この文章は 「にき鍼灸院」院長ブログ からの転載です

ていしんを試作中(その10・最終回)、菽法脉診の矛盾とていしん


二本のていしんが並んでいます 『ていしんを試作中』シリーズは最終回を予告しておきながら、一年以上経過してやっとの結論となりました。しかも「臨床は生き物」ですから、これで私のオリジナルていしんの話が全て終わりではないはずなのですが・・・。
前回 ていしんを試作中(その9)、適切な衛気・営気の手法について から一年二ヶ月も経過しているのですが、その間には何をやっていてどのように結論されたかです。

 本論とはほとんど関係がないので詳細は割愛しますが、漢方鍼医会二十周年記念事業の一つとして「取穴書」が作成されることとなり、副委員長として参画している作業があります。滋賀漢方鍼医会が本部に先行して発行していた独自テキストの実践取穴法がベースの一つとして採用されながらも、分かっていたことではありますけど改訂作業の中で切り刻まれるように形を変えていくのに悶々としていた時期があります。これは結構な長時間でしたね。
 でも、「臨床現場とは違うぞ」と高飛車に思いながら同時に検証作業の中に入れさせてもらったWHO標準経穴のレベルの高さにビックリするとともに、中国・韓国・日本のそれぞれに方言があっていつの間にか曲がって伝わっていた経穴について、とてもいい勉強をさせてもらっていると今は感謝感謝なのであります。しかも、経絡治療の世界には大御所が発見した治療点がそのまま経穴として伝えられていたという、村言葉状態のものも多く存在することが分かりました。また解剖学用語と鍼灸師が使っている用語に差というのか誤解があることもいくつか判明し、歴史の証人になっている気分でも最近はあります。

 そして訪れたのが第38回日本伝統鍼灸学会に参加して(前編)、難経は片手ずつの脉診で報告している大会でした。依頼があったので詳細に報告は書いたものですけど、ここで書いているように当たり前にしていたはずのものが改めていわれたなら衝撃となって自分に跳ね返ってくるという経験は誰もがされていると思います。その一つが教育講演の中でのやり取りだったわけですけど、今までよりどころにしてきた古典のほとんどが片手ずつの脉診であったなら古典を忠実に再現する中で現代に合わせた部分の組み替えをとしてきた姿勢に、大きな石を投げつけられたような衝撃でした。
 私は不問診をする脉診の流れを受け継いでいますから両手同時の脉診から最初は入るものの、片手ずつから入る脉診だと病理状態を読み取るのに情報が詳細であり、どちらも甲乙つけがたい貴重なやり方となりました。それならば「素問・霊枢時代の脉診は当てにならない」という言葉とそれに対する回答、つまり「脉経で初めて両手同時の脉診が語られたのであり脉状もまとめられたのだからそれ以前は代表的な祖脉くらいしか脉診は出来ていなかった」という言葉が、どんどん引っかかるようになりました。これくらい臨床に影響のあった言葉なのだから、思い切って祖脉にこだわって治療をしてみたならどうなるだろうか?と実行することにしました。

 以前から選経・選穴をする時には脉診では浮沈・遅数に滑鯆(しょく)と弦が整うことを基準にはしていたものの、どれもが整うようにするということで特に優先順位は考えていませんでした。もちろん病理考察はあってあらかじめの証決定はしてから実験での話ですけど、選経を確定するのに各経絡の軽擦をしていると、明らかに違うだろうと思いつつ軽擦をした経絡は脉が数になることがほぼまちがいなさそうです。
 では、細かな脉状をこの際は無視してまず遅数が整う経絡が正しい選経をした経絡だと仮定して、選経できた経絡の中で浮沈が整う選穴をと優先順位を決めてみたなら、何となんとあっさり寸陽尺陰の脉状が軽擦だけで作れてくるのです。しかも菽法ピッタリに治まるような脉状となります。
 どうしても「中間でまず中脉を捉え沈めて陰経・浮かせて陽経」という脉差診(比較脉診)から入った世代ですから、脉が整うというのは全体が滑らかで均一に触れるという頭が抜けていませんでした。取穴をしている時には、例えば腎は十五菽の位置にあるのが正常なので脉位が十五菽になるようにと選経・選穴も含めて確認するのですが、一本目はその経穴で行うのですけど大体のところでOKを出してしまいますし、二本目以降になると全体が整うことを優先していたように感じます。標治法も含めれば最終的な出来上がりとしては、柔らかさと締まりと伸びのある「胃の気」の充実した全体が滑らかな脉状それでいいのですけど、寸陽尺陰はどこまで追求すべきなのでしょうか?あるいは菽法ピッタリになった方がいいのでしょうか?

 この答えの決定打は、自分の中にありました。難経七十五難型の肺虚肝実証を実践する中で、最後に小腸経を加えるようになったのは追試を始めてから半年くらい経過した時で、理由としては腎経(太谿・復溜・陰谷のいずれか)と陽池の二本で治療効果が充分なケースが多いのに持続力のないケースもあったので「何かが足りないのでは?」と敏感な患者さんに協力してもらってあちこち触診していたなら、小腸経が使えそうだという手応えになりました。私の貧弱な分析力ですけど、「北方を補い南方を瀉す」の条文にもピタリとはまるようなのでパターンが出来上がりました。
 パターンは一度出来上がってしまうと大失敗をすることがないので、逆に壁を作っていることにも気付かないものです。仕上げの小腸経の順番になると肩上部に指を当て、左右の小腸経を触って柔らかくなる側を決めてその中から経穴を選んで処置をする、このパターンにどっぷり浸かっていました。
 ところが、脉診・腹診・肩上部のいずれもが改善する「三点セット」を確認するようにと提唱していながら、小腸経に施術すると脉が数になっていることもあったのを見逃していたようです。いや、多少は数になっていても全体が滑らかで均一的であるという脉差診時代の頭が、ここで邪魔をしていたのでしょう。それに治療効果が大きく落ちるということもありませんでしたし・・・。
 これを選経・選穴の優先順位にしたがって寸陽尺陰の脉状を意識しながら施術していると、小腸経を加えると必ず数になってしまうことが分かりました。そして寸口(心・心包)と関上(肝)・尺中(腎)とは指に触れる落差があるのですけど、「もし菽法の位置ピタリの脉状が軽擦をした時以上にしっかりと作れているなら」と考えた時、浮沈・遅数が整っていたなら落差があった方が正常なのです。わざわざ全体が平均化するように崩していたのだと分かった時には、大笑いしてしまいそうになりました。
 蛇足ですが、どうして小腸経を加えることで臨床成績の上がるケースがあったかです。これは小腸経へ衛気の手法を加えることで剛柔関係から肺経を助けていたのであり、七十五難では肺経へ直接手を加えることはないものの病理的に一番病んでいる経絡は肺経なのですから、いずれかの形ででも補われればそれは病体の改善へとつながります。しかし、一本目の腎経への手法が完璧であるなら後から剛柔で肺経を助ける理由はなく、余分なことをすればバランスを崩すので脉も数となったのです。一本目が完璧でなければ、小腸経への施術が生きてくることにはなるのですが、完璧な施術の方がいいに決まっています。

 これが「ていしんを試作中」とどのように関係しているかなのですけど、前回までに書いてきたように施術時間はシビアであり、それを修練する客観的な方法を開発してきました。そして最高ポイントで抜鍼することは効果の向上につながり、脉状の改善にも当然つながってきます。これも当たり前のことですが、逆に書けばいい脉状が毎回作れたなら治療効果も毎回期待通りのものになります。
 今までにも菽法の位置ピタリとなる脉状が作れたことは何度もあったのですけど、成功率が低く全体的に滑らかな平均的な脉で臨床には何ら不都合がなかったので、菽法脉診をいいながらも治療目標と一部かけ離れている矛盾をあやふやにしてきたのでしょう。それが「ていしん」を用いることで菽法ピタリの脉状、つまり右手は肺(三菽)と脾(九菽)に左手の心・心包(六菽)と肝(十二菽)に腎(十五菽)へと脉位が治まる脉状がほぼ毎回作れるようになったのです。菽法脉診と治療の矛盾が、これで解消されました。毫鍼を使い続けていたなら、いつ到達できたのだろうかと今からは冷や汗ものです。
 菽法ぴたりの脉状が作れるようになっても、特に肺虚肝実証と脾虚肝実証については最初はとても怖かったですね。自発痛を伴うような強い症状に用いて成績の上がっていた証ですから、今までのパターンを崩してしまうのは「もし期待通りの治療効果でなく患者さんをガッカリさせてしまったなら」とかなり腹をくくっての治療終了だったのですが、期待以上に回復が皆さん早くなっています。実は脾虚肝実証については、脾経を衛気の手法で行い胆経へ営気の手法を加えた後に、パターンとして無理矢理に三焦経を加えていた節があったのですけど、三本目を加えない方が納得できる脉状と治療効果となるのでとても用いやすくなりました。

 約二年前にシリーズを書き始めた「ていしんを試作中」ですけど、飛び飛びになりましたが最後は菽法脉診と治療の矛盾を結びつけてくれたという結論に至りました。脉差診で臨床をされている先生には逆に最後は分からない結論になっているでしょうけど、難経の五難という早い段階で「五臓は該当する脉の高さで診察できる」と読める記述があるので、つまりそれぞれの菽法に脉が治まっていることがベストなのでそのような脉状を作りなさいとも読み替えられます。標治法終了時の脉状は「胃の気」が充実して太さと滑らかさが更に加わっているはずですがその段階でも出来る限り菽法の位置を維持していた方が持続力が違うという印象です。本治法終了時の脉状は一見すると凸凹ですけど五臓それぞれの菽法の高さに脉が収まることこそが『漢方はり治療』の目指すべき脉状だと思っています。
 また難経以前の脉診でも治療できていたということから始まったのですから、難経がこのように書いているということは本治法の出来上がりの脉像だと捉えるのは勇み足でしょうか?、刺さらない「ていしん」だからこそ臨床投入できる段階に至ったと自負していますし、今後の経絡治療における脉診の基本が変わっていく予感です。
 今回の写真は、「二木式ていしん」の二つのタイプを並べたもので締めくくりにさせてもらいます。


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