継続講義 20041月から3月分まで

自己治療に取り組もう

 

二木 清文

 

 今月から三回の予定で「自己治療に取り組もう」の項目に沿って、話を進めたいと思います。このシリーズは特に難しい部分はなく、毎日自分一人で繰り返し練習ができるだけでなく健康管理もでき、さらに反応がすぐに返ってくるので自分の体を使っての勉強になります。自分の身体ですから誰も文句を言わないので、つい実験ばかりに走ってしまう傾向にはありますけどね(笑い)。

 それでは、まず「経絡治療の臨床研究」で、首藤傳明先生からいただいた序文にも自己治療のことが書かれてありますので、これを読んでもらいます。

 

 もうひとつ感じたことは「自己治療に取り組もう」という主張だ。鍼灸師でありながら、自分の体に鍼しないという人がいる。不思議なことだ。一本の針金で病院で治らぬものを治そうとするすごい技術なのだから、万余の技を必要とする。この穴の鍼はどう効くのか、患者のその時の気持ちはどうあるのか。想像の域を出ない。ところが自分の体では、これが出来る。私のように常に何か症状のあるものは、これが十分にわかる。だから、私は一日三回鍼をする。様様な症状を取る。この年で(古希)年らしからぬ治療活動と明るい精神を維持できている。経絡治療の手法を、それによって会得する手掛かりをつかめば、なによりである。みなさんに自己治療をお勧めする。 

 

 ここに書かれてあるとおりで、「鍼灸」というものは色々と他にはない優れた特徴を持っているのですがその中でも数少ない自己治療のできる治療法であり、しかも薬とは違ってすぐに結果が出てきますし先程も喋ったように実験だってできますからわざと悪くすることだって可能です(笑い)。もちろん治すことも考えながら壊してくださいね(笑い)。

 自己治療をすることで自分の健康管理をするのが一番の目的ではありますが、首藤先生も書かれていたように経絡のことを自分の身体で体得することができ、それはこの治療法をより信じられるものへとしてくれます。自分で自分の行っている治療法を信じていなければ、患者さんは何を信じるのでしょうね。とても素晴らしい技術を身につける方法の一つを先輩たちが解説してくれているのですから、まずは自分のためにこれから毎日実行をしてください。

 

 具体的な話に入る前にちょっと横道に反れますが、ある障害者スポーツの会場で親しくなかった視覚障害者の方と話をしていたんですね。その方は開業一本なのかどうかまでは分からないのですけどとにかく施術はされていて、「鍼は高尚だから倍額はもらう」とか「症状が治る寸前で止めて通い続けてもらう」とか、かなり好き勝手なことを演説されてました。ちょうど小林先生もその場にいたんですけど、「確かにお金だけを考えると治療終了としてしまえば目先は損だが、治しきってしまえばまた次の病気になった時には戻ってきてくれるし新しい患者さんを紹介してくれる確率も高くなるから」と反論をしていました。しかし、話は聞いてもらえませんでしたね。そして話が進んで自己治療ということになった時に、「鍼を自分の身体に刺すのは嫌や、痛いやないか」との発言。

 どうです、この態度?自分の行う鍼は痛いとよく分かっていて他人には平気で行い、しかも生かさず殺さないように病気を治しきることはしないというのですよ。本当に治る寸前で止めるなんて技術があればすごいものですが、こんな人にそんな技術があるはずがありません。治せないから治りきらないんですよ。もちろんこの方とは二度と鍼灸のお話をすることはありませんでした。

 自己治療をしていれば痛い鍼は嫌ですから痛くないように刺鍼する努力や工夫をするようになりますし、病気を治る寸前で止めるなんておバカな発想は絶対にしなくなりますよね。

 患者に「ここの先生は上手かどうかを見分けるにはどうすればいい?」と問われた時には、「自己治療をしているかどうかを訪ねればいい」と回答しています(笑い)。笑っている場合ではなくこれは本当の話で、まずその先生の鍼は痛くありませんし病気が治りますし、第一鍼灸術というものが好きな先生だからです。この研修会に参加されている方は全員がそうでしょうし、まだ日が浅くて自己治療まで到達していない人でも、先程も喋りましたが失敗をしても誰も文句を言いませんから一日も早く自己治療を開始してください。

 

 では、本文を引用しながら話を進めます。

 

  世界中にはさまざまな医学が存在していますが、どんな医学においても治る力とは『自然治癒力』しか存在しません。

 われわれが扱う経絡とは、自然治癒力を最大限に発揮させる機構であり、病気とは自然治癒力が低下したために発生したものですから、経絡を調整することによって自然治癒力が復活されるので、全ての病に鍼灸術は(正確に表現すると経絡治療は)適応できるのです。

 そして、どんな医学でも医者自らが自分の身体を使ってその技術を会得するということが重要なのですが、われわれの目指す技術は経絡を用いることで全ての病に適応させられるのですから、世界で最も自己治療にも優れた医学だと言えます。

 

 今までお話ししてきたように、我々の研修している治療法は自己治療に優れた技術でもあり経絡とはそれを生かすのに最も適した自然から与えられた最高の贈り物なのです。

(一月分)

 

 

 先月は自己治療の必要性と優秀性について、首藤傳明先生の序文も引用させてもらって話を進めました。そして、我々の研修している技術は自己治療に適したものであり経絡とは自然からの最高の贈り物ではないかとも付け加えました。

 

 それでは、早速テキストから読み進めていきます。

 

 ●治療家は常に健康でなければなりませんが、体調管理がいかなる場合でも可能。 → たとえ病気になったとしてもその回復過程を体験することによって「病気」というものが会得されます。これは非常に大切なことで、全てのことをプラス思考で捉えるなら、病気になるのは患者の気持ちになれることでもあり、病気の時こそ最大の勉強するチャンスだとも言えます。筆者の体験などは大した部類ではないものの「胆石疝痛は脂汗が出る」とは聞いていましたが、治療室を歩いていたときに襲った発作は脂汗どころか息が詰まってしまい、その苦しみと言えば筆舌に尽くしがたいもので忘れることができません。それと同時に、直感というのか治療法を思いついて治癒した経験は印象的で忘れることがないだけでなく、自らが体験をしたのですから絶対的な自信につながります。

 

 「火事場のくそ力」というのか、危機的状況に陥った時にひらめきというのかお告げというのか咄嗟に治療法が思い浮かぶことはよくあることで、それがどういう理論なのか未だに分からないものもあるのですけど相当の効果が再現できるんですね。ほら、近所に按摩の上手なおばあさんとか薬草のことをよく知っているおじいさんがいるとか聞きますし、本当に名人のことが多いですよね。誰かに詳しく教えてもらったわけでもないのに、その人たちには治療法を編み出す能力があるんでしょうね。きっと古代の人たちはそのような経験を重ねて「経絡」というものを段々と体系づけていったのだと想像します。だから経絡を充分に把握し活用するためにも自己治療はやはり大切であり欠かせないものなのです。

 

 ●脉の評価を体感する → 『脉』についてはさまざまな評価があるだけでなく「どんな脉が良い脉なのか」「どんな脉が悪い脉なのか」を頭で解っているつもりでも指には覚えこめない、あるいは勘違いをしているものです。しかし、自分の体調とにらみ合わせれば「この脉ならこんな状態になる」といくらでも観察できるのです → それこそ自分の身体を使って勉強する最大のチャンスであり、浮沈や遅数といった最も基本的な祖脉を理解するためには自分の体調から感じることが近道だと思います。

 

 まさに書かれてあるとおりです。「正しい認識は体験によってのみ与えられる」とは昔何度も聞いた言葉ですけど、自分でいい脉も悪い脉もつくってみればいいのです。『脉状観察について』で紹介していますが、時間が取れる時に我慢できるだけ小便を我慢して脂汗が出るほどの状態は細く跳ねた悪い脉となり、小便を済ませた後はスッキリして脉はゆったり横にも深さにも幅がある柔らかなよい脉になっているはずです。実際に自分でやってみて「触って気持ちのいい脉」がよい脉なんだという表現を、この時に思いついたのです(笑い)。ただし、「脉はこのようにあるべきだ」と決めつけて取りかかってしまうと、体調を無視し続けることも可能でありこうなると自己治療どころか鍼灸術そのものが意味をなさなくなるので、強引な発想は慎むべきです。もちろん強引な治療は成功しませんし、そのような治療を臨んでいる患者もいないはずです。

 

 ●注意点としては敏感になりすぎてさまざまな邪気をそのまま受けてしまわないようにすることです。敏感を通り越して過敏になってしまうとさまざまな邪気を患者からもらってしまいますから、普段は経絡反応を意識的に活性化させないことと、予防として鍼灸以外に例えばスポーツや音楽などで経絡の流れを改善し、体力維持を図ることです。

 

 これは本当にあった話なのですけど、私の妹弟子になる人が感覚を磨くのにかなり苦労をしていてどこかで気功の話を聞いてきたのでしょう、きっと。治療室で気を活性化させてどんどん気が分かるようになってきたのはいいのですけど、そのうちに過敏になってしまい邪気が強いというのか重病患者が来院すると気分が悪くなるだけでなく、本治法で証を取り間違えた時などは治療室の端と端にいたとしてもバタンといきなり倒れたりするようになったらしいのです。これでは治療家どころの話ではありませんね。師匠だけでなく他の人たちからも注意を受け過敏にならないように気のコントロールを次は修得したようですけど、自己治療も単にやればいいというものではないということですね。

 

実際にやってみよう

 自己治療をするからといって、特別なことがあるわけではありません。通常通りに四診法から証決定し、五行穴・五要穴を補瀉すれば良いのです。ただ片手しか使えなかったりする時もあるので、ちょっとした工夫が必要かもしれません。そのポイントとは、

 ●脉診は必ず仰臥位で行ってください。そして刺鍼時には背中や足を曲げても差し支えないので楽な姿勢にすること → ベッドサイドの時には自然体で立つことが条件ですが、和室の場合には正座などをすると返って肩に力が入るので肩に力の入らない(例えばあぐらなど)姿勢の方が自然体となりますから、足を無理に持ち上げたりするより背中を曲げる方が良いのです。つまり、寝たり起きたりを繰り返して治療します。

 

 自己治療の工夫として自分に刺鍼する時の「自然体」ということも考える必要がありますね。脉診は通常でも仰臥位だけでなく仕上げの時には座位でも行いますからそのニュアンスの違いはおわかり頂けるでしょうが、あぐらの方が自然体になるとはちょっと不思議に思われるかも知れません。しかし、行儀は正座の方がよくても力が入ってしまったのでは自然体にはならないのです。私も学生時代に治療をさせてもらった時には正座をしていたのですが、どうも学校のベッドでやっている時よりも脉が堅い。学生時代はそのまま過ごしてしまったのですが、私の師匠は片大腿切断の肢体不自由者であり往診の時には必ずしも正座ではないことを聞いて、また他の先生からも話を聞いて状況によって自然体の作り方が違うのだと学びました。ですから他から見れば多少奇妙な姿勢でも面倒がらずに自然体を探し、脉診は仰臥位で行ってと何度も寝たり起きたりしながら治療をします。

 

 ●手に刺鍼する場合には、もう片方の手ですでに鍼を挟んで押し手を作っておき、中指で充分に軽擦をして経穴を浮き上がらせ、ほんの少し鍼先を引きずりながら経穴に当てて手技に入ります。抜鍼は早めに唇で軽く竜頭をくわえて行います。鍼孔を閉じる時にはつい力が入ってしまい強く押し込みがちですから、「気を漏らしたならやり直せば良い」くらいの楽な気持ちで力を抜くことがポイントかと思われます。

 

 足への施術は通常通りにできるのですが、手への施術が一番のポイントとなるようですね。実は私はあまり苦労をしたことがないんですけど(笑い)。というのが、当時は緑内障の状態がひどく一年生の段階では頭痛を止めることもできなかったですし、二年生になってやっと痛みのコントロールだけはできるようになったもののとても改善とまではいかなかったので、どうしても自分で病気を克服しなければならない状態だったから自然に工夫をしたのでしょう。「火事場のくそ力」だったのでしょうか(笑い)。

 さて工夫といっても本に書いたこと以外には何もないのですが、普段押し手の側は鍼を最初から挟んでおくだけなのですぐに慣れると思いますから、刺し手の側で押し手と同じ形を作る練習をされればいいのではないでしょうか?片手ではどうしても重くなりがちですから暇な時に重さのチェックも兼ねて交互にやってみることもおもしろいでしょう。後は本にも書きましたが経穴にピッタリ合わせることが難しいので、少しだけ鍼を引きずるようにして経穴を探してピッタリ合わせることです。

(二月分ここまで)

 

 

 さて自己治療の三回目ですが、主要な部分については済んでいますので自己治療がいかに大切かを実例を元に全体をもう一度復讐したいと思います。その前に、もう少しだけ積み残しをやります。

 

 ◎本治法の終了後はしばらく休むようにしましょう。理由は良い鍼をすれば脉は時間経過とともにどんどん良くなるものです。患者にとっては眠気を催すにとどまらず自然治癒力が増すのですから最短で治ることになり、施術者にとっては勝手に治っていてくれるのですからやるべきことが少なくなり、リスクも小さくなるのでお互いのためにも本治法と標治法の間に時間があるのがポイントだと思います。

 

 

 先程も川元先生が講義されたように、本治法と標治法の間には時間を取ることが大切です。それこそ「経絡を信じる」ということであり、自然治癒力が高まっていくことを実感し自然治癒力のみが病気を治してくれるものだとの確認になります。助手時代には昼休みの直後に自己治療をするとまたお腹が空いてきて、「もう一度食事がしたい」なんてやってたものです(笑い)。

 

●標治法については、基本的には無理なく手の届く範囲では行います。この「無理なく」という範囲は個人によって異なりますが、肩の凝らない程度と表現する方が的確でしょうか。その他の部分については経絡の力を信じて反復治療により治癒させます。円皮鍼などを積極的に試すチャンスでもあります。

 

 

 ここはそのままですね。腰に手を回して刺鍼をしたという話を聞いたこともありますけど、私の場合にはそのようなことをしたことがありません。

 

 福島弘道氏の話

(本文については長いので『経絡治療の臨床研究』を参照してください)

 

 重症の皮膚癌を鍼灸治療のみで克服したという、素晴らしい報告ですね。プレオマイシンによる難聴も加わった毒舌の先生ですから、一度勝手でも耳に挟んだことを一方通行で怒鳴られますから普通部一年の時には何度も泣かされましたけどね(笑い)。福島弘道先生がおられなければ、今の我々もないのですから本当に感謝している先生です。

 

  筆者(この原稿を担当した二木清文)も自己治療により緑内障からの失明を何度も逃れてきましたし、腰椎ヘルニアや肋骨骨折も全て治療しただけでなく胆石を落とす方法も自己治療により開発しました。このような経験は何よりも鍼灸を心から愛せるようになります。患者さんに鍼灸を愛してもらうためには治療家が単なる技術と考えずに鍼灸を愛していることであり、それが経営を含めて鍼灸全体の発展につながるものと感じます。

 

 私の治療体験については文章にて他で詳しく発表していますからそちらを参照していただきたいのですが、この「自己治療」により私は経絡治療というのか脉診流というのか五行穴・五要穴を用いての本治法を行う鍼灸術がとても好きであり心中する覚悟なのです。緑内障発作を夜中に起こした時にはさすがに「今日は仕事を休んで眼科で診察をしてもらおうか」と考えていたのですが、それでは鍼灸のことを・私の技術を信じて通院してくれている患者に申し訳ないし自分自身が鍼灸術のことを信用していないことになる。この発作で視力を失ってしまえばこの治療法の限界を見極めることができるし、視力を保てたならもっと技術を探求する道が開けるのだから、どちらにしてもいいように解釈できるようにしようと、それが今まで通院してくれた患者さんのためでもあると解釈して自己治療に取り組み、結果は今でも少ないですが視力を保てているので鍼灸の無限の可能性を感じてこうして研修をしているのです。

 

 ということで、この三回はごく当たり前のことを繰り返してきた講義ではありましたが、自分で自分の健康管理ができるという素晴らしい技術なのですから今日から是非とも新たな気持ちで取り組んでいただきたいと思います。




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