第7回 全国視覚障害者駅伝大会
2004年9月5日
5000m競走
を走ってから、どうにも物足らなくなってロードレースに挑戦したくなっちゃいました。
学生時代は短距離ならまだ恥ずかしいというほどのタイムではなかったものの、長距離は苦手。まして冬のマラソン大会は生徒会で体育部を預かっている時には張り切って走ったもの
の、それ以外の年では好きな行事ではありませんでしたね。
しかし、食べ物の好みが変わるのと同じなのでしょうか?短距離ではお話にならなくなった頃から長距離の方に興味が出てきて、とりあえず
「彦根シティーマラソン」
で軽くロードデビューをしようと練習を開始したのでありました。
そこへ
5000m競走
へエントリーを強く進められたのでこちらは出場したのに本人が出てこなかったという上の写真左に写っている大麻先生から、「一緒に練習しましょう」との口車にまた乗せられて、その気になり掛けたところへいきなり「今年の駅伝大会に出場してください」との電話。
毎年
びわこタイマーズ
の主催により開催されている『全国視覚障害者駅伝大会』に、いきなりタイマーズのアンカーで出場することになっちゃいました。
まぁアンカーといってもメンバーが閉会式などの準備をしなければならないので、「大会運営に関わらないやつがアンカーになってくれ」というだけの話で、目立つトップランナーよりも無難なところを走らせて頂いたのかも知れません(誤解を生む表現だったら、ごめんなさい)。
左はトップランナーで盲学校教員のロイ先生がリレーゾーンへ向かっているところです。右の写真は元盲学校教員で大会実行委員長でもある大麻先生と伴走の
田島一成衆議院議員
のバトンタッチ寸前の写真です。
左はこのチームでは最高齢の力走する武村さん、右はこの大会事務局も務められた山野先生。
そして、アンカーで走らせてもらった管理人の写真です。うーん、この表情は苦しそうだ。
ちなみに会場は
滋賀県希望が丘文化公園
のスポーツゾーンで、西ゲートと東ゲートの間の道路でした。これが坂道の多い道路で、往路はほとんどが上り・復路はほとんどが下りという、ロードレース初心者でなくとも過酷なコースでした。
選手は大きな鈴の付いた赤いタスキを掛け、鈴の音を響かせながら走ります。視覚障害者もスポーツがしたい気持ちに何も変わりがありませんし、音の響く世界でないとわかりにくいだけということを意味しています。
左の写真は両手を上げながらゴールでフィニッシュポーズをしたのですが、写っていたのはお腹のゼッケンだけという笑い話の写真です。ゴールして「タスキを切らさず走り抜けられてほっとした」というのが実感です。
真ん中と右の写真はゴール後にいただいた一部実費を含んでいるご褒美のお食事で、そういえば選手宣誓でも「走り抜けた後の一杯という言葉が出ていましたけど伴走者宣誓では「選手と一緒に走った後のビールを・・・」と、モロに誓っておられましたからその方面もしっかりと(笑い)。
とにかく、準備不足ながらもいい汗をかかせてもらったとても思い出に残る大会でした。
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