滋賀夏期研へ向けて、ナソの臨床実践1


滋賀漢方鍼医会  二木 清文


 「新版漢方鍼医基礎講座」には補助療法という形での項目はなく標治法として紹介されているのですが、肩背部や腰仙部の標治法の冒頭には次のようにあります。
 「いずれも経絡の流れを補強する治療法です。従って、本治法で処理し切れなかった病症の改善に一役買うことができます。」ということであり、逆に言えば何がなんでも本治法のみというわけではないものの漢方はり治療は常に本治法が軸で、それをどのように補強していこうかというのが標治法あるいは補助療法という扱いだと解釈してきました。昨今では子午や奇経を本治法と協力関係として延長線上に位置づけ更に経絡のバランスを整えようというようなやり方も提案はされているものの、ナソ・ムノは特定の経絡の調整を補助しようという扱いではありません。用い方も技術も極めて容易で、それでいて本治法をより際立たせられるものです。
 テキストの説明でナソ・ムノという名称については項目の最後に付け足されているもののあまり目立っていないので、少し書き加えます。ナソという名称は、福島弘道氏が肩こりなど上半身の治療で今ひとつ効果が出しきれなかったときに禁鍼穴とされている欠盆へ慎重に刺鍼すると、著効があったことから提唱されたものです。それで頸腕部をローマ字でKeikenWanbuのKWをとまずは略したのですけど、どうも呼びづらいということで点字表記の英字符を除去して日本語でそのまま読むとナソになることから名付けられています。同じくムノは、YouSenbuのYSを日本語でそのまま読み上げたものです。名称の由来が強調されていないので過去の本部発表では、“かたナソ”などと表現した例がありますけど、肩肩という二重表現になってしまっているので言葉の整理からまずはお願いします。特に入門部で発言されていたことは、点字をヒントに名付けられた治療技術なので視覚障害者の立場としてかなり残念でした。
 ムノについても研究と検証は滋賀で行っているのですがまだ十分な見解に達していないことと、滋賀夏期研がcovid-19の影響で本部30周年の後へと組み換えになっているので、30周年でのまとめがあるでしょうからあまり勝手には踏み込まず今回はナソに話を絞って進めていきます。

 以前のテキストでは救急法・補助療法という項目になっていたので位置づけがこの10年間では異なってしまっていたのですけど、ナソとは要するに本治法の前後どちらでも状況に応じて用いれる経絡の働きを強化できるものです。ただ、不思議というか発想の由来から定義しづらかったからなのでしょうけど手技についての定義というか記載がありませんでした。
 今までにナソを用いてこなかった方々にイメージしやすいように、私個人が行ってきた取り組みについてここからは振り返ってみます。その経過が、今回提案していくナソの臨床応用1そのものへとなっていきます。漢方鍼医会での技術というのは研究・検証・研修という3ステップで広げていくものだという確認が最初からあり、雑誌「鍼灸ジャーナル」での漢方鍼医会の紹介でもしっかり掲載されていることなので、二木個人の臨床研究が滋賀漢方鍼医会の見解というわけではありませんから予めご容赦ください。技術の発端というものは個人研究から始まるものの、今回のナソのりんしょう応用1は滋賀漢方鍼医会での検証を経てすでに全員で研修しており、全国レベルの夏期研の研修へも取り入れていこうと提案するものです。

 学生時代の最終年、縁あって経絡治療の世界へ足を踏み入れて大阪の宮脇先生の治療室を夏休みに見学するチャンスももらって、ここで本治法の配穴だけでなく標治法の概要についても勉強することができました。実は夏休みのメインの目的はこちらだったのですが、直後に参加した近畿青年洋上大学という二週間の旅の中で、看護婦さんは多く乗船していたのですが「治療ができるのはお前だけだから」と野戦病院に近いような状況下で施術をするなどとんでもない経験が今の鍼灸師人生につながっています。けれどナソなど補助療法までは飲み込めておらず、周囲にも指導してくれるほどの先輩もおられなかったので、補助療法については福島弘道氏の本を手がかりに独自研究のような感じで学生時代は取り組むしかありませんでした。二学期からは按摩をせず経絡治療一本という盲学校の外来臨床としては暴挙を行ったのですけど、それなりに成果が出せたので今度は一日で複数の患者さんを扱うようになるといういい意味でのエスカレートをしていきました。けれど調子に乗りすぎであり、当初ほどの肩こりが緩んでくれないという結果のときが出てきました。今ならビギナーズラックが切れてきたというところなのでしょうけど、ここでナソというものを導入すればという考えは安直ながら治療家の端くれとしては妥当なところです。
 当時に指導されていた子午治療は学生レベルの技術でも理解しやすく著効があったので、ステンレス鍼で代用していたのですが盛んに繰り返されていた金鍼30番というのが欲しくなり学生の身分では大金だったのですけど、思い切って発注をしました。この頃になその導入を考えていたのでどこの情報だったかは忘れたのですが一寸の純銀の鍼管と銀の鍼も購入もしました。この純銀の鍼管は皮膚に当てると温かみがあってとても気持ちよかったのですが、背部の標治法へ用いるには短すぎることと鍼も貴重なのでどうしたものかと考えたとき、ナソというのは欠盆へ刺鍼することだと書かれてあるので大金を出した純銀の鍼管を用いてやってみました。またまたビギナーズラックで肩こりが緩むようになり、これがナソの効果を実感した第一弾です。
 けれど想像していただければわかることですが、一寸と言いながらも欠盆は腕神経叢のど真ん中の上に肺尖がすぐそこにあります。あまりに扱いやすい鍼管と銀鍼ですからあるときにスルッと押手いっぱいに刺鍼してしまったことがあり、恐ろしくなってしまいました。自分へも試してみると肩こりについては気持ちいいのですが胸全体へ広がる強い刺激は大事故一歩手前を確信するのに十分だったので、鍼管を用いてのナソというのはここで方向転換せざるを得ませんでした。ちなみに現在の滋賀漢方鍼医会で会長をしてもらっている小林久志先生は同級生なのですが、二年生の冬の実技実習中に私が曲垣から直刺をして気胸を起こさせてしまったことがあり、その苦い経験もすぐ思い出していました。
 鍼管は用いずに欠盆のキニナル触覚へ捻鍼で行うようになると、一寸の短い鍼では当時の私の実力では気が抜けてしまうことが多く、思ったほどの効果にならなくなってしまいました。その後は気が抜けることはなくなったものの本治法で整えたはずの脈が逆に開いてしまうことがあり、いろいろな長さの鍼を試しましたが欠盆をすっかりきれいにするのではなく数本に限る運用が、最終仕上げのて前で細かな積み残しを除去するのに役立ってくれるという認識になってきました。これは開業して数年まで、このような認識が続きました。

 ナソを乗りこなせず興味が薄れていた時期、「余談ですが、鎖骨上窩は?理の開闔を観察するに最も適した場所です。示指、中指、薬指の3本を軽く曲げ、それらの遠位指節間関節の背面あたりで軽く触れます。鎖骨上窩の?理を観察するだけで手技の適否を判断することも可能です。」というのは、開業して2年目だったと記憶しているのですが東洋はり医学会の天野治夫先生に実技で教えてもらった方法で、それまでの肩上部の硬さを中心に重く触診する方法一辺倒だったものに風穴を開いてもらえました。現在の臨床ではもちろん岩のように固くなってしまっている肩上部が柔らかになることは治療結果とイコールになることが多いので重視しているのですが、病理考察の正しさを裏付けるにはュ理の状態を観察することがキーポイントとも思っています。証決定についてとても便利なことを検証中であり臨床投入も比較的簡単なのですけど、今回は間口が広がりすぎるので割愛します。滋賀夏期研を楽しみにお待ちください。

 少し時間がバックしますが、下積み時代に教えてもらった鎖骨下を用いると指先に効果が出せるというやり方もあったのですけど、これも毫鍼では施術しにくい部位であることと持続力がそれほどでもないことがわかり、あまり長くは追試をしませんでした。今から考えると指先の症状をリアルタイムで変化させてやろうとするあまり、手技の時間が長すぎたということがうまく行かなかった要因の一つだったでしょう。ここで適切な手法時間というものはどういうことなのか、ビデオを参照してください。手法時間の考え方と図による説明、および実技収斂ビデオをyoutubeで再生
 腹部を用いての臨床的手法修練や適切な手法時間の修練法はずっとあとになって具体化させたものではありますけど、東洋はり医学会時代に教えてもらった補法や補中の瀉という手法はちょっとしたタイミングで脈が閉まらなかったり逆に開いてしまっていたのであり、ナソの追試からもしっかりした手応えが来てからではうまく行かないので早め早めに抜鍼動作へ入る工夫はしていました。ナソにおいては鍼数を少なめに、時間も短くで脈状を崩すことはなくなってはいました。

 次にナソでの大きな出来事は、開業8年目でした。この間に漢方鍼医会が発足していて、菽法脈診と病理考察に基づく証決定が導入されて臨床が大変革していましたから、ナソなど補助療法の影が薄くなっていたのは事実です。「頚肩背部の治療では横臥位よりも仰臥位、仰臥位よりも座位と言うようにドーゼが過多になりやすい傾向があり、座位では脳貧血を起こすことがありますので細心の注意が必要です」とあるのですが、前述の天野治夫先生にも教えてもらっていたのですけど横臥位と仰臥位での違いはよく知っていました。ある時のスポーツプラザからの帰り際、受付スタッフの女性が盛んに左肩上部の痛みを周囲に訴えているので持っていた毫鍼で欠盆へ軽く刺鍼しただけなのに、嘘のように痛みが回復したのです。今は常識になっていますけどその頃はヘルペスは3年すれば消失すると言われていたのに4年目であり、珍しいからと大学病院へも通院していたのに痛み止めの効果が全く出ないということでお手上げ状態のものだったので、すぐ鍼灸院へも通院することになりました。若干手こずったものの治癒には導けたのですが、痛みが激しいので毎回治療の最後には「あのときと同じように痛みをすっかり消失させてほしい」という希望があり、仰臥位では消失させきれないので座位で行うと見事に痛みが消失できます。この経験で座位ではドーゼが跳ね上がることを思い知ったのでありました。今でも「どうしても」という必要が生じたときには、体位の工夫をしています。ちなみに横臥位というのは経絡治療での村言葉であり、解剖学的には側臥位です。

 その次の変化はこの女性の治療からで、ヘルペスからの肩上部を中心とする痛みではあったものの肩こりの状態が毎回かなり違うので観察をしていると、腰椎ヘルニアの触診を応用して頚椎ヘルニアが触診できるようになってしまいました。腰椎ヘルニアや腰椎すべり症は画像診断と完全に一致できる触診が開業数年で確立できていたのですけど、頚椎ヘルニアの触診がわかってきたなら面白いので次々に触っていたなら強い肩こりには必ず頚椎ヘルニアらしきものがあることを気づくのに、さほど時間はかかりませんでした。頚椎ヘルニアの場合にはCTやMRIと必ずしも一致しないというか画像診断では部位が小さいので診断が微妙なことが多く、症状と合わせている感じではあるものの確実に首の異常も伴っています。つまり、頚椎ヘルニアがあるので慢性の肩こりとなっているのか肩こりを我慢している間に頚椎ヘルニアになってしまうのかは、「卵が先か鶏が先か」の議論に等しく考えても仕方ないことであり、治療後に頚椎ヘルニアの触覚が消失していれば治療効果が高く持続力も高いというところにだけ着目すべきともすぐ考えがまとまりました。頚椎ヘルニアの触覚を効果的に緩和させるには斜角筋へのアプローチが有効であることも、触覚がしっかりしているので割と短時間で発見でき以後は本治法の直後にナソの処置として斜角筋へのアプローチのみで大抵は十分という結果になってきました。あまりに肩こりが頑固なときだけ、全体仕上げで欠盆も併用することにしました。ヘルニアの触診はどちらも椎骨の際を上下に少し揺らしながら強めに触診するというやり方なのですが、言葉での表現には限界があるので実技が必要です。けれどすぐ慣れて実用レベルにできる技術でもあります。
 驚いたことに2000年の年明けに鍼灸院の大幅リニューアルで3週間近く休んだときに首藤傳明先生の治療室を訪問させてもらったなら、お茶休憩にも招き入れてもらい話をしていると自然に肩こりには必ず頚椎ヘルニアが存在していて、しかもそのアプローチは斜角筋だという意見が一致したのです。学会誌に書いたていしんの記事をたまたまご覧になっていただいたなら治療室訪問という話が舞い込んできて、ていしんのことを話しているつもりだったのに肩こりと頚椎ヘルニアへ広がっていたのでありました。そんな話題性もあって、滋賀では斜角筋での応用をしてくれる会員が多くなりました。でも、まだこの時点では滋賀漢方鍼医会は成立しておらず、実はナソ・ムノに関しても実技中にお互いのテクニックを交換していても標準的な用い方というのはありませんでした。

 斜角筋へのアプローチは勘弁で短時間に一定のこうかが出せており、特別に困ることがなければ一定水準の技術で安定を求めてしまうのも臨床家です。ところが「臨床は生き物である」とよく言われるように、covid-19のようにこちらが望んでもいないのに立ちはだかってくるものもあれば思わぬ技術革新で扉を叩かれることもあります。斜角筋へのアプローチからナソを発展させるきっかけは大阪漢方鍼医会から提唱された邪気論に基づく証決定と治療法の登場でした。20周年を過ぎて漢方鍼医会が熟成してくる時期と思いきや大嵐となった邪気論、会全体が地図の見間違いに気づいて慌ててUターンしているかのように邪気論一辺倒となった時期がありました。滋賀漢方鍼医会でも会員が実践している七十五難型の肺虚肝実証の治療形式は肝実を抑えることが目的なのですから正気論ではなく邪気論へ分類されるべきものであり、効果が出せている治療体型なら取り入れていくべきと考えるものの新しいアプローチには慎重にならざるを得ません。テキストに書かれてある正気論の治療はしっかり効果が出ているのですから強引に邪気論だけにシフトするのも変な話ですし、病理の考え方の全く新しい一面は提示してくれたものの中医学の理論武装にやっと追いついたところで放棄することもできず、漢方鍼医会発足から数年間苦しんだ理論はあるのに治療法がないという状態に逆戻りするのも嫌ですから苦悩した結果、菽法へしっかり収まる脈状が作り出せるならというところに基準を求めました。ちょっとややこしい表現でしたけど、要するに滋賀漢方鍼医会は両論併記で乗りこなせるようになろうという姿勢をとったわけです。これは後に時邪という概念が強調され「季節の中の治療」を言われているのですけど、五気も六気も乗りこなせるようにという姿勢にも通じてきています。
 やみくもに邪気論を試すのではなく、病症がしっかりあって脈状も跳ねているなら邪気が侵入しているもしくは出られない状態だと予測できるので、条件が合致したときに営気の手法から入れるかどうかを試行錯誤してみると正気論から証決定していくよりも楽に治療できてしまうケースが有ることを確認できました。しかもリアルタイムで改善できるケースがあります。選穴についても五要穴の病症を当てはめれば理解しやすいこともわかり、どういうケースなら用いやすいかについては少しずつ分かってきたのですけど、問題は菽法に合致した脈状になかなかなってくれないことでした。本治法の直後だと菽法にかなり近い状態まで脈状が作れたのに、時間が経過するとまた脈状が跳ねてくるものが結構ありました。正気論での治療をすると時間経過とともに菽法へより合致してくることが多いのであり、これは邪の処理が不十分だからではないかということで営気の手法を強めにといいたいところですが、ビデオでご覧いただいたように適切な手法時間のほうが大切ですし、自己治療で試したのですが同じ経血へ何度も営気の手法を繰り返すと必ず全身が重たくなってしまいます。ドーゼ過多を起こすのですから、当たり前のことです。私の理解が足りないのかもですが邪気論は理屈からすれば本治法は一本で勝負すべきなので、行き詰まってしまいました。
 あるときに症状がはっきりしていて脈状も跳ねていて、本治法で痛みはリアルタイムに緩んできていたのですけどのぼせがまだ強く、のぼせているときには以前から側頸部へオリジナルの邪専用ていしんをタッピングの要領で軽く行うと著効があるので加えてみたところ不思議なくらいに菽法へ合致した脈状へさらに変化していったのです。「必要は発明の母なり」といいますけど、瞬間的に謎が解けました。十二本の経絡をたった一本の手法で整えてしまおうということそのものに土台無理があるのであり、邪というものは動きが素早く陽経で動くことが多いもしくははじき出されてきているので、それを軽く払ってやったという解釈にすればいいのです。邪気論で治療を試みたときに側頸部へ邪専用ていしんでのタッピングを加えるようになってから、菽法へ合致した脈が普通に作れるようになってしまいました。でも、まだこの時点ではナソをやっているのだという意識ではありませんでした。
 邪気論の範疇ならということで、肝実証というのは文字通り肝血が停滞してしまい悪血になってしまうものですけど、急性のものは脈状が強く跳ねるものの大抵は慢性化しているのでむしろおとなしいなにかちょっとした塊程度にしか脈状は触れないのですが実なので邪気論の範疇になります。肺虚肝実証では腎経の太谿・復溜・陰谷のいずれかと同側の三焦経の用地へ営気の手法を行うことで、脾虚肝実証では脾経のいずれかへまず衛気の手法を行い続いて胆経に営気の手法を行うことで菽法へ不満のない程度の合致した脈状が得られてきました。ただ、主目的が肝実を落としてしまうことなので肝実の解消を優先させていると、菽法での肝腎の差が逆転していても経過は良好なのでそのままにすることも正直ありました。ここへ本治法の直後に邪専用ていしんでのタッピングを加えるようになったなら、肝腎が逆転したままを解消できるようになりました。これで陽経にどうしても残ってしまう細かな邪を払うことにより、本治法が強化できるという自信が持てるようになりました。
 すると次は、こんなに便利な方法が正気論でも応用できないのかと追試です。体調の異変というのは必ず邪が存在しているということなので、補法を行うことで邪が飛散すると言っても細かなものは残ってしまう可能性は大きいだろうと、本治法の直後に側頸部へ邪専用ていしんのタッピングを加えてみるとこれまた菽法への合致した脈状が補正できるようになりました。菽法へ合致した脈状は胃の気を含めてその他の改善も行えているということですが、ここで頚椎ヘルニアの状態も調べるとさらに改善が認められます。あくまでも主役は本治法であり、本治法で頚椎ヘルニアの触覚と患者の感じる痛みが大幅に改善されていなければならないのですけど、積み残しを邪専用ていしんでのタッピング処置が効果的に援護射撃してくれます。斜角筋へのアプローチはせずとも同等以上の効果が出せているので、ナソの一つのやり方という位置づけにすることとしました。ここでもう一つビデオで、鍼の持ち方や施術方法をご覧ください。ナソの臨床応用1 鍼の種類とタッピング方法 - YouTube

 概要の説明はここまでなのですが、「新版漢方鍼医基礎講座」から関連部分を参照します。頚の周囲の経絡ですが、正中線から任脈、胃経、大腸経、小腸経、三焦経、胆経、膀胱経そして督脈となります。鎖骨上窩の経絡の流注とツボですが、正中線に近い側から、胃経の人迎、水突、気舎、缺盆、気戸、大腸経の天鼎、扶突、小腸経の天窓、天容となります。本間祥白氏の『経絡治療講話』には「督脈の大椎には、三陽六経が流れており、その三陽六経は、缺盆から胸腔内に入る。大腸経は上腕を上行して臂臑の所より三焦経の臑会に行って交わる。上行して背の督脈にある大椎に行き、前面に帰って缺盆に交わる。三焦経は前腕、上腕の背面を上行し、肩に上り天?に来、秉風、肩井を経て缺盆に入る。」とあります。同じく『経絡治療講話』の十二経脈流注の図には大腸経のところで缺盆から肺へ、小腸経のところで缺盆から心へ、三焦経のところで缺盆から?中へ、そして心包が線で結ばれています。
 欠盆と大椎にはすべての陽経が集まっており、そしてすべての陽経の流注は頭部へと続きます。今回の提案では側頸部へも目を向けることで、病理考察から導き出された証に従っても本治法で処理しきれていない邪を陽経全般から払うことにより菽法へより合致した脉状が得られやすくなることを滋賀で研究してきました。しかも、ていしんを逆さに持ちタッピングしていくだけという、ほんの少しの練習で誰もが導入できるまさに「補助療法」です。どの程度まで菽法へ合致した脈が作れていればいいのかが本治法の課題の一つですが、「これならかなりいい線だと思えるよなぁ」程度まで作れたなら、直後に今回提案している方法でナソを試してみてください。証決定が正しければより菽法へ合致した脈状に自動運転のような感じで補正されます。逆に脈状が崩れてしまったなら、証決定に問題があるかもしれないということで、本治法の直後に行うメリットは非常に大きいです。注意点はやりすぎないことで、用いる鍼の種類によって異なってきますから、中には逆にのぼせてしまう鍼もありますのでまずは自分の身体で追試をしてから臨床投入してください。



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