研究発表

「小児鍼の運用について」

(滋賀)二木 清文

 

(司会、新井康弘)今日は小児鍼の運用についてです。小児鍼については用鍼や手法についてなど、とても個性が強く個人差があると思います。もちろんそれぞれの先生が考えと治療ポイントをもって行うものですから質問を交えながら進めていきたいと思います。

(二木)「小児鍼について」ということですが、これはこちらの方から話したい」と申し出たことだったんです。漢方鍼医会が始まって自分なりに病理の理解もこなしてきたつもりなのですが、大人の話もそうですが子供についても考えなければと思っていたのです。これは東洋はり医学会時代からのことでもありますけど、もっと子供の話も出てもいいのではないかとずっと思っていました。

というのは、子供の治療が出来るようになることが脉診流専門でやっていける近道だと思っているからです。大人の治療をしていて「実はうちの子供が」というときに「あぁ、連れてきなさい」と軽く言えば、子供にとってはくすぐったい治療ですから喜んで通うようになる、そうすれば今度はじいちゃんばあちゃんが来るようになる。じいちゃんばあちゃんが来るようになると今度は親戚が来るようになる。あるいはじいちゃんばあちゃんが「うちの孫が」となると孫がきてその親が来るようになったりその上の子が来るようになったりと、子供の効果は大きいと思うのです。

 

1.初めて取り組んだ小児鍼

(レジメ)学生時代より経絡治療一本に絞った修練を行ってきましたが、五十肩で治療中の患者より「幼稚部にいるうちの子供が胃腸をこわして赤外線をあててもらっているのですが鍼も受けられないでしょうか」と相談を受けたことがきっかけで、小児鍼にも取り組むこととなりました。その子供は重複障害であることは話の流れから分かっていましたが、4歳になっても首が全く座っていないほどの重度とは想像もしていませんでした。これが小児鍼と大人を隔てずに取り組むきっかけとなったものです。

(二木)もう少し補足します。当時の滋賀盲では二年生から外来に出られたのです。二年生ではいわゆる「按摩と鍼」で、按摩をしてから局所の鍼を、例えば腰痛なら「腎兪・志室・大腸兪にうちたいのですが」と担当教諭に指示を仰いでから実習するような段階でした。三年生になると何人か担当を与えられての継続治療となり、継続患者に対して治療法や頻度など独自で決められるというシステムでした。ですから週に二・三回の治療をしたケースもありますし、授業の二、三時間目を使っていたのですが超過をしなければ二人くらい予約をとってもいいというシステムになっていました。ちなみに小児鍼は含めずに大人ばかり四人の治療を平行してこなして、ほとんど四時間目にくい込まなかったという記録がありまして、未だにその記録は破られていないというほど、当時から手早さを心掛けていました。

 ついでですから僕の経絡治療に対する取り組みの暴挙を話しておきますと、この継続治療の患者たちは先輩たちの時代から散々受けていますから、はっきり言って治らないのです。按摩ならどんどん強揉みになるし、患者も安い料金だから文句をつける。まぁ、学生を逆撫でしない程度ですけど。按摩をしていれば気持ちいいという程度で、治す気持ちもなければ、治る見込みもなかったのです。僕は今でも血の気が多いですけど当時はもっと血の気が多かったので、四月から滋賀の勉強会に参加して経絡治療に取り組み始め、鞭打ちの患者を何とかしたい、しかも宮脇和登先生のところへ夏休みの研修にお世話になることが決まっていたのも手伝って、経絡治療でやってみようということになりました。

 その一回目の治療は大失敗だったのです。胆経を瀉したとたんに痙攣がおこりベッドの上で転げまわって、最後は刺激治療の背部からの刺鍼で助けてもらったという状態でした。

 この時に「こんなに患者を悪くすることもできるのなら上手くなれば絶対にいい治療だ」と、固く心を決めたのです。「これ以外は絶対にやらない」と。夏休みの研修やその他を終えて、継続治療ですから何をやってもいいということなので「按摩をやめてもいいか」と担当教諭に面と向かって訊きました。かなりびっくりしていたみたいですけど、システムだから仕方ないですよね。それで本当に按摩をやめてしまったんです(笑)。

 その当時の技術であっても本治法はしないよりもした方がはるかに効果が現われ、按摩をせずに患者が治っていくのが面白いだけでなく、時間が短くて済みますから一週間に一回のサイクルがせいぜいだったのに早いサイクルでまわせるようになったら、治るはずのない患者が治ってきたのです。それで教師もだんだん意地になってきまして、この五十肩の患者は「何があっても経絡治療以外はするな」という約束でやらされたのです。で、やっている間にこの人が治ってくるのです。それでこの患者のほうが調子にのって「実はうちの子供が今朝もここで赤外線を当ててもらったのですが、医者で治らなかった私が治ったのですから、子供にも鍼もしてほしい」と切り出されたのです。当時は盛んに奇経灸も用いていましたから患者としてはお灸のかわりに赤外線を受けているような発想をしたらしく、そこに鍼がプラスされればもっといいのではないかとの話だったのです。

そこで「小児の治療はやってもいいのか」と教諭に尋ねると「空き時間で余裕があるのならやってもいい」とのことだったので、幼稚部の授業も邪魔をしないという条件でやってみました。

 このあとにも関わってくることなのですが、首も全く据わっていないという状態ですから当然言語はありません。スプーンなどはつかめるのですが、知的な障害も重いので、「おつむてんてん」にしかならなかったものが、まず表情が豊かになってきました。次に子供自身に「やる気」をおこさせることによって知的遅滞が前進を始めたのであります。

 だから疳の虫や風邪ひき(当時はまだやってはいませんでしたが)のように、単に疳の虫の治療のみを考えているようではいけないのだと痛感させられました。知的遅滞が再び進み始めたということは、今の言葉で言う「病理をふまえて行えば」どんな子供でも、特にこの場合は四歳という通常では生気旺盛な時期ですから、すごい可能性を発揮してくれるのだから、子供の治療だから曖昧にしていいのではなくしっかりやるべきだと子供から教えてもらったということです。

 

 

    2.子供にも「やる気」を出してもらう

  (レジメ)この子供は寝返りも出来ませんから親が手を掛けるのですが、それでも子供の能力をつぶしてはならないと感じました。姿勢をくずして泣いている時でも放置をしてみると、自分で姿勢を直すようになり親は大喜び。ところが喜びすぎて「鍼でもっともっと体力をつけてやって下さい」という言葉に「これは違うぞ」と感じて、子供の「やる気」について考えるようになりました。

  (二木)今お話したように首が全く据わっていない状態ですから自分自身では座れないものの、「お座り」をさせてやると両手で支えてなんとか座れます。これが崩れるとき仰向けならいいのですが、時々ぐしゃっという感じで前に崩れてしまうのです。そうなると泣くだけなのですが、足の力は相当に強いので寝返りはうてるはずだと思っていました。

 前に倒れてしまった一回目、親がすぐに姿勢を直すので「いつもそうやっておられるのですか?それでは炊事もままなりませんね」と尋ねると、隣の部屋ですぐに声が聞こえるようにしているとのことでした。

 二回目の時にはしばらくの間放置してみました。大声で泣き喚きますから回りの生徒や患者には迷惑だったでしょうが、十分か十五分放置したでしょう。子供に分かるはずもなかったのですが「自分でなんとかしろ」と言いつけたりもしていました。子供を怒るというか励ますことは今でもよくやることなのですけどね。その時のお母さんはオロオロして可哀想だったとは思うのですが、その時はとうとう親の力で寝返りとなりました。

「次に家でこうなった時には三十分以上は放置してください」と約束していたら、何の拍子か寝返りが出来るようになり、その次からはちゃんと学習していて、前方向につぶれてもすぐに横になれますし、少しずつ寝返りもできるようになってきたのです。首は相変わらず据わらないままでしたけど。

表情も良くなってきますし食欲も出てきて元気になりますから、そこでお母さんが「これは鍼によって体力もついたのだからもっともっと体力をつけてやって下さい」といってきた時、「これは違うな」とはっと気付いたのです。「これは鍼で体力がついたのではなく子供本来の力が出てきただけなんですよ」、「僕たちはあくまでも治療のお手伝いをしているだけですから」とは学生ですから言わなかったと思いますけど態度がでかいので喋っていたかもしれませんね(笑)、それでも「違うぞ」ということは分かったんですよね。「本当にそんなことが出来るのならオリンピックの百メートル競走の選手は一日に一時間だけ練習をしてあとは何回も鍼を受けていれば体力が増して優勝できることになってしまうでしょ」、「それよりも自分にばかり鍼をしてオリンピックに出てからタレントにでもなりますよ」(笑)と、その当時からそんな説得の仕方をしていたんですけどね(笑)

この子供を水の中に入れれば身のよじり方が分かるんじゃないかと思って小児スイミングに二回連れて行ったことがあります。二回だけだったのに寝返りができるようになったのです。一回目には水の怖さと水中での身のよじり方を教えるために腰を持ってどぼんと沈めてしまうベビースイミングをやったので大泣きに泣きましたけど、二回目は非常に喜んでいました。

これで子供自身にも「やる気」を出してもらわなければならない、子供自身にも治療に参加してもらわなくてはならないとだめだと強く感じたのであります。

実際うちの治療室のシステムは、予約制ではありますが、小学六年生までは小児鍼の扱いなので時間内であれば予約は不要になっています。(小学生も高学年にもなればなるべく電話をいただけるように頼んであります)。「予約の時間を守りますよ」といってくれる親もいますけれども、0歳児ならこちらの思い通りでも、それ以上になると遊びに夢中だったのを無理に連れてきても無駄で、子供の機嫌のいい時間がもっとも治療がしやすいですね。これは「やる気」を出しているというのが大きな理由です。だから小児鍼は予約しないのです。頻度に関してはこちらの指示で来て頂いています。次に、喋ることができる子供は受付で「誰々が来ました」と自ら名乗らなければならないようにしています。「ここには何のために来たのか」を自分自身で考えさせるために、自ら名乗らせているのです。土曜日には大学生のアルバイトが受付をしているのですが、子供の顔を見たらすぐにこちらに伝えるのではなく、ちゃんと自分で名乗らせるようにとのシステムにしています。そして名乗らない限りは中には入れません。よほど忙しい時にはこちらから招き入れることもありますが、大抵は名乗ってくれるので、こんな方法で「やる気」を起こさせています。

 

3.小児鍼の考え方について

(レジメ)「小児は元来、陽気が旺盛である」と、多くの参考書に記載されています。ですから瀉的な手技になっていても病体が耐えることができるため、特に経絡治療の枠にとらわれることなく取り組んでいる治療家の中にも好成績を収めておられる人が少なくないと考えられます。しかし、必ず邪が入っているとも限りませんし、旺盛な陽気が発散しきれないために発生しているものだと考えれば、本治法を行うほうが効果は圧倒的となり、事実そのとおりと実感しています。

(二木)ここで「陽気が発散しきれずに」 という表現は天野先生の表現を引用させていただきました。

いろいろな個性があって、経絡治療をされない先生は僕たちの目から見ればびっくりするような瀉法を行われていますね。それでも小児鍼というのは非常に効果があります。効果があるというのは紛れもない事実です。

そこで「なぜ効果があるのか」を考えると、もともと小児は陽気が非常に旺盛な年齢であり、その旺盛な陽気が行き場を失っていたり邪正抗争が激しすぎたりして症状が発生しているため、瀉法が有効なのだと思っています。

考え方ばかりでは話が進まないので具体的なやり方を説明しますと、用鍼は小里式瑚Iを用いています。尖っている側を使います。示指腹に尖っている部分がくるようにして指先から瑚Iは出しません。

(司会)瑚Iは示指腹に当ててそこに母指を重ねますから、母指によって鍼の当たる量が調整できるようになっているようです。

(二木)そうです。母指のかぶせ方によって小里式瑚Iの当たる量を調節できるのです。もしも、どうしてももっと強くしたいときは示指から若干瑚Iの先がはみ出るように持ちます。

この方法の基本は「藤井式小児鍼法」といって、日本で初めて鍼による論文で医学博士の学位を取ったという藤井秀二博士によるものです。藤井先生は毫鍼を示指と母指で少し先が出るように摘まんで垂直にたたいていたそうですが、それを変形させたものになります。毫鍼を用いないので衛生面でも安全ですし、曲がる心配もないので経済的ですね(笑)。小里式瑚Iなら白衣のポケットに忍ばせておいて子供のところに行くなりすぐに取り掛かれます。

 施術は陽経からになります。これは忘れないためというのが大きいですが、左右の順で行います。左の大腸経・左三焦経・左小腸経の次に右の大腸経・右三焦経・右小腸経、続いて足に移って左から胃経・胆経・膀胱経、右の胃経・胆経・膀胱経の順に、「トントントン」とたたくような感じで施術します。経絡上を平均二回ずつたたいていきます。流注にしたがって施術しますから、手では指先から体幹に向かい足では体幹から指先に向かって施術することになります。

 これが終わったら次はお腹で「の」の字を書くように施術します。続いて、胸にも少し施術をするのですが、特に風邪や喘息の時は胸の熱を診るということも兼ねて行います。小学校高学年の女子では少し嫌がられることもあるので、そのような時には無理はしませんけどね。

 次に子供に反対を向いてもらって背部になります。膀胱経一行線・二行線から肩上部・頚部と進み、最後に百会をたたいてやります。これは「賢くしてやったぞ」と冗談を言いながらのおまけです(笑)。

 また子供に方向を変えてもらって証決定し、本治法となります。

 証決定の方法ですが、これは福島弘道先生の著書にあるように、大雑把ですが呼吸器系は肺虚・消化器系は脾虚・癇虫は肝虚と、大きく分けます。あとは病理的に「このようなケースでは」と思われるときには、一本鍼をうってみて脉の変化を観察し進めています。選穴に関しては六十八難に準拠しております。つまり、心下満は井穴、身熱すは火穴、体重節痛は土穴、咳嗽して寒熱往来は経穴、逆気して泄らすは合穴ということです。

小児の脉診についてなのですが、できると思っています。子供のことですから通常の当て方では指がはみ出してしまうので二本だけ当てて、その触れたものを頭の中で三分割します。あるいは乳児では普段橈骨に対して垂直に当てている指を平行にして一本だけ当て、それを頭の中で三分割するのです。本当に三分割できるのかですが(笑)、はっきりした病症であるならそのようにみえていますから、小児の脉診は可能であると思います。

先程から言っているように「旺盛な陽気が行き場を失って発生している」ものが小児の病気だと思っています。メーリングリストのやり取りで、大阪漢方の中本先生が「非常に臭いガスだったので腸に熱がたまっているのではないかと考えた」とのことだったのに陽虚で治療したとありましたから、それは矛盾しているのではないかという議論がありました。僕は小児に関しては特に五歳未満では陽虚はあまりないのではないかと考えています。熱が上がったり下がったりといういわゆる「真熱」の状態、つまり身体内部には熱があるので子供本人は暑い暑いというのに体温計で計るとそれほどでもなく、夕方に計ると微熱だけが出て、明朝にはだるいがやっぱり体温計では大丈夫という状態、これは代表的な陽虚の特徴ですよね。こんな症状は幼稚園以上になってからで、二・三歳までは出ないと思っています。

概ねはこんな形で行っています。

 

   質疑応答 

  (司会)それではここまでで意見や質問があればよろしくお願いします。

  (渡部)私も子供の治療は随分させてもらっているのですが、証決定についてお願いします。本当にこのような証の決め方で行われているのですか?六ヶ月未満の乳児であれば言われていたような治療をしますが、私の場合には全部脉を診ますから大人と同じに治療をしているのですがここが一点目。それから二点目に、現在の子供は以前の子供に比べて脉が沈んできているのですがその点の考え方ですね。三点目は子供なのに腎虚というのをよく診るのですが、そのあたりの考え方はいかがでしょうか。

  (二木)一点目の証決定ですが、実際そのように行っています。ただし、一回目や二回目は「このようなパターンで当たるだろう」ということで行っているのですが、成績不良の場合には検討し直しますので、後ほどの治験例ではかなりパターンからはずしてもいますから重傷な例ほど安易な証決定は危険だと思います。

二番目の脉が沈んでいる件ですが、これは僕も感じています。冷暖房の完備のためもあるでしょうし、家の中で遊ばせることに慣れすぎて旺盛な陽気が行き場を失っているとも思えます。自分のことを思い出せば雨の日は家の中は狭すぎて暴れられなくて嫌だったことを覚えているのに、最近は「くそがき」(笑)いえいえ「元気なお子様」というのが少ないのは、乳児のときからいつでもおとなしくさせるためにお気に入りのビデオを見せている大人がそうさせているのかもしれませんね。

三番目の腎虚に関してもその通りだと思います。証を腎虚でとることが多くなってきました。その理由としてアトピーなどで小さな頃から頻繁に薬物投与がされて制御が出来ないというのが一つ、今の親はすでに冷暖房や薬物に慣れた環境にいるので先天病も多くなっているだろうし、生まれたときから昔に比べれば陽気が乏しいのではないかと想像します。

 (加賀谷)今までの発表や渡部先生の質問を聞いていると、やっぱり子供の病気というのは陽気が旺盛で行き場を失っているためでしょうか?トントントンとたたくという手技は瀉的ですよね、それだけでいいのでしょうか?

 (二木)治療上の注意点で触れようと思っていたのですが、重病では完全に補法に徹していわゆる本治法を行いあとはお腹などを少し施術して終わるという子供もいます。

それでトントントンとたたくのはいわゆる瀉的と表現しましたが、これは経絡治療をしない先生でも成績が上がるからこのような表現をしたのであって、瀉法そのものだとは思ってはいません。まず陽経から手をつけて滞っているものを流せば陰経が診やすくなるという観点からなのです。

(加賀谷)すでに言われたことではありますが、外から冷やしたり陰性の食べ物をとり過ぎていますから、それに伴う病症の発生も最近は増えていると思います。ですから基本として「陽気旺盛が発散できないために」と考えるのは、私としてはどうかと思うのです。

(二木)分かりました。ほかの先生からも意見を聞きたいところですね。

(司会)では他にありませんか。

(天野)プロローグの部分ですが、あれは盲学校の診療室での話ですよね。そこで十五分もそのままにしておけというようなことが指示できたなんて感心したのですが、普通なら私を含めて学校の段階では教師の言う通りにしか出来なかっただろうし、何かそれまでに自分の中にあったのか、一体何があったのでしょうか?

(二木)一体何だったのでしょうね(笑)。横道にそれてしまいますが、ずるいのはそれこそ「くそガキ」の時からだったのでしょうが、宮脇先生のところで見学をさせてもらったときに、証を聞かれてそのときの定番を言っておけばかなりの確率で当たったのは当然ですが、今よりは目が見えていましたから先生が本治法を始められてから尋ねられたときなどにはそれを見て答えるものですから、八割五分は当たっているぞと誉められていい気になっていました。そのあとに参加した「近畿青年洋上大学」という青年の船のような研修では、二十代の若者ばかりですし今から考えれば一過性のものですから何をやっても治ったはずながらも、怖いもの知らずですから様々な治療を一気に体験し、何をどうやったかさえ思い出せませんが強制送還寸前の発熱さえ治せたものですから、ますます経絡治療をライフワークとして感じていたのだと思います。

 それに加えて「子供が泣いていても放っておけ」と言えたのは、「TAO鍼灸療法」にも書いたようにうちの親父がまた無茶苦茶でしたから、治療にはなっていなかったものの「人のからだ」というものを中学のときから見てはいたので、それが役に立っていたのかとも考えられます。

  (司会)次にいく前に一ついいですか?脉を診るということですが、あまりにも小さい子供では指を二本だけにしたり指を転がして診るなどの工夫を福島弘道先生から教わったのですが、その辺りはいかがでしょうか?

  (二木)先程も言いましたが、二本の指だけを当てて頭の中で三部に分解するとか一本の指を橈骨動脈に平行に一本だけあてて頭の中で分解するなどを行っています。

 

   4.夜尿症について

 (二木)えー、夜尿症の治療は大嫌いなのです(笑)。助手時代は手がけたこともあるのですが、子供の「やる気」ということにも関わってきますし、「治してはいけない病気がある」ということにも気付いた体験があるのです。

その症例ですが、小学一年生の子供が夜尿症ということで来院したのです。当時は助手ですから施術の命令があったので担当しました。治療を始めて二,三回でかなり止まったのです。ところが一ヶ月後に再発したと来院し、今度はいくら治療しても治らないのです。お母さんが派手な人だなぁとは思っていたのですが、次は当時としては非常に珍しく高価だった携帯電話を持ったお父さんが治療にきたのです。そこに電話が掛かってきて、話が聞こえると現役の怖い職業の人だったんです。ピンときたんですよ、子供は親の職業にストレスを感じていてその反抗のためにおねしょをしていたんだと。

だからこれ以後は夜尿症の治療をするのは絶対に嫌になったのです。

夜尿症についてもう少し触れておくと、九十九パーセントまでは自覚の問題です。残りの一パーセントが物理的に止められないというもので、小里勝行先生の「私の治療室から」には夜尿症の症例がでていますがその中に中学になって止められなかったのは物理的な原因だったとありました。本人も「恥ずかしい」と口では言うものの心の底では別に恥ずかしいとは思ってないのですね。小学六年の二学期になっても止まらないようだったら相談にのりましょうということにしているのですが、やっぱり違うんですよね。

二年前に二人も同時に扱ったことがあるのですが、このときにはいわゆる「やいと」という意味での透熱灸を用いました。大抵は一、二回で治まります。ところがこの二人は治まらず、どうして治ったかというと、一人目は抽選で四泊五日程度の研修にあたって、それに行きたくて治療にきていてお灸をするとすぐ止まるのに、熱いからと本人が勝手に止めてまた再発し、親が引っ張って連れてくることの繰り返しで、「これなら断るしかないね」と大人の結論が出たとたんに治ったのです。もう一人はとうとう中学生になってしまい、最初は文化系の部活をすると言っていたのに「暗い奴ばかりだから」とひょんなことから野球部に入ったら、その厳しさに止まってしまったというものでした。要するに自覚の問題でしたね、やっぱり。

子供に「やる気」を出してもらうことと、なんでもかんでも治療さえすればいいという感覚を持たれないために、夜尿症の治療は受けていないのです。

 

 

    5.心に残る治験例

 

アトピー性小児喘息

  (二木)三才になる直前から通院を始めた子供で、現在小学四年生ですが現在は全く普通です。当時はものすごい食物アレルギーがあり、お母さんは栄養士になれるのではと思えるほど中身の成分を計算してからでないと何も与えられず、冗談ではなく主食が稗や粟に近い状態でした。最近はアトピー用のお菓子も生協などでよく見かけられるようになりましたが、特別な酵素を入れてあるのか抜いてあるのかアトピー用のお米というのもあって、そのお米でさえ週に二回程度しか与えられない状態でした。二歳になったときにうっかり卵の入ったものを食べさせて、すごい発作で死にかかったこともあったそうです。

色々なことをやっているうちに、おじいちゃんから聞いて鍼も併用しようかということになったそうです。結果的にですけどよかったのは、普通の場合なら喘息の小発作は三日に一度、大発作に分類される小発作が三週間に一度くらい、入院の必要がある大発作が三ヶ月に一度はあるのが、通院が始まって一週間位でその大発作がきたのです。このときに入院ばかりでは何も変わらないから頻繁に通う必要はあるだろうが吸入器でなんとか乗り切れそうなので今回は入院を見送ろうとの病院の決断が大きかったと思います。実は決断したのか見放したのか分かりませんけどね(笑)。そのときの大発作が鍼で一日半で治まったものですから、親が真剣に取り組んでくれるようになったのです。

治療としては最初から説明しているスタイルで、この症例こそ陽経で停滞しているものを先に流してやるという意味で「トントントン」と極力少なめですけどたたきました。発作の最中で本治法だけで終了したこともあります。

このような形を続けるうちに発作の回数が減り、今度は食物アレルギーを少しずつ試しながらクリアしていきました。保育園の入園一年前には、近所のことでもありますから余計に分かるのですが、「こんなに食物アレルギーが強くてはとても受け入れられない」と言われていたのに、頻繁に迎えに行くことにはなりましたが見事に入園できました。小学校に入るまでに何とかカレーライスが食べられるようにとがんばり、最初の四年間はどんなに遠くても一週間に一回は治療をしました。

現在は風邪をひいてそれがこじれそうになった時に来院する程度にまでになっています。食物アレルギーもほぼ克服し、子供のうちからでも体質改善ができるのだとここでも大人と隔てずに考えるべきだという症例だと思います。

(司会)証についてはいかがだったですか。

(二木)初期は脾虚が多かったと記憶します。なぜなら心臓にも負担がかかっていたからで、その後はいろいろと伝変をしていますが普通に咳がゼロゼロとでるようなときには肺虚が多かったと思います。

 

2.小水が漏れてしまう。

(二木)夜尿症ではなく小学四年生の女の子ですが昼間に少しずつ小水が漏れてしまいます。美人ですが怖いお母さんで、本人はスカートがはきたいのですが漏れるのを隠すためにズボンとスカートのものしか中間みたいなものしかはかせてもらえなかったのです、「キロット」というのですか(笑)。

 電話のときには夜尿症かとも思えたのですが、「昼間だけ」というので、診察すると、結論としては仙腸関節のズレによる神経圧迫が原因で、膀胱括約筋が締まってなかったのです。証は肝虚で鍼治療のみでも止まってきていたのですが、何かもう少し決め手がと思っていたところ、背中に施術しているとなにやらもじもじするので、伏臥位にして骨盤を診てみると見事にズレているのでカイロの手法で押し込んでみると、一気に漏れる量が少なくなり、二週間ほどで全く漏れなくなってしまいました。

 

3.骨が隆起してくる

(二木)小児鍼の中にも失敗例はあります。これは奇病なのですが、あちこちから骨が隆起してくるというものだったのです。例えば橈骨茎状突起の肘側にもう一つ茎状突起のようなものが触れたり、もっとも困ったのが大腿の後面委中の上三寸辺りに隆起があってこれがつかえて正座ができない、このことが病気に気付いた原因ともなっています。治療を開始してしばらくは順調で正座もできるようになっていたのですが、子供の成長が早くて隆起の成長も速くなり、たまたま検診に引っかかり学校の指示で西洋医学も受診しなくてはならなくなり、結局は小児の高度医療を行う病院で手術、ごまかしながらも正座はできるようになったとは聞きましたが、やはり原因は全く解らなかったということです。

 証に関しては色々とやってみましたが、それこそ腎虚が多かったと思います。それに隆起をしている部分には瀉的な処置をする方が効果的でした。

最終的な報告ができないのが残念ですが、小児においてもこのような病気が存在するということでした。

 

4.川崎病

(二木)生後一ヶ月で唇が真っ赤になっていました。病院では風邪だろうと言われたものの、同じような熱ばかりのわりにハーハーいうし、心臓の鼓動が見えるとのことでした。「これだけの症状がそろえば川崎病と普通は判断するかなぁ」と何気なく喋っていたのですが、脾虚で三回ほど治療すると熱も下がり唇の赤いのも消失したので「川崎病じゃなかったんだね」とここは「一件落着」と喋ったことが親の耳に残ってしまい、別の病院で「鍼灸院で川崎病と疑われた」と告げたものが大慌てとなって、先程の小児医療センターに送られたところ「川崎病もどき」とのことでした。「もどき」なんていう病名があるんでしょうかねぇ(笑)。一年後に再検査をすると「川崎病」と診断されたのですが、症状のない川崎病とのことで、やっぱり「もどき」でしたね(笑)。

この前は小学校に入学するというので久しぶりに検診を受けたのですが、もう大丈夫と言われたとのことでした。うっかりしているとこんな病気にも出会ってしまうという例でした。

 

5.発熱が下がらない

(二木)これは先程と同じ子供です。二歳になっています。この頃になるとお母さんは働きに出ていましたから、預けられている間に発熱して病院に通い服薬を繰り返しているうちに、とうとう全く熱が下がらなくなって来院したものです。池田先生が「子供の脉を診ているとこっちの方がドキドキする」といっておられますが、二百以上はうっていましたので本当にこちらの方がドキドキしました。助手に診てもらうと心臓の鼓動で胸が怒張していました。

 処置ですがこのときは正直に肺虚で行いました。それに加えて解熱をさせるには水掻きの部分、つまり赤白の間をするとよいと聞いていたので手も足も全ての水掻きに施術しました。

 あくる日にはどうなっているだろうと心配していたのですが何の事はない、大声で「おはよー」と走ってくるなり自分でベッドに寝て「今日で終わりやろ?」と言われたときにはがっくりきました(笑)。発熱には水掻きと覚えていただければいいと思います。

 それからもう一つ、自分ではやったことはないのですが、どうしても解熱しないときの技があるそうです。指の腹を出血させてもかまわないので強刺激を加えるらしいのです。例えば全身性エリテマトーデスのようなもう神様にお祈りをするしか手のないような発熱のときでも、指腹から刺絡をすると時間的にはどれくらい持続するか保証はないものの、必ず解熱させられるとのことです。

 (司会)指の間は指間穴と呼んでいますね。

 

6.急性虫垂炎

(二木)子供は最初に出てきた重度障害児のお姉ちゃんです。とても鍼が好きで「医者はいやだけど鍼ならいく」という子供でした。

前日には軽い腹痛はあったものの登校には支障がなかったのに、楽しみにしていた体育は腹痛が出たためにやめていました。それからは腹痛があったり止んだりを繰り返して、診療をした日の午後三時ごろからは腹痛は止まらなくなってしまい、コタツで寝ていたとのことです。五時頃にお母さんが帰宅して「腹痛ですけど鍼なら診てもらうというのですがいいですか」と電話をもらってからの来院でした。来院するとお腹に響くからと足を揃えてすり合わせるようにしか歩かないのです。

発熱は三十八度そこそこだったと思いますが、どうも様子がおかしいのでマックバーネーテストをやってみました。ご存知のようにマックバーネーテストは押したときはなんともなくて手を離したときに痛むものですが、子供ですから正確なものはわからないもののとにかく反応だけは確認しました。この時はいきなり脾虚肝実で治療したと記憶しています。寝返りもできなかったので本治法しかしなかったと思います。そこで闌尾も探ってみると反応があるので、毫鍼で強刺激をすると楽になるといいます。強刺激ですから鍼の響きが痛いのですが「鍼なんだから痛いのは我慢しなさい」のお母さんの言葉には笑っていいやら怒っていいやら(笑)。

そこで治療室から市民病院へ電話すると「すぐに来て下さい」との返事がもらえました。「明日の朝になってもまだ痛がっていたら連れて行きます」とお母さんがいうので「すぐに行きなさい」と送り出したのが六時半。切腹をしたのが八時半で急性虫垂炎とのこと。あと二時間遅ければ破裂していただろうとのことで五日後に退院してその足で治療院を訪れたという症例でした。

 

7.肘が抜けた

(二木)これは直接小児鍼とは関係ありませんが、知らない人も多いのではと思って取り上げました。

服を着せてやろうと思ったら子供が嫌がって動いた拍子に肘が曲げも伸ばしも出来なくなってしまったとのことでした。整形外科に電話したところが夕方からしか診療しないというので、とりあえず診てもらえるところへドサクサ紛れに来たという感じですね(笑)。電話はもらっていたのですが「これから鍼に行ってくる」と言ったらおばあちゃんが激怒をしたらしいです(笑)。このときに実際の肘関節の脱臼をはじめて診たのですが、ちょうど肘頭が後ろに飛び出しているように見えますね。

整復方法は上腕二頭筋腱の辺りに裏側から回してきた術者の腕の母指を当て、残りの手で回外させながら伸展するとはまります。このあとにも一度肘を脱臼して来院したのですが、子供いわく「そんなに引っ張ったらまた肘が抜けるやろ」と怒られないいい口実ができたとか(笑)。

このときの証は覚えていないですね。整復だけで終わってもいいかなぁと、鍼をしないとお金をもらいにくいから鍼もした雰囲気だったりで(笑)。でも鍼は絶対にやったことでよかったと思っています(笑)。

 

 

6.実技での注意点

(二木)大体はお話しましたが、    注意点の一つ目はやりすぎないことです。 治療では「足し算」は簡単なのですが「引き算」は難しく、特に動きの速い小児ですからやりすぎないことです。

二つ目には子供に「やる気」を出してもらうこと。そのためにコミュニケーションをしっかりとるということです。私の場合ですけど、子供はみんな子分です(笑)。初期に診ていた子供はすでに成人したのもいますけど未だに子分です(笑)。

三つ目は、鍼を見せないことです。特に治療に慣れないうちは脉を診るときも片手ずつにして鍼を見せないようにしています。本治法の時にはどうしても見えてしまいますが、くすぐったい治療ですから、二、三回目には慣れて、普通通りにできると思います。

注意点ではないのですが付け加えとして、女性の鍼灸師は子供とコミュニケーションがとりやすいので是非取り組んでいただきたいと思います。男性も経絡治療一本に絞るための近道と思いますから取り組んでほしいのですが、女性鍼灸師の社会的立場を確立するために小児鍼というのはいいアイテムだと思います。

 

(二木)私の話は終わったのですが、ここで福岡の田中先生から昨年のセミナーの感想とその後に娘さんに行われた治療について話して下さい。

(田中)昨年福岡に来てもらったときに小里式瑚Iの尖った側を使って陽経をチョンチョンと行うやり方を教えていただきました。私の子供が研修会を終えたころは半年くらいで、少しあとに発熱したので教えてもらった水掻きの部分をやってみると、発汗がすごくなり便を大量にしてからぐっすり眠りました。そしてあくる日には何事もなかったかのようにけろっとしていたのです。それからも小児鍼をしているので風邪を引かないのは鍼のお蔭かと思っています。

(二木)それからメーリングリストにあった中学生の話もお願いします。

(田中)最近の臨床ですが立ちくらみがひどくて学校に行けない中学一年生です。ご飯を食べたいのだけれど食べられないという症状で、私なりに脾虚と判断して治療したのですがどうも治療後に疲れるとのことなので小児鍼に切り替えてみると食欲も出て、今では元気に登校できるようになったというのがありました。意外に中学生でも使えることがあるのだなぁと驚いているところです。

(二木)次は隅田先生に中国で見た小児鍼と小児推拿についてお願いします。

(隅田)中国で小児鍼というのを見たことはありませんでした。ただ乳児などに中国鍼をそのまま刺しているところを見たことが何度かあります。あるいは小学生の仮性近視に対して睛明や客主人に普通に刺しているケースを見たことがあります。

(司会)それは全く大人にするのと同じですか。

(隅田)そうです。全く同じです。それから頭に行う鍼がありまして、頭に全身の配当があって、たとえば知的障害の子を集めてやっていました。

(司会)それも中国鍼ですか。

(隅田)そうです、中国鍼です。

それで日本で行われている感覚では「小児推拿」というのがありました。これはしばらく習っていました。

これにも独特の経絡図というのか穴の配当図がありまして、大人とはかなり異なります。穴の名前も「テンカスイ」とか他にも色々ありますが、聞いたこともない名前ですね。アルコールとねぎと生姜で、あらかじめローションを作っておいて、それをつけて顔や手や指先などにこすったり揉んだりしていました。これは子供たちもすごく喜んで夜泣きや夜尿症など我々が小児鍼でやることを行っていました。

(司会)特別なローションを用いるということですね。

(隅田)そうです。

 

質疑2

(司会)森本先生が小児鍼をされる場合にはいつもの森本瑚Iで行われるわけですか。

(森本)森本瑚Iとバット型の円瑚Iを使う場合が多いです。なぜなら僕が開業した当時はまだまだ人間に体力があったのに、現代では陽虚というのか気が速く動きすぎるというよりも気が飛んでしまっているので、なるべく補法で迫ってみようと考えたのです。

したがって円鍼で本治法を兼ねてシュッシュッとなでそれから背中とお腹をなでます。

私の場合に最も参考にしているのは首を触ることです。どのような触り方かといえば、母指と示指を広げてその股を当てるという感じですね。これでまず首の太さがわかります。それを治療の前に触っておいて治療後に触ると、浮いているものは沈み、固いものは柔らかくなり、熱をもっているものは冷たく、冷たいものは温かくなることで確かめられます。

脉診についても出ていましたが、これは難しいとは思いますが様々な工夫でできると思います。そこにお腹と背中があるのですからまずはそのつやを見ることで「やりすぎない」ことですね。ある程度までやったら「明日があるさ」の気分で待ちます(笑)。子供には必ず明日があるのですから今日のうちにできないことは明日に回せばいいのです(笑)。とにかく子供には「明日がある」治療です。

もう一つですけど子供を触るということです。大人と違って全てが望んで自ら来院しているのではないのであり、それを触らせてもらえるということは治療家の触診力にも接客態度に対しても非常に意義があると思われます。大人は望んできているのですから「先生」という態度ですが、子供は「どこのおっちゃん」「どこのおばちゃん」という態度ですから噛みつかれる可能性さえあるものに、どうやってうまく手を差し伸べる・手で触れる・どうやって泣かせない・泣いても早く黙らせるということが、今度は大人を治療するのに大きな意義になると思っています。私としては三十秒から一分で済ませるのがベストの治療家像だと思っています。

  (司会)これで話は終わりなのですが、他にありましたらどうぞ。

  (岩月)聴講の岩月です。学生時代に重複障害の治療をされたと聞かせていただきましたが、それ以外に知的障害者の治療はありますか?

  (二木) 今の治療室ではあまりありませんが、治療そのものは可能だと思っています。

  (岩月)実は昨年まで三年間精神や知的な障害を持っている人たちと農作業を中心に共同生活をして治療もしていたのですが、私の場合には既に成人している人たちばかりでも先ほどの発表のように知的遅滞が少しずつ解消されたり頭蓋の形が変わるなどを経験したものですから、知的に障害のある人たちとこれからも営業を抜きにつきあっていきたいので何かあればお願いします。

  (二木)これは小児鍼からはちょっと外れてしまいますけど、盲学校では重度の重複障害のクラスメートもいたりして「知的障害の人は人間本来の姿をしているのではないか」と思っています。あの人たちから学ばせてもらうことは非常に多いですね。現在取り組んでいる仕事をやり終えてもう少し年を取ったら取り組んでみたいと思っています。知的遅滞が再発達を始めたなら「これこそ鍼の力だ」と治療家としてもうれしくなりますよね。

  (司会)時間も押していますが最後に加賀谷先生どうぞ。

  (加賀谷)小児の治療というのは我々の取り組めるものだと思っています。私も生後二十三日の乳児をやったこともあります。そして小児の治療は風邪をひいたとかお腹を壊したと言うところから入ると思われます。それで病院通いをした子供は白衣を見ただけで泣いてしまいますから、森本先生も言われたように普段から子供に慣れておくと言うことが大切だと思います。二木先生が言われた「子供にもやる気を出させる」と言うことはこちらの出方だと思います。

 そして子供に「やる気」を出させるのと同時に親の教育も大切ですね。子供も少し大きくなると子供だけをよこしたりしますが、正しい報告をしてくれるとは決して思えませんし、親にも治療に参加させて普段の生活などをしっかり聞き出すことですね。

 それから小児は非常に脉診部位が小さいのですが、新井先生が言われたように指を転がしたり他にも工夫をして、病症だけでなく脉診にも是非取り組んでいただきたいと思います。

  (司会)それでは時間もいっぱいとなりましたので、これにて「小児鍼の運用」を終わらせていただきたいと思います。

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