腹診点の理論を考える

                  滋賀県  二木 清文

 

(司会)今日は二木先生に「証の腹診点方式」の理論体系についてお話して頂くことになりました。このような理論をまとめることは大変なことであり、私達も真摯な態度で受け取るという姿勢で始めたいと思います。今日、これをきっかけにして更に新しい考えが出てくるかもしれません。ですから質問もざっくばらんに受けていきたいと思います。

それでは二木先生、よろしくお願いします。

 

 平成12年4月に学術検討委員会創設されも常任委員の1人に加えて頂き、その年の夏季研での研修カリキュラム「証の腹診点方式」が組み込まれました当初から「強く押さえる」という事には反発があるだろうとは思っていましたし、その時の反省会で理論体系についてさらに詳しく知りたい旨の意見があった事から、この時間を設けていただくことになりました。

 たとえば私が好きなスポーツの世界では、ソウルオリンピックで意表をつくバサロスタートにより金メダルを得た鈴木選手やバタフライの潜水泳法など盲点をついての奇策が栄光をもたらし、その後ルール改正がなされても、なおそれを上回るべくありとあらゆる工夫がなされて世界新記録はとどまるところを知りません。これらを見ていると、技術の、そして人間の「限界」など、まだまだだと思えますし、可能性にもっともっと賭けてみたくなります。

 私達は鍼灸のプロなのですからテクニックは経験に比例して高められるものであり、到達限界点などあり得ないと信じます。新しい方式が生み出されるとき、それが一人やその周囲だけで完結してしまうなら、不都合がない限りそこで発展は中途半端に終わってしまうでしょう。しかし、それが一旦公開されれば、様々な疑問を投げかけられることによって、より分かり易いものへと改良されるだけではなく、開発チームだけでは予想もしなかったアイディア劇的な進化をもたらしてくれるものです。それは今回の証の腹診点方式も例外ではなく、皆さんの要望やアイディアによって、その春までのかなり複雑な運指から客観的な診察点の絞り込み・素早い運指へとグレードアップできたと思っています

 このように、細かな経過は略しますが、「証の腹診点方式は開発チームの手を巣立って活用をして頂く皆様の手により毎日大きく育てて頂いている訳です。理論をまとめて発表する機会を頂いた事そして更なる飛躍のチャンスを頂けた事を改めて感謝します

 

序論 「触る」という事 ── 導入は簡単な方が良い

鍼灸術は、たとえ脉診や腹診を中心としない流派において触覚によって重要な情報を得るものです。私は視覚障害者であり、点字を使用していましたから「触る」という事には馴染みがありました。だから初めて脉診を教わったときも、脉の変化はある程度分かったのです。しかし、特に晴眼者は机の上の勉強ばかりで、「触る」という事に馴染まないまま鍼灸師になってしまいます。このような「触る」ことに慣れていない人達といきなり脉診の実技を行っても、微妙な脉の変化など分かってもらえるはずがありません。

ここで初心者の指導に関してちょっと言っておきたいのですが、現在指導者として立っている先生の大多数は初めての実技からでも何らかの形でいきなり脉の変化が捉えられた人達ではないでしょうか。でも、ほとんどの人は分かっていないんですよね。これは私も犯していたミスなのですが初心者班で「変わったでしょ」と問うても、分かった」と答える人がひとりでもいると皆がそれに併せてしまい、本当は分かっていないのに「分かりましたと相槌を打っているケースが多いようなのです。だからこそ、導入部において、「触る」ということをもっと大事にしていく必要があるのではないかと考えます。

 たとえば、この証の腹診点方式のように「強く触るならば、たとえ鍼一本ごとの細かい変化は分からなくとも治療前と治療後の変化なら患者でさえ分かるのですから、まずほとんどの人が分かります。経絡が変動する事によって身体が大きく変化する事を目のあたりにも出来るでしょう。それが分かれば、初心者で不安だらけで参加した研修会でも楽しみが出来ます。やはり導入部分は簡単な方が良いと思うのです。またベテランにとっては、証決定に対する脉診のウェイトが軽減され脉状診に集中でき病理考察を円滑にする為のツールとして、証の腹診点方式をは位置付けています

 もう一言加えるなら、「丁寧に診察しよう」と心掛けるあまり、逆に分からないことがあるのです。全体に流すように大きく触ってから、「おや?ここはおかしいぞ」と感じる部分を徐々に絞り込めば誰でも問題点を突き止められるのです。治療とは生き物なのですからもっと生き生きとダイナミックに行われるべきものだと思います。

 

1.腹診の発想

 きっかけは漢方鍼医会創設の年池田政一先生継続講義の中で聞かせて頂いた『難経腹診』です。ちょうど難経七十五難型の肺虚肝実証の臨床追試を始めた頃で、何か効果的に判断をする方法がないかと模索をしていた時でした。それまでの軽く触る経絡腹診とは違って、腹部を強く押さえるという事から、より客観的なものが得られるのではないかと直感しました。

 事実すぐに七十五難型に対してはパターンが判明し、「漢方鍼医」の創刊号に証の腹診点方式の原型を発表してあります。この時点パターンとは単に腹部の大まかな抵抗感に過ませんでしたが、その後全ての証について2年半にわたって調べ上げ、徐々に「腹診点」という診察点も絞り込みながら、組合せを決定しました。

 ここで私が考えている「証の腹診点方式の特徴をあげると

1.       最大の特徴は六十九難・七十五難治療法則をまたがって診断できること

特に七十五難型の陰実証を臨床で判別するには、左関上にを見つけるのもちろんですが、「結ぼれるが如く」という脉状を見分けなくてはなりません。この表現には色々経緯はあったものの、今は、上から下まで切れない脉と表現してよいのではないかと思っています。実脉とは言っても、決して強く打つばかりではなくむしろひ弱で打ちのめされた被害者のようなおとなしそうで陰の黒幕である、そんな脉であることもしばしばです。これを臨床に生かすためには、の強さを比較して虚実を判断しようとする観念が捨てられるまでは(あるいは言い方は悪いのですが呪縛から開放されるまでは)、脉からの判断のみでは足りず、腹診は確認方法として不可欠です。「脉状診を主体に」と言いながら、比較脉診プラス程度で足踏みをしていた人達には、脉状を指で覚え込むツールとして役立つでしょう。

2.       変化がダイナミックで経験の浅い人達にも経絡の変動が実感できること

3.       診察範囲が広く、微妙な力加減不要なのですぐに習得でき、即座に臨床投入可能であること

一方、デメリットとしては、証決定を腹診のみに頼りがちとなり、慣れも手伝ってワンパターンに陥りやすい事が挙げられます。また、導入を間違うと「証が先にありき」で、逆に病理の重要性が分からなくなって原点に戻るのに苦労をするかも知れません(これは第4回夏季研の症例発表において発言した内容に関して、福島賢治先生から強く指摘をうけた点であり、漢方を冒涜する意図は決してないのですが戒めとして再録しておきます

 それでもしつこいようですが次の時代の経絡治療家を育てる為には、腹診点のみに頼った臨床家を何割か生んでしまう危険を犯してでも導入は簡単な方が良いと私は主張します。

 

2.腹診点は「腹診点」

 当初は難経腹診に倣い「癪」という名称を用いて診察部位とパターンを表現していましたが、の表現が仇となり証の腹診点方式が日の目を見るのにかえって時間がかかることになりました。

結論から書くと腹診点は「癪」「聚」のどちらとも違います。転落事故は脾虚肝実証で右脇下硬を呈するといいますが、これとも別物です。あくまでも診断の為の「腹診点」であります。

 「癪」であるならば治療をして脉症状改善し腹部瞬間は柔らかくなっても、またすぐに抵抗が元通りに復活するはずです「聚」であるならば証に関係なく経絡を例えば軽擦したり腹部をのの字に回すなどで変動させるだけでも即座に解消するはずです。腹診点はどちらの特徴も有しておりですからあくまで診察に用いる「腹診点」なのです。どなたか触覚のみで「癪」と「聚」を見分ける方法があれば教えて下さい

右脇下硬については、森本先生からしっかり研究するように言われていたのですが、早速いい患者さんが9月に来院したのです。2月の交通事故で、同乗した実の姉は事故死、本人も外傷は少なかったのですが酷い腰痛で入院、退院後も一向に痛みが取れないということでした。事故直後は脾虚肝実証に必ずなるというのは、私自身の経験もあり確かだと思うのですが、時間経過とともに証は伝変しますよね。この方のお腹をずっと触っていくと、やはり大きな事故でしたから、まだ右側に強い突っ張りが在りました。けれどもよく診ると、その硬いのは脾経上だけで、右腹診点は胆経上の臍の高さに取るのですが、そこまで行くと硬くない。左側はというと、脾経上はやや硬い程度ですが、その外側の胆経上には腹診点の反応がある。そこで難経七十五難型の肺虚肝実証でやってみると、左・上腹診点は見事に緩みましたが、脾経上の硬さはその時は残っていました。幸い経過は良好で昨日で治療終了となり、右脾経上の硬さもかなり緩みました(まあ大事故でしたし今でもやはり硬いですが)。

このように臨床で腹部の中央から手を滑らせて左右の腹診点を探るようにするとき、その手前の脾経上に抵抗の存在するケースは珍しくなく、「脇下硬」とはこの脾経上に現れる抵抗捉えるのが妥当と思われます。つまり、この脾経上の「脇下硬」と、胆経上で臍の高さに求める「腹診点」とは別ものだということです。脾経上の抵抗はこのような事故の後遺症によるものの他に、飲食による脾胃の負担から発生する経絡の硬さも相当に存在すると臨床から感じます。左の脾経上に抵抗を触れる事も珍しくありません。証の腹診点方式とは直接関係なくとも病理考察に大いに役立つと思います。

 胆経上の臍の高さに求める反応を左右の腹診点、剣状突起から鳩尾・巨闕付近の腹診点、臍から水分・付近の腹診点という上の反応と組み合わせて用いるのが、ここでいう「腹診点」であります。

 

3.腹診点の反応はどこから来る

 腹診点に関してもわかりやすいものとわかりにくいものとがあります。わかりにくいものには中・関元・天枢などに散鍼を行う事で容易に判断できるようになるケースがある事は早くからわかっていました。これは経絡を揺さぶるというのか詰まっていたのを流すというのか、いずれにしても当たり前ですが経絡と深く連動する事は認められました。しかし散鍼のみでははっきりしないケースもあります

 そこでもっと経絡を揺さぶればどうなるかということで、比較実験として証に関係なく各経絡の原穴に補法をした後に、中・関元・天枢に散鍼を行ったらどうなるかと思ったのです。すると大抵は腹診点は硬くなってしまうのに、脾経の太白を補ったときのみが、左右に関わらず、証が脾虚証でないときにも、腹部が柔らかくしかも診断しやすくなりました。

 このことから、腹診点は脾胃の作用によって形成されるのではないか推察出来ました。ここまでは割と容易に理論解明に近づいたと思ったのですが、腹診点の組合せだけで治療法則をまたがってしまえることが逆に問題で、パターンがどうやって形成されるのか頭を痛めました。

 

4.腹診点の理論

 腹診点が生成されるのは胃の気の働きであり、循環している気が何らかの病理でその臓の気にうまく変換されず不足している状態、あるいは不足した結果が腹診点として触知されると考えればどうなるだろうかとひらめきました。これ池田政一先生の「難経ハンドブック」を何度目か読み返していた1999年12月15日の朝の事で、十五難の解説の終盤に手が触れた瞬間の直感でしたから忘れる事が出来ません。そこには、臓の働きと臓気の働きは拮抗する、という解説があったのです。ここから理論を組み立てると左腹診点・肺右腹診点・心上腹診点・脾中腹診点・腎下腹診点・それぞれ相互の位置関係に整合性が取れるようになり、やはり腹診点と難経腹診と関係があったのだと嬉しくてたまりませんでした。

自分の頭の中での仮説の検証は直ちに成功したものの、あまりの嬉しさにその後は単純な計算ミスばかり繰り返しての苦笑の連続で、まるでニューサイエンスの重要な基礎である理論物理学の「不確定原理」を発見した時のハイゼンベルクの心境でした。

 先に書いておきますが、負け惜しみではなくこの理論は屁理屈の閾を出ていないかも知れません。あくまでも、事実のバックグラウンドにはこういう事もあり得る、病理の裏にはこのようなことも考えられる、ということなのです。しかし、理論に矛盾がなくその通り客観的に認められさらに理論から予想された次の段階が実証されたなら、それはその時点では正しい理論であ、ノーベル賞でも在ったように後から間違いだと判明したとしても、その理論は後世に必ず寄与するものだと思います

 

さて、臓の働きと臓気の働きは概ね拮抗的であるということから、以下のように個別の説明が成り立ちます。

 *肝虚(左腹診点のみ)は、肝気には収斂作用があるので肝気が足りないと新しい血を集める事が出来ないと考えられます。

 *脾虚(右腹診点のみ)は、肺気の宣発作用が足りないので、全身に胃の気が巡らせられない為だと考えられます。

 *腎虚(左右腹診点)は、肝気の収斂と肺気の宣発との作用が阻害されると津液も動けなくなってしまうと考えられます。

 *肺虚(上腹診点)は、心気が不足すると衛気が動きにくく営気の血を流す力が弱く心に負担が掛かると考えられます。また、脾気がつられて心気と同時に不足する事も考えられます(上と右腹診点)。ここで二つ論を挙げましたが、考え方としては前者、でも実際は後者だと思います。

    肺虚肝実(上と左腹診点)は、心気が不足すると衛気が動きにくく営気の血を流す力が弱く、収斂れずに肝に戻れなくてお血となってしまう。あるいはお血が先にあって肝気の収斂が妨げられ、心に負担をかけて心気が弱ってしまうと考えられます。バランスの問題で肝にお血が貯えられてしまうケースと、体質的に貯えられたお血が腎気の潤す作用を低下させ浮腫となり、下腹診点(腎癪の部位)に反応が現れて来る事も説明出来ます。この時の下腹診点はラグビーボール状にぽこっと脹れているものですが、治療がうまくいくとしまって色も良くなります(どうしようもなく太ったおばちゃんはなかなかへこみませんが)。

 

 ここで放っておけなくなるのが中腹診点の意味です。これは素直に、脾胃の作用が低下あるいは阻害を受けていると考えられます。正直な話、肝虚や腎虚の時中腹診点の堅さが違う事はわかっていましたし、脾虚肝実は右・中腹診点と一度は発表したものの脾を補ってしまうと中腹診点の反応が消失し結果的には脾虚陰虚証であった事も少なくありませんでしたが、以下の理論を立ててから検証を試みてみると、スムーズに再現されたのでありました。(このように事実と理論は両足のようなもので事実から理論を・理論から事実をと交互に発展させられる事が次世代への技術として絶対条件だと思います。

·         肝虚で中腹診点が硬いのは、血の生産が低下しているのですから肝虚陽虚証

·         肝虚で中腹診点が柔かいのは、気血は生産されているが津液を過剰消費しているので肝虚陰虚証

·         腎虚で中腹診点が硬いのは、気血の生産が低下していると津液が不足すると考えられ腎虚陰虚証

·         腎虚で中腹診点が柔かいのは、気血は生産されているが収斂も宣発も低下して水分がたまってしまったものが腎虚陽虚証

·         脾虚で中腹診点が硬いのは、脾胃の作用が阻害されているという事は外邪によ木剋土の関係から起こりうるので、脾虚肝実に間違いはなのですが、腎の津液が不足しているので供給を急ぐ為に負担がかかっているという意味で脾虚陰虚証も考えられます(この場合脾を補うと中腹診点は消滅する)

この脾虚陰虚証について。時々福島賢治先生が「陽虚には4段階ある」という説に言及しておられますが、同じく脾虚陰虚証といってもいろいろ程度に差があるのではないか。第六回夏期研愛知大会の折、あるアトピーの女性が下痢と便秘を繰り返し、特に下痢の時腹痛で苦しい。アトピーの代表的病理は腎虚ですが、この時は他の条件からも脾虚が妥当だろうということで脾を補いました。そして次にどうするかという時に、心包も肝実もあてはまらず、結局委陽でとても良くなった。これはもともと腎の津液が不足しているために津液を生成する脾に負担がかかったということで、腎を気にしながら治療する脾の陰虚証と捉えればどうか、委陽により腎も補えているのだな、と勝手に納得した訳です。脾を補うと中腹診点が消失するタイプの脾虚陰虚証というのはこれです。けれども、たとえば陰陵泉・曲沢と補う脾虚陰虚証もあるわけで、この場合は脾自身の津液も少なくなっていてまず自らを補う必要がある、より程度の重い脾虚陰虚証ではないかということです。(この脾虚陰虚証の段階分けについては今追試中です。)

以上のように、中腹診点も病理把握に相当理論上は使えるのですが、実際には腹診点の診断基準が「ある」「ない」の二者択一であり、微妙な堅さも触知するには技術が必要なので、やはり用い方としては上腹診点との比較部位とすべきでしょう。まず証を決定した上で、病理の考察に困ったときに、中腹診点の堅さを診て頂ければ良いのではないかと思います

  それでは、中腹診点のみが現れているケースは存在しないのかと言えば、脾胃の働きが強烈に阻害されているのですから通常はあり得ません。ただ、経験では末期の大腸癌患者に見られたように思います。本当に末期で衰弱しきっていましたから理論的にも正しく、治療はお血タイプの脾虚肝実証しか適合しませんでした。しかし、繰り返しになりますが治療基準の範囲では存在しないはずです。

 (補足)臓の気が生成されない理由

 繰り返しますが、負け惜しみではな病態それぞれで理由が異なりますし、腹診点の理論は「バックグラウンドではこんな事も起こっているよ」と言う事なのですが、それでも理論考察を試みると・・・

 内因の場合は、例えば怒りは強烈な発散作用となりますからバランスが崩れて収斂に働く肝気が生成されないなどと考えられます

 外因の場合は、外邪によって臓腑の働きが阻害され臓の気も少なくなったと考えられます。例えば何らかの原因でC血が出来てしまい、その為に肝が弱って収斂に働く肝気も少なくなり、心にも負担がかかって肺虚肝実証となるということが考えられます。

 

終論 やはり、簡単な方が良い

 結論としては、新しく経絡治療家を育てる導入部として、また病理をつきつめる入り口として、証の腹診点方式を便利に使えれば良いと思います。初心者でもとりあえず証が決められたらかなりの効果を出せますし、ベテランになって病理を読む事ができるようになれば深いところまで一気にアプローチできるようになります。臨床で激痛を訴える患者にもその場で効果を出すことができます。治療家にとって鍼灸治療ほど優れた医学はありません。六部定位の脉位配当にしても未だに結論がないのと同じで、この「証の腹診点方式」も、まだまだ未完成で進化する東洋医学の一環と捉えていただければ幸いです。

 

質疑応答

 

Q.(小林)妊娠5ヶ月の患者なんですが、どこもかしこも反応がある感じで証の腹診点方式が難しくなっているのですが、二木先生は妊娠している患者さんの腹診はどのようにしていますか。

A.証は四診法で立てるものですから、腹診が使えない場合はとばして、全体の総合判断で決めています。妊婦さんの他にも、手術痕の大きい方や酷い火傷の方にはこの方式は使えません。脉診における反関の脉のようなものです。

Q.(新井)私らは今まで「腹は押すな」と言われて育ってきて、今初めて押さえるということをしているので、みんな抵抗があるのかな。また、腹部を強く押されるのを嫌がる患者さんも確かにおられると思うのですが、そういう時に圧がこれくらいでもわかる、という基準はありますか。

A.腹診点の診方は基本的には「ある・ない」の二者択一ですから、自分が診察できる圧ということになります。ただある程度は押さえてくださいということです。ただし下肢を屈曲して深いところを診る内臓腹診とは違います。宮脇和登先生の奇経腹診もかなり圧痛を診ていますし、それこそ「押してはいけない」という呪縛から抜け出せれば良いのではないかと思うんですが。

Q.(新井)お腹が張っている人は少し押しても痛がるし、軟らかくてすっと手が入る人もいます。あるかないか判断できればよいわけですね。

Q.(森本)まず言っておきますけど、別に二木先生の肩を持つつもりは無いですが、良いものは良い、臨床に役に立つものは導入すれば良いというのが私のスタンスです。そこでまずお訊きしたいのですが、急性症に関しては腹診は意味が無いという話がありますが、腹診点に関してはどうですか。

A.急性症、たとえば風邪をひいている患者さんでも、うちの治療室では腹診点によって証を導くことができています。これは脾胃の働きによって形成されるものと考えていますので、病理に従って腹診点も変化しますから、急性症にも対応できると思います。

Q.(森本)二木先生は腹診点以外の腹診は使っていらっしゃらないのですか。

A.腹診点のみではありません。主な病理変化が皮毛の部分か血脈以降の深い部分なのかを診るのに、腹診は非常に便利だと思います。まず軽く触って皮毛の部分、それからちょっと押さえて血脈の部分を、くるくると「の」の字に回しながら診ています。かつて教えてもらっていた経絡腹診については、よくわかりませんでした。

Q.(森本)腹診点のお話をよく聞いておりますと、胃の気の在り様、気と邪との攻めぎ合いのようなものを診ておられるのかという感じがしたんですが、そのあたりどういう風に解釈しておられますか。

A.多分そうだろうと思います。邪も腹診である程度診ることができると思うのですが。誰か研究して私を刺激してください。

Q.(森本)右脇下硬の話で、たとえば転落事故でCがたまったという考え方がありますね。それから飲食でも右脇下硬を現すことは多いと思うのですが、これをイコール肝実と捉えておられるのか、それとも陰虚証として捉えておられるのか、その辺をお訊きしたいんですが。

A.転落事故の直後に脾虚肝実を表すこと、右脇下硬を呈することは事実そうだと思いますが、証は伝変するものですし、その後証が変わっても右脇下硬が残ることもある、という説明をしたんです。また確かに飲食によって脾経上が硬い事もよくあると思います。ですから私は必ずしも右脇下硬=肝実とは限定されないと思っています。

Q.(高橋清吾)お腹を触ったときの冷たい・温かいという部分はどのように診られますでしょうか。

A.証の腹診点方式からいうと、直接関係は無いことになります。ただ、臨床的には冷たければ陽虚ではないか、上は冷たいけど下はほんのり温かいのならCだから陰実の可能性が高いのではないか、そういう目安として、プラスアルファの診方はできると思います。

Q.(森本)下腹診点を直接診断に用いてはおられないようですが、特に中年以降のご婦人のお腹の下腹診点には証決定において重要な意味がある、左右の腹診点を触るまでもないのではないかというのが私の考え方なんですが。

A.今のパターンでは、証決定には使わなくても用が足りているということです。ただ、予後判定にはある程度使えるのではないかと思っています。下腹診点が締まってこなければ回復は遅いし、しっかりしてくれば治療が軌道に乗ったということになります。もちろん脉ともあわせていますけど。

(司会)森本先生は下腹診点をかなり重要に診られますか?

A.(森本)重要だと思います。特に、先程も言いましたけど、ちょっと太った女の人のお腹が硬くて出っ張っているとか、逆に冷たくて落込んでいるとかは、七十五難型にも腎虚証にも大いに意味があると思います。

  それからちょっと違うかもしれませんが、お腹を軟らかくさえすれば良いかというと、これが駄目な事もある、かえって胸が詰まってしまったということも結構あるんですよね。単に軟らかいだけではなく、力ある軟らかさが大事かなと私は思っております。これは脉にもいえることで、しっかりした軟らかさというか、胃の気が充実したものには必ず枠がある。その枠が無くなった軟らかさというのは逆に虚して、つぶしたという治療になるのではないか、そういうことをいつも心がけております。

(二木)せっかくですから逆にこういう場面でないと質問しにくいので、加賀谷先生にお願いします。私は胃の気のある脉を「みずみずしい茄子を触っているような脉」と表現したことがありますが、いかがでしょうか。みずみずしい茄子とは、十分な太さがあって皮もピンと張っているのに硬くなく、押してみると弾力があるという意味で用いたのですが。

 (加賀谷)茄子という表現が的確かどうかは別として、内容はその通りと思います。森本先生も言われたように単に柔らかいだけでなくしっかりとした、だから私は「のびきったうどんではダメだ」と言います。こしがあって中身までしっかりしていて、それでいて乾麺の生ゆでだったり似すぎてベチャベチャになっていてはいけないと言うことで、同じ意味だと思います。

Q.(加賀屋)続いてですが、八木先生は『難経』に基づいて、「按じて牢」という診方をされているようですが、それと腹診点との比較はされていますか。

A.どこかで接点はあるのでしょうが、そこまではまだ行っていません。

(司会)森本先生は『難経』の「按じて牢」という腹診をされているのでしょうか?

(森本)「按じて牢」というと相当お腹の底まで押さえるというイメージがあるのですが、私の場合は脉や病症からある程度予測を立てながら軽く押していきます。軽く押しても緊張しているものは緊張している、弱っているものは奥まで押さなくても弱っていると思うんですよね。結局わかる程度に押えるのが「按じて牢」かな、という解釈をしております。

Q.(斉藤)夏期研の反省会で「理論の裏付けを」と出したのは私なのですが、あのとき講師をしていて「この腹診はどこから出てきたのか」という声がかなりあったんですね。私自身、強く押すことに抵抗があったんです。その後、二木先生に腹診を受けながら話をしている中に、この方式を優先してはいるが他のやり方もやっているのだと聞いて、なるほどそれなら良いと思いました。脉診に菽法もあれば五蔵の正脉も、少陰や衝陽の脉もあるように、腹診にもいろいろな方法があって良いと思うんです。八木先生の臍の回りの診方は経絡全体に使えるとか、池田先生の言われる下腹部が凹んだものも使える、東洋はり医学会的な診方でも肺虚証は使えるなあとか、そういうものを全体に使って、一番大切なのは二木先生も言っておられたとおり、臍の上に掌を置いて胃の気を診ること、これを重視しています。だから私の場合はケースバイケースで全体の腹診をしています。

A.今の斉藤先生の言葉、ありがとうございます。うちに見学に来る学生たちにも、瞬時に目的の圧で目的のものに触ることができるのが良い治療家の条件なんだよ、ということをよく言っています。深いところに反応があると思えばぐっと突っ込むし、浅いところならやっぱり浅く、ということです。だから色々な腹診の中で、この「証の腹診点方式」も取り入れていただければありがたいなと思います。

(司会)この二木先生の「証の腹診点方式」は、まだまだ発展途上というか、これから更に新しい診方が出てくるものだと思います。皆さんでこのような話し合いを今後何度ももって、この漢方鍼医会の腹診法を確立できそうに思えます。これからも皆さんで努力していきましょう。

 




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