2000年 漢方鍼医会 夏期研 シンポジウム

       病理と脉証について

                 滋賀県  二木 清文

 

1.はじめに

今回シンポジストに指名された時、忘年会の浮かれにまぎれて安請け合いはしたものの、漢方はり治療の中核である「病理」と「脉」を同時に議論するとの事で、その焦点をどこに絞れば良いのか大変に迷いました。「病理」も「脉証」も証を求めるプロセスの段階に絞れば、私でも何か見えてくるのではないかと取り組んでみました。

 

2.証について

証には「病理の証」「脉症の証」「病症の証」があり、このうち病症の証はいわゆる標治法の時に補瀉手法を使い分ける為の局所の虚実を刺しますから、全身の証には直接影響しない事になります。直接影響しないと言っても、病理の改善には大切なカテゴリーですから全体を無視して触覚のままに施しても差し支えがないと言っているのではありません。当然ながら目的意識をしっかりさせ施すべきです。

「病理の証」と「脉証の証」は全身の証の事ですから、必ず一致しているはずだと考えます。」考えます」と表現したのは、臨床現場ではすんなり一致するケースの方が遥かに少ないからです。原因の大半は脉診力不足の為に五蔵関係が読み切れない為か、病理考察が未熟な為に手持ちの知識だけで処理しようと都合の良い解釈に走ってしまう為だと思います。

繰り返しになるとは思うのですが、ここで四大病型と脉を整理しておきます。「虚」とは不足を意味しますが「実」とは陽気の充満・停滞と定義します。すると

*陽実証は陽の部位で陽気が充満・停滞した状態ですから激しい熱症状が特徴で、脉も浮で力あり。

*陽虚証は陽気が不足した状態ですから、冷え症状が特徴で、脉は沈で力なし。

*陰虚証は陰気が不足した状態ですから、虚熱症状が特徴で、脉は浮で力なし。

*陰実証は陰の部位で陰気が虚した時に陽気が走ってきて充満・停滞した状態ですから、内熱状態が特徴ながら急性タイプ・慢性タイプ・お血タイプと時間経過と共に変化をします。脉は浮で力あり・浮で力なし・沈で力ありやケースバイケースで様々に変化します。脉状では肝実の部位がを帯びているのが特徴です。変化をするので最もとらえにくい証ですが肝実は放置しておくと必ずお血に変化するものの、お血はイコール肝実ではない事から急性タイプの場合には陽実証と類似しているのでどの程度まで熱が進入しているのかを考慮するのがポイントで、慢性タイプでは陰虚証と類似をしているので相剋する肺・脾の働きに注意すべきと考えます。お血タイプに対しては陽虚証と類似をするので関連する働きをどの程度阻害しているのかがポイントかと考えています。

 

3.臨床現場で

例えばゆっくり進行したギックリ腰があったとします。もともと体質は脾虚で、脾の作用が低下した為に津液の生産が不足していた所へ労倦が重なって肺気のめぐりが悪くなり、逆気から腰痛が進行したとしたなら、治療は現時点では腎虚証で脉診上盛り上がりが気になっている脾胃も腎経に鍼を入れる事で、直接手を下さなくとも改善されているはずです。治療が順調に進んでギックリ腰が治癒し健康を回復したならこの患者は脾虚に証が変わると予想されます。私の臨床では鍼を行って初めて病理の概略が理解できる事もしばしばです。

 

4.絞り込み方を変えてみる

脉を細かく観察すればするほど、いくらでも「ケチ」はつけられるものです。例えば前述の症例にあった脾胃の盛り上がりもそうですし、菽法の位置だけ取り上げても完璧なものが存在するでしょうか。この「気になる脉」に執着して病理と一致させようとするなら、哲学の道に入ってしまうでしょう。そこで自分で言うのも変ですが、逆転の発想で、ここは許せるものを見いだして回答に近づけないかと考えました。

話が脉差診の段階に戻ってしまうみたいですが、七十五難を除けば脉型で言えば平脉の親経が証の名称となっています。そこで、菽法脉診で最も近い(許せる)部位を見いだして親経にあたる部分に注目すると言うのはどうでしょうか。この方法なら気になる脉とは別項目として脉診からの証を考察出来ないでしょうか?また私はかつて「陰陽バランスの最も崩れた部分が証である」との発表をしていますが、バランスの中心を見いだす為にも「ここは許せる脉」を見つける訓練も大切かと考えます。病理考察においても前述の四大病型の分類から入るのが基本ですが、「どれに該当するのか」といきなり取りかかるとなかなかたどり着けないので、明らかに違うものから消去を優先すればと考えました。この方法には必ず陰実証が絡んでしまうという弱点がありますが、我々の現状であり研究課題と言う事で追試中であります。

 

5.陽経の脉診は出来ないのか

これも以前からの課題ではあるのですが、菽法脉診の規定を文字どおりに受けとめると、肺は三菽ですから以前のように「軽按で陽経を脉診する」と言う文言が通用しなくなってしまいました。それでは陽経はどこで診察すれば良いのでしょうか?これは臨床の中から感じとった事なのですが、かつて「診断は陰陽・治療は五行」と井上恵理先生が言われていたように、五行を中心に考えれば陽経の脉診も可能ではないかと臨床中です。

つまり、六部定位脉診で診ているのは菽法だけではないのです。様々な脉状を同時に観察しているのですから、そして、その中心は五行なのです。結論から書くと、やはり「陰主陽従」であり、臓腑のうちでも臓の影響が80%腑が20%程度だと臨床からは感じます。すると最初に脉診した時はほとんどが臓の状態を現しているものの、陰経の処置が終われば(ここで完璧に処置が出来るのかと言う問題が残るのですが、それは個人のレベルにおいて脉診もなされる事ですからさほどの問題ではないと感じます)、残りの軽按は陽経だと言えるでしょう。

もう一度繰り返しますが、私は「難経の研究」のディスカッションで確かに「陽経の運用は病理に基づかないと出来ない」とは発言しましたが、脉診が出来ないと言ったのではありません。今や誤治を防ぐ脉診法も実用化のレベルにありますから脉診のみでも十分に対応はできるものの、陰経以上に陽経の選経・選穴は病理から割り出さなければ選択肢が多すぎて触覚のみでは治療にならないと主張したいのです。

 

6.邪気はどうする

ここまできたら「病理」と「脉」について、鬱積しているものを総て吐き出しますが、病は精気の虚から始まると繰り返し主張されて来ましたが「邪気」についてどうなのでしょうか。

第三病因と言う事で、転落事故は脾虚肝実証と古典にあると池田先生は繰り返し言われていて、その腹証は右脇下項とされていますが「漢方鍼医」に報告したように、私が肋骨骨折をした直後には本当にその状態となっていました。この時の脉はまさに「胆が実している」と言う感じで、軽按と重按では脉の触れ方が離れているようにさえ感じられました。

さらにもう一つ。小児鍼は私のやり方では藤井式小児鍼を基本としていますから最初に四肢の陽経に軽快な刺激をしてから腹部・背部の刺激の後に陰経を五行穴を用いて補っています。しかし、陰経の補いがなくともかなりの難病でも効果が顕著ですから、関西では小児鍼はポピュラーなものになっています。小児は実態であるのが前提でそのとおりに小児鍼も効果が得られているのですが、それでは最初に脉診しているのは邪気を見ているのでしょうか?そうだと思います。だから陽経の刺激の後に初めて陰経の脉診が可能となり、補いも可能になっているのだと思います。

ダメ押しに井穴刺絡についてはあまり議論された事がありませんが、最近の私の臨床では脉全体に明らかながかかっていたなら探す事にしています(発熱した風邪で三焦経を用いるケースが多い)。これも邪気を診ているのではないでしょうか?

「陽経から鍼を入れても差し支えがない」とか「刺絡や標治法からかかれば脉診も補いもやりやすくなる」等と、歯止めがなくなるような主張をしたいのではありません。私は「明らかに邪に侵入されている場合には先に取り除かないと補いにくい」と言いたいのです。それは病理と脉診を分離して捉えていたのでは成立しないと言うところが最も言いたいのです。

 

7.終わりに

これからも学・術共に研鑽を積み、次の世代の鍼灸師達には最初からわかりやすく学べるシステムが提供できるように微力ながらも協力して行きたいと思います。




本部および『漢方鍼医』発表原稿の閲覧ページへ   資料の閲覧とダウンロードの説明ページへ   『にき鍼灸院』のトップページへ