帯脈を応用した治療法⑵
滋賀県 二木 清文
１．伝統鍼灸術に思う
「帯脈を応用した治療法」と題名を付けたにもかかわらず長文になりすぎて前回では帯脈まで到達出来ませんでした。筆者は漢方鍼医会の機関誌『漢方鍼医』にて数回にわたり難経七十五難の肺虚肝実証に対する臨床研究を報告し続けている最中ですが、その論考と同じく「何故そのような考えに至ったのか」を理解していただきたいからです。ただ漠然と「この疾患はここへ刺鍼すれば効果がある」では鍼灸の技術などどうでもよいことになってしまいます。言い方は悪いかもしれませんが鍼灸師のみが鍼灸を生かせる誇りを自ら消し去ってしまうことになりかねません。だから筆者は発想に至った経過と伝統鍼灸術にこだわっています。
【患者は治ればいい】極端な話ではなく法律に触れるようなことさえしなければ「患者は何をしてでも治ればいい」のです。言い方を変えれば鍼灸治療を求めてくる患者はほとんどが西洋医学の体系から漏れているのですから西洋医学的な発想の鍼灸治療に魅力を感じてくれるのでしょうか？
筆者の治療室には病院で付き添いを仕事にしている人は大勢来院されますし看護婦さんも珍しくはないのですから『効果のある治療』が求められているのです。とても自然な発言なのですが看護婦さんからは「病院とは違う考え方をしているから治療を受けている」と聞きます。治療家は己の力量や禁忌を判断するためあるいは他にもっと効果的な治療法があれば紹介をするために一つの体系にこだわる必要がありますが患者は治ればいいのです。
【伝統鍼灸術の必要性】やや短絡的な内容だったかもしれませんが、前述までの項目で伝統鍼灸術の必要性の説明は十分だと思います。要するに最も「鍼灸術らしく」客観的にも効果的にも捉えられるのが脉診を中心とする四診法を駆使し証を立てて手足の五行穴・五要穴を中心に経絡の運用を主眼とする伝統鍼灸術だということです。
よく「脉診は難しそうだから」と敬遠する声を聞きますが食わず嫌いではないでしょうか？確かに初めて出席した研修会の明くる日から臨床に投入できる治療法ではありませんが、手から手に指導を受け感覚を磨けば誰でも身に付く治療法です。筆者の助手も学校では全く実技に縁がなかったものの立派に臨床をこなせるようになっています。決して一部の名人芸ではないことを断言します。
【与えられた課題ではなく、自分で問題設定をする】治療というのはもちろん与えられ課題（愁訴）をどう解決していくかと言うことなのですが、前回紹介したナソのように患者の訴える部位と原因部位が異なるときには患部以外の施術だけで解決しなければならないかもしれません。
筆者の独断的な意見かもしれませんが治療とは与えられた課題ではなく、自分で問題設定してそれを説いて行く作業だと思います。もちろん問題設定の焦点がずれていたのでは永遠に回答に到達することなど出来ませんし仮説のみで粗雑に行えば即座にエラーが返ってきます。患者とは常に自らの身体を投げ出して我々に回答の求め方を教えてくれているのですから、一人一人が師匠にも等しいのですから感謝する気持ちを忘れてはならないと毎日繰り返しています。
伝統鍼灸術の『証決定』とは何種類か提示されている最低限の公式、例えばy=ax+bからその変数に具体的数字や文字をはめ込むヒントを元に、早く・的確に・具体的数字や文字をはめ込むことと言い換えられると思います。もちろん古典に記載されていることは原則ですから臨床では括弧を付けたり外したり前後を入れ替えたりも必要です（もちろん操作によって解が狂ってはなりません）。ヒントの部分が病因論や四診法や脉診となるわけです。そして公式の解とはすなわち病理なのです。
【伝統鍼灸術は科学的ではないのか】「伝統鍼灸術は科学的ではない」と非難を受けることがあります。しかし、鍼灸師同士では鍼灸の解明そのものの方向性さえが不十分な現時点では論議の対象ではないでしょう。西洋医学から言わせても『命』が解明できない現時点で『命』を『氣』そのものだと立証できる漢方理論に対等ではないでしょうか。最も大切なことは非難・中傷することではなくお互いの優れた点を認めあうことではないでしょうか。
２．ムノ治療
ムノに関しても前回説明しましたが腰仙部より下肢への影響を狙うもので、ナソと基本的には同じ発想です。相違点として「調整すべき深さに刺鍼する」ですから深くまで刺鍼することが必然的に多く鍼管を用いるケースが大半ですが、補瀉の手法（深瀉浅補になりますから押し手で鍼口を閉じる手技）を実行することが肝要です。
【治療部位と支配部位】治療部位は主として鼡径溝のやや上ということになります。また恥骨上際を用いることもあります。支配部位としては経絡の流注上に当たるのでその経絡が目安となります。従って胆経は側面を用いるのですが大天支の極周囲を丁寧に探ると驚くほど効果の上がる場合があります。
【手技と患者の姿勢】手技の注意点としては響かさないということです。粗雑に刺鍼すると腹膜が強烈に緊張し患者に大変な苦痛をもたらしてしまいます。鍼先を下側に向け慎重に抵抗を緩めます。患者の姿勢は通常は仰臥位で行います。患者が側臥位にしかなれない場合にはそのまま行うことになりますが鍼が滑り込みすぎるので注意が必要です。
３．帯脈を応用した治療
【長野式との相違点】長野式では「帯脈」という経穴を用いますが、これから詳細を説明する「帯脈」とは奇経であり流注を応用します。
帯脈穴は確かに帯脈流注上にありますが胆経と交差している上に占有穴ではありません。また主治穴は臨泣です。臨泣は奇経を組み合わせて用いる際の主治穴だとしても任督のように占有穴を直接運用するのに比べればせっかくの特殊な流注を生かし切れているとは言えません。
話が多少前後しますが筆者が今回の流注を生かした治療を思いついたきっかけを書きます。患者は坐骨神経痛と診断されて整形外科で麻酔注射を受けていましたが次第に効果が無くなり、激痛でこの三日間は少しい眠っても痛みで目が覚めるのでほとんど眠っていないとのこと。応急処置に横臥位で置鍼をしていたら苦しそうなうめき声が聞こえて来たではありませんか。駆けつけると痛みが増悪しているのにこちらの指示だからと我慢をしていたのでした。本治法や子午などを試みるのですが後の祭りの焼け石に水状態で、家では座位がまだ一番ましだというので座らせたのですが痛みは一向に終息してくれません。
こちらが泣きそうになりながらも冷静になるために深呼吸しながら瞑想してみました。「坐骨神経痛という診断がもし間違っていたら」と考え患者に痛む部位を再び尋ねると外側も痛んでいるではありませんか！これでは西洋医学の病名には当てはまらないので出発点に立ち返って腰部を触診すると蝶骨陵の上下が堅くなっていました。祈る思いで硬結を緩めると痛みは終息し、その晩はよく眠れて蝶骨陵付近の処置を重視しながら継続し患者は三ヶ月で完治しました。理論としては変動している経絡の中で特に帯脈の停滞が著しく腰部を締め付けていたと推測できます（詳細は後述）。
・長野式は身体の「ねじれ」の調整を目的とする治療法ですから、気血が渋滞したような症状に対する効果は期待が薄いと言えます。「ねじれ」とは広く解釈すれば経絡変動と同義でしょうが気血が渋滞することとは明らかに違います。血を意識する必要のある現代で気血や経絡の渋滞は必ずあり、伝統鍼灸術の体系では単独の経穴に着眼すること自体があり得ないことなのです。つまり長野式はスタンドアロン（単独での使用）が前提だと思われますし局部の解剖学的変化には有効ではないでしょうか。
【ムノ治療から切り離した理由】ムノ治療から分離した理由としては、ムノは正経の流注を考慮して行うからです。帯脈そのものの流注を考慮して行う方法とは考え方を別にしておいた方が便利であり、西洋医学の病名に対応するためにも有効となるからです。
・西洋医学の病名と簡単に一致させる観察法があります。最初に着目すべきは自発痛の有無で、動作痛のみのものは運動器のみに由来すると考えてよいでしょうが逆に自発痛のみで動作に関係しないものは内臓器疾患の可能性が高いので要注意と思われます。西洋医学的分類では物理的変化を目安とし腰部のみに限局した痛みはいわゆる「ギックリ腰」で筋肉のみの疾患ですが、放散痛を伴うものは骨に起因するケースが大半です。
次に脊椎のずれる方向によって呼び名が異なります。この考えは解剖学を無視したような判断法ですから助手に「どうして」と食い下がられたことがあるのですが、診断が即決する上に正確なのですから鍼灸臨床には問題はないと認識しています。脊髄のずれが上下では「分離症」と言い、脊柱付近の痛みが顕著ですが痛みが時間によっては消失する場合もあるのが特徴です。前後では「ヘルニア」で、左右では「すべり症」となります。共に腰部よりも臀部や下肢の痛みを強調します。鑑別法はヘルニアでは坐骨神経の経路が痛みますが、すべり症では股関節や大腿外側に痛みを訴えます。是非追試をお願いいたします。
【伝統鍼灸術からの帯脈の応用】核心を解りやすくするためにもう一例症例を報告します。患者は還暦直前の女性で右膝関節が相当に変形し病院で何度も水を抜き続けているとのことです。自発痛が止まらなくなり長時間は臥位になれない。刺絡なども試みるが決定的ではなく患者が苦しみ始めてしまう。ここでもう一度痛む部位を確認すると後側から外側だというので前例を思い出してみると、帯脈の流注は腹部を一周する（古典によっては胸部も巡るとある）となっているが主治穴は臨泣だから胆経の付近を下降していることになり症状と一致している。そこで腰部を探るとやはり蝶骨陵の上下が緊張しているので手早く緩めると即座に痛みが消失しました。二例とも「すべり症」のようにも解釈できますが骨に原因がある場合は必ず痛みの消失する姿勢があるので西洋医学の病名には当てはまらないと判断するのが妥当でしょう。
もう一点、腰眼という経穴に注目したいと思います。腰眼は西洋医学的にも経絡からも重要な位置にありながら阿是穴になっています。しかし、帯脈流注上に位置することから帯脈の占有穴と仮定して追試をしてみることにしました。結果は膀胱経よりも腰眼を先に用いる方が置鍼・単鍼のいずれでも腰部全体が効果的に緩むようです。考え方を延長して帯脈の流注上そのものに刺鍼すればと追試したところ、腰部の効果的な緩みだけでなく下腹部や下肢にまで響くことが判明しました。このことから腰眼を占有穴だとする仮説には無理がありましたが、腰部に対する鍼数を大幅に減らすことができました。特にヘルニアの治療では今まで刺鍼による筋緊張で痛みを与えてしまいやすかった脊柱脊際に容易に施術ができます。
理論としては帯脈は縦に走る経絡と交差しているので渋滞がしやすいが、代わりに帯脈を調整することにより交差する経絡の流れを改善できるようです。また下肢外側の疼痛にも有効です。
・治療部位と支配部位との関係についてははっきりしていません。というより理論的にはムノ治療と分離をしているのですから支配部位という概念そのものが存在しないことになります。治療部位は蝶骨陵の上下で硬結部位であり左右両側ともに行うのが有効なようです。
・手技と患者の姿勢ですが、側臥位・腹臥位・座位の順で刺激量が一桁ずつ増加するようです。座位は患者が臥位になれない場合にのみ使用していますが刺鍼による疼痛を与えやすいので注意が必要です。手技は鍼管を用いて硬結を緩めるのですがあまり深く刺鍼すると流注を突き破ってしまうのか効果が出てくれません。それから補法の手技で抜鍼と同時に鍼口を閉じるのと閉じないのとでもかなりの差を生じます。
以上、本論に到達するまでばかりが長く長文になってしまいましたが諸先生方のご追試・ご検討がいただければ幸いです。
滋賀県彦根市高宮町日の出1406
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二木 清文