生まれてきてくれて、ありがとう第二章

− 妊娠から出産までの軌跡 自宅出産を経験して(その2)−

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自宅出産に至るまで

長女の出産後には様々な「子育てサークル」に参加していた副院長であり、五ヶ月の子供を連れて2005年11月03日に「いいお産の日」ということで彦根で開催された 「吉村医院 お産の家吉村先生 の講演を聴いて、疑問に感じていたお産への概念を大きく転換させるのでありました。
 四つ足動物はうつ伏せで出産するのだから江戸時代の出産を描いた絵などには全てうつ伏せであるとか、吉村医院では出産直前まで薪割り作業などで運動をするとか、もちろん緊急時には最新医療で対処はするものの陣痛促進剤などは使わない等々、初産で疑問に感じていたり「このようにして欲しかった」ということが全て述べられていたのですっかり陶酔の域まで達していた副院長なのでありました。
 、「そのような自然なお産を実現するには」と願っていたところ、たまたまメールマガジンで見つけたお産や子育てに関する集会があったので院長が参加を勧めてみたところ、自宅出産を経験された方から 「助産院 noriko」 さんの存在を教えられ、インターネットでも調べながら希望が高まってきたのでありました。
 ところが出産というものは夫婦だけではなく、周囲の協力が得られなければできるものではありません。特に長女の子守を頼まなければならないので祖父母からの意見を無視するわけにもいきません。恐る恐る「自宅出産を希望しているのだけれど」と打ち明けると、「できる限り協力するよ」とあっさり返事はしてもらえたものの、そこは昔の人ですから「自分たちのことだから任せる」とはいいながらも固定観念も強くて息子である院長には何度か強いプレッシャーを掛けられたりもしました。
臍の尾を切断しようとしている写真
 ところが少子化対策が叫ばれながらも産科医は減少を続け、なんと彦根市立病院でさえ分娩業務が休止してしまうことになったのです。幸か不幸かこれで祖父母からのプレッシャーはなくなったのですけど、 「安心なお産を願う会」 の署名活動に副院長も協力していましたけど今後が憂慮されます。 「安心なお産を願う会」がピックアップしている関連ニュースはこのリンク
 いよいよ出産が近づいてきました。当初は住んでいるマンションが準備を含めると適当と思っていたのですけど、よく考えるといずれ実家へ帰ってくるのですから大きくなった時に「お前はあそこの部屋で産まれたんだよ」と指さした先に他人が住んでいたなら、変な気分になりますよね。そこで思いついたのが治療室の二階。そして、無事に長男は誕生したのでありました。左の写真は、臍の尾を父親である院長が切断しようとしている時の写真です。


固定観念は捨てること

 「今回は自宅出産をしました」と話をすると、「へぇー勇気あることをしたねぇ」という反応が大半です。この反応は一体何でしょう?
きっと「お産は病院でするもの」「お医者さんがいなければ危ない」という固定観念を持っておられるからでしょう。けれど病院でのお産が一般化したのはそれほど遠い昔ではありません、つい最近まで自宅での出産がほとんどだったはずなのに・・・。これは大声を出して必死に力んでいる姿がテレビに映し出されて「その姿がお産だ」と思い込んでいるひとが大半という現象に等しく、もしくは「鍼灸は大きな鍼を深く差し込むもの」と映像で見栄えするように演出されているのを真に受けているのと同じであり、テレビに踊らされているだけという真実を知って欲しいものです。
 ちょっと話が反れますが、テレビは画面上での見栄えをよくするがための演出ばかりで、ニュース映像以外は何もそのままでは信じてはいけません。新聞やラジオなどを含めたマスコミ全体としては報道をする姿勢を評価するものの、テレビはバラエティーに偏りすぎて「目で見えたからそれは真実」と思わない方がいいです。 ブラインドサッカー での取材を受けた時に、「報道する側の都合のいいセリフだけを切り出して編集してしまわれるものなんだ」と苦汁をなめた経験から、一度頭の中で「真実はどこまでか」を考える癖が付いてしまいました。
 お産は本来力むものではなく、力を抜かないと胎児はストレスで出てこられないものらしいです。こんなにストレスがなく大きな感動が得られた自宅出産ですから、三人目が授かった時には自宅出産しか私たちは考えられません。もちろん助産師さんの大きな力があってのことではありますけど。
うつ伏せで沐浴をしている写真     沐浴が気持ちよく唇をとんがらせている信成

 「知らぬが仏」というのか、マスコミに踊らされている実例を書きましょう。新生児を沐浴させるためのベビーバスというのがいつ頃に登場したのか定かではありませんけど、それほど昔ではないはずです。でも、今は「ベビーバスを使わないの?」といわれてしまいます。
 ところが上の写真のように衣装ケースとか小さな容器で新生児は充分であり、その方がお湯も早く入りますし高い位置にも乗せられるので中腰も不必要で、ベビーバスの方がよほど不便です。実は沐浴でもうつ伏せにさせることを長女の時には知らなかったのですけど、これもベビーバスではやりにくいですね。気持ちよくて、口をとんがらせている信成であります。
長女が長男をだっこ     親子三人で寝ている写真

 紀子様で有名になってしまった前置胎盤という状況はお産の途中で胎盤が剥がれてしまうので大出血の原因となり、お産で母親が命を落としてきた原因の大半を占めてきました。この点で帝王切開という技術はまさに「神の手」であり、法律的にも母子手帳の交付から出生届を出すための書類を作成するなど西洋医学の関わりなしにお産はできません。
 ここで書きたいのはお産と高度な西洋医学の問題ではありません。妊娠期間中を胎児と母胎のために努力すればほとんどが正常分娩にできることと、その努力を惜しまないで欲しいということです。これは夫側にも言えることであり、お産とは素晴らしいものであり人生で最高の感動の瞬間なのです。体質や体調により正常分娩ができなかったり、偶発的な事象での妊娠異常では高度な西洋医学の力が是非とも必要ですが、ほとんどは正常分娩ができるのですからお産の素晴らしさを体験しましょうよ。
 ちなみに長男には臍の尾が首に二回転半巻き付いていたのですけど、生命の不思議により危険には陥らずに分娩されてきました。


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