1. タイトル

頚神経叢への標治法が功を奏した、指が動かなくなってきた症例

 

2. 結果について

11回の治療で治癒、現在もメンテナンスは継続中

 

3. 診察について

  3.1 初診時について

 2020年のcovid-19からのパンデミックにより全国へ発令されていた緊急事態宣言の第一弾が解除された直後、都会ではまだ緊急事態宣言中であり県境を超えての移動は控えるように言われていたものの、片道二時間近くかかってもどうしても治療をしてほしいと紹介を受けて来院。理髪店でのカミソリのテクニックは何種類かあるそうだが、示指・中指・薬指の三本を揃えてフリーハンドで操作するやり方の動きが本来微妙でなければならないのに、指を揃えることさえ自由が効かなくなっている。

 

  3.2 主訴

 患者は62歳、男性。両手の指にしびれがあり、特に右の指が自由に動かなくなってきている。痺れは左のほうが強く、頚椎ヘルニアを指摘されている。特に夕方になると手全体がむくんできてしまい、カミソリが怖くて出来なくなってきている。緊急事態宣言中は仕事量が減っていたので別のやり方も併用しながらごまかしてきたのだが、これ以上指が動かないと次はハサミも持てなくなってしまうと知人に相談したところ連れてきてもらった。

 

  3.3 その他の愁訴

 手のしびれは一年前から感じ始めており、年が明けてから「これはまずいぞ」という状態になってきたので病院へ行くと頚椎ヘルニアだと言われ、次に右手の指の動きが悪く握力も落ちてきたなら色々と検査は始まったものの原因がつかめない。地域に長く開いている理髪店ではあるものの、隣町へ行けばチェーン店も存在するようになっており仕事を休めばすぐ顧客がなくなってしまうので、なんとかお店を休まずに治してほしいとのこと。手の症状からずっと緊張するようになり、肩甲骨周囲を中心に背部に自発痛が発生している。

 

  3.4 四診法

 望診は中肉中背で、還暦を超えているとは思えない若々しさがある。しかし、指の自由が効かなくなってきている恐怖感から、診察結果が告げられるまでは非常に怯えた表情をしていた。聞診は、特になし。

 問診では、今まで若い頃から病気らしいものをしたことがないのに、身体の自由が効かなくなるという状態に非常に慌てているとのこと。また病院の対応がコロナ騒動で遅れに遅れており、その割に検査費用だけがかかるのでイライラはしていた。ずっと緊張をしているので、首まで回しにくい。

 触診では、指そのものを触ってみると夕方ということもありむくみが確認できる。実際に動かしてもらった範囲では不自由そうには見えず、握力も十分に出ていると感じるのだが、カミソリの操作なので微妙な動きを触診で判断することは難しかった。次に頚椎ヘルニアが指摘されているので首を探ると、胸鎖乳突筋が異常に大きくなっていて特に右は硬さも感じられるのがすぐ発見できた。この部位を少し抑えただけでも強い痛みがあり、他の症例との比較からも標治法のポイントになると確信する。

 脈診では跳ねた感じが少しする以外は特徴的なものはなく、逆に拍子抜けしてしまった。もっと荒々しい邪気が触れるのかと想像していたので、逆に予後が良いのではと期待が持てた。

 

4. 考察と診断

  4.2 漢方はり治療としての考察

 同時期にもっと程度がひどく、右の中指と示指が伸ばせなくなり握力も落ちているという患者が来院しており、こちらは大学病院へ検査入院までしたのに原因が追求できずニューロン障害ではないかとだけ言われたケースがあった。そして胸鎖乳突筋が異常に大きくなっており、治療への手がかりがないのでまずはこの硬結を緩めていけばどうなるのかと初回で実験させてもらうと直後から指が少し伸びるようになり少しずつ改善しているので、同じ状態ではないかという推測がされる。

 時邪を応用した切り分けツールで二の季なので心経と小腸経の井穴を摂按しても、陰経で生気論が適合するという結果になり、肩こりを知らない体質だったものがあまりに肩こりがひどくなって解剖的だが頚神経叢を押さえつけているためではないかと考察される。病理としては肝の疏泄作用が物理的に阻害されていると仮設を立てると、肝虚陰虚証が連想される。

 

5. 治療経過

  5.1 初診時の治療

 選経は肝虚陰虚証で、肝経を大きく警察すると菽法の位置に概ね脈は収まり肩上部も腹部も整ってくるので、まずは決定する。選穴は症状が悪化中ということから対象化曲線を考えていたものの今一つ的を射ていない感じなので中封を探ると、これが一番菽法の高さに収まるので決定する。本治法用二木式ていしんで、男性であることから右の中封へ衛気の手法を行う。すぐ全てが菽法の高さへと収まり、やはり肝の疏泄作用が阻害されているのだが、経絡のダメージとしてはそれほどでもないと確信した。

 本治法から半時間近く休んでもらってから標治法へ入り、背部の散鍼を少なめに行ってから邪専用ていしんを用いてのゾーン処置を行うと、頭はとても気持ちいいという感想。背部も顕著に緩んでいた。仕上げの円鍼とローラー鍼を終えると、全身の緊張が溶けて眠くなってきたという。

 ナソ治療を拡大解釈して、盛り上がって触れる胸鎖乳突筋へ標治法用二木式ていしんを逆さの太い側を使って強引に緩めることにする。ただし、金属だけが押し込まれたのでは指でさえ痛みが強くなっていたので耐えられるはずがなく、ていしんの先端よりも添えている示指の指先が僅かに出るような持ち方をしながら、ここは少し痛みを我慢してもらいながら強く何箇所も押さえた。その後に腹部へ散鍼をして、脈の菽法の高さが崩れていないことを確認して終了とした。

 

  5.2 患者への説明

 ちょうど指の自由が効かなくなっている患者が来院中であり、胸鎖乳突筋の硬結を緩めることによってゆっくりだが効果が出ており、状態が酷似していると説明した。向こうは七年前から症状が発生し一年前から指の動きが不自由になっているのだが回復のペースに乗っており、こちらは具体的な指の動きの鈍さが発生してからまだ二ヶ月という時間を考慮すれば週に二度の治療が当初は必要だが、一ヶ月あれば普通に仕事ができる程度になるのではと予測される。実際に治療直後には指の動きが改善しており、通院には少々困難が伴うものの鍼灸治療にかけてみると決意された。

 治癒までの時間については確証はないものの、「これくらいで治せなければ」と治療家としての意地を言葉にしたフシがあり、これは難しい症例だと時々自分で目標設定をするやり方である。臨床は生き物であり、意地と真剣さがなければ乗りこなせるものではないという信念からである。

 

  5.3 継続治療の状況

 二度目は三日後、カミソリを使う機会が少なかったので状態としてはあまりわからずまだ細かな動きの改善は見られない。胸鎖乳突筋は肩貞が母指の位置であり、そこから欠盆へ向かって示指・中指・薬指・小指と治療ポイントが並んでいると診断できた。注意点はまっすぐ下方向に並んでいるのではなく欠盆へ向かって緩やかに広報へずれていることが特徴である。狙い通り頚神経叢が圧迫されて指の動きが効かなくなっているとわかる。肝虚陰虚証で、初回とほぼ同じ治療。身体は頑丈なので、最後に首の矯正も加えた。

 三度目は7日後、前回の治療後からハサミについては動きに不自由さを感じることがなくなり、第1段階はクリアというところ。しかし、昨日にカミソリをフリーハンドで使おうとしてみたが指が動かず違う方法で対処したところ、上半身をひねりながらなので力が入り肩関節やその他に筋肉痛が出ている。肝虚陰虚証で中封、首の矯正も加えており以後は同じような治療となる。

 四度目は11日後、ハサミについては不自由を感じることがなくなり午前中にカミソリをフリーハンドで行ってみたならできるようになっていた。しかし、午後にはまたフリーハンドでの操作はできなかった。半日だけでもフリーハンドが可能になったということは、大きな進歩だと説明。

 五回目は15日後、まだ安心できるレベルではないものの一応一日フリーハンドでの操作ができるようになった。目処がついてきたので、安堵しているとのこと。

 六回目は19日後、フリーハンドでカミソリが一日使えるようになった。しかし、安定しているとはまだとても言えない状態であり、恐怖を感じた時にはいろいろな方法も使いながら切り抜けているのが実情とのこと。第二弾会クリアと判断。

 七回目は22日後、両手のしびれはまだ感じているのだが湿布をせずに過ごせるようになった。カミソリのフリーハンドも一日を通して使えるが、まだ危ないと感じることがある。

 八回目は28日後、前回から一週間後としたのだがカミソリのフリーハンドは使えている。次の目標は、安定して使えるレベルになること。

 九回目は35日後、カミソリのフリーハンドは一日使えている。ところが、3日前よりコーヒーを飲むような動作のときに肩上部に痛みを感じている。

 十回目は42日後、前回がカミソリのフリーハンドが楽に使えていたので油断をしてしまい、週の途中から調子が落ちてきて昨日は脂汗が出そうなことがあった。しかし、回復の途中で油断から症状がバックするのはよくあるパターンであり、そこまでひどくぶり返しているのではないと説明。

 十一回目は49日後、カミソリのフリーハンドは疲れると危なく感じることがあるものの休憩すれば復活できることが分かり、年齢的にも仕事量をあまり増やしすぎないように気をつけるとのこと。安定させられる方法もわかったので、治療としては今回で終了とするが一ヶ月に一度程度のメンテナンスを継続することにもする。

 一ヶ月後にメンテナンスで来院した時には、どこにも痛みを感じることがなくなりまずはこれが嬉しい。指の自由が完全に戻ったとは言えないが、カミソリのフリーハンドはもちろん使えており焦らずメンテナンスを続けていく決意とのこと。

 

6. 結語

  6.1 結果

 現在もメンテナンスは続けているが治癒。途中で病院の検査へ行かなくなってしまったので、西洋医学的評価は不明。

 

  6.2感想

今回の治療には大きなポイントが2つあったと自己分析している。

 一つは標治法の工夫で、硬結をていしんを逆さに持って強烈に緩めてしまう技を駆使したこと。側頸部に強烈な硬結があり顎関節症や顔面の痛みなどにすでに活用していたものの、 上肢の症状へ活用したのは初めてのケース。深い部分まで硬結があると毫鍼を深く刺鍼することを連想しがちながら、安全で効果的な方法であり、ていしんは深い箇所の治療も相当に得意だという証明にもなった。普段の臨床では円皮鍼も多用しているので「刺さる」「刺さらない」にこだわっているのではなく、どのようにすれば安全に深い箇所へもアプローチできるかを考えているだけである。

 もう一つは、治療にはデータ活用がやはり重要だということ。一番大切なのは経絡の変動を的確に捉えての本治法であり、本治法の土台があったからこその治癒は絶対に間違いない。しかし、同時期に酷似した二人の患者の胸鎖乳突筋の状態を比較し、解剖の基礎も踏まえながら片方での治療結果はもう片方でも活用できることから、治療効率の向上と治療ポイントの分布が素早く分析できた。標治法には解剖を基礎とするデータ活用という考え方は重要だと認識している。経絡の変動と解剖的損傷を併存して考えられれば、道具の活用も含めて応用範囲が一気に広げられることだろう。




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