誤治調整 −− よい脉悪い脉

 

滋賀漢方鍼医会  二木 清文

司会  関野 れいこ

 

 

  (司会) 二木先生から司会をするに当たって宿題として「自分の失敗を話せ」ということなので、少し話させて頂きます。

 私はまだ臨床経験もあまりなく技術も未熟なので自分の衛気・営気の手法も「効いているのかなぁ」という手探りの状態なのですけど、それでも誤ったことをすると「大変だなぁ」と思ったことがあります。

 私の娘は高校生なのですが、その治療をした時の話です。その時には「風邪っぽいから治療をして」ということで、寝る前に治療をすることになりました。それまでも月経前の腹痛や便秘などで治療をしたことがあったので、肝虚証で治療することが多いものですからその時にも早く終わらせようと脉診をして肝虚証と思ったので治療を始めました。それで肝経を補ってから腎経を補うあたりになって「寒気がしてきた」とガタガタ震えだしてきて、みるみるうちに手を握ってぶるぶる震えているのです。「これは間違えたな、やばいな」と初めてその時思いまして、それで焦ってはいたのですけど母親の強みで相手には全く分からないように「あっ寒くなってきたんだねぇ」などと言いながら、服をまくってお腹を出して小里方式の時にされているように中・関元・天枢などへ散鍼をしてもう一度脉診をきっちりやり直して肺虚に変えまして肺経を補っているあたりから震えは止まってきまして、背部の治療も風邪ですから撫でるような擦鍼をするような形で気を巡らせるような治療をして、「あぁ身体が暖かくなってきた」と娘が言ったのでほっとした経験があります。目の前でガタガタぶるぶる震え始めたので気を補い治しただけなのですけど、どちらにしてもビックリした記憶があります。

 自分の病症を無視した勝手な思いこみとか、未熟な脉診だけに頼ってはいけないとか色々な反省を多々しました。

 それで是非ご自分の臨床体験を考えながら話を聞いていただければと思います。

 

 

  (二木)今、関野先生の話を聞いていて「凄いなぁそれだけ手技ができるんだ」と感心していました。その時の本人は「えらいことしてしまったなぁ」と思っていたのでしょうけど、この後にも少し出てきますけど誤治が出来るということ自体が凄い治療家なのですよ。

 関野先生の話を聞いていた時に、皆さんは心の中で「自分もそんなことが・・・」と思った人は、もう立派な治療家です。自信を持ってください。誤治のできるということそのものが、凄い治療なのです。毫鍼での刺激治療しかしていないのであれば、これは誤治のやりようがないですよね。せいぜい鍼が痛かったとか、鍼が折れそうになったとかその程度でしょう。実際にあるものでも、鍼をやりすぎてしんどくさせてしまったくらいでしょうが、でもそれは誤治といえるのでしょうかね。経絡治療・漢方はり治療の誤治のレベルとは全く違います。単に「昨日の治療はだるかったよ」といわれるくらいで、起きられないくらいだるかったなどではありませんからね。だから誤治ができるということ自体が、治療家になっているということで自信を持っていただければいいのです。

 それから今の話を聞いていて気付いたのですけど、技術がまだ未熟だとか脉診が未熟だとか、自分のことを下手だとか未熟だとか表現されている方がおられますね。このようなことは止めた方がいいというよりも、そのような考え方を捨てるというのか、考えを改めた方がいいです。うちの嫁さんは運転をしながら、「自動車の運転が下手だから」とよく言うのです。先日はあまりに連発するものですから怒ったんですよ。「下手だ下手だ」という人は、自分をそれで納得させているのです。「この下手な運転で自分は仕方がない、周囲に迷惑を掛けていても仕方がない、自分の運転はこんなものなんだ」と自分で自分を慰めているのです。そんな人が、運転がうまくなるはずがありません。鍼灸でももちろんそうです。嫁さんの運転の時には、鍼灸でその話をしたのです。自分のことを「未熟です」「下手です」「もっとうまくなってから臨床室でも取り組みたいと思います」という発言を聞きますけど、そういう人はうまくはならないでしょう。これは自分で「うまくなくてもいいんだ」とか「初心者だから分からなくてもいいんだ」と自分で慰めてしまっているのです。その時点で、自分で自分のことを納得させてしまっているのです。そのような人は上へは行けません。自分が一歩でも上へ行きたいと思うのであれば、「自分はうまい」「うまくなりたい」と思うことです。

 

 なかなか本論へ入ってこないですけど、せっかくこのような話が出てきたので・・・。昔、滋賀の例会でいきなり朝一番に喋ったことがあるのです。「皆さん自分のことがうまいと思っていますか?」と質問をしてみました。すると一番前に座っておられた還暦近くから盲学校に入学されて研修会へ通われていた方が、「とてもじゃないけどうまいとは言えないなぁ」とつぶやかれたのです。「あれっそうですか?私は自分で自分のことをうまいと思っていますよ」と切り返したならビックリされたのです。だってそうでしょう下手くそな人のところへ来て患者さんは喜ぶでしょうか?下手だ下手だと自分でいいながら治療する人のところへ、誰が受けに行くでしょうか。

 患者さんというのは免許取りたてであろうが、漢方はり治療入したてで臨床投入直後であろうがそれなりの技術を持っていると思って来院されてくるのです。その患者さんに対して自信を持って施術をしてあげるということ、これはとても大切なことなのです。

 それで私のことになりますが、学生時代から取り組んでいるので二十年以上経過しています。それで二十年前と今を比べれば、当然知識も増えていますし毫鍼は使わなくなって瑚Iのみでの治療となりましたし、助手がいますから助手が診察をする分だけ私が診察する時間を圧縮しなければなりませんから圧縮しても見抜ける力が身に付いてきたのでうまくなっているでしょう。それでは一年前と比べてはどうか?一年前とは考え方の変わった面があります。会の運営に携わらせてもらって、沢山分かったことがありますし教えて頂いたことがあります。だから一年前よりもうまくなっています。半年前と比べれば、どうでしょうか?夏期研へ取り組むために沢山議論をして実技にも取り組みましたから、そこでうまくなりました。夏以降と比べては、どうですか?夏期研を乗り越えることによって見えてきたものがあります。新しく次に取り組んでいるものがあります。来年の夏期研は滋賀ですから、皆さんが滋賀まで来ていただけるような準備をしなければなりません。そうすると、夏に比べてうまくなりました。

 ですから大きなスケールで観察すれば確実にうまくなっていますし、一ヶ月前よりも一週間前よりも昨日よりも少しずつうまくなっています。時々は迷走をして一週間前にはすんなり証決定できていたものが、出来なくなってしまったということも確かにあります。でも、それは次へのステップのためです。皆さんは確実に、一年前よりも三ヶ月前よりも一ヶ月前よりもうまくなっています。小さなスケールでは迷走することもあるでしょうけど、でも次のステップに進むためのうまくなるための材料だったのです。

 このことを踏まえて、これからの話を聞いて頂きたいと思います。

 

 これは私が考えることなのですけど、誤治には証の誤治、選穴での誤治、手法の不適合、ドーゼ過多があるのですけど、最も多いのはドーゼ過多でしょう。

私たちが施す鍼灸という術についての誤治は、これだけだと思います。

 それで臨床室ではこの他に、人間的な誤治があります。さっきの思いこみという話につながっていきます。

 

 それで具体例へ入る前にもう少し、誤治の経験は大切だということの話をします。

 成功例というのはよほどの難病を治癒させたのであれば覚えているのですけど、ぎっくり腰で来院された方や首の痛みで来院されたお腹の調子が悪いと来院された、先程の渡部先生の講義を引き継いで話せば逆子が治ったなどを、いちいち覚えているかといえば覚えていません。ところが、なかなか治らなかったがやっと治った逆子とか、あの時にこんな失敗をしたなどはかなりきめ細かく覚えているものなのです。

 だから誤治とは、自分に勉強をするチャンスを与えてもらったという捉え方が大切だと思います。

 それと何故助手に入った人たちは早く成功するかなのですけど、これは簡単なのです。沢山の症例を見ているからではなく、失敗をした時にどのように先生が対処されていたかを見ているから自分の時にも対応が分かるからなのです。それで自分のことを思い返してみれば、確かにそうだったのです。渡部先生も清市先生の膝元から入られましたが、何かあった時には清市先生に対処して頂いたと思うのですけどそのようなところから前進が始まるのです。これが実際の話です。

 北海道で今年行われた伝統鍼灸学会の会頭講演で話されていたのですけど、能力のある師匠を捜してその人に師事し自分の能力を高めなければならない。その能力の中には、人間ですから間違いは起こすのですからそれをどのようにして修正するのかも能力の一つなのです。

 ですから皆さんは出来る限り勉強をする時間を作って、能力のある先生のところへ嫌がられても通うということです。一日や二日くらいを通っていても、その先生もいつもと空気が違いますからテンションが上がって案外誤治は見られないものです。私も見学に来てもらうと一日くらいは嬉しいのです。三日目くらいになると疲れてしまい、逆に誤治を起こすものなのです。皆さんはそれを見学すべきなのです。

 

 それで時間がなくなっていきますから話を前へ進めますけど、先程から話している誤治というものが最大の自分の勉強になるということの経験が、あります。

 私は一応試験はあったのですが盲学校でしたから、エスカレーターで高校卒業から按摩もあったのですが鍼灸の専門課程に入学しました。滋賀盲のシステムとしては一年生は基礎であり、二年生になると按摩と刺激治療ですが教員の指示が必要でしたけど、「こことここへ打ちなさい」ということで外来臨床へ出ることができたのです。

 按摩専門仮定の人たちは二年生から毎日のように外来臨床へ出ておられたのですけど、これは中途失明のための職業教育でしたからね。今のように国家試験ほどではなく検定試験ですから重要でなかったわけではないのですけど、検定試験でしたからその前に学校へ入る方が大変でありある意味では資格取得に対しては国家試験ほど問を狭めていなかったので、そのようなことですから沢山実技をする時間があったのです。実はこのような時代に戻って欲しいですね。

 それで火曜・木曜・土曜の三時限目は必ず鍼実技になっていたので週に一度程度は外来へ降りていって按摩専科の人たちから引き継いで施術を行う、そのような外来のシステムでした。ですから按摩に関しては二年生の段階でかなり行っていましたし、あくまで「それなり」ですし学生が考えるレベルですけどかなりできていたのです。

 そして三年生になると、継続治療ということで学生それぞれに患者さんが割り振られるのです。その患者さんに対してはどのような方法でも構わないから方針を立てて治療をして行きなさいということだったのです。通常の学生というのか私のようにひねくれていない学生は、二年生の延長で按摩をして鍼をしてなのです。病院への就職を考えている人やそれなりの経験のある人は運動療法を取り入れたり、あるいはパルスを加えたりマイクロやホットパックなどなどの機材がありましたから取り入れていく人など様々でした。

 それでは経絡治療を行ってもよかったのかとということですが、やってもよかったのです。私の一学年先輩に滋賀漢方鍼医会の初代会長をして頂いた先生がおられたのですけど、中途失明ですから開業をしてなんとしても成功しなければならない、それに家族がいますから鍼灸専門で沢山の患者さんを手がけたいということから経絡治療に非常に関心を持たれたのです。この先生がおられたから私もこの道に入ってきたというのが大きいのですけど、誘われて経絡治療の勉強会へ出席させてもらいました。そうしたなら「すぐ臨床投入をしなさい」といわれたのです。

 またその夏には大阪の宮脇和登先生の治療室へ見学に行かせてもらえることが決定したので、少しくらいは自分でも実際の経験をしておかねばならないだろうということで二回勉強会に出た後の六月に、先程も話したように安い継続治療ですから患者さんも按摩をしてもらいたいだけであまり治す気がないのですけどひねくれていますからそれを何とかしてやろうと考えて経絡治療を実践してみたのです。その当時は東洋はり医学会の脉診ですから沈めて陰経・浮かせて陽経ということであり、「陽経で強い脉を診たなら思い切って瀉法をしてみろ」と研修会で教えられていたのです。

 その当時の証は肺肝相克というものが多く、肺経と脾経に反対側の肝経まで補ってその後に陽経も沢山触るという治療法が多かったのですけど、「訳が分からなければ肺肝相克でやればいいや」という節があったことも確かだったのですけど、そのように脉診できましたし肺経と脾経と肝経まで補ったら脉が整ったようにも脉診できました。そうしたなら胆経の部位がつんつん突き上がっているように脉診されたのです。ですから左の光明だったと思いますけど、覚え立ての瀉法を思い切って行ってみたのです。

 すると途端に胃けいれんが発生してきたのです。困りましたねぇ、凄い声を出して苦しまれるのです。これは瀉法をしたのが悪かったと思い、陰経を補い治して胆経も補うと少し治まるのです。少し治まるといっても10秒から15秒程度で、これを三回か四回繰り返したのですけどどうにもならないということで教員を呼んで脊柱から五分の華佗穴に深く刺鍼することで胃痙攣を抑えてもらったのです。このような経験が、自分には施術をしていたのですけど人へ施術を施した私の経絡治療第一号だったのです。

 この時ですけど、気の弱い人であれば「こんなことが起こるのであれば経絡治療なんてやめておこう」と思われるのでしょうけど、患者さんには非常に悪いのですけど私自身は嬉しくて嬉しくてたまらなかったのです。

 

 これほどの反応が起こるということはそれまでには考えられなかった田ものですから、「この治療法に絶対しがみついてやろう」とこの時に固く誓ったのです。これが鍼灸に今でも携わっていて、経絡治療の他には目が向かない原点なのです。

 ちょっと話が反れますが、皆さんは入門講座から臨床家養成講座へと四年間研修を受けてこられておそらくこの道からはもう外れられないだろうと思うのですけど、残念ながら五年とか六年あるいはもう少し勉強されていてもスピンアウトされてしまう方があります。何故かといえば、それは鍼灸というものを人生のパートナーとは考えておられないからだと思うのです。鍼灸というのは、人生のパートナーです。私でいえば嫁さん子供、女性なら旦那さんや子供からおじいちゃんおばあちゃん・お父さんお母さんと人生のパートナーは沢山いますけど、そのうちの一つが鍼灸なのです。それで「やっていてよかった」ということを沢山見いだすためには、この誤治という経験も怖がらずにたくさんすることではないかと思います。

 

 

 それで先程四つ掲げた誤治について、具体例を出しながら話していきたいと思います。

 証を間違えていた誤治ですけど、これは先程も関野先生が話されていましたが私も風邪で誤治をしたことがあります。これは自分への誤治なのです。助手時代の十一月だったと思うのですが、ものすごい咳が止まらないのです。とにかく咳が止まらないのです。水を飲めばしばらく止まるといっても一分程度ですし、自分で治療はしていました。肺肝相克や脾肝相克がパターンのかなりを締めていて、肺・脾と補ってから直接肝経を瀉すという肺虚肝実などというのもありました。それでも治療しても治療してもよくならないのです、師匠に治療してもらっても治らないのです。研修会で治療をしてもらった時には少しいいかと思ったのですけど、これも治りません。この私ガですよ、夕飯が食べられないというだけでなくお酒が飲めなくなってしまったのですよ。これでどれくらいひどかったのかがよく分かっていただけたでしょうけど、金曜日の夜に「明日の土曜日でダメだったなら来院される患者さんに迷惑が掛かるから一週間ほど実家に帰らせてもらって寝るしか仕方ないなぁ」と考えていたなら、お酒を飲まなかったためかどうか分かりませんけど口の中一杯につばがたまっていることに気付いたのです。

 聞いていた福島弘道先生の講義テープもちょうどその近辺だったと思うのですが、「あれっツバキがたまるなんてこんなことはなかったのに」と考えると、五行の色体表では涙・汗・涎・涕・唾であり、唾は腎の主りになります。ひょっとして思いこみばかりで治療を続けていたのではないかと急いで鍼を取り出し、経穴は昔のことですから忘れてしまったのですけど腎虚証で治療をしたならすぐ楽になって、明くる朝には咳が三分の一以下になっていたのです。師匠から理由を聞かれるので、実は唾の出ていることに気付いて腎虚証へ変更したのだと説明し、三日程度で完全に咳が治まってしまったのです。

 そのようなことで証を間違っている時には、最終的によくなりません。ただし、池田先生も先日の講演で「本治法をやったくらいで死にゃせん」と話されていましたけど、本治法は思い切ってやってください。具合が悪いことなのですけど、本治法の証が間違っていても標治法によって治ってしまっているというケースも実はあるのです。

 誤治の話ばかりを続けていると皆さんが怖いという印象のみもたれてしまうので交互に入れ替えながら進めていますけど、風邪の時の証の間違いがよく分かるみたいなのですが風邪の時以外は分からずに進めていることがあっても怖がらずに本治法はやってください。本治法のある方が絶対に回復します。「昨日の治療後から風邪気味になってしまったんです、養生が悪かったのでしょうか?」と聞かれたなら「鍼で風邪をひかせてしまった」とこっちは思っていても患者さんはそんなことを思っていません。それに「風邪気味の時に治療を受けたならよくなりました、鍼って風邪がよく治るんですね」といい方向にしか解釈してくれませんから、これは本当にいい治療法なのですよ。

 

 

 次は選穴の誤治です。

 これは私の母親の話なのですけど、開業して三年目くらいだったと思うのですけど中耳炎になったのです。治療をすると割といいのですが、腰痛なら話も分かるのですが最初の頃には三日か4日程度でそのうちに明くる日には症状が戻ってしまうのです。今うちの子供は七ヶ月なのですが体重が8.5kgもありますし、男の子ですから力も強いので七十歳を越えた母親が抱いたなら腰痛が発生して三回くらいは治療するのが当たり前ですけど、中耳炎が治療後はすかっとするというのですが三日もすれば元通りになってしまうのです。そのうちに当日はいいのだが明くる日になるともうダメとかで、耳鼻科にまで「行かなくてもいい」と止めているのに行かれてしまいました。

 耳鼻科では中耳炎は中耳炎だがそれほどひどくはないので大丈夫とのことであり、帰宅してから治療室で診察をしました。当時は東洋はり医学会ですからやはり肺肝相克でやっていたのですが、よほど病症がハッキリしていなければ当時は六十九難の法則ガチガチに運用をしていましたから定型的に太淵・太白と補っていたのです。いい加減な話と捉えればその通りなのですが、助手の経験がありますから誤治を発生させてしまった時の対処方法を知っていたので割と早くから治療室を忙しくさせてもらえていて、定型的な運用にはまっていたわけです。

 この時には当時教えられていた六十九難の運用法だけではいけないぞと思い、経穴を一つ一つ探って行くと、何と経渠の方が圧倒的に反応がよかったのです。脉診をしてもそうですし、肩上部を探ると太淵では全くというほど緩んでいなかったのですが経渠を触れたとたんに見事に緩んでしまうのです。これだと思って経渠に鍼をした瞬間、母親が「治った」と叫んだのです。スッキリしたという度合いが全く違ったとのことです。お湯が耳の中から溢れてくるような感覚があると訴えていたのですけど、それがなくなったことと耳がスポットいう感じで通りよく聞こえるようになったので「治った」と叫んだとのことでした。それで経渠と商丘を補って、いわゆる標治法はそれほど治ったのであるならまた崩れては困るのでごまかしたのですけど、これだけで中耳炎が回復してしまったのです。

 ということで、使うべき経絡を選経できていても選穴まで合っていなければ正しい治療にはならないということを、この時に知りました。だから選経・選穴という言葉があり、やはり基本は選経から選穴へと進むステップが大切だと思います。養成講座の方々はできていることなのですけど、「何故このような治療法でなければならないのか」あるいは緊急の場合には細かく考察せず治療を優先させたとしても「何故コの治療法でよかったのか」を、理由を考えることです。そして他人に聞かれたなら説明ができるということ、これが大切だと思います。

 ですから選経・選穴というステップを踏んでいれば、先程は知らない間に治してしまっているということも話しましたけど、それも半分くらいはそのようなケースのように聞こえたでしょうけど、臨床の中では二割くらいですよ。残念ながら二割程度は証が会っていないのに回復しているとは思われますけど・・・。

 

 次は手法の誤治になりますが、衛気・営気の手法の指導を受けられていて及第点をもらえているなら、それほどはあり得ないことです。本来衛気でやるべきものを営気でやったりその逆をしても、思ったほどの効果が出ないというだけで誤治の段階には至らないと思います。

 ただし、先月行った小児鍼の場合には手法の誤治が出ますので気を付けてください。。何をしてはいけないかですが、小里式瑚Iを用いてまず陽経をトントントンと叩いていく実技を先月しましたけど、これを陰経の部分へ絶対に行ってはいけません。

 これも助手時代の話なのですが、働いて半年くらいで「小児鍼は全てやりなさい」ということになったのですけど任せられた頃にかなり図に乗っていたのです。四歳の女の子と一歳の男の子が師匠の子供さんでいたのですけど、風邪をひいてきたので「これくらいならすぐに治してやろう」と小児鍼をしたのですが、向こうも師匠の子供さんですから慣れきっていて暴れるものですから押さえつけて陰経であっても「これくらいなら大丈夫」とやってしまったのです。すると「二木君、昨日帰ったならうちの子供はぐったりしていたぞ」とのことであり、おかしいなぐったりするなんてあり得ないはずと呆然としていたなら、「陰経に鍼をしていなかったか?横目で少し見ていたなら肺経に鍼が当たっているようだったぞ」とのことでした。

 そのようなことで、この場合には手法というよりも流注がしっかり捉えられていなかったと表現する方が正しいのかも知れませんけど、明くる日に治療室へ来られた時に今度は慎重に陰経へは鍼を当てないように行ったところ、その結果を聞くとお風呂へ飛び込んできたとのことですっかり元気を回復していました。

 それで衛気・営気の手法で及第点の方は、選経・選穴と確認をしているのに思ったほど回復しない時に標治法での手法選択が間違っていないかと考えてみてください。

 

 

 さて、皆さんが一番遭遇しているのはドーゼ過多だと思います。要するに、治療のやり過ぎのことですね。

 それで皆さんも経験されていることでしょうからいきなり具体例に入りますけど、開業当初は毫鍼を使っていたこともあって三年目くらいまでは貧血を頻発させてしまったのです。私の師匠は置鍼をされる方で、まずはその型から受け継ぎますよね。

 「流行りたければよく流行っているところの真似をしろ」と聞かれたでしょうが、例えばラーメン屋であれば流行っている店の横に開業するとか味のうまいと思うところを真似しろということですね。鍼灸でも同じことで流行っている先生の真似をすることであり、そのために皆さんは研修会に来てあの先生の技術この先生の技術を触ったり横目で見て盗んで帰っているわけですよね。横目で見られても触られても減りませんから、大いに盗んでください。そのようにして盗まれた先生には大いに刺激となりますし、またフィードバックという部分があるのですから喜んで大いに提供してくれるはずです。社会に寄与する盗人なのですから、大いに皆さんは盗んでください。

 それで置鍼をされていましたから同じように置鍼をしていたのですけど、実は師匠は置鍼の方が先で最後に本治法をされていたのです。でもセオリーとしては、やはり本治法をして標治法という流れになりますよね。これは師匠の師匠、つまり私からは大師匠がそのようにされていたとのことでその癖が抜けないからされていたとのことでしたが、ここを真似してしまうと脱却がしづらいだろうと開業の時から私はそこはひっくり返しました。

 すると、いきなり置鍼をしてもそれほどドーゼは上がらないのですが本治法をすると気血津液の巡りが非常によくなりますからドーゼ過多を発生させてしまったのです。本治法をするということは、いきなりトップギアに入れるということですよね。対して置鍼から始めるというのはローギアから発車させているようなものなのですけど、本治法はトップギアですからそこへどんな味付けをしてやろうかというのが標治法の位置づけとなります。ところがトップギアに入っているところへ高いトルクを掛けてやるのですからF1カーのようなもので、これではしょっちゅうハンドルの切り損ないが発生してしまいます。それでオーバーヒートもするということで、貧血を頻発させてしまったということなのです。それで貧血を頻発させてしまったことから、段々と置鍼を行わなくなったのです。

 正直な話をしますけど、池田先生は置鍼をすると話されています。でも「タオルケットを外すと全て外れてしまうような置鍼だ」ともいわれています。一部には有効なものもあると思うのですけど、これは私の提案になりますが本治法を行ったなら30分くらいは標治法に移るまでうちでは間隔を置いているのです。

 何故かといえば経絡とは一日に五十回まわると難経に書かれてあるのです。時間に治すと29分、約30分ですね。気血津液の流れは速く特に気の流れは速いですから、脉もお腹も肩上部もすぐに変化はします。ところが血や津液は絡脈や孫絡を通じて深い部分まで浸透するには、そんな一瞬では浸透しないのです。高野豆腐を煮えているだしの中に入れればすぐ柔らかくなるのですが、でも味が染みこむまでには時間が掛かりますよね。大根であれば炊くだけではダメで、炊き終わってさましている間に味が染みこむのですよね。ですから本当に経絡の力を引き出すためには、本治法をして気血津液が経絡を一周して身体の隅々まで浸透させなければならないのではということを考えています。実際に本治法と標治法の間の時間が気持ちいいと患者さんはいわれますし、皆さんも本治法が効いてきたなら気持ちいいという経験を何度もされていると思いますし、寝ている人もよくいますよね。患者さんは本治法のことはよく分かっておられないのですけど、前半の治療が終わったならよく眠られますし「ここではどうしてすごく眠れるの?」ともよく聞かれます。「本治法をしたからだよ」と患者さんに説明しても分からないので、西洋医学的にはこのように思うと前置きをして「人間とは寝ている時に身体は回復しますよね、自律神経というものを中学で習われたと思うのですが起きている間は交感神経が活発で、寝ている時には副交感神経が活発になっていて鍼灸というものは身体を治すためのものですから副交感神経活発モードに鍼灸の力で入れているので、だから眠くなるのですよ」と説明しています。だから慣れている患者さんであれば、治療室が混んでいて早く済ませたなら「どうして早く起こすの?この時間が一番いいのに」と、喋ったりすることはうちの治療室ではどうでもいいことでかなりの患者さんは眠りに来られているみたいです。

 このような考え方を実践しているのですが、30分くらい間を空けると患者さんは気持ちいいですし、眠気を催しますし自分自身の自然治癒力が向上します。そうすれば今度は私たちの側ではやることが減って、例えば手も足も痛みを訴えられていたのに確認してみれば手の痛みが消失していたなら手には何も施術する必要がなくなるのです。やることが減ります・リスクが減ります・早く治ります、それから患者さんを眠らせている間に隣の患者さんの治療をすることができます。うちではベッドが五台あって一時間で回ってくるのですけど、0時に三人・30分時に二人と入ってもらうのですけど0時の患者さんたちはどうしてもらうかといえば、本治法の後は眠っていてもらうのです。次に30分時の人たちを診察して本治法を行い、0時の人たちの方へ戻ってきて標治法を行い終了させていくというパターンなのです。このようにすれば、置鍼の必要性はほとんどなくなるだろうと思われます。これで貧血を起こさせてしまう心配もなくなります。

 

 それで最大の忘れられないドーゼ過多による失敗ですが、これも助手時代ですが師匠がどうしても外出しなければならなくなった時、昔が予約制でなかったために予約制にしてからもほとんど予約にならない治療室だったので「院長は外出しておりますが待機はしておりますのでどうしても治療を受けたい方はお入りください」という張り紙をされました。すると左肩だったと記憶しているのですが、鎖骨上窩から上肢に掛けての激痛が二ヶ月も続いているという新患さんが来られました。ほとんど睡眠も取れずあちこち治療は受けているのだが、鍼灸院を見つけたので我慢ができないから治療して欲しいといわれるのです。証は忘れましたが本治法を行い標治法も行い、一通り無難に終わらせて最後に座ってもらったなら嘘のように回復していて手も挙げられるようになっているのです。若干鎖骨近辺に違和感が残るだけだといわれるので、ここで手柄を得たいというスケベ心がでてしまったのです。福島先生が朝に話されていたナソという治療法ですが、鎖骨上窩にチョンチョンと四本程度当てただけなのに、途端にまた激痛に苦しみだしたのです。治療量を過ぎてしまったのですね、目一杯やっていたのでしょう。治療中は痛みが取れているかどうかあまり確認せずにやっていたのですけど、あれもこれもと治療を加えていたものですから自分としてはそこまでやっていないつもりだったのですけど、ハッキリ記憶は残っていませんがきっとやり過ぎていたのでしょう。ドーゼ過多となってしまい痛みは全くの初期状態へと戻ってしまい、明くる日にもう一度来院してもらって刺絡など色々試みてもらったのですが治療費もお返しして全くダメでした。

 これで治療量とは目一杯やってはダメだと懲りたのです。風邪の患者さんであれば陽実証になっている時もそうなのですが、寒気がするという時の陽虚証の患者さんには特に気を付けます。陽気を沢山補ってやろうとすると、逆に飛んでしまうからです。池田先生が何度も説明されていますけど、陽気とはお酒のようなもので機嫌良く飲んでいても飲み過ぎると突然ゾーっとするのは陽気が飛んでしまったことであり、陽気とは沢山詰め込んでやろうとすれば逆に飛散してしまうので陽虚証の患者さんにはドーゼを抑えなければなりません。

 風邪の患者さんでもそうですけど関西のおばちゃんなら必ず、「今日は具合が悪いから沢山サービスしておいて」といわれるのですけど、「今日はいつもより鍼数が少ないと思われるでしょうけど今日の100%をやっているのですから誤解しないでください」と前置きをして治療をしています。これでも「えっ」という顔をされている人には、「いつも缶ビールを二本や三本飲んでも酔わない人でも空きっ腹へ一気に飲めば酔ってしまうでしょ、それと同じで今の悪い状態は空きっ腹状態なのだから思いっ切りやってはいけないのです。それに合った治療量というのがあるのだから、今日はいつもに比べれば数は少なく時間も短いかも知れませんけど今日の100%をやっていますから」という説明をして、患者さんの同意を得てドーゼを過ごさせないように治療をしています。

 

 それからやり過ぎといえばこれも風邪なのですけど、擦火法をやり過ぎて患者さんの背中にけがをさせてしまったことがあります。お灸で火傷をさせてしまったというのは誤治の部類には入らないですけど、お灸を自らされる方は注意をしてください。

 

 

 それで最後の項目になりますけど、人間的な誤治ですね。

 「業が沸く」とは関西弁での表現になるのでしょうか、要するに腹が立つというのか顔を見ただけで腹が立つくらいに捉えてください。それで人間的に合う・合わないというのがあるのですけど職業なのですから合わさなければならないのですが、それでも時間が経過してくるとどうしても合わないという人がいます。それから治療と治療の間の行動に関して、「そんな指導はしていないだろう」とか「分かった分かった」といいながら従わない人や「これだけは絶対にしないでくれ」という項目を天の邪鬼のように逆に行ってくる人がおられますよね。

 鍼灸の話を持ち出すと具体的になりすぎて具合が悪いのでテニスのコーチをしていた人の話ですが、おばちゃんクラスの人がサーブがうまくなりたいというので「まずこのような練習をしてください」とコーチをするのですけど練習をしてくれない、上からのサーブをしたいというのは分かっているので「まず下からの確実なサーブを覚えてください」と説明するのに下からのサーブも入らないのにちょっと目を離していると上からサーブをしている。それを見ていると最後には業が沸いてくるのが分かりますよね。もう顔を見るだけでイライラするという状況が理解していただけますね。このようなことが患者さんで発生してくると、もう治療は成功しなくなります。冷静に診察ができなくなりますし、向こうもそろそろ察知してきたなら冷静には治療を受けてくれなくなります。これは何らかの方法で、一度冷却期間をおくしか仕方ないでしょうね。

 

 それで業が沸かなくとも、こんな例がありました。「こんちくしょうのおばさん」と呼んでいたのですけど、この方は治療するとよくなるのですがある程度よくなるとどこかへ行かれてしまうのです。そして症状が悪化すると舞い戻ってこられるのです。どうしてかというと、あっちの治療こっちの治療と受けられているからです。「患者さんというのは鍼灸でもそれ以外でも何でも治ればいいのだから構いませんよ、ただし節操がなさ過ぎる、いつも病気に対して『こんちくしょうこんちくしょう』と思っているのが一番悪い」と話していました。いつでも「あそこへ行けば一発で治るのではないかこっちへ行けば一発で治るのではないか」と宝くじに当たることを夢みるように治療法を変えられていたのです。治療をあちこち試されるのは構わないが安全なものは一つ残しておきなさいと、うちの治療は確実に楽になることが分かっているのだったら中断しないようにと忠告するのですが中断ばかりされるので、「あんたの病気の原因はこんちくしょうだ」と面と向かって宣言していました。この人は一時は業が沸いていましたけど、それでも何とかはなりました。

 もう一人凄いおばちゃんがおりまして、治療をすればよくなるのですが他に色々と症状が出てくるのです。すぐ予約時間を変更されてきますし、気に入らないという顔もされているのです。それで聞いてみると「ここへ来るとその時の症状は治るのだが別の症状が出てくるのが気に入らない」とのことです。あまりの言い方ですから「気に入らなければ神様でも仏様でもどこででも見てもらえばいい」と突き放したのです。それで次の来院時には沈んだ顔をされているので尋ねると、お稲荷様へ行ったなら「あんたの腹の中は真っ黒けだ」と言われたそうです。これには理由がありまして、結婚式でのお刺身が悪いと思いながら食べていたなら食中毒になって、その晩はおかゆを食べながらトイレへ通われていたのです。「それはダメ、食中毒を治すには何も食べないことで何も食べていなければ下るだけ下った後は治るはずでしょ」と説明していて、「これが分からなければ神様でも仏様でもどこでも行けばいい」という話につながってくるのです。そうしたなら腹の中が真っ黒けだと言われたのです。ついでに「あそこの鍼灸院へ通ったなら色々と症状が出てくるのですが」と質問したなら「あんたの今までの毒を全部出してもらっているのだから大いに通いなさい」とまた言われたそうで、私はやったー!と思ったのですけどね。

 そのようなことがあったりもしますので、業が沸くというのは冷静ではなく自分自身が暴走をしていると考えながらやるしかないですね。

 

 

 もう一つ、付け加えさせてもらいます。

 これも助手時代の話なのですが、前の家に住んでいるおばちゃんが頭痛がすると朝の掃除をしている時に飛び込んでこられたのです。師匠をすぐ呼びますと言ったのですがとても、待っていられないからすぐ治療して欲しいと言われます。そうしたなら本治法を終わった段階でトイレへ駆け込まれて、激しく嘔吐と下痢をされたのです。ベッドへ戻ってこられたなら恐る恐る標治法がしたいと伝えると、むっとした表情をされるので痺れ上がってしまいました。「もう治ったのにまだするの?」とのことでした。

 漢方では汗吐下和と言いますよね、悪いものは汗で出すあるいは吐かせたり下させるということです。つまり整復反応だったのです。それで出るものが出たので、とてもスッキリしたのです。時々コーヒーを差し入れてくれるおばちゃんだったのですけど、その日はトーストが二枚も付いていました。

 

 

 それから脉診の話が抜けていたのですけど、整復反応を判断するには脉診しかないと思います。脉診がよくなっていて腹診でも病理産物が消失していて、肩上部も緩んでいるのに患者さんの自覚症状がよくならないとか、あるいは前腕などで皮膚表面より少し下側でもそもそするような感じがする・汗が引かないなどは、汗吐下和の前頂ですから、「整復反応が起こる可能性があるので少し具合が悪くなっても心配しないでください」と伝えておくことが大切です。これを見抜くのは、脉診の力しかありません。

 いい脉悪い脉を語り始めるときりがないので、一言だけ。私は自分が触っていて気持ちのいい脉が「いい脉」だと覚えてくださいと滋賀の例会では繰り返しています。高血圧でガンガン指を突いてくる、しかも不整脈だったとしたならその脉を触り続けていると気持ち悪いでしょうね、自分の指さえ痛くなってしまうでしょうし。だから触っていて気持ちの悪い脉が「悪い脉」なのです。触っていて気持ちのいい脉、それがいい脉なのです。

 

 触っていて気持ちのいい脉、この脉の作り方で最後にします。

 時間がある時に小便を我慢してください。徹底的に我慢して、身体が震えるくらいにまで我慢をしてください。そうなれば息が上がってきて、脉は浮・数となっていることは想像だけで分かるでしょうし、それを実際に脉診したなら細くなっていますよ。これは触っていて気持ち悪いですよ。それでトイレへ駆け込んでください。スッキリして脉診したならば、非常にゆったりしていて触って気持ちのいい脉になっています。これが「いい脉」です。このようにして、一度修練してみてください。

 

 それでは、これで終わります。

  (司会)それでは少し時間もオーバーしていますので、これで終わりたいと思います。




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