「風邪が治せたなら鍼灸師は一人前」、偶然の魚際がもたらしてくれた鍼灸師人生


滋賀漢方鍼医会代表  二木 清文


 編集長から「臨床に役立つツボの話」というお題で話をいただき、すぐ学生時代に自己治療で高熱だった風邪を瞬時に治癒できた話が脳裏に浮かびました。「でも待てよ、確かに魚際を使うことで瞬時に解熱して嘘のように風邪症状はなくなり体調までよくなったのだが、そんな話を書いていたなら素人向けのツボ療法の宣伝番組のようにならないか?あくまでも経穴は経脈上にある反応であり、そのときの治療点だと言うことをまず書いておかねば」とこれもすぐ脳裏に浮かんだなら、すでに第一回で首藤傳明先生がいきなり釘を刺しておられました。さすが尊敬する大先輩。そのほかにも姿勢のことややり過ぎない等々、先輩の先生方が書かれていますから今更私ごときが冒頭で付け加えることなど何もないのでありました。
 それでも敢えて書いておきたいのですが、経穴を用いると言うことはどの経脈上に位置していてどんな関係性があるのか、そして性格に取穴できているのかをいちいち考えながらでないと効果は発揮されないのであります。経絡治療で言う標治法レベルだと大まかな取穴でも構わないのですが特に狙い目とする経穴はピンポイントで身長に決定する必要がありますし、本治法の場合はいい姿勢でミクロン単位の取穴が必要です。「ていしんなら直径が1mmもあるからよく当たるはず」などと安易に考えていたなら大間違いで、毫鍼はしなりがあるので手法の誤差を吸収してくれますがていしんはしなりがありませんから手法がダイレクトに現れてしまうので、絶対値での取穴ができていなければならないのです。ここが「ていしん治療」のハードルであると同時に、鍼灸治療はあくまでも経脈の調整が根幹で刺鍼が条件ではないことの証明になります。

 では、私が症状のある部位と治療ポイントは必ずしも一致しない体験をしたことから説明しないと、「どうして経絡治療の世界にはまったのか」がわかりづらいので前座の話から。
 私は滋賀県立盲学校の内部進学のみで育ってきたのですけど、それでも専門課程は技術職であり最初は悲鳴を上げながら自分の下腿へ管鍼術で刺鍼練習をすることで、半年すれば痛みなく銀鍼が押手いっぱいまで刺鍼できるようになりました(最近の専門学校はあまり自分の身体への刺鍼練習をさせないとか自己練習を嫌う学生が多いと聞きますけど、自分で刺鍼時の痛みがわかっていないと患者さんが増えるはずがないとても簡単なことがどうして理解されていないのでしょうね)。一年生の冬に右の血海付近に強烈な痛みが発生してきたので、具体的治療法はまだわかりませんが腕試しをかねて自分で血海周囲へ刺鍼するのですけどほとんど改善しません。ちょうど開業されている先輩と話をする機会があってアドバイスを求めたなら、「その箇所をよく揉んで刺鍼を繰り返しなさい」と言うことですから素直に続けていたのですけど、そのうちに血海付近をが赤くなっていて触れるだけでも表面の痛みを感じてきました。それどころか腎経の流注に響くことが何度もあったのに、流注の手応えもなくなってしまいました。大きな灸痕があると流注がそこを避けて通るという話、こんなところで早速に体験です。
 触れるだけでも皮膚表面の痛みがありますからペースを落としながらも血海付近の刺鍼は続けていたところ、あるときに痛みがとても軽くなっていたことに気づきました。けれど自分の刺鍼で回復したのではなく、ちょうど鍼実技が腰部での刺鍼練習の時期でありうまいクラスメートがやってくれたなら痛みが軽くなるのでした。これで「あっそうか、元々腰が悪くなっていたのを下肢が支えきれなくなり血海付近の痛みとして現れてきていたので、治療は腰をポイントにしなければならないんだ」と、実体験は素人に毛が生えた程度の考え方を根底から簡単にひっくり返してくれたのです。しかも腹臥位よりも側臥位の方が圧倒的に効果が高いのであり、刺鍼時の患者の体位にも気を配る癖がつきました。そしてなんと痛みが回復すると腎経の流注も元通りに感じられるようになってきたのです。「鍼灸治療というものは経脈を中心に運用しなければならないもんなんだ」と、まだ19歳の若僧ながら心に響く体験でした。

 この体験以後は経脈を意識した鍼灸治療を目指そうとは思っても、まだまだ専門知識は浅く盲学校のみの世間知らずもいいところであり、進路について親と激しい対立があり一年近くが何も進展しないままに経過していました。部活を含めて学生生活そのものは非常に楽しかったのですけど、鍼灸師への夢が学校へ通うことといつの間にかイコールになって満足していたのではと今からでは思えます。学生の皆さん、あくまでも学校はまだ閉ざされた世界であり臨床とはかけ離れたレベルにありますから、変に満足してはいけません。臨床家が集まっている研修会へ、いち早く足を踏み入れてくださいというのが私からの忠告です。
 そして衝撃的な自己治療の体験に、再び経脈が中心でなければならないと心が大きく揺れました。二学期の期末テストは12月の大雪の中であり、インフルエンザ大流行の中を発熱しながらテストを受けていました。一時限目は何の学科だったかは忘れてしまいましたが筆記試験で、二時限目の灸実技でその日は終わりですから、体調不良を我慢して順番を待っていたなら「しんどそうやから順番を繰り上げてやろう」と、教員の配慮で隣の教室で待機をすることに。ところが待機をしていた教室で余計に体調が悪化してくるのです。「そうだ、こうなったなら行きがけの駄賃で明日の東洋医学概論の勉強をかねて自己治療をしてやろう」と、ますます自覚的には熱っぽくなってきていましたから開き直ってきました。
 担当教諭が自ら設立されたばかりの東洋はり医学会滋賀支部へ参加していたことも手伝って、より具体的でわかりやすいと私のクラスでは福島弘道先生の「経絡治療要綱」がテキストに採用されていました。文章が口語体に近かったので理解しやすく、全体が想像できたことが非常に助かったテキストでした。けれどまだ治療法則まで学習は進んでいなかったので、覚えている範囲の知識をかき集めて勝手に治療法を考えるしかありません。まず呼吸器症状なので肺経が変動している、とにかく全身が熱くて顔も赤いと指摘されているので「身熱す」の栄火穴を使うのではないか、テキストではまず補法とあるが具体的なやり方がわからないことと瀉法なら気を抜くので片手でもできる、何よりこれだけの症状なので瀉法でもいいのではないかと、脈診もしたはずですがとにかく指を突き上げてくることしかわからずに「まぁやってみよう」と一本釣りの乱暴きわまりない治療を試みることに。「これで死ぬことはない」と言うよりも、「これで治るはずがない」と思っていたのでしょう、きっと。
 手元にあった寸三で二番の銀鍼を押し手になる左手で先端をつまみ右の魚際へ少し当てて、気をわずかに抜く感じで竜頭を口でくわえながら抜鍼してみました。不思議な響きが魚際から少商にかけて走るのを感じ、道具を収納している間に大汗だったものが見事に乾いてきたなら数分しない間に熱っぽさもなくなり、実技試験を受ける頃には教員から「しんどそうやったのはどないしたんや」といわれるくらい体調が一気に回復していました。雪道を帰宅するのにも全身が温かく、「経絡治療要綱」には風邪の治療例がいくつか掲載されていたのですけど本当だったのだと一日中夢を見ている気分になりました。
 この治療を分析してみましょう。呼吸器症状と言うことで肺経を用いるのは、第一候補として無難な選択です。高熱で大汗が出ており顔が赤いなら普通は寒気を感じるところが自覚的には熱っぽいというのは真熱状態であり、六十九難を優先せず「身ねっす」の栄火穴を用いたのがポイントになったでしょう。さらに偶然というのは恐ろしいもので、左が押手だったという理由だけで右側を用いているのですけど、「男は左から女は右から」の優先される法則を無視していたことで瀉的な手法が悪影響ではなく逆に功を奏しました。四十九難から病因を直接排除していたという解釈も成立します。手法が瀉法になっていたのかはかなり怪しいところですが、毫鍼のしなりに助けられたのでしょう。
 そしてもう一つ、魚際は第1中手骨中点で赤白肉の際というのが標準部位になるのですけど、刺鍼前に探っていると第1中手骨の橈側で肉の割れ目が赤白肉に該当しますがもう少し手掌側へ入ったところに軽く触るだけでも響くポイントがあり、生意気にもこちらへ鍼を当てていたのです。「生きて働いているツボ」を選んでいたことになり、しかも右腕の方を顔に近づけて上半身がかがまないように姿勢にも気を配っていましたから、絶賛発熱中の頭にしては我ながら対応力に驚いてしまいます。いや、あまりに追い詰められての火事場のくそ力だったのでしょうか(笑い)。

 ここで真熱のことについて少し補足すると、体温計で測定しているものは体表の熱であり37度の発熱の基準線を越えたあたりからは自覚的には悪寒がして、さらに高熱になると顔は真っ赤なのに寒気がして震えたりするのは人体は体内の温度しか感じられないからなのです。ですから、通常「発熱している」というものは実は体内が冷えているのであり氷嚢で額を冷やすのは回復の手伝いになっても、冷たいから気持ちいいだろうとアイスクリームを食べさせたりなどはいけないのです。「にき鍼灸院」で発行しているパンフレット子供の発熱には必読 真熱の話も参照してください。
 真熱は前述の特徴を問診で聞き出せば診断できますが、素人さんが勝手に西洋医学ベースで話してしまうのでこちらで見破らないと実際は難しいでしょう。脈状は中間の高さでは太いのに表面と奥底では薄っぺらになっているという特徴があり、小児鍼で何度か見破れたなら覚えられると思います。陽虚証として治療するケースが多く、小児鍼では指の水かき部分を数回ずつ刺激することで栄火穴と同等の効果が得られ解決できます。大人は服薬してこじらせてから来院することが多いので一概には言えませんが、魚際は着目する価値があるでしょう。

 同じ呼吸器の症状でも、花粉症は標治法レベルで膈兪を用いることで即効性があり高い効果が得られていますすぐ症状の回復が期待できます 花粉症の治療。ここは冒頭で書いたピンポイントでの取穴が必要であり、少し強めに触察すれば確実に捉えられますのでご活用ください。ただし、鍼管でたたき込むと膈兪の反応を突き破ってしまいますから必ず捻鍼で、数秒間とどめる程度の方がいいです。ていしんの方が確実な効果が出せます。
 臨床現場では偶然に触った経穴の反応から治療の糸口を得られることがあり、「必要は発明の母」ですから大切にしています。しかし、それ以上に大切にしていることは「どうしてここで効果が出せるのか」をきちんと考察することであり、再現性を確保して次の患者さんへ応用できるようにすることです。花粉症の治療は病理考察から引っ張り出してきたものでした、それでもう一つ病理考察の方から引っ張り出してきて高い効果を出せているものがバセドウ病ですバセドウ病とその治療。診断の決め手となる脈状の図と治療法を掲載していますので、参照してください。

 「風邪が治せたなら鍼灸師は一人前」という言葉は聞いていたのですけど、まさかまさか偶然が重なっただけといいながらもたった一本の本治法もどきで瞬間的に風邪が回復できたことは、自分が想像していた以上に鍼灸治療とは実力が大きなものなのだと若僧は基本に忠実な技術者になろうと決心をしたのでありました。視覚障害者が開業するならあはきの三つをセットにするのが当たり前にいわれていたのを覆して、鍼灸専門でやりたいとも密かに決意をしていたのでありました。
 そしてラッキーにも三年生では夏休みに大阪の宮脇優輝先生の鍼灸院を連続で見学させてもらい、直後に参加した近畿青年洋上大学では看護婦さんはたくさん乗船していても「治療技術があるのはおまえだけだから」と知識がまだ歯抜け状態の覚え立て経絡治療で一時は野戦病院みたいになっていた修羅場をくぐり抜けてきたなら、もう私の人生は決定的になっていました。いつの間にか毫鍼からていしんのみの治療となり、これまた生意気に「二木式ていしん」なるオリジナルをいつの間にか制作してしまっていたという偶然ではなく何かに導かれているとしか思えない鍼灸師人生になっています。ただし、経脈を活用するのは「ていしん治療」が中心なもののそれだけにこだわっているのではなく、自ら水泳競技でジャパンパラリンピックまでは出場した経験からスポーツ関連にも興味があるので、こんな記事も紹介しておきます。左上腕骨が亀裂骨折、自己治療と物理的修復の意義


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