花粉症の治療(その2)

伝統鍼灸術からの考察

 

(滋賀県)二木 清文

 

1.はじめに

筆者は本紙19986月号に「花粉症の治療」と題して、漢方の病理考察から導き出し臨床成績を上げている方法を紹介しました。今回は、タイムリー性を考慮しての第二報で、主には理論と技術解説になっています。

繰り返しになりますが、今や『花粉症』は杉や稲だけに留まらず豚草や松など種類も増加し、国民的行事から年中行事へと深刻さを増しています。しかし、西洋医学的には原因は解明されていても特に有効な治療法はなく、東洋医学つまり鍼灸術に救いの手を求めて来院する患者も少なくありません。けれど大きい声では言えませんが、東洋医学にしても「体質改善をする」というお題目以外は『特に』という決め手がないのも事実です。今までに花粉症に取り組まれた先生方も多いとは思うのですが、テレビで観るように鼻の周囲へ電気鍼とか中国鍼を本当にされているのでしょうか。筆者のようにいわゆる経絡治療でほとんどが接触鍼しか行わない治療家が考えると、恐怖さえ感じるのですが...

ここで、いきなり今回の本題と結論になります。現在もこれから先も正体不明の新しい病気や病状が次から次へと出現してくるのでしょうが、好むと好まざるに関わらず鍼灸術は対処しなければならず、それには漢方独自の病理考察を取り戻し延長させなくてはならず、その病理考察から導き出された代表例が前回報告した「花粉症の治療」なのですが、成果を充分に発揮させるには伝統鍼灸術を実践しなければならないと付け加えておきます。

 

 【前回の復習】

花粉症とはアレルギーの一種ですが、漢方病理からすれば呼吸の原動力である宗気の不足と言うことになります。口から摂取された五味は脾胃で腐熟され、まず津液と葱白(カス)に分離され、津液の中より衛気や血(この場合は広義の血)や宗気が作られますが、宗気は直接胸に送られています。宗気が不足しているということは充分な供給がされていないということであり、つまり上焦と中・下焦の交流を改善して宗気を安定供給すれば花粉症は改善できると推測できます。その治療は上焦と中・下焦の交流点は隔愈であり、隔愈を「緩める」ことです。これ以上特別なことは何もなく、今回も治療法としては追加情報はありますが変更はありません。

 

 【「病理考察」ということ】

前回および筆者の一連の原稿では常に触れていることです、臨床の前提はいわゆる経絡治療を中核とする伝統鍼灸術であります(正確には漢方鍼医会の提唱する“漢方はり治療”です)。池田政一先生の真似に聞こえるでしょうが、筆者は伝統鍼灸術が鍼灸の標準型だと思っているし、伝統鍼灸術以外には知らないのです。しかし、どのような医学の記事でも伝統鍼灸術の立場から咀嚼はできるし、(故人なので筆者は話を聞いただけですが)大師匠が諭されていたように臨床での診断を西洋医学の診断とも一致させることも実現しています。少々話が反れるようですが、伝統鍼灸学会の提唱する定義を掲げますと、

・中国医学思想 中国に発祥した医学思想を基礎とする

・日本の風土 日本の風土に培われてきた鍼灸医学

・全身調整 全人的調整を治療目的とする

・手指の感覚 触覚を中心とした診断治療技術を重視する

ということで、経絡治療一本でもない代わりに中医学を無視している訳でもありませんが、日本人が日本の風土を考慮して工夫した技術も組み入れているのが政治の世界とはひと味違ったところですね。要するに鍼灸術の基本は全身バランスの調整であり、その調整機序は経絡・経穴なのですから、筆者の感覚ではパルス通電やトリガーポイントなど発想は理解出来ても、それだけでの臨床は不安・不満なのです。

他人の悪口を書くことは慎みたいので本題に戻して、「病理考察」とは一体なんぞや。病理考察とはイコール証決定をするということです。証とは、福島弘道先生は「病の本体であり治療目標」と定義されていますし、池田政一先生はそれをさらに細かく「どこで・何が・何故・どうなった」と定義されています。「どこで」は五臓や経絡など主にダメージを受けた部位のことで(虚を中心とする医学ですから必ずしも主証となるとは限りませんが)、「何が」は気・血・津液が、「何故」は最も大切なところなのですが内因や外因やその他の変動によってどのような影響を受けたかであり逆に結果から当てはめていく事項でもあり、「どうなった」は前項の総合から発生した病状のことです。

花粉症に隔愈を用いることを思いついた過程をたどると、まず「どうなった」の鼻水などのアレルギー症状があり、「何が」の宗気の不足を推測し、「どこで」の脾胃もしくは脾胃を押さえつける因子が想定され、最後に「何故」を上焦と中・下焦との交流が不十分だと結論して実践に移したのです。

花粉症に関してはひらめきのようなもので割と簡単に病理が導けましたが、正直な話では臨床は試行錯誤の連続で脉診や腹診が先行して、それに矛盾がないように考えをまとめているケースの方が多いのかも知れませんが、それでも治療家が頭で考えて鍼灸を施してから患者に効果を尋ねているのではありませんから、病理考察はこれからの鍼灸に絶対必要だと断言します。

 

2.隔愈を緩める

さて、枕の部分が長くなってしまいましたので手技については要領良くまとめたいと思います。199910月に四国で行われた伝統鍼灸学会に筆者も一般発表者として参加したのですが、何ヶ所かで本誌の内容についての質問を受けました。その中で(前回を見直してみたところ手技の説明で触覚所見も書いてはいたのですが)、通常の研修会の癖から「隔愈を緩める」という表現を用いたのが分かりにくいとの指摘がありました。

 【「緩める」の表現について】

文字通り隔愈が硬結となっているので、それを緩めれば花粉症に対する効果が期待できるのです。しかし、これでは按摩や市販のマッサージ器や皮内針・円皮鍼でもよく、伝統鍼灸術は重視しなくてもいいことになってしまいます。結果は「ある程度の効果は得られるはず」ですが、本治法を行わない鍼灸術では「期待通りの効果であるかは疑問」です。逆に後述もしますが本治法を行っていれば、瑚Iで目的を達成することも当たり前になってきます。特に長い鍼に短い鍼管を用いて一気に叩き込むとか通電をするなどは、それだけで全身の経絡が防衛反応に働き経穴本来の作用を封印してしまうので期待は薄いでしょう ⇒ この発言は大多数の先生に対して挑発をしていることになりますが、鍼響そのものが悪いわけではありませんが、患者を観察すればいくら慣れている人でも響いている最中は快感は告げても身体を緊張させ硬くなっているではありませんか。筆者は童話「太陽と北風」のように、患者の身体を緩めるには北風のような強刺激ではなく太陽のような刺激なのかさえ判らないような『痛くない鍼』が絶対条件だと信念にしているのですが、思い上がりでしょうか。

 

 【隔愈の決め方】

隔愈の位置は「第七胸椎棘突起下の外方一寸五部」ということになっています。確かにこれでいいのですが、臨床全体もそうですし経穴も『生きもの』ですから常に微妙に変動をするものです。具体的な取穴方法は脊柱起立筋の筋腹を(例えば右手の示指と中指を用いるなどで)両側同時にやや強めに押圧しながら上から下に探っていきます。すると「これだ」という硬結があるはずです。概ね経穴書通りの高さに触れますが多少の上下は硬結を優先し、また左右で多少高さが違うこともあります。

先日の研修会で「二木さんは隔愈しか言わない」と誤解を受けましたが、筆者はどんな病症に対しても例外なく隔愈で解決しようとしているわけではありません。当たり前の話ですが、病理状態が適応しなければ隔愈は硬結にも圧痛点にもならないのです。但し、花粉症以外でも不眠症(TAO鍼灸療法13号に寄稿)や婦人科疾患などでは上焦と中・下焦との交流が悪くなっているケースも多く、その点では応用範囲の広い治療法であるとも自負はしています。

        人体は流して触察するということも一連の原稿で書いていますが、特に学生や研修会に初めて参加した人などは「何かを持って帰りたい」という意識が強いからでしょうが局所だけを何度も探っているようです(しかも目で見ようとするので姿勢も悪い)。しかし、圧痛点は逃げたりしないのですから最初は大きく流すように探って徐々に焦点を絞って探るようにすれば、特に鋭敏な感覚の持ち主でなくとも不問診に近い診察が容易にできるものなのです。ちなみに滋賀の研修会では即臨床投入の出来ている人が大多数であることを付け加えておきます。

          

 【補瀉の手技について】

前回も書きましたが、適応する場合には隔愈は軽く押すと気持ちいいが強く押すと痛む「外虚内実」の状態になっているはずです。これに対して静かに刺鍼しやや深い部分ではひねりを加える「感じ」での瀉法を施し、抜鍼時には鍼口を閉じるという深瀉浅補を行います。

「補法は弱刺激で、瀉法は強刺激」などと乱暴な解釈を聞くことがありますが、言い方を変えれば「補法は陽気を補うことで瀉法は陰気を補うこと」ですから、補瀉とは刺激量と無関係なのです。事実、最近の筆者の臨床で本治法は大阪漢方鍼医会の森本繁太郎先生が考案した「森本瑚I」のみで行っていますし、標治法も森本瑚Iを用いることが多く隔愈に対する深瀉浅補も行っており、毫鍼そのものを用いる比率が極めて低くなっています ⇒ 経絡治療家と言えども瑚Iは毫鍼の補完的な役割のように考えている節がありましたが、表裏ということを考慮すれば表の調整だけで済む場合にはいくら接触と言っても毫鍼はそれだけで深すぎ、逆に裏の調整が必要であれば寸三を押し手一杯まで刺鍼することも躊躇しなくなりました。

補瀉の手技については、相対的に言えることは手が重い。自己修練をしているという人も軽くソフトにしているつもりでも臨床家から診れば非常に重い。やはり研修会に参加して実技として伝授してもらうのが最も早い習得方法でしょう。

・お灸では効果は得られないのかと、質問を受けたこともありました。前記の方法で取穴し、知熱灸を用いるなら効果は期待できます。お灸の補瀉については諸説があり、筆者もどれを採用していいのか検討中ですが、お灸のいいところはドーゼにさえ気を配っていればその時に必要な刺激として身体が受け取ってくれる傾向にあるようです。ですから鍼管で叩き込むよりは効果が大きいかも知れません。

 

3.花粉症の脉診と治療

話題が花粉症から離れてしまったので、元に戻しましょう。筆者も隔愈を用いることを思いつくまでは、花粉症の治療と言えばお題目通りの「体質改善をする」しか方法がありませんでした。欲を出して標治法に一工夫をと、鼻の周囲に円皮鍼や銀粒を添付して若い女性に嫌われるなどの失敗も確かにありました。しかし、本治法を基本として治療するなら、脉状によっては終息時期が予言できる患者が居たのも事実です。伝統鍼灸術の技術には『脉診』があるのでどの医学よりも再現性に優れていて、お題目通りの治療でも効果があったと自負しています。では、花粉症と脉について考えてみます。

 【脉は、何故整うのか】

花粉症に直接入る前に、脉診を深くご存じない方と懐疑心で敬遠している方(平たく言えば脉診なんて嘘や迷信と思っておられる方)の為に、脉は何故整うのかということを書きます。

経絡治療家でも臨床がそこそここなせるようになると犯してしまうミスなのですが、「脉が整うから身体が治る」のではなく「身体が整うから脉も追随して整う」のです。普段は証決定し・治療法則に従って選穴し・該当経穴に補瀉することによって治療が成立し、その結果が脉に現れているのを治療イコール整脉と暗黙の了解で省略しているので、経絡治療家以外は誤解を生じているのです。確かに熟達をすれば脉にも身体にも変化にタイムラグの生じるケースがあり、それを読み取れるのは脉診だけですから治療の主役となっていることは否定しませんが、伝統鍼灸術は四診法による総合判断であり脉診だけではないことも改めて断っておきます。

脉診の自己修練法については「外風池の応用2」で紹介しましたので省略しますが、落語じゃないですけど「この医者は気に入らねぇから意地悪してやれ」と息を止めたり速めたりゲップをしたり力を入れたり抜いたりと出来ますが、脉を止めることは出来ないし無理やり心拍数を上げてもすぐバレルので脉診ほど正確な診察法はないとも言えます。

・「胃の気」のある脉についても、「外風池の応用2」で書きましたので詳細は省略しますが、要するに高血圧など指が痛いような触り続けられないような気持ちの悪い脉が「悪い脉」であり、触っていて気持ちいい脉が「いい脉」であり胃の気の充実した脉なのです。前述の瑚Iによる治療を試みたときには、果たしてC血(肝実)は処理できるのだろうか正直なところ半信半疑でたが、胃の気の充実した脉になることと自己治療の経験から一気に切り替えることとなったのでした。

 【花粉症の脉状と選穴】

さて、お待たせしましたが花粉症の脉状についてです。花粉症特有の脉というの発見していませんが、病理は宗気不足なのですから当然ながらト脉(経絡の流れが渋っていることを表す)を呈します。脉差を改善することは当然ですが、このト脉が本治法の段階でかなり改善されていなければ隔愈の出番もありません。

証は脾虚肝実証(脾は虚しているが少陽経もしくは胆に熱が侵入して肝も暖められ肝実になっている)か難経七十五難型の肺虚肝実証(肺気の巡りが悪いために肝の蔵する血が充満し腎の津液も乾かしている)が多いようです。肝実の場合には弦脉がありますから「静めてやろう」と乱暴な手技にならないことと、隔愈以外にC血の処理もネックとなりますから本治法はもちろん、腹部のC血を流すようにしなければトは改善できませんし花粉症に対する成績も上がりません。腎虚陰虚証(腎の蓄えている津液が不足して虚熱が発生している)や肝虚肺燥証(肝の発生する虚熱によって肺が焙られ乾燥している=中医学では肺陰虚に相当するでしょうか)の場合もあります。脉全体が浮いていますから刺鍼は浅くあるいは瑚Iで行い、隔愈を用いる以前に合水血を中心に津液を増やす選穴をして、さらに既に漏れている水があるのですから下合穴(筆者が好んで用いているのは三焦の下合穴である委陽)も併用しなければならないでしょう。腎虚陽虚証(津液しんえきは正常な水分のことで水すいは病的な水分のことを表し腎もしくは腎の周囲に水が停滞し冷えていること)の場合もあります。脉は沈んでいますが陽虚ですからなるべく(陽気を飛ばしてしまわないために)瑚Iを用い、本治法は陽気を補えるように原穴を中心に選穴し標治法ではなるべく隔愈以外には施術しないことでしょう。その他の証でも花粉症を併発しているケースはあるでしょうが、類推して取り組んでいただければと思います。

 

4.治験例

 ㈰患者は五十歳、男性。母親の通院中に自分の「花粉症が何とかならないか」と相談を受けて治療開始。花粉症は十年以上続いて、しかも数種類にアレルギーがあるためにほぼ一年中症状の増減を繰り返している。その他に五十肩と持続的な腹鳴がある。証は多種のアレルギーによるC血と腹部症状を考慮して脾虚肝実証とし、本治法後に腹部にホットパックを当てて背部は隔愈と肩甲骨局下の硬結を緩めるに留めました。経過は初回の治療で花粉症はほとんど消失し五十肩中心に継続。健康管理に切り替わってから時々花粉症が出そうだと言われましたが、本格的になる前に収まっています。

 ㈪患者は五十八歳、女性。痔の手術をしたのだが経過不良ということで相談を受け、強い鼻炎に花粉症も併発していました。証は高齢の婦人であるうえに元々の痔はC血の原因なのに不良手術がC血をさらに溜め、それが肺気の巡りを妨げて花粉症も悪化させていると考え難経七十五難型の肺虚肝実証で治療。標治法では下腹では鼡径部の反応に適宜刺鍼し、尻部では胞肓・秩辺・下秩辺付近の特に深部がブヨブヨしている一見軟弱そうで粘っこい硬結を深めに刺鍼して緩め(痔には百会や孔最の灸などが有名ですが鍼で著効を呈すると思います)、その上で隔愈に施術しました。経過は花粉症そのものは初回で半分になり、その後増減はありましたが順調に回復。痔については手術を経験していることから患者が非常に臆病になっていたので、数回目では症状が半分以下になっていましたが患者を不安にさせないために普通のペースに比べればかなり慎重に観察しましたが、半年で完治。健康管理で時々来院。

 ㈫患者は二十五歳、男性、研修会に入会したばかりの新人君。アレルギー性鼻炎があり年中鼻水が出ているが、花粉症の時期になるとさらに激しくなる。その他に時々肩こりや後頭部痛がある。病理考察ではアレルギーは津液の不足であり脾もしくは腎の関連が強い。この場合は元々の肺気の巡りが悪かったところへ腎の津液不足が重なっているが、若いが彼は保険マッサージだが出張中心の開業をしていて仕事時間が長く疲労で症状が慢性化していることも見逃せず、過去の服薬からC血を想定すれば肝実の熱で腎の津液は乾かされた上に肺気の巡りの悪さも矛盾なく説明できるので難経七十五難型の肺虚肝実証で治療。経過は研修会の実技でモデル患者となったときに治療をする程度なので、数回行っている現在でもアレルギー性鼻炎は治癒していません(あるいは自己治療による本治法の特訓中で、時々初心者ゆえの経験も影響していると思われます)。しかし、隔愈を緩めると鼻が通り鼻水も即座に軽減し花粉症の時期も増悪せずに済みました。

 

今回の治療解説や治験例はわざと難しい面を取り上げてはいますが、経絡治療専門であっても病理も単純な花粉症のみを主訴として来院するケースは通常はあり得ず、治験例のように「花粉症も何とかならないか」の患者を治さなくてはなりません。ところが一人でも劇的に回復すれば話の伝わるスピードは速く、病理も単純な花粉症が主訴というケースが増えるので筆者の治療室では時期を待っているくらいです。

是非、追試をお願いいたします。

522-0201 滋賀県彦根市高宮町日の出1406

E-mail  myakushin2001@hotmail.com




論文の閲覧ページへ   資料の閲覧とダウンロードの説明ページへ   『にき鍼灸院』のトップページへ戻る