この文章は、2011220日の継続講義「本部基礎テキスト第七章のディスカッション」(4)より、剛柔選穴に関する解説部分を抜粋した前半と、後半の肺虚証で「中医学との違いについて」を収録してあります。

 

剛柔選穴に関する解説および、漢方はり治療と中医学の違いについて

担当  二木 清文

 

 

 午前中の後半は、 本部の基礎テキストから増補された第七章をディスカッション形式で読み進めているのですけど、今日は肺虚証の部分で中医学との違いについてからになります。

 それに先立ってですが、先月のオープン例会で入門班の方、それもまだ聴講扱いという方々についてもベテランの先生方の中へ入ってもらって小里方式を行ったのですけど、剛柔という話が出てきました。とりあえずはざっと説明はさせてもらったのですけど、「もう一度例会の中で詳しく説明をするから」ということにしていましたので、この時間を使って治療法則や脉のことなども一緒にでてきて理屈っぽくなりますから、なるべく短く話したいとは思います。

 

 まず脉図を見てください。そして、自分の脉も触りながら話を聞いてください。脉図は単純に中央に垂線が引いてあって、左右の脉の部位が示してあります。そして指を当てた時に左から寸口は心・心包、関上が肝、尺中が腎に配当されます。右の寸口、つまり術者の左手の示指が当たる部分のことで必ず脉のことを表現する時には患者さんを基準にしていて術者側からは表現していないので間違えないように注意して、右の寸口は肺、関上は脾尺中は心包だと記されている古典も多いのではありますけど東洋はり医学会時代からもそうでしたし最近は段々とこの蛍光にあるようなのですが命門としています。左腎・右命門という配当ですね。それで証決定にこの脉位は考慮しないという形で、今は臨床を進めています。

 そして心・心包なのですが、取穴書作成委員会の作業の中でもでてきていますし先日紹介してもらった論文の中にもあったものなのですけど、武漢の馬王堆から出てきた有名な「十一脈灸経」という本があります。灸経というくらいなのですからお灸の話であり、当然ですが治療もお灸でのことが書かれてあります。ただ、一緒に出土した文献の中には経脈のことが書かれていても経穴のことは書かれていないので「経脈が先に発見されていて」と論文にあったのですけど、これはどう考えても経脈と経穴は同時発生的に発見が続けられたとしか思えませんね。それにツボが偶然発見されたのがきっかけというのは、発想として矛盾していないのですけど。絶対に経穴が先で経脈がそれにくっついてきた形で整えられたかといえば、例えば足の三里を押せば響きがかなり強く走りますから「あぁなるほど」ということは当然発見されていたでしょう。言い換えるなら足は左右交互に出さないと前へ歩けないのですからツボが発見されていたのを後から結びつけたのではなくて同時に発見されていったはずだと思います。でも、「どっちが先だった?」というのは鶏が先か卵が先かの論争をしているようなものですね。

 ちなみにですが、昨年に「鶏が先か卵が先か」の論争には終止符が打たれたようで、鶏の方が先らしいです(笑い)。DNAの関係からすれば突然変異でも何でも鶏の方が先に出来上がっていなければならないらしく、鶏がコケコッコーと鳴くことで卵がポコッと産み落とされたらしいです(笑い)。

 話を元に戻しまして、ここで大切なことは心包経と今私たちが呼んでいるものを心経と呼んでいたのです。そして今の心経の方が後から発見されて、名前を譲ってしまっているのです。この理由なのですけど、三焦を入れることで六腑の方が先に成立してしまい五臓と対応関係がおかしくなったので、積極的に探してみたなら「あったぞ」というのが心経なのでしょう。このようにして発展してきたという推測も、それほどずれていないと思われます。ですから、積極的に探した経脈というのもあったということですね。

 そのような理由ですから、右の脉は寸口から肺、関上が脾ときて、尺中は心包ではなく命門として脉診しています。では、心包は診察する時にはどのようにすればいいかということなのですけど、読んで字の如く心臓を包んでいる膜という意味ですから、心臓というのは陽気の固まりですから動きがとても激しいのでそのままだと飛び出すので包む膜が必要だというのが心包であり、心の陽気は全て心包を通じて出てくることとなるので脉診は同じ部位ですればいいことになりますし、治療は心包経を用いるということになるのです。おそらく「十一脈灸経」の時代も心の病とか心に作用させたい時には使っていたでしょう。ただ、実際には六臓六腑なのですが五臓六腑を治療するということで名称を心包に譲ったのでしょう。

 

 

 脉のことについてはひとまずここまでで、次に代表的な治療法則である難経六十九難についてです。

 これは皆さん鍼灸学校で習われたことでしょうけど、まだこの中にそこまでの学年に到達していない方がおられるので基本的なところから解説をします。どのように書かれているかといえば、まず一番目には「虚するものはその母を補い」とあります。脉図を見ながらあるいは自分の脉を触りながら確認して頂きたいのですけど、例えば肝が病んでいたとします。肝が病んでいるということは、五行では木が病んでいるということになります。五行は木火土金水で表現されこの順番で呼んでいますから、木の母親は水となるので「木が病んだ時には一緒にその母親である水も補いなさい」と単純には解釈できます。今はまず、単純にこのように覚えてください。

 六十九難はここから続きがあるのですけど、今お話ししたいこととは直接関係がありませんし剛柔治療との関係が分からなくなってしまいますから、今回は割愛させてもらいます。六十九番目に至るまで治療の法則性というものが提示されておらず、「このように運用すれば効率がいいよ」という形で提示されてきたものだと理解していただければいいだろうと思います。

 それで肝虚証といえば肝が一番病んでいるから肝・腎と補う、腎虚証は腎が病んでいるのでその母親は肺ですから腎・肺と補う、肺虚証は肺が病んでいるので母親である脾とセットで補う、脾虚証はこの場合には先ほど説明したように心ではなく心包を使うということで脾・心包と補うことになります。

 ただし、心虚証というものはありません。何故なら、心とは全身へ血を散布させるのが役割の臓であり心の症状や病そのものもあるのですけど、その親である肝は血を蔵している場所なのでポンプの方が病んでいるのに貯蔵タンクまでおかしくなっていたのなら死んでしまいます。現代医学での死亡とは漢方では命絶と表現していて、死とは病が膠着状態に入っているようなことを差していますから、用語には気をつけてください。ということで、心虚証というものはないというのが一般的な考え方です。けれど研修会によっては心虚証として治療されているところもありますし、割と頻繁に存在すると主張されている先生もおられます。過去には心包経から手を加えたならいいケースがあると追試されたこともあるはあるのですけど、現在の漢方鍼医会の治療スタイルとしては、積極的には心虚証を扱っていません。

 

 それで補いは必ずセットで行うものなのかといえば、私が入門した時にはそのように習いました。しかも、人間の身体はシーソーでありそのバランスが崩れている状態なのだから、まして病の時には緊急事態なので支点を中心に反対側まで折れて下がってしまっていることもあるということで例えば肝・腎と補った上に脾を肺を補うということ、つまり肝・腎を左側で補ったなら右側で脾や肺を補うという相克調整ということを習いました。そこから段々と代わってきたというよりも修練の中で手法が洗練されてきたからなのでしょうし、「脉をこう感じたからこのように鍼をした」では説得力もなければ完全に自己満足の世界なので脱皮に努力してきました。

 脉に触れてそれを積極的に動かそうとすることだけに終始していれば、それはそれで治療としては完成形態なのですけど、その時代にも難病といわれるものを治癒に導けたのですからそれだけに終始していればいいのですけど、これでは更新の育成が非常に難しいですし社会的な面を含めて認められた医学とは言い難い。漢方の古典書物はほとんどが病理のことを書いているのであり、「だからこのような治療につながるのだよ」ということが書かれているのであって、現代の教科書のようなリウマチにはどこを治療しなさいとか橈骨神経痛はこことここへ何センチ鍼を刺入しなさいなどとは書かれていないのです。

 それで肝虚証で例えるなら、肝は血を貯蔵している臓であり「血をうまく貯蔵できない」のか「血そのものが少なくなっているのか」など状態は色々なのですが、血の中には津液が含まれているのでその津液を貯蔵している臓は腎という親子の関係が見えてきます。肝虚証に至るケースは今思い浮かぶのは二つ考えられて、先に腎が津液をうまく貯蔵できなくなり血の中の津液が不足して肝が変調してしまい肝・腎と補わなければならない、元々は腎虚から変化してきたケース。もう一つ考えられるのは、全身へ巡らすという働きである肝の疏泄作用が低下していた時に腎も弱っていたので津液がうまく供給できないため疏泄作用の回復が思わしくなく、肝・腎と補うというケース。ケースバイケースですから、これだけではありませんけど。ということで親子関係はとても親和性が強く、肝が一番に病んでいた時には肝・腎と連続で補って治療することはやはりあります。

 ところが肝を補ってしまえば、先ほど説明したように血中には津液がありますから津液が巡るようになって腎へも戻ってくるようになり、腎はそこまで病んでいなかったなら例えば風邪をひいていたのは子供で親がそれを看病していた程度であり子供の咳が多少移ってはいましたけど元々子供が風邪でなかったなら咳そのものも出ない程度だったとしたなら、そんな場合には肝だけ補えば病は解消してしまうことになります。肝・腎の両方を補わなければならないケースというのは、お母さんが風邪をひいたから子供に移ってきたあるいは子供が先に風邪をひいてお母さんにも移ってしまったということで、両方とも治療しなければしっかり回復しない時には両方を治療すべきです。ところが子供が風邪なのですけど高熱でうなるほどでもないですがお風呂は控えて家の中で過ごしておいた方がいい程度なら、子供だけを治療すればいいのです。子供が回復したなら、親もそれで解放されて元気になるわけです。こんなケースはある話ですから、肝への一本の手法だけでいいことになります。

 ただ、学校を休んだ・友達が心配してお見舞いに来てくれたなど「ごめんね治ったよ」というニュアンスでは少し違ってはいますけど、ひずんだ連絡関係を修正するという意味でどこか陽経をいじってやった方が治療の持続力が増すのは確実です。

 

 さぁそれでは、子供は寝込む寸前まで悪かったでも親は咳き込んではいても寝込むほどではなかったけど仕事は休んでしまいました。子供は治療をしたので回復しましたが、親は治療の必要がなくても仕事を休んだ分の負担が掛かってしまいました。この時には、治療をするほどではないにしても誰かが助けてあげることが大切です。この場合にはお母さんの体力を助けてあげるという意味であり、ここから具体的な剛柔の話となります。

 

 剛柔というのは理論的に難解で、「これですよ」という説が今のところはありません。難経の三十三難・六十四難の記述から読みほどいてきて、「このように運用すべきではないか」と試行錯誤しているものです。

 肝虚証で肝は治療をした、子供である肝は治療したのですけどお母さんである腎はどうしても治療をするほどではないが栄養をとったり休憩をしたりなど何かの助けは必要だとなった時、どのようにすればいいのか?腎というのは五行では水であり、土克水で土である脾が普段は抑制していることになっています。それで脾の陽経である胃を使うことによって、腎が救われるという治療法をします。これは難経では兄と妹と表現されていて結婚をするという解釈にもなるらしいですが、要するに相克経の陽経を使うことによって潤すことが出来るというように読み下せるのです。これが一つの説です。あるいは胃を補うことによって脾との陰陽バランスが整って、、土克水の抑制が緩和されるという説もあるようです。

 このあたりは前述のようにまだ明瞭にはなっていないのですけど相克経の陽経、つまり腎を救いたいと思えば胃経、肺を救いたいと思えば小腸経、脾経を救いたいと思えば胆経、心を救いたいと思えば膀胱経、肝を救いたいと思えば大腸経を使えば「救ってやることが出来ますよ」という考え方なのです。

 先ほどの肝虚証での治療に戻りまして、この場合だと肝経を補って腎経まで治療しようとすればそれはやり過ぎになってしまい、けれど腎をもう少し助けてあげたいという時に胃経を使うというのが剛柔治療の六十九難での応用例です。今はこの使い方が一番メジャーというのか、私は以前からこのような使い方を好んではいたのですけど昨年の夏期研以後からより広く応用されるようになってきている印象です。

 

 実は漢方鍼医会で剛柔治療が唱え出された時には、例えば肝の剛柔といえば大腸が該当すると先ほど言いましたけど肝を補ったのだけれどもう少しとか不充分に感じられるので、大腸を重ねて使ったという用い方から始まっています。ですから、そのような使い方もありかもとは思っています。ただ、陰経を・本家をしっかり補えば、借金をしなくてもお金があるならわざわざ融資を受けなくてもという感想ではあるのですけど否定はしません。そうではなくて肝へ直接手がつけられないから、大腸からアプローチをしていくということは臨床現場で遭遇しています。まだ確定的なことではないのですけど、脉が明らかに沈んでいるのにかなりの数だった時には陰経からのアプローチがうまくできないことが多いようでその場合には陽経からということになるのですけど、そんな時に応用した例が何度もあります。こんな感じで、剛柔治療とは行われています。

 

 いっぱい手を持っておくというのは必要なことだと思います。「鍼灸ジャーナル」の記事の中でさらっと話したならインタビューワーの松田博公先生に評価を受けたのですけど、他の研修会では「肝虚証は肝・腎と補うのだ」あるいは腎・肝の順で補っている会もありますけど、それが唯一の方法であり揺るぎないものだとされています。そうではなくて「肝を助けるためには様々な方法がある」というのが私たちの考え方であり臨床であり、一番いい方法をその場面で素早く選択できるように研修会を重ねているのです。

 さて、短時間でまとめて話をするといいながらかなりの時間になってしまったのですけど、質問がありましたならどうぞ。

 

 

  中尾 説明に関してはよく分かったのですけど、腎経を直接補えない時には脾経の陽経である胃経を補うという形にするのですか?

  二木 その通りです。

  中尾 もう一つお願いします。腎を直接触らずにその陽経である膀胱経を使うという治療はないのですか?

  二木 その場合には、心包への剛柔として働いてしまいますね。例えば脾経とその陽経である胃経と臓腑両方を補ってしまうという治療はよくあると思いますし、私も行っています。でも、親経の腑を使うとなると別の経絡への剛柔として働いてくるので、それはないかなと思いますけど。

 ちなみにどのパターンで治療を進めるかという話なのですが、ある程度の経験が出来ると「これは親経も使うかな」「これは剛柔だな」「これは一経のみで充分だな」と目安が先につけられるのですけど、臨床家ですからベストのものを頭だけで決めてはいけないと思います。実際には軽擦をしてみて、その反応がどうかということを確認します。それから腹診も参考になって、肝虚証で例えが進んできましたから肝を補った段階で腹診での腎を診察した時、あまりに津液が足りないという時には「腎経も使うべきかな」という判断が出来ますけど、基本的には軽擦をしてよくなるかどうかという物差しでで断を下しています。

 

 

 それでは、テキストの方を進めていきたいと思います。

 

  3.中医学との違い

 @中医学では各臓の証の数が多くあります。これは中医学がそもそも薬方の理論を基礎として発展して来たことが大きな理由であろうと思います。術者が直接病体に触れて患部を自在に処置できる鍼灸と違い、漢方薬の治療とは具体的には文字情報の足し引きにすぎません。良い効果を出すためには病体に対する詳細な分類に基づいた正確な分析が必要不可欠なのです。

 

  二木 少し口を挟ませてもらいます。あまり中医学のことを悪くいうつもりはないのですけど、たまたま松田博公先生の出された「日本鍼灸へのまなざし」の本を今デイジーの校正も兼ねながら聞いているのですが、現在の中医学は文化大革命の後に急速に作られたものであってそれまでの中医学と「似て非なるもの」とまではいいませんけどかなり異質なものであると、全編を通して読み取れますし向こうの老中医がそれを認めているという事実もあります。

 それから「鍼灸ジャーナル」のインタビューの中でも話していましたが、弁証論治というものは学問的というか理論的になされるものなのですが、「よし!これだ」と割り出されても患者の脉もツボも確認せずにいきなり鍼を刺してしまうのですね。私の臨床からすれば「それはちょっと違うやろ!」と思いますね。

 そのような話をしていたなら、中国へ留学経験のある隅田先生が最初は二年間の予定が納得したかったということで三年間滞在されたそうなのですけど、薬方と鍼灸のどちらもが基礎理論は同じということで最初は一緒に講義を受けたそうです。もう二十年前のことですから現在だと日本国内でも本や知識は当たり前になったのかも知れませんけど、それで「これは凄いぞ!日本で聞いていたよりもずっと詳細で理路整然としたものが本が存在していたぞ」と感動をして、病院へ行ったならどれだけ凄い弁証論治で素晴らしい治療をしているのだろうと期待しながら現場へ行ったならガッカリされたそうです。学習した理論というのは、薬方のものだったと実感されたそうです。薬をお腹の上へ置いても脉が変化したりなどはしませんから飲ませないと効果は分からないのであって、そのためには理論に基づく処方が必要だったということです。

 現在の中医学のベースというのは、急いで作った「裸足の医者」の部分と薬方の部分から成り立っているような感じです。ですから、研究されたものに対しては敬意を表していますしいいものはいいものとして活用をこれからもさせて頂こうとしているのですけど、中医学そのものをうのみにしているのではないと頭に描きながら読み進んでください。

 

 A中医学での肺気虚証は本会の肺虚陽虚証にほぼ相当しています。

 B肺虚陽実証に当たる弁証は中医学ではいくつかの分類を持ちます。まず侵襲した外邪を寒熱に分け、表裏のどの位置に病があるか、精気の虚実などの諸条件の違いで対処を分類しています。外感熱病を治療するための弁証といって良いでしょう。中医学の歴史上、外感病に対する弁証としては古代の『傷寒論』があり、次には遙か時代が下って清代に成立した「温病論」がありました。現代中医学が成立する過程において、この2冊を共に尊重した結果、外感病に対してはまず寒熱を弁証し、次いで病理産物等その他の要素を考慮するというスタイルが定着したようです。

 それに対して日本の漢方では伝統的に『傷寒論』をもって聖典としてきた歴史が長く、特に外感病に対しては無条件で傷寒論の唱える六経弁証を採用する考え方が主流でした。本会の肺虚陽実の弁証もそうした流れを汲む考え方に基礎を置いています。

 C中医学には肺陰虚証という証があります。久病等のために肺の津液が乾燥し、虚熱が内生したためにしつこい咳、痰、五心煩熱や潮熱などの症状を見るものです。これは、すなわち肺の陰虚証ということで、肺の粘膜を潤すような薬を処方するのです。

 漢方はり治療では肺の陰虚とは言いませんが同様の病理を観察し、共有しています。上記のような症状の時は「肝虚肺燥証」とし、肺の粘膜が渇いてくるのは、肺の下にある肝が熱を発しているためであるとして、肝の治療(つまり肝虚証)を行うことにより、肺の熱を去るのです。なぜ肝が熱を持つかと言えば、気が虚す事が長期に及べば、やがては血が虚すという陰陽互根の道理があります。また各種カゼ薬の乱用が肝臓に負担をかけるという事情もあるようです。

 D中医学の肺虚証の弁証は呼吸器系の治療に偏っており、それ以外の病気に活用されることが稀です。中医学では一般的な気虚の症状を治療するときは多くは脾虚証を取ります。脾気を高めることが補気の治療の中心であるとの考え方は金元四大家の一人である李東垣の「脾胃論」に対する尊敬から発していると思われます。又全ての生薬は口から入り脾胃の健全な運化作用を経なければ効果を表すことができないことも考慮すべきでしょう。

 それに対し本会では「肺は気を主る」との観点から補肺が補気の中心であると考え、呼吸器病に限らず幅広く様々な病気の治療に活用しています。

 

 

 先ほどに中医学との関わり合い方については話したつもりですし、あまり色々と喋っていると批判ばかりになってしまいますので本会での治療について進めます。肝虚肺燥証と肺陰虚証の違いについては治療が成立する過程での違いであって、これは説明されているとおりですね。津液というのは物質のこと、つまり水分のことです。ところが肺というのは中空の臓器なので、だから津液を貯めることが出来ない、イコール陰虚証というのは津液不足のことを指しているので潤いを保つために多少は持っていますけど元々津液を貯められない構造なのですから、それなのに肺虚陰虚証と呼ぶのはおかしいということなのです。それでも実際は発生するのですが、それは肝が熱を持った時に肺があぶられて乾いているのです。

 肝虚肺燥証の一番の特徴は、夜に眠って温まってきた頃から咳が出てきます。インフルエンザが大流行する時期にはあまりこの証は出現せずに、秋やインフルエンザが終息する頃に「夜中の咳が止まらないのです」「夜中の咳が苦しいんです」と訴えられてきたなら、肝虚肺燥証の確率が高いです。そして脉診をすると、肺の脉がガツンと堅くなっています。このような脉状を見つけてピンと来たなら、「寝る前までは何ともありませんよね一度は眠りますよね、そして眠って身体が温まった頃から咳が出てきませんか?」と質問してみてください。そうすると「いや実はそうなんですよ」という会話になるはずで、「これはそういう病気なので西洋医学のお薬を飲んでもあまり効き目がないですね」と説明し、肝経の中封もしくは曲泉あたりから選穴していくことがポイントとなります。

 

 

 さて今回は剛柔の話が前半で後半は中医学との違いだったわけですが、「このような部分を重点的に」という質問がありましたなら、どうぞ。

  佐野 咳のことですが、肝虚肺燥証でこのように咳が出るということは病理的に陰虚証だと同じようなことも考えられると思うのですけど、腎虚陰虚証や脾虚陰虚証ではどうなのでしょうか。

  二木 典型的なものは、やはり肝の場合肝虚肺燥証となるでしょう。腎の場合には先ほどに六十九難の話をしましたけど、一応セットとして腎虚証の場合には腎経を補ったなら肺経まで補うことになっていますから、そのようなこともあると思われます。それでこれも「鍼灸ジャーナル」の記事の中にも出てくることですが、私の咳がどうにも止まらなくなってしまった時に当時は相克調整ですから肺虚証で相克する肝経も補って時には腎経まで補ったり、あるいは脾虚証で肝経も補ったり脾虚証で腎経も補ったりなどで肝虚証や腎虚証はあまり使わなかった時代ですね。パターン的なものがありますから、肺虚や脾虚で治療をしていました。ところが、あまりにも咳がひどいので全身がしんどくて社会人になって親元を離れて一番喜んでいた毎日の晩酌さえもできないくらいの状態になっていたのです。リンゴしか食べられないので、師匠の奥さんが「食べないといけないから何か作ってきてあげようか」と言ってもらえたのですけど、作ってきて頂いてもそれが食べられないのでお断りをしたという状態だったのです。ふと気が付くと、口の中が唾で一杯になっていたのです。ハッと気付いたのです「泣、汗、涎、涕、唾」ということは唾は腎の主りだからということで、腎虚証で治療をしたなら見事に治ったのです。

 脾の場合もあると思います。脾の運化作用が低下して肺がうまく気を回せなくなってという病理もあるでしょうが、それよりも脾は心・心包との親和性が強いので心臓制喘息というものへつながっていきますか。これも「鍼灸ジャーナル」の中で話しましたけど、呼吸器系からではなく循環器系から出てくる咳というものはかなりあるかなと思います。特徴としては、全身を揺するようにして咳をします。

  佐野 ありがとうございます。あと一点、気虚に関してなのですけど気の働きが低下している気虚と気そのものが不足している気虚があると思います。私は気の働きそのものが低下しているものが肺虚ではないかと思っているのですけど、その点はいかがでしょうか。

  二木 どうなのでしょうね、今「気そのものの働きが低下しているものを肺虚」と言われましたよね、私もそう思います。患者さんはね、まだ沢山気を持っているのですよ、ただし「病気」という気ですけどね。ちょっと病んでいるのですけど、まだ沢山気は持っておられるのです。これがガクーンと気そのものが少なくなってくると、例えば痴呆だとか目がうつろになっている状態とかになるでしょう。昨日に来院されていたのですけど、癌の末期の方であり以前から診察していたのではなくそれが判明していて「次の治療を」と言われているのですが、モルヒネが口からは飲めずに座薬だけで対処されている方でした。先週末までは隣町の病院に入院されていたのですけど、入院中はどんどん薬が増やされるのでぼーっとなって痴呆状態になるのです。それで帰宅して服薬を止めると痴呆から回復してしゃんとするといいますから、これは気が薬によって少なくなっている状態だと思われます。ですから、気そのものが少なくなると意識がもうろうとするだけでなく考える力そのものが衰えてしまうのではないかと思っていました。

 

 それでは、いつもは時間がオーバーしてしまう方なので今月は時間が余っているここまでにさせて頂きます。




講義録の閲覧ページへ戻ります。   資料の閲覧とダウンロードの説明ページへジャンプします   『にき鍼灸院』のトップページへ戻る