論考

わくわくする鍼灸院に不況はないのか?

 

1.「わくわく」って何だろう?

漢方鍼医会も結成から数年が経ち、経営セミナーを1999年の最後の外来講師として迎えるまでに至ったと筆者は評価しています。「基礎テキストも出来ていないし漢方はり治療の基本パターンすら打ち出せていない状況なのに経営セミナーなんて」と批判の声も聞きましたが、(一応)社会人として自立している鍼灸師によって漢方鍼医会は組織されているのですから、更なる経営の安定化に対する取り組みはむしろ充分すぎるアフターケアだと評価していいのではないでしょうか。

さて「わくわく理論」という言葉を聞いたのですが、ミッキーマウスやイルミネーションがきらきらして子供たちが「わーい」という雰囲気を作るのではなく、「あの店に行けば....」とい「いい意味」での裏切りというのか期待を抱かせることが「わくわく」だと言われました。

筆者は講演中に何度も出てきた「わくわくする布団屋」というものに興味があったので質問をしてみましたが、(代わりに見てもらった表現ですけど)店頭には雑貨屋のような小物や美術屋のような額などが飾ってあったそうです。確かに雑貨屋であれば用事がなくても足を向ける人はいるだろうし美術の額もそうでしょうが、やはり奥に引き込む商品陳列とい「いい意味」での裏切りの「布団」が思わず笑いに繋がって「わくわく」させているのではないと想像しました。

筆者が感じた「わくわく」とは、ズバリ言い換えれば嘆息ではなく(苦笑でもいい)思わず笑ってしまう・微笑んでしまう場面を演出することと感じたのですが。笑いとは捌け口を失ったエネルギーが最も被害の少ない回路(レギュレーションチャンネル)を通して放出される不規則・変則性(イレギュラー)とどこかで読んだことがあります。エネルギーのかたまりなのですかその推進力は無限大で新しいものを産みだす力となることだと筆者は考えています。

 

2.鍼灸院における「わくわく」

講師より鍼灸院へのアドバイスは頂いたのですが、筆者を含めて今一つピンと来なかった人の方が多かったではないでしょうか?ミッキーマウスを飾らずに雑貨屋のように用事もないのにふらっと立ち寄らせる「いい意味」での裏切り」でわくわくさせるには、一体どうすればいいのでしょうか。

筆者も「これで大丈夫」なんて殺し文句を持っている訳ではありませんし、当然ながら伝統鍼灸術の腕を磨いて実力によって患者を引き寄せるということなのでしょうが、実際には治療家のキャラクターや立地条件や地域性によって必ずしも順調とは限りませんし、場合によっては軌道に乗るまで辛い日々が続くことでしょう。それでも読者がまじめに勉強して技術を修練するなら、伝統鍼灸術の実力さえあれば最後は必ず頼られる地域の先生となれることだけは間違いありません

 §当院(にき鍼灸院)における工夫

もっと具体的な例でないと分かりにくいので、手前味噌になりますが「にき鍼灸院」における工夫を紹介してみます。所在地は滋賀県彦根市で、開業から12年目になります。交通便は国道8号線がすぐ近くで東海道本線JR南彦根駅(普通のみ停車)より徒歩12分、周囲には大型アミューズメントを始めスーパーが数件集中して、先にこちらが住んでいただけなのに市街地再開発の中心に偶然にも位置しています。当人が住むには文句のない条件です(余談ですが新幹線も二つ隣の米原に停車しますし高速道路のインターチェンジも10分)。彦根市の人口は12万人程度ですが面積が広いので密度は低く、前項からはいかにも恵まれていそうですがハッキリ言って田舎町です。おまけに冬は中途半端に何度も雪が降りますから、天候による営業妨害は深刻です。現在は筆者に加えて助手が二名、土曜日のみの大学生アルバイト一名、昼休みの清掃員一名というスタッフ構成で家人に経理を手伝ってもらっています。ベッドは当初三台だったものを四年前に二台増床して電動式が五台(増床分は元々部屋が別なので個室としても活用できます)、平成12年の冬に開業から一区切りということで、かなり大きく治療室を改修したばかりです。

治療はもちろん脉診による漢方はり治療のみで、電気式ホットパックはありますが、補助的な治療器具は一切なし。完全予約制です(小学生までは小児鍼扱いで、小児鍼には予約不要)。予約間隔は治療側で提示しますが、終了宣言も必ず出しています。治療時間は概ね一時間ですが、本治法と標治法の間に「おやすみタイム」を設けている形で並列処理をしています。

そして、当院独自の工夫を詳しく書き出してみます。

 ・トイレ

当院の建物としての特徴はトイレです。足腰の弱い・痛い人は洋式でないと出来ませんが、他人と便座を共用するのが嫌で和式を好まれるケースもあるでしょう。そこで、和式と洋式の両方を作ってしまい出入り口も治療室と待合室のどちらからでも入れるように、つまり二つのトイレに二つの入り口という構造にしているのです。これなら治療中にも気兼ねなく立てるし付添が遠慮しながらトイレを申し込む必要もなく、一挙両得です。この発想は先に開業したクラスメートの建物を見学した時に「便器が近くなら便槽が一つで済むから、患者用には和式で家族用に洋式を隣り合わせにしている」の話を聞き、実際に覗かせてもらうとドア一枚で区切ってあるだけなので、「どうしても洋式でと言われたらどうする」と尋ねると「その時だけ貸す」という答えだったので、自分なら二枚のドアでトイレの空間を共用にするのになぁと思ったからです。

 ・パンフレット

オリジナルのパンフレットが30種類以上、常設のスタンドに刺してあり持ち帰り自由にしてあります。ほとんど筆者の絵日記状態で、その時に感じていた話題をコラム風にまとめた上に東洋医学の匂いがするように書いているつもりですが、ある患者に「わがままな研修会やなぁ」と言われたことがあり「これは勝手に書いているんですよ」と説明すると、「それだったら普段の言動と一緒だから理解できる」と言われたくらい、『こんな私に誰がした』『自律が自立を助ける』『コンプレックスに負けるな』『時計修繕医学』などホリスティックからニューサイエンスから食養まで、ありとあらゆるジャンルを揃えているつもりです。

疾患別のパンフレットは、当初作成しない方針でしたが肩こりに対してストレッチの解説が書きたくて書いてしまったら、患者からのリクエストが強くて一通り作ってしまいました。疾患別の解説というのは西洋医学的なので嫌っていたわけすが、残念ながら現在の鍼灸院がおかれている状況としては肩こり・腰痛の観念が強く、また直接言葉で説明して2%・文章で50%しか記憶に残らないという統計ですから疾患別のパンフレットは営業的には貢献してくれています。

制作のコツとしては、文字の大きさや修飾を変えて目を引くことはもちろんですが書いているうちに文章が長くなったり短くなったりしてしまうので、印刷に柔軟性の高いワープロ専用機をもちいることでしょう。

 ・助手

助手を使えとは福島弘道先生が口を酸っぱくして言われていたことですが、毎日の患者数が二ケタに達したなら、直ちに助手を入れるべきだと筆者も思います。初期投資の大きさと仕事内容の変化から当初は逆に負担になるでしょうが、三ヶ月もすると助手がいてくれないと頼りなくて仕方ないほど飛躍的に仕事数は伸びることしよう。それは「助手も養っていかなければならないんだから」という『やる気』が、あなた自身を育てるからです。逆に言えば助手によって育ててもらえるのですから、積極的に後進指導と思って負担をかぶるべきでしょう。助手にいつも注意していることをいくつか挙げると、

電話の応対 ⇒ ハッキリした口調で応対し、確認事項は必ず復唱する。

患者は陰体 ⇒ 患者は病気なのだから陰であり、井戸端会議のような喋り方ではさらに陰体にしてしまうし、こちらも暗い気分になってしまいます。こちらは「陽」の態度でなければならない。もちろん単純に明るいだけの友達ではなく、鍼医としての知識と人格を持っての応対。

診察の報告 ⇒ 筆者の負担を少なくするのと助手の勉強の為に最初の診察を助手にしてもらうのですが、報告には悪い症状を喋らないようにさせています。患者の言葉は信じてあげなければいけないのですが、真に受けるわけにも行きません。例えば前回の治療後にはスッキリしていたものが段々に戻って、一週間後の今日は元に比べれば着実に改善しているのに、患者としては一度は苦痛を感じなくなったものだから「元に戻った」と表現するものです。これをそのまま報告されては、他の患者が「この治療院は効かないのか」と不安になってしまいますから「前回の後は良かったそうです、今は...」の形式にさせています。また、歯医者に行ったときに何も説明されないままに診察台でしばらく待たされ不安を感じた経験から、ちょっとしたことなのですが初診時は単にベッドに案内して準備方法を教えるだけでなく、簡単に症状を聞いてあげると安心するものですから実行させています。

そして助手に対して統一した姿勢は、一生懸命やって失敗したことは精一杯の努力なんだから怒らないが、いい加減での失敗は必ず怒るということです。怒る時には大学生アルバイトでも原因を究明して「次には同じ失敗をしないように」と確認しています。

 ・落ち

関西ならではのことかも知れませんが、「落ち」は当院の大切な要素です。病院とは思えないほどの無茶苦茶な会話が患者同士でも飛び交っているのが当院です。「笑い」は病気回復への妙薬だと信じていますから、幸いにも『よしもと』の土壌ですからギャグあり教養あり落語ありのバトルロイヤルで、「落ち」を治療者も患者も連発の大騒ぎです。

 ・他を見学して

脉診の先生方ばかりですが、いくつも見学させていただいた治療室はそれぞれに工夫をされていました。共通して言えることは「雰囲気が和やか」だったことでしょうか。

小児科はすごく怖い先生かすごく優しい先生が流行ると聞きます。「親がボケッとしてるから子供がこんなになるんや」と怒鳴られれば健康管理は慎重になるし、「子供のことだから色々ありますよ」と全く怒られなければ医者に頼ってればいいと安心して頼ってしまいます。どちらにしても「この先生なら」という雰囲気が、既に待合室から漂っているのです。院長先生や助手のキャラクターという問題はありますが、例えば声がとても低くても説得力のある話し方を心がけるとか大柄であるなら潜在パワーを強調するなど積極的に利用することで、鍼灸院においても同じことがそれぞれの先生の個性に合わせて漂っていました。

 

3.わくわくさせよう

さて、漢方鍼医会の鍼灸院はどうやって患者をわくわくさせることが出来るでしょうか?まずは池田政一先生が毎回言われていることでもありますが、『痛くない鍼』は絶対条件でしょう。加えて視覚障害者でも『熱くないお灸』も出来ればベターですね。

次に思いつくことは、患者の前では自信満々の態度だけを見せて悩まないことです。研修会では先輩のアドバイスも受けられますし試行錯誤でもみんなで治療すればいいのですが、病体を前に悩み始めると治療室では一人であるが故に患者は敏感に感じて不安になります。患者が不安になってしまうとリターンしてはくれません。相当に難しい病気を患者も承知の上で持ち込まれた場合でも、自信のある態度を崩してはいけないと思います。本当に分からなくて悩みたくなったり誤治をして気が動転した場合には、「TAO鍼灸療法」(鍼灸の可能性に思う)にも書いたように、それぞれのやり方はあるでしょうが患者からは見えないところへ一度エスケープしてしまうことが極意ですか?

『脉診』という滅多にない飛び道具を持っているのですから、不問を組み入れればどうでしょうか?これも「TAO鍼灸療法」に書いたことと重複しますが「不問診なんか出来ないよ」と嘆かれている方、嘘でもいいんです。最初は当たり障りのないことを喋って、いかにも脉診で判った風にしていればいいのです。そのうちに「脉がこんなことを訴えているのでは?」と感じる瞬間があったら、そのままを口にしてみて下さい。ダメで元々、当たればこんなに嬉しいことはありませんし、それが勘を冴えさせて本当に不問診の世界へ踏み込めること間違いなしです。また予約制の先生なら、思い切って治療の終了宣言を出してみるのもいかがでしょうか。出張中心の先生なら、治療間隔中の経過を(最初は当たり障りのない常識程度から始めて)言い当ててみればいかがでしょうか。

しかし、本当に「わくわくさせる」ということは、やっぱり患者を治してあげることでしょう。中心は“漢方はり治療”による技術ですが、ホリスティック医学の定義の中には『病の気付きか自己実現へ』とあるように治療家はサポーターで患者自身をプレーヤーとして病を克服していくドラマは、お互いに「わくわく」するでしょう。要するに「病気を治さねば」という脅迫観念みたいなものを捨て、「病気が治っていくのは喜びだ」と信じればいいのです。

視点を変えて説明すれば、開業してからの数年は看護学校の学生をアルバイトに使う機会が多く、彼女達にいつも喋っていたことは「僕たちが生まれるずっと以前から医者嫌いという言葉は存在していたけど、医者嫌いという言葉を生き永らえさせている僕たちが一番悪いのではないか」と。医者嫌いという言葉を作ってしまったのは苦い薬や痛い治療のせいもあるでしょうが、それよりも患者の期待に応えていないからで、身体が治るのだから特に不調がなくても「あの医者に行けば元気になるから」と思われて楽しみにされるのが本来なのではないでしょうか。だからこそ「あの医者に行くことが楽しくて仕方がない」と宣伝までしてもらえるような、技術と雰囲気とサービスの提供できることが『鍼灸院におけるわくわく』なのではないでしょうか。




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