも営気の手法を加えるというスタイルを貫いている治療法です。影響が相剋を伝わって肝実を落としているため、瞬間的ではなく少し時間が遅れて脉が変化してくるのが特徴でもあります。
 もう一度治療法を整理すると、悪血の量により少ない側から太谿・復溜・陰谷と使い分け、瀉火補水の補水目的に同即の陽池を必ず用いることが特徴です。一時期は小腸経の姿勢などを加えていた時期がありましたが、これは剛柔で肺を助けていたのを見間違っていたということで、現在は用いていません。

脾虚肝実証
 片方刺しによる相剋調整の時代にも脾虚肝実証はありましたが、肺虚肝実証と同じく肝経へ直接霊枢の瀉法を加えるという方式でした。しかし、生理を考慮すれば気血津液の製造元である脾が虚しているのに実が存在するのはおかしいと池田先生が講演され、治療法も解説されていたので取り組んでみました。
 胆や少陽経は陽谿の中でも一番深く、直接あるいは間接的に熱が深い部分まで侵入してくると胆の熱ははまり込む形になっている肝まで暖めてしまうというのが、病理からの脾虚肝実証です。治療としては治療側の脾経へ衛気の手法を行い、左右どちらかの胆経へ営気の手法を施します。これも一時期は陽池を必ず最終に用いるなど解釈の違いから運用法を何度か変えたものの、病理が解消されるのが一番ですから脾経と胆経のみの運用で現在は取り組んでいます。

再び、脉診は鏡を見ている
 菽法脉診という概念を導入することにより、まだまだ手探りの段階でしたが治療へ用いる経絡が三分の一へと削除でき、しかも効果は今まで以上となりました。この時点での菽法脉診は診察時にのみ用いていたというのが正直なところですけど、それでも経絡の運用方法が劇的に変化したことに、自らの行動も含めて「脉診は鏡を見ている」ことを改めて痛感しました。
 まだメールもなく連絡手段といえばほとんど電話の時代ですから、本部会の前には宿泊で自主勉強をしていたことが思い出されます。

四大病型を考える
 発起人の先生たちが証決定には病理考察が必要だとの思いを強くされたことの一つには、経絡治療で教えられてきたものと素問では四大病型の解釈が異なっていたことが大きかったでしょう。経絡治療発足時は弱くて沈んでいる脉を陰虚と表現し、私もそのように習ってきていました。しかし、陰虚とは陰気が不足した状態なのですから虚熱が発生し脉は浮いた状態のものになる、今や鍼灸学校では中医学の基礎理論を導入していますから当たり前になっていることなのですけど、漢方鍼医会発足時はこういう勉強からスタートをしていました。

選穴だけでなく四大病型は標治法のパターンが決定できる
 病理考察から証決定に出遅れていた滋賀ですから、確実に診断できるものはいいのですがあいまいなものも多く四大病型を消去法で絞り込んでいくという方法を試みていました。今でも活用していますし、臨床ではとても便利な方法です。
 そして消去法で四大病型を絞り込んでいくと、標治法のパターンが自動的に算出されるというメリットがあります。標治法も証決定に連動していなければなりません。

陰虚証での標治法
 虚熱が上へ登っている状態ですから、背部は上から下へと順番に施術し、最後に足の三焦経で引き下げるようにします。

陽実証での標治法
 充満・停滞していた陽気を本治法で解消させたのですから、再び熱がこもらないように手早く鍼数を少なく行います。もちろん背部は上から下へと行い、足の三焦経は反応がなければ飛ばすことも多いです。

陽虚証での標治法
 身体が冷えているのですから、単純に背部を上から下へでは陽気がうまく巡りません。最初に首で邪の処理をしてから足の三焦経を先に施術してしまい、陽気を表面に浮かばせられたなら鍼数を減らして背部を仕上げます。

陰実証の標治法は?

 陰実証は急性では陽実と、少し落ち着くと陰虚と、慢性になると陽虚と同じ熱分布となり、陰実特有という状態がありません。陰実証の臨床投入をためらってしまう一つの要因が特有の状態を持たないことだったかも知れませんが、四大病型を消去法で絞り込んだときに「○○か陰実か」となりますので、○○を当てはめて標治法を行えばよいことになりますし、そのように実践しています。

 (コメント)標治法ですが、あまり深く議論されたことがないと思います。漢方鍼医会が始まった頃には思い出せば議論をしていたことがあったかもしれませんけど、陽虚と陰虚で同じ標治法をしていいはずがありません。私はここへ書いたように、例えば激しい熱症状ではないので陽実証は除外、冷え性上でもないので陽虚も除外、それで陰虚か陰実かという絞り込みをしています。もしもこれで証決定が肺虚肝実証だったとしたなら、標治法は陰虚のパターンを当てはめればいいということになります。こういう臨床の方法をとっているのですけど、非常にシステム的に標治法が割り出されますし効果的です。

参考:陰盛証での標治法
 陽気が不足したことにより冷え症状となっているのが陽虚証ですが、これがさらに進んでしまうと陰気ばかりになってしまいます。陰気が不足したところへ陽気が走ってきて充満・停滞したのが陰実証であり、全くの別物です。陰盛は陽虚がさらに重篤となった状態ですから、手の震えが止まらなくなったりトイレをするとその後が建てないくらいに疲れを感じたりします。
 表面だけでなく内部まで冷えてしまっているので、陽虚の標治法に加えて電気毛布などで外から暖めたり温かい飲み物を与えるなど、物理的にも暖めることを加えなければ身体が温められないでしょう。時間をおいて、繰り返し治療をする必要があるかも知れません。

参考:ナソ・ムノ治療を加える、特にムノ治療は重要
 ナソ・ムノとは、福島弘道先生が開発された補助療法の一つです。ナソは缺盆を中心に頸肩腕のこりや上半身の不定愁訴に用いるものですが、最近個人的には斜角筋への施術でほとんど足りています。
 ムノは腰仙部への影響を目的に開発されたものですが、鼠径部への施術は重要です。背部へ標治法を施し主に膀胱経を通じて気血津液を巡らせたのに、このままでは一方通行の行き止まりです。ところが鼠径部の深い箇所から陰経が腹腔内へ進入してきているのですから、ここへ深い箇所へ届く施術を行えば標治法が全身を一周できるようになります。脉状が大きく変化するので、着目してください。

参考:標治法での大尉の提案
 首が痛むときには頭部の重さを軽減させるために腹臥位の方が楽になりますし、肩こりも筋肉を緊張させた状態の方がこりをより効率的に緩めることができるので、腹臥位が効率的となります。一方、腰痛の場合は筋肉が張った状態で施術してもどこまで緩められたのかが分からず、最初から緩んだ状態の邦画より深くまで効果を届けられるようになります。膝が痛くても腰と同時に治療しなければならないのですから、腰の標治法の延長線上で考えることになります。
 以上のことから、あくまでも目安ですが横隔膜より上に主訴があれば腹臥位に、下に主訴があれば側臥位での標治法が有利になります。しかし、必ずしも腹臥位や側臥位にしなければならないというのではなく、痛みのことや患者の体格から臨機応変に対処すべきです。

 (コメント)ムノ治療というのは陰経が腹腔内へ進入してくるのを補助するものだと捉え方をしていると、ものすごく脉状が変化させられます。実技の時に確かめていただけるといいかと思いますけど、ていしんで十分に変化させられます。
 標治法での体位を気にしている人と気にしていない人がいますけど、ここに書いたようにあくまでも目安なのですが主訴が横隔膜より上の場合は腹臥位で、横隔膜より下の場合は側臥位でというのは失敗の少ない方法なので、検討してみてください。

難経六十九難の呪縛
 時間的には多少前後していますが、病理考察からの証決定が次第にできるようになってきたといいながらも七十五難型の肺虚肝実証と脾虚肝実証を除いては、難経六十九難の親子の連続した二つの経絡を必ず補うという呪縛から長く逃れられていませんでした。
 言い換えれば、最初は菽法脉診や五臓正脉も駆使して治療へ入る経絡を決めているのに、その後は親の経絡へ手を入れなければならないと頭で考えてしまいせっかく作った菽法の高さの脉を寸関尺で平均化された脉へ戻していたのです。それでも治療効果が高いのですから病理考察が大切なのですけど、わざわざ手を掛けてもっと伸びる部分を押さえてしまっていたのでした。
 一つお断りしておかねばならないのは、決して親子連続した二つの経絡を補うという治療法が間違いだというのではなく、連続して補わなければならない必然性の病理状態はそこまで多くなかったということでした。また臨床的自然体など手法も向上し、親の経絡を用いずとも整ってしまえばそれ以上手を出す必要がないというだけの話であり、治療法則としては素晴らしいものだと今でも思っています。

剛柔を取り入れるも、まだ六十九難から離れられず
 さすがに寸関尺で平均化された脉は違うだろうと、せめて寸陽尺陰の脉へするためには親の経絡を陰経へ直接ではなく陽経の剛柔を使って補うという時期がありました。それでも経絡を親子で用いるからこそ意義があるような、そんな呪縛がまだしっかりありました。この方法は、現在は行っていません。

親子では補わなくても下合穴を多様
 病理考察も租借されてきて親の経絡をどうしても用いなければならないケースは少ないとわかってきても、脉を感じる指が平均化されたものを求めてきていたのでしょう、一時期は陰経を一つに下合穴という必ず陽経までセットにした治療を行っていた時期もありました。ただし、現在でも病理考察から下焦壁を引き下げたいものは、このパターンで治療をしています。
 陽谿の脉診というものは、脾虚肝実証のように最初から突出していて診断できるものもありますけど、陰経への手法が適切であれば三菽の高さで診察できるものと今でも思っています。

数脈は陽経から、難経九難を活用して
 スカイプ会議中に新井敏弘先生が末期癌患者の往診をしていて、どうしても陰経からは鍼ができずに陽経からの治療だと効果が出ているという報告を聞きました。数脈が陽経からだとうまく収まるところから、直接に陽経から治療をされたという話でした。私が覚えている範囲では、大人へは初めての陽経からの治療です。思い出していたのは漢方鍼医会へ参加して間もなくの頃、末期の大腸癌患者をどうしてもいい方向へ導けなかったことであり、数脈を落ち着けられたときには多少の効果があったということでした。
 小児鍼は陽経から入っているのであり、井穴刺絡も陽経を用いることが圧倒的に多いのですから、この時期になっていると「別に陽経から治療へ入ってもおかしくはないだろう」と頭は柔軟になってきていました。そして森本先生から「難経九難を踏まえれば数脈は陽経から入った方がいいのでは」という提唱があり、治療後は絶対に数脈だけは押さえるべきという簡単にして明確な基準線を持つようになりました。
 虚実はもちろん浮沈でさえ実技中に意見が分かれるところであり、ましてほかの研修会の先生とでは脉診に対する意見が全く異なってしまうかもしれないのですけど、遅数だけは理解が共通にできます。外来講師や伝統鍼灸学会で実技を見せてもらうときには、遅数を基準に見させてもらっています。

難経九難条文

九難に曰く、何を以って臓腑の病を別ち知るや。然り、数なるは腑なり、遅なるは蔵なり、数なるときは熱となし、遅なるときは寒となす。 諸陽は熱たり、諸陰は寒たり。 故に似て臓腑の病を別ち知るなり。

 (コメント)ということで、私が難経九難を強く意識するようになったのは新井敏弘先生が往診されていた癌患者さんのことで、ツボははっきり覚えていないのですけど同時に思い出していたのは自分が扱った末期の大腸癌患者のことでした。そのときから、数脈というものは絶対に落ち着けなければならないものだという意識になりました。

難経は片手ずつの脉診をしていた
 多様な診察・診断・治療法があるということで、年に一度のリフレッシュとして伝統鍼灸学会へ必ず参加をしています。思い込みというものは恐ろしいもので、歴史的に見れば「難経は片手ずつの脉診をしていた」の言葉は衝撃的でした。
 「脉型」で初めて両手同時に脉を診察する、つまり両手での総按が提案されたということは、それ以前は片手ずつで脉診を行っていたということです。難経での脉に関することを理解しようとしたなら、片手ずつで行うべきだったのです。

改めて、脉診は鏡を見ている
 とはいえ、両手同時の総按は拡張版として提案されたのですから悪いことではなく、情報量が増えることにより診察範囲も広がったでしょう。それが不問診につながっています。ただ、難経医学を実践するためには片手ずつの脉診も意識すべきだったということで、その後の治療にはどちらも必ず行うようにしています。
 片手ずつでの脉診を意識的に行うと、菽法だけでも随分と感じられるものがまた違ってきて、脉診は鏡を見ているのだということをさらに強く感じました。そして六部が菽法それぞれの高さに収まった脉状を経絡が最適化された脉状だと受け入れられるようになり、ここで完全に六十九難の呪縛から解放されたのでした。

陽経からの治療は案外と多い
 片手ずつの脉診も必ず行うようになると、病的な数脈をより多く発見できるようになりました。そして陽経から治療を開始すると菽法それぞれの高さに落ち着く脉が案外簡単に作れるのであり、もちろん効果も上がりますから陽経からの治療をより積極的に行うようにもなりました。

五邪論もわかる範囲から
 これと平行をして、森本先生から提唱された五邪論についてもわかる範囲から取り組んでいました。最初は「邪があるのだから跳ねている脉」と強引な定義をしてわかりやすいものだけ考慮をして取り組んだのですけど、うまくいくと菽法のそれぞれの高さになった脉がこれも簡単に作れるのであり、しかも陽経からの治療と同じく崩れにくいのです。陰経から衛気の手法で行ってきれいで崩れにくいものも多くありますが、五邪論に魅せられていったのは崩れにくい脉、つまり治療効果の高さがあったからです。

選穴は手探りのまま
 さて陽経からの治療は意外と適応範囲が広く、しかも効果が高いのですが選穴法が未知数です。これも伝統鍼灸学会で軽視しがちになっていた五要穴を直接触診することの追試と併せて運用できる経穴を割り出していたのですが、何故か原穴か絡穴に集中するのですけどその理由がわかりませんでした。

気がつけば営気の手法を用いていた
 選穴が偏った状態では何かが間違っていると考えていた頃、強い腰痛で毎回数脈という患者さんがおられました。陽経から治療をすると数脈は収まり痛みも軽くなるのですが解消には至らず、五邪論を使うと痛みは数日きれいに解消するのですが一週間もすれば症状が戻っていました。やはり数脈は陽経から入った方が効率的だという証明にはなりました。
 ふと気づくと、この患者さんへ陽経から営気の手法を行っており、作り切れていなかった菽法それぞれの高さの脉ができあがっています。これで完治へ導けました。

陽経からも五邪論の治療であることを確信
 そして今まで使えていなかった選穴ができるようになり、これらは営気の手法の時に使えることがすぐわかりました。五邪論では陽経から運用することがあるとはわかっていたものの解説されていたのは表裏の陽経であり、今まで運用してきた陽経からの治療はすべて剛柔を応用したものなのですが、選穴によって五邪論が成立していると確信しました。また増補された資料からは五行穴だけでなく五要穴での運用もあり、何ら不思議でないことだったのです。

五邪論での治療の現状
 もう一つ邪論へ傾いた要因は、肝実証の治療を気血津液論だと思い込んでいたことから目が覚めたことです。営気の手法を必要とする本治法は邪論だとすれば、今まで散々に行ってきたことです。その治療効果の恩恵は、治療室の経営を見ればわかることです。
 思い出せば下積み修業時代、最後に陽経へ霊枢の瀉法を行うことにより症状を除去していたのは、あれは邪論の治療ではなかったのか?強引に血を動かすことのできる瀉法鍼、病理考察とは別次元で運用しておりこれも邪論ではないのか?近畿青年洋上大学で行った治療は刺鍼が深く、乏しい知識の中で症状を散らせたのは結果的に瀉法をしていたからではなかったのか?既に五邪論での治療比率が高くなりつつありましたが、そう考えると行き着く先にたどり着いたという感じでした。

気血津液論は選経・選穴、五邪論は選穴・選経
 気血津液論は病理考察からどの経絡の変動であるかを推測する選経を行い、そしてどの経穴であれば病理の改善に最も適しているかの選穴という、お馴染みの手順です。病理考察はあくまでも推理の段階ですが、経絡を軽擦することによって鍼をしたのに等しい状況を作り出せるので事前に確認ができ、治療法の優秀さのバックボーンになっています。選経が先に来ているということは、軽擦による確認を含めてロングヒットは少なめかもしれませんが打率のいい治療となります。
 五邪論では心下満がある・冷えが強烈など病症から選穴を行い、どの経絡であればその他の変動も含めて合致するのかと選経を当てはめていくというのがだいたいの手順になります。もちろんどの邪に影響されているのかや変遷なども考慮しなければならないのですが、まず選穴があるので診断が慣れれば瞬時にできます。選穴・選経が割り出せたなら、経絡を垂直に切って衛気を取り除くことにより治療効果の予測もそれなりにできます。ロングヒットの量産が期待できますが、空振りの比率が高いかもしれません。
 (補足)ここに実際の臨床では肝実証が入ってきます。肺虚肝実証と脾虚肝実証のそれぞれについては前述していますが、気血津液論と邪論のどちらに分類するかなら邪論となるのですが、診断手順は気血津液論の方に近くこのあたりが理解をやや困難にしているのでしょう。診断の決め手は悪血症状があるかどうかであり、悪血を裏付ける脉状と腹診での粘りを確認することです。自発痛を有する病症はかなりの確率で肝実となりますし、なかなかとれない動作痛やしつこい不定愁訴も悪血にまず分類して診察するとわかりやすいと思われます。その上で肺虚肝実証の場合は腎経へ営気の軽擦を、脾虚肝実証の場合には脾経へ衛気の警察をまず加えて全体の変化を観察し、肝実証で治療すべきかを診断していきます。

陽経も剛柔で用いれば五要穴で統一できる
 病症からの選穴は、ある程度のものをまとめてしまい取捨選択を思い切りよくすることではないかというのが私の実践です。それで基準にしているのが六十八難の五要穴へ割り当てられた病症です。ただし、文字ずらだけを合わせても選穴にはなり得ません。痛みを主訴に来院されるケースが多いのですが、痛みは兪穴とするだけでなく、ピークを過ぎて痺れあるいは違和感と混在するようなものは経穴に、熱がつき上がってくるために発生しているものは井穴など、ある程度まとめることとそこから取捨選択することで選穴を考えています。
 そして陽経を剛柔から用いると、選穴が陰経からでも陽経からでも五要穴で統一できるため混乱せず運用できています。表裏で陽経を用いる場合は五行を合わせることが多く、同じくらいの効果が得られるというのが感触です。

 (コメント)今回で一番いいたいところは、この部分なのです。五要穴をだいたいの基準にまず選穴を割り出してきて、そこへ選経を当てはめていきます。選経の基準は、五臓で考えます。それで数脈だと、これを陽経へ持って行くことになります。ただ、今まで紹介されてきたのは表裏の陽経を用いる方法だったのですけど、これを剛柔の陽経を用いれば五要穴の井栄兪経合で合わせられるため、五行で合わせていると「井木だったから兪木になって・・・」と一段階考える必要がなくなり、臨床がさらに素早くできるようになったのです。

気血津液論も五邪論、どちらも素晴らしい治療法
 多少の変動はありますけど、現在は90%は邪論で治療しています。わかりやすく効果を発揮しやすい治療法から取り組んでいると、肝実も含めた邪論での割合がいつの間にか大きくなっていたというだけの話です。いつの間にか毫鍼からていしんへ切り替わっていた、そんな感じしか私の中にはありません。
 しかし、気血津液論の否定は一切していませんし、確実に活用しています。気血津液論の方がわかりやすく治療しやすいと判断したなら迷わず行っていますし、五邪論で継続治療をしていた患者さんが治癒をしたなら気血津液論での治療に変化することも珍しくありません。

奔豚奇病とバセドー病の脉状
 説明から図を頭に描いていただくととてもわかりやすくなると思われますが、奔豚気の場合は非常に幅の狭いサインカーブをイメージしていただければいいでしょう。腎から突然吹き上がってくる熱に心が思わず暑くて躍ってしまうのが病気の本体ですから、浮沈の幅は大きくて数脈となります。
 バセドーは、まず直角三角形の30度の角が上に向いている様子を思い浮かべてください。第一の特徴は60度の角から鋭く右斜め上へ脉がつき上がり、第二の特徴は30度の角から垂直に脉が落下します。第三の特徴が一番大切で、まだ垂直に脉が落ちきっていないのに直角と次の三角形の60度の角がかぶっていて次の脉がつき上がってきていることです。
 いずれも気血津液論で治療をします。その方がわかりやすく、治療効果も出しやすいからです。そして奔豚気は、数脈でありながらも浮沈の差も大きいので復溜を用いるのが一番効率的です。これが脉診で見分けられるようになれば、特にバセドーが見抜けるようになれば数脈の治療がおもしろくなること間違いなしです。

奔豚奇病の治療
 (コメント)奔豚気病は、これも池田先生から教えていただいたものです。「数脈があったなら着目してみなさい」といわれていたもので、復溜へ一本で収まると説明されているものです。本当に復溜へ一本行うだけで、治まってしまう病気です。
 奔豚気の場合、数脈なのになぜ難経九難の陽経からの治療としないかですけど、突然に動気がそれも「心臓がどうにかなってしまったのではないか!?これは死んでしまわないか!?」というくらい激しいものがするのですけど、動気が終わってしまえば「あれは一体何だったのだろう」というくらい痕跡がないのです。女性の更年期でホットフラッシュの症状も、奔豚気と絡んでいることが多いです。ですから、この場合は陰経から治療を行います。それも気虚の状態となっていますから、これは気血津液論で治療をした方がいいでしょうということになります。

バセドー病の治療
 (コメント)バセドー病の脉状は、落ちきる前に次のものがつき上がってきているというイメージをしていただけるといいかと思います。これは肝の疏泄作用が暴走している状態です。ですから陽経からの治療に取り組んでいなかった時代には、治せる病気だという認識でしたが肝虚や腎虚として治療をしていました。これを陽経から治療するようになったなら、肝の剛柔は大腸ですから気血津液論だと原穴か絡穴を用いることになりますので、合谷か偏歴ということになります。偏歴の方が、圧倒的に多いです。
 一回目の治療でだいたいは半分くらい治ります。二回目の治療で90%くらい回復できます。三回も治療をすれば、症状はなくなります。ただ、内分泌の病気は再発防止の治療をしておかないと開業をした頃には回復をしたので治療終了としておいたところ二・三ヶ月で再発をしてきた患者さんが多く折られ痛い思いをしましたから「回復をしても二回くらいは再発防止の治療を追加してください」と最初から宣言するようにしています。五回もあれば、最近はバセドー病を治癒できています。
 ということで、気血津液論の方がわかりやすければその場合はそちらの方がいいのではないか、私はどちらも臨床で使っています。

五邪論も整理や腹診を活用
 切り口が違うだけで同じ経絡を用いるのですから、五邪論の治療であっても今まで学習してきた漢方の生理を大いに活用すればいいと思いますし、無視していいなどとはどこにもありません。衛気と営気、用いる手法が異なるのですから選穴は必ず異なるので、導入校は同じで何ら問題ないでしょう。

内臓下垂は脾病
 腹診で明らかな内臓下垂があれば、脾の昇清作用が落ちているのですから脾経を中心に治療を考えるのが当然です。そこへどんな病症があって何を動かしたいのかを絞り込み、陰経からなのか陽経からなのかを組み合わせていくことになります。

心下満は井穴
 心下満の状態が強い患者さんに遭遇しました。気血津液論で考えていくと選経はすぐ割り出せたのですが、選穴をしていくと井穴にはならないケースの方がほとんどであり、本治法の段階で心下満はそこそこ緩むので残りは標治法を活用してというのが従来のパターン、つまり気血津液論での取り組み方でした。これで治療効果は十分であり、治癒もしていきます。
 けれど心下満が病症を引き起こしている本体であるとわかっているなら、先に井穴を用いると決定し、選経を合わせていくというやり方をするとどうなるのだろう?五邪論の発送は、こういうところだったのではというのは勝手な想像です。ただ、私は自分の臨床の中で、このように発送することは確かです。

肝実は悪血の触診と整理から
 五邪論を本格的に導入するようになって一番困ったのは、腎病なのか肺虚肝実証なのかの区別でした。肺虚肝実証で治療をしてきて途中から成績が停滞し、陽池への手法を取りやめたならまた回復してきたケース、陽池を加えなければ十分回復しないケース、確かに腎病も肺虚肝実証も存在しています。
 肝実であるべき病理が存在しているのかと、腹診で肝と腎の間で悪血が触知されるかが区別のポイントです。悪血の触覚所見は必ず粘りがあることであり、数本の指で軽く押さえて揺らしてみて粘りがあるかどうかです。慣れれば脉状で肝実もわかるようになります。

邪専用ていしんの紹介

邪専用ていしんの写真、シーツの上に一本配置されている


 実は全く別のことから開発をしていたのですけど、邪専用ていしんを併用することで五邪論の治療はさらに効果を発揮します。下積み修業時代に最後に陽経の瀉法で症状が取れるというのは、置鍼をしているのにかかわらず細かな邪が残ってしまった結果であり、五邪論で本治法に営気の手法を用いてもすべての邪は取り切れません。
 首はすべての陽経が通過していますし範囲も狭く、本治法の直後に邪専用ていしんを行うことで細かな邪を処理しています。治療が大成功だと全身が温かくなるものですけど、邪専用ていしんを加えるようになってから割合が飛躍的に向上しています。また邪専用ていしんは局所の悪血を散らすことができますし、癲癇手法の代理としても用いることができます。

 (コメント)5月に愛知漢方鍼医会が森本先生を招聘されていたので、私もお邪魔をして今回の発表の確認も兼ねていろいろと話を聞いていました。その中で突然に出てきたことなのですが、やっぱり森本先生も五邪論での治療ということで手足の要穴へ施術をされた後「これだけでは不足なので」ということで、必ず首のところで邪を抜く手法を追加するということでした。「あっ、一緒のことをしていた」と自然発生でやるようになっていた施術なのですけど、見ているところというかゴールというのか目指すものが一緒ならその過程も必然で、一緒になってくるというのは何かうれしかったですね。

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漢方はり治療の展望
 時々クラシックカーショーのようなものがあると、「へぇー、よくこんなもので走っていたな」とか「大昔でもすごい発想をしていたな」と感心したり懐かしんだりするものですけど、日本車の至れり尽くせりの上に安全性も高い自動車からクラシックカへと普段の生活を戻すことはしないでしょう。たまには車庫から出してきてクラシックカーでのドライブは楽しいでしょうけど、毎日の通勤には使えないと言い換えた方が誤解がないかもしれません。しかし、エンジンとタイヤとハンドルがあってと基本があってそれらを改良し続けてきたのが現代の自動車であり、基本部分は将来も変わらないでしょう。古典治療に携わる我々は、ちょうどこんな感じだと思います。
 木炭からガソリン・ハイブリッド・電気・水素などとエネルギー源を変えることによってエンジン構造は見た目にはわからなくても中身がごっそり入れ替わっている、そしてクリーンで効率のいいものを一度知ってしまうともう元には戻らないですし戻る理由がありません。治療法則の変化もこれと似たような感じで、一度効率のいいものを知ってしまうともう元には戻れませんし戻る理由がありません。邪論による治療法は漢方鍼医会へ根付くでしょうし、やがて日本の鍼灸業界にも広がっていくだろうと予想します。
 次の時代の自動車は、完全リサイクルのクリーンエンジンになりますか?常にインターネットと接続されたものになりますか?人工知能が運転手の役割をしてくれますか?完全な予測はできませんけど、一ついえることは社会生活を送るための大きな移動手段という目的は変わりませんし、エンジンもタイヤもハンドルもそれに置き換わる画期的なものが出現してきたとしても基本的な役割は同じです。漢方はり治療も健康を回復・意地・増進するという目的は変わりませんし、経絡を最大限に活用する気の医学という基本は変わりません。
 しかし、急ぎすぎないこともこれからは肝心かと思います。振り返ることは時々必要なことですけど、急ぎすぎないことも必要だと思います。安全性と快適性を第一にしたことで日本車は世界への主力産業となったように、確実性と快適性を追求した治療という流れになってくれればというのが私の願いです。


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