2005.10.16

 

「漢方鍼医基礎講座」 その6

 

二木 清文

 

 はい、それでは漢方鍼医基礎講座の第六回です。この講座を始める時には毎月一時間ずつ十回、どれだけ長くなるのだろうと思っていたのですがハッと気が付けば折り返し点をもう過ぎてしまいまして、前回と今回の二回で理論編をやってしまおうというのですけど本当に時間が足りないなぁという感じです。前回にも喋ったことなのですけど、理論というものは何回も何回も繰り返し勉強してお経のように勉強して頭の中に描いておかなければなりません。ですから、テキストがありますし古典やうちの研修会以外の先生の講義なども聴いて、理論というものはまずお経のようにして覚えてください。大事なことはつらつら見るだけではなくて、それが縦横につながった勉強でなければならないということです。交通ルールなどもそうなのですが、応用が利かなければ話にならないので今回は飛ばしますけどテキストの中に書いてある他臓との関係ということもしっかり考えながら勉強してください。

 

 それで「時間がない」といいながらもまた雑談から入ってしまいますけど、臨床家は学校教育だけでは育たないでしょう、これは自動車学校がいい例です。これは考えてみれば当たり前の話なのです。自動車学校というのはカリキュラムを勉強して実技をやって、自動車学校が卒業できれば免許がもらえるのかといえばそうではありませんね。公安委員会の実施する試験を「受けてもいいですよ」「受けるまでの知識と実技をやっていますよ」、という証明だけの話なのです。実技に関しては自動車学校で既に終了しているので実技試験に関しては免除ですが、これは鍼灸学校と全く同じ状況で最後に国家試験を受けることにより鍼灸師の免許を得ることになります。

 歯医者さんの方は早速実施するらしいですし、その他の医療系の免許についても実技試験を復活させようという動きがあります。鍼灸に関しても何度も何度も実技試験を復活させようという動きがあったのですが、私たちの検定試験の時代には実技試験はありました。これを先駆けてやらないとまた鍼灸師は遅れを取るのではないかということで、要らぬつばぜり合いなどしなくてもいいのにと思っているのですけど・・・。

 この自動車に関しては、人を乗せての運転つまりバスだとかタクシーだとか、荷物については4tまでは普通免許でも大丈夫だったと記憶しているのですが、それ以上になると特殊免許が必要ですし、バスやタクシーに関しては普通免許を取得してから何年かの経験がないとそれようの免許取得そのものが出来ないようでありフォークリフトなど特殊車両についてもそれぞれの免許が必要です。自分たちのことをするだけ、あるいはクリーニング屋の軽ワゴンや小さな荷物を運ぶ程度なら普通免許でいいのかもですが、運転そのものでお金を稼ごうというのであれば、これはそれ用の免許が必要となります。ところが、私たちの場合は恐ろしいことに鍼灸師の免許を持つといきなり開業権があるのです。つまり「営業用車両を運転してもいいよ」というくらいの免許がもらえている訳です。医者の場合には何年か病院勤務をしなければ開業できないようなシステムになっていますし、離島などへ行けば開業できるのかも知れませんがそれでも事実上は無理でしょう。鍼灸師もそのようなシステムに本当はなればいいのですけど、前回も少し触れましたが鍼灸そのものにはまだまだ需要があるはずなのですけど、そのようになっていないのです。それは我々が悪いのですけどね。

 自動車であれば今はテレビゲームがありますし、ゴーカートとかがあって比較的男の子はそういうものが好きですから自動車学校を出ていきなり上手な運転をする人もいるでしょうけど、でも普通はそうはなりません。それでは医療はこのようなことが出来るのかといえば、まぁまず出来ません。

 ついこの間テレビで見たのですが、お医者さんも手術のシュミレーションをする機会が非常に減っていて外科系の腕のいるお医者さんが育たない。心あるお医者さんがご自分で「なんとかセンター」などを設立されたり、論文を出さないと上の位には行けないと表現すれば語弊があるでしょうけど権威や認められたお医者さんには見られないという制度はおかしいということでアメリカへ行き、逆に素晴らしい技術を持っている人だということでどんどん徴用され今や世界中を飛び回っている脳外科医のドキュメントがありました。鍼灸の世界でも論文が重要視されていますね。でも車の運転をするのに「自動車の構造がこうなっていて理解しやすいよ」という文章を書いたら「あぁあの人の運転はうまい」と認められているようなもので、かなり医療の世界を危惧するところです。沢山の学生会員が来られていますけど、まず学校は行ってください。これは仕方がない(笑い)。国家試験が受けられませんからね(苦笑)。それは自動車学校を出て、普通免許を持つ程度に思っておいてください。人を乗せて営業をしてお金がもらえるというようなレベルは、学校だけでは無理なのです。やはり実務経験が大切なのです。しかし、免許の種別がないのですから本当にお金のもらえるような治療をするためには修行が大切ですし、もちろんそのためにはこのように臨床家の集まっている研修会に出席して勉強をすることが必要になります。その方が国家試験に対しても、しっかり身に付いてきます。私も学生時代にはこの研修会に参加して、教えてもらったことは身に浸みるのです。実体験ですし自分の身体で体験したことは、絶対に忘れないものなのです。それが試験に出てくれば、嬉しくて仕方ないものです。

 ということで前段が長くなりすぎてきたのでここまでとしますが、臨床家というものは学校を出るだけではなれないということを頭に描きながら話を聞いて欲しいと思います。

 

 では、前回は脾胃まで終わっていますので肺から入っていきます。

 

 

第三項 肺・大腸の生理

 肺の五行は金で上焦に位置している。陽中の陰の性質を持つ。主な働きは気を主ることで、これは肺気によって気を全身に巡らす作用のことである。気に過不足がなく、滞りなく循環していれば肺の働きは正常である。肺は皮毛を主る。これは皮毛に衛気を巡らし、Z理の開闔を調節して体温調節をしている。また鼻を主る。肺の精気は魄で、物事を始めようとするときの気力を主る。

 

一、肺の生理

・肺は気を主り、気を全身に巡らしている。

肺の主な働きは気を全身に巡らすことである。この巡らす働きをしているのが肺気である。肺気はほぼ衛気と同じと考えてよく、心や肝に蔵されている血や腎に蔵されている津液を巡らす助けをしている。呼吸されるたびに気が巡らされている。呼吸の原動力となっているのが宗気である。これは脾で造られた気と呼吸によって取り込まれた天空の気が合したもので、循環せずに胸中に存在している。

宗気→脾で作られた気+呼吸によって得られた天空の気

胸中=胸腔のこと

 

・肺は皮毛を主る。

皮毛とは表皮とうぶ毛のことである。肺気は皮毛に衛気を巡らし、温度に応じて毛穴を開いたり閉じたりして体温の調節をしている。このことをZ理の開闔という。Z理とは気の出入りする穴のことで、表皮だけではなく臓腑にも存在するが、表皮においては毛穴のことである。衛気はZ理を閉じることによって外邪の侵入を防いでいる。肺気はまた衛気を巡らすと同時に津液も巡らしており、皮毛に潤いを与えている。そのため、肺の働きが衰えると皮膚に潤いがなくなりかさつく。

 

 

 前回に五行の話をしたのですが、その時に「ファイブ・プロセス」という話もしました。漢方鍼医会が誕生する前に所属していた東洋はり医学会の三十周年に、フリッチョフ・カプラという物理学の先生の話を聞いて印象的な部分があります。

 このフリッチョフ・カプラという物理学の先生を何故招いたかということなのですけどこれも前回に話をした要素還元主義、つまり細かく細かく部品に分解してどこが悪いのかを原因追及すればその部品を交換すれば問題は解決するという考え方に対して、それは違うのではないかという考えを言い出した人たちが出てきて、これを「システム論」といいます。一番分かりやすいのが「ガイア」という言葉が有名になりました。

 このガイアという理論を考え出したのは、ジェームズ・ラヴロックという人です。このラヴロックさんどうしてこのようなことを考え出したかというとアメリカが「バイキング計画」で火星に探査船を送ったことがあります。火星の土を持って帰ってきて、火星に生物がいるかどうかを調べようとするものが含まれていました。その時に何が問題になったかというと、バイキング号に地球の生命が付着していて宇宙でも生き続け、火星にバイキング号が着陸した時にその生命が火星でものすごく繁殖をしてしまったら問題にならないだろうかということだったのです。そうしたなら、火星の生命を持ち帰ろうというのは土台が違うのではないかとも思いますけどね(笑い)。「無菌状態で打ち上げて火星のものだけを持ち帰ろう、宇宙の生命とはどのように考えるべきか」と考えたそうです。そして、ふと火星から(月からでもいいですが)地球を眺めてみればどうなるだろうかと発想したそうなのです。すると地球はある一定範囲の「揺らぎ」、つまり冷たくなったり暖かくなったり太陽の光に当たる部分と当たらない部分・水分量や酸素濃度も含めて「揺らぎ」を持ちながら生きている生命体としか感じられなくなったのです。地球が「人間ってアホやなぁ」「どこかの国は生意気だからハリケーンで一度懲らしめてやろう」「変な選挙をしやがって」と思っているか思っていないかは別として、ひょっとしたならもっともっと高次元の意識を惑星自体が持っているのかも知れませんけどそれは別として、地球自体が生命体として考えざるを得ないのでギリシア神話の大地の女神の名前がガイアであり、「生きている地球=ガイア」という考え方にまとまってきています。これが一番分かって頂きやすいシステム論だと思います。要するに「部品の集まりではなくてお互いが支え合っているんだよ」という考え方だと大ざっぱには捉えて頂いていいでしょう。

 そのようなシステム論を、どのように具体的に表現していけばいいかと考えていたその時点では純粋な物理学者だったカプラ先生。海岸で太陽の光を浴びながらボーっとしていたのか一生懸命に考え事をされていたのか、その時に空気の流れ・光・風・海からのしぶきなど全てが踊っている。ギリシア神話に出てくる「踊る神シバ」は創造と破壊の神なのですが、「創造だけじゃなく破壊もあるの?」というところなのですけど物が作られるから当然破壊があるのだし破壊があるから次の物が作られる、だから創造と破壊とは一体のものだと気が付かれたらしいのです。そして、宇宙を含めてこの地球上のものは全て踊っている、これを《コズミック・ダンス》といいますがこのことに気が付かれたのです。「啓示を受けた」と表現すれば語弊になるでしょうがひらめいたというのか、精神世界ではこのような現象を「ビジョンを見る」と表現するのですがイメージを見るよりももっと鮮やかに動的にイメージを受けることを指していて、その驚きのあまりに色々と調べていくと実は東洋思想がこのようなことを既に語っているのを発見して、さらに物理学の中に東洋思想を持ち込むとこれまた驚くほど類似していてそれを著述したのが「タオ自然学」という本なのです。

 この「タオ自然学」からの延長で、我々人類を含めて生命はこれからどのように生きていけばいいのかということを色々と考えて次に出された本が「ターニング・ポイント」です。私は分厚くて難しい本なのですけど何度聞いたか分かりません、ものすごく感動しました。その後に日本向けに少しだけ補修された「新ターニング・ポイント」という本も出されたのですが、原書の方がいいので興味のある方は「タオ自然学」から続けて是非読んで頂きたいと思います。

 

 このような関係でカプラ先生をお招きした時に、西洋人の発想は要素還元主義であるから五行というものが非常に分かりにくい。例えば肺というものを捉えてみた時に、西洋人は肺臓そのものあるいは気管・気管支といった空気の通り道しか考えないが、そうではなくテキストにも書かれていたように肺は皮毛を主っているのだから皮膚そのものが肺だと捉えれば非常に分かりやすいのだと説明されました。「このような発想を東洋がしていたのはとても素晴らしいことだ」と発言されたこと、この言葉が印象に残っているのです。確かに皮膚呼吸というものをしていて、皮膚呼吸が出来なければ口からの呼吸だけでは非常に苦しいですよね。

 この皮膚呼吸関連になると「肺はZ理の開闔を主る」と書いてありましたけど、開業してから発見したことがあります。本治法を終えてから標治法へ移るまでにしばらく時間をおく方がいいという話を何度もしているのですけど、これは難経の中に経絡は一日に身体を五十回巡るということが書いてあって時間に治すと二十九分。ですから、本治法が終わってから半時間程度間をおいてやると経絡の端々まで本治法で行った気が巡るようになり、より持続力が出るし自然治癒力自体も上がるから治療効果が高まるのです。当然、患者さんは眠気をもよおしてきます。ある時にあんまりよく眠っておられたので起こすのが悪いなぁと思いながらその患者さんの皮膚を触ってみると、水に濡れたわけではないのに水に濡れたような状態になっているのです。「おかしいなぁこの人は寝汗をかいていたわけでもないし高いびきで『スッとした』とも言っていたし・・・」と、これがZ理の開闔が一番いい状態なのか半信半疑だったのですが何人かを触っているうちに間違いないと分かったのです。Z理の開闔が一番いい状態というのは水に濡れたわけではないのに水に濡れたような触覚と言うことから、パッと触れた瞬間にこのような触覚があれば「あぁよく熟睡されてましたね」「なんで分かるの先生?」「いや分かるんやで、これは脉に書いてあるんやで」とか皮膚に触ったら分かるとかその時々で説明をしています。これも「皮膚全体が肺」だと考えれば分かりやすいと思います。

 他にはまた東洋はり医学会時代の話になりますけど、入会当時は「現代人は非常に気を労している」「ストレスがある」だから肺虚証が多いのだと教わりました。これは脉診の仕方・鍼の仕方にそのものによって肺虚証が非常に多かったのですけど、ちょっと偏った見方があったかも知れませんが今でも難経七十五難型の肺虚肝実証ということで肺虚証は多いです。一番外を守っている衛気というものは、素早く動く代わりに飛んでしまいやすいという性質があるので肺虚が主証になるケースは、六十九難か七十五難かは別としてかなりあることを覚えていただければいいと思います。

 では、急ぎますが次へ進みます。

 

 

第四項 心(心包)と小腸の生理

心の五行は火で、上焦に位置している。陽中の陽の性質を持ち、最も陽気が多く盛んな臓である。心気は盛んな陽気を抑制し、熱が多くなりすぎないようにしている。また心は血脈を主り、血を全身に送っている。心は舌を主る。心の精気は神で意識活動を主る。漢方医学では心は最も重要な臓とされ、その働きは心包が代わってするとされている。

 

一、心の生理

・心は血脈をつかさどる。

脾胃で気血津液の元になる津液(腎の津液とは異なる)が造られ、脾の運輸作用によって肺に運ばれる。肺から血になるものは心に運ばれ、ここで赤く色づき血となる。血は血脈を通って臓腑および四肢体幹を巡る。

 

・心は最も陽気が盛んな臓であり心気は陽気が盛んになりすぎないように抑制している。

心の陽気の源は心にある血である。肝にも血による陽気はあるが、心の陽気のほうがより強い。また肺の陽気は気すなわち衛気によるもので性質が異なる。心の陽気は手厥陰心包経に流れている。

心気は心の盛んな陽気を抑制する陰気の働きがあり、苦味によって補われる。手少陰心経には心気が流れている。また心の陽気を抑制するものとして腎の陰気(津液)もはたらいている。

 

・神を蔵する。 

神は心の精気である。広義には人体の生命活動の総称であり、具体的には人体の形、顔色、目の輝き、言語の応答、身体の動きなどがしっかりしていることを神があるという。狭義には精神・意識活動のことをいい、他の臓がつかさどっている感情や意識活動を統括している。

 

三、心包の生理

心の外側を包む膜。心を外邪から守り、心の代わりにはたらくため臣使の官と呼ばれる。具体的には、心の陽気は君火と呼ばれ、心包に出てきて相火と名前が変わる。この相火が下焦の腎に降りて命門の火となる。この命門の火と腎の陰気(津液)が一緒になったものを三焦の元気とよび三焦および経絡を通じて、臓腑および四肢体幹に巡る。これによって生命活動がおこなわれる。手厥陰心包経は心の陽気が流れている。

 

 

 

 この心を一番簡単に理解するには、それぞれの臓は「なになにに開竅する」とありますが心は舌に開竅するとあります。この舌の根っこが心臓だと考えてください。前回の脾は唇に開竅すると書いてあり、小さな子供が風邪をひいたり胃腸が悪いと唇の端が切れたりしていますし、唇がいくつものかさぶたになっていたこともありましたね。また胃腸の具合が悪いと歯で口の中の粘膜を噛んだりしますけど、口の中の粘膜というのは脾がめくれ上がってきたもので唇まで達しているからなのです。それで心が具合悪いと、ろれつが回らなくなります。昔心臓が悪くて脳梗塞もされていたおばあちゃんが来院されていて、この人が太っているのです。来院されると「先生、体が重くてしん・ぞう・が・・・」と言葉が段々もつれていくのです。舌が巻けていくと表現した方が分かりやすいでしょうか?それで鍼がうまくいくと「あぁ・しん・ぞう・が、息が楽になってきた」と言葉がハッキリし、さらに途中でうまくいかなくなるとまたもつれてくるのです。まぁおもしろかったとは、とても言えませんでしたね。でも、よく分かりました。古典に書いてあることは本当だと実感しました。

 

 もう一つ漢方の中で直感的には分かりにくいのが、脾胃の関係と三焦そして心包でしょう。「なんで心臓があるのにそんな膜まであるねん?」。

 私が一番最初に中国へ行った時に、滋賀県の姉妹都市ともなっている湖南省の省都・長沙市というところへ行きました。前漢を建国した劉邦が直接命じて、軟侯利蒼(だいこう・りそう)が長沙の統治へいったのですが、その人のお后と子供たちのお墓から特にお后さんのミイラの保存状態がとてもよくて、肘も曲がって内容物まで出てきたといいます。お后さんというからどんなに綺麗な人かと思っていたら・・・、まぁやめておきましょう、化けて出てこられたら大変やし(笑い)。写真は撮ったけど、化けては出てこなかったですね(笑い)。あれだけ沢山撮られていますから、いちいち出ていたのでは忙しくて寝ていられないでしょうから(笑い)。その馬王堆漢墓(まおうたいかんぼ)から『十一脈灸経』という本が出てきたのですが、その当時の本には経絡は十一しか記載されていなかったのです。それで、最後に考え出されたというのか発見された経絡が心包なのです。ですから、心包という概念が一番新しいのです。

 心臓というところは陽気が盛んすぎるくらいに盛んで、ほっといたらパッパッパッとどこかへ飛び出していってしまう。だから飛び出さないように膜がいるのです。心臓全部を包んでいます。そして包み込んだところから心の陽気が出るので、心の陽気は心包から出てくると書いてあるのです。実技の中で脾虚証は脾・心包と補うと習われたはずなのですけど、「なんで脾・心じゃないの?」というのは心の陽気は全て心包から出てくるので心包経を使うということなのです。脉診をする場合にも、左手寸口に心と心包を両方配して診るというのもここを根拠としています。

 それでは、心・心包と腎は関連をしているのでここまでとし、後ほど喋ることにします。次へ進みます。

 

 

 

第五項 肝・胆の生理

 肝の五行は木で、下焦に位置している。陰中の陽の性質を持ち活動的な臓である。主な働きは血を蔵することで、血は肝気によって集められる。血が充分にあると肝は正常に働く。目、筋、爪を主り、これらは特に血を必要とするため肝の血に過不足があるとこれらに異常がでやすい。肝の精気は魂で積極的、計画的に物事を行うという性質を現す。

 

一、肝の生理

・肝は血を蔵する。

肝の血は心の主る血脈を通って運ばれる。肝の臓そのものは血を蔵しているため、心同様に積極的に行動しようとする活発さがあり、これが肝の働きのもとになっている。血が不足あるいは停滞すると主る部位に病症を現しやすい。肝気は収斂の性質があり、血を肝に集めてくる作用を持ち、酸味によって補われる。肝の血の循環は、昼間は血を必要とする器官(筋、目など)に多くあり、夜間に肝の臓に戻ってくる。これに異常があると夜間のこむら返りや不眠などの症状を引き起こす。

 

・肝の精気は魂である。

積極的、計画的に物事を行うという性質を現す。

 

・肝は爪、筋、目を主る。

爪や筋、目は血の滋養を得て働いている。筋を動かしたり、ものを見るという動作をすると血は消耗される。そのため肝の血に不足あるいは停滞があると、筋肉痛やこむら返り、不眠といった症状が現れやすくなる。

 

二、胆の生理

肝と表裏関係にあり、六腑の一つであるが、胆汁を嚢中に蔵しているため奇恒の腑の一つにあげられている。「胆は決断を主る」とされており、肝が計画したことに決断を下して行動させる働きがある。胆の働きが弱ると常に何かに追われているようなびくびくした状態になる。

 

 

 肝で一番よく分かるのは、「目は口ほどにものをいう」というやつですね。「将軍の官、膨呂鋳ず」とありますから、色々なことを一気に考えていると目がギラギラしてくる。それからもう一つよく分かるのが物が急に見えなくなる現象で、これは肝血の不足なのです。よく私が経験をしたのはこの研修会に入った頃なのですけど、もう既に迷いはなかったもののやはり理論がようわからん(笑い)。それで夜に勉強をしていたことにしましょう(笑い)。疲れてくると急に目の前がカーッと暗くなってくるのです。「わぁこのまま全盲になってしまうのかなぁ」と心の中で冷やっとしながらグッと目を閉じ、しばらくしてパッと開けると「よかった見えていた」というものです。これは晴眼の方でも、よく経験されているらしいですね。精神活動は血を消耗しますから、血を使って精神活動は行われていると表現した方が分かりやすいでしょうか、ずっと高ぶっていると血が不足して肝は血を貯蔵していますからそれがなくなってくると肝が司っている目も栄養されず、それで急に目の前が真っ暗になってくるのです。グッと目を閉じると消耗し続けていたものから蓄積になりますから、乾電池で動いているものをしばらくスイッチを切るようなものでまた動き出すのと同じように、また目が見えるようになるのです。これが肝血の不足状態なのです。

 それから胆ですけど、これは滋賀で開発した陽経腹診の中で胆と胃の間で立て筋が出来る現象が確認されているのですけど、これは手技が不充分だと《これは経絡の流れをどのように制御すればいいのか》と胆がすぐに考え出すのです。ですから、他との交流をちょっと拒絶して「ワシが調整役になるさかい」といわゆる「しきり」になって(笑い)、交流から少し距離を置くためにあのような現象になると考えていますし実際もそうなのでしょう。この胆の能力が弱っていると、決断力が弱くなります。

 それでは、次へ進みます。

 

 

第六項 腎・膀胱の生理

 腎の五行は水で下焦に位置している。陰中の陰の性質を持つ。主な働きは津液を蔵することである。津液が充分にあると腎は正常に働くが、多すぎると冷えるので腎気が多くなりすぎないように調節している。

また腎には心の陽気が降りてきて冷えすぎないようにしている。この陽気を命門の火という。腎は骨髄、耳、二陰(大小便の出口)、髪を主る。腎の精気は精志で物事を持続して続ける根気を主る。

 

一、腎の生理

・腎は津液を蔵する。

腎には、陰気である津液と陽気である腎気と命門の火がある。津液は脾胃で水穀から造られ、脾の運輸作用で肺に運ばれたあと、気(衛気、栄気)の作用で経脈を通して腎に運ばれる。腎に蔵された津液は陰の性質が強く津液単独では動くことができないため、腎気が津液の量を調節している。命門の火は心から降りてきた陽気で、腎が冷えすぎないようにしている。命門の火と腎の津液が合したものが三焦の原気で、三焦、経脈を通じて臓腑、身体各部を循り潤し養っている。

難経では右腎が命門、左腎が腎とされている。

 

・腎は精と志を蔵する。

精は父母からもらう先天の気のことで、志は臓の精気として根気よく継続し作業を行うという精神的なはたらきをしている。精は津液の中にとけ込んで全身をめぐっている。精は年を取るごとに少なくなっていくが、脾で水穀から造られる後天の気(気血津液)で補われる。

 

二、膀胱の生理

 膀胱は尿をためておくはたらきがあり、腎のはたらきかけにより排泄する。尿を造り出しているのは、腎ではなく小腸である。小腸は胃で消化されたものを受け取り清濁を分ける、このときの濁った液体成分が尿となる。膀胱へは小腸からしみ出すように移る。

 

 

 腎ですが、これは西洋医学でいう腎臓とは全く別物です。腎の特徴とは、津液を貯蔵していることです。津液が沢山あり過ぎると冷える方向にしかならないので、先程説明のあったように心気が膀胱経を通って腎に入って温めているのです。心気と腎気を合わせて「命門の火」と言い、これによって三焦の気が生まれるのです。また腎気は、心臓だけなら大暴れしすぎるので「あんたちょっとおとなしくしなはれ」ということで心へも行くのです。これによってバランスを整えているということが東洋医学の特徴だと思います。中医学で一番最初に覚えやすい四文字熟語は、「心腎不交」ということでしょうか?

 それから心気が膀胱経を通って降りていくことを考えていくと、下肢で胆経と膀胱経の間に足の三焦経が巡っているとあるのも納得できるところでしょうし、膀胱経に再び合流するということでも委陽が三焦の下合穴になっていることも合理的と思われます。そのまま下腿後側に足の三焦経が巡っていると記述されている古典もあるようですが、個人的には膀胱経の流注が二重になっていることもあり三焦経固有の流注は委陽までだと思っています。したがって「遠刺し」で下腿を用いているのは、膀胱経自体を使っていると解釈しています。

 それでは、次をお願いします。

 

 

第七項 三焦と奇恒の腑の生理

 

一、三焦の生理

三焦は臓腑を包む膜のような形をしている、あるいは機能のみで実際の形はない(名ありて形なし)などと昔からよくわからない腑として扱われている。

三焦といった場合、身体の部分を三つに分けていう場合と、三焦の腑独自の働きをいう場合に分けられる。前者の場合、上焦は横隔膜より上の頭頸部、胸部、肩背部をいい、中焦は横隔膜から臍の高さまでの大腹の部分をいい、下焦は臍の高さから下の少腹部、腰臀部、下肢の部分をいう。後者の三焦の腑独自の働きは、飲食物の消化、吸収、排泄の過程(第二章第二項飲食物の流れ参照)および原気や津液の通路としての働きをいう。心包と表裏関係にある。

 

・三焦は水穀の道路、気の終始するところなり。

飲食物の消化、吸収、排泄の過程、気血津液が経絡を通して巡ることをいったもの。

上焦は横隔膜から上の部分を指し、心・肺の臓がある。ここでは呼吸を主り、気血を全身に散布する。治穴は|中穴である。

中焦は横隔膜から臍までの高さを指し、脾・胃の臓腑がある。ここでは飲食物の消化吸収を主る。治穴は天枢穴である。

下焦は臍から下の部分を指し、小腸・大腸・膀胱・腎・肝の臓腑がある。ここでは大小便の排泄を主る。治穴は陰交穴である。

 

・飲食物の流れ

           水穀(飲食物)

          

   ━胃 消化作用

  | ↓               ()気血津液

  脾━小腸 清濁を分ける━━→脾→肺→全身

  | ↓    ()     

   ━大腸          膀胱

                      

           後陰(肛門)    前陰

                      

           大便排泄      尿排泄

 

・三焦は原気の別使なり。

・三焦はけつとく決ネの官、水道出づ。

 三焦は原気の通り道である。原気とは生命の元であり、命門の火と腎の津液が合したものである。三焦を通じて五臓六腑を養い、経絡を通して四肢を養う。経絡上で原気の性質が現れている経穴が原穴であり、五臓六腑に病ある時にとると良いといわれている。

 

二、奇恒の腑

脳、髄、骨、脈、胆、女子胞(子宮)の6つである。形は腑のようであるが、胃腸のように中は空洞ではなく、臓のように中に精気が詰まっている。しかし臓ではないため、奇恒の腑と呼ばれる。それぞれ五臓と関係しているので、通常は奇恒の腑を意識して考える必要はない。

奇恒の腑              関連する臓

          腎・肝・心・脾

         

         

         

         

女子胞 

 

 

 一番分かったような分からないような三焦のところへ来ましたけど、何度も喋っているかも知れませんが三焦ですごく使いやすいのが花粉症の治療です。これは三焦の考え方を持ち出さないと出てこなかったことなのですけど、花粉症とはどういうものかといえば呼吸時に普通の唾や鼻水などで飛んできた花粉を自分でたたき落としているわけです。それで無害なものにしている訳なのですけど、これがどうしても身体の中へ入ってしまうので余計に鼻水を出しまくる・咳をする・くしゃみをすることで身体の外へ排出する、あるいは全然入ってこられないように最初から水でたたき落としてしまうという状況になっているわけです。それで何故このようなことが発生するかといえば呼吸をする力が弱っている、先程から何度も宗気という言葉が出てきていましたけど脾胃で作られて胸中へ送られる部分の流れが悪いから宗気の力が弱っていると解釈してみればどうかと発想してみたのです。それで上焦と中・下焦の境目は膈兪である。膈兪が堅くなっているはずなのでこれを緩めてやれば、上焦と中・下焦の交流が改善して宗気の力が強くなり、花粉症のあの防衛反応をわざわざ起こさなくても済むようになるのではと病理考察をして実際に調べると膈兪は堅かったのです。

 ですから、花粉症は開業当時は「一月の成人の日あたりから予防のために通ってください」とし、治療をすれば効果はあったので「このまま時期が過ぎるまで一週間に一度程度通い続けてください」としていたのですがこの方法を見つけてからは、これはあくまでも病理から先に考えたもので膈兪を触っていたら硬かったのではなく病理からこのような方法は出来ないだろうかとやってみたらその通り出来たということで、今は「花粉症が出てからでいいですよ」そして膈兪の施術をして症状が治まれば「もう今シーズンはいいですよ」、ただし完全な体質改善ということになれば相当な回数と時間が掛かるでしょうから「そこまでやりたい」という人がいれば受けますけどそうでなければ「今シーズンはこれで乗り切れますからいいですよ」という形にしています。まぁその方が現実的ですから。

 そういうことで、大きくは上焦は呼吸器で中・下焦は消化器と捉えられます。それ以外にも色々な捉え方が出来ます。先程足の三焦経というのが出てきましたけど、下合穴というのは腑は全て腹部にあるのに手にも三本経絡が巡っています。ですから、腑にしっかり気を落ち着けてやろうという時にはやはり足の経穴を用いないと無理があるということで、それで大腸の下合穴は上巨虚、小腸の下合穴は下巨虚これは胃腸というつながりですね、三焦の下合穴は委陽でこれは腎のところでも出てきました心のところでも出てきましたように心の陽気が腎へ行き腎の陰気が心へ行ってお互いに一番暖かいところと冷たいところですから陽気と陰気を交流させてバランスを取っているのですが、それで心の陽気が膀胱経を通って腎に入っているという記載があるのです。そのような関係で膀胱経の委陽に間借りをしている、また足の三焦経が胆経と膀胱経の間を通っているところから委陽になっていると推察できます。

 「三焦経が使えれば立派な経絡治療家である」と井上恵理先生が言われていたのですけど、その当時に「三焦経が上手に使えているのは池田太喜夫と福島弘道だけだ」とも言われていたそうです。我々は福島弘道先生の流れを受け継いでいて、治療の最後に極力三焦経を用いるようなパターンで組み立てていて、どこかで三焦経を用いると言うことは身体全体のバランスを整えることになってくるでしょう。

 

 それから奇恒の腑については、臨床の場では臓と一体となっているということであまり考える必要はやはりありません。奇恒の腑もものを貯めているのですけど、腑は消化物を通す管で一本に通っていますが胆の場合には綺麗な清汁を貯めて小腸へ送り込んでいるだけなので奇恒の腑にも入っているのではないかということなのですが、色々と説があって少しわかりにくいところでもあります。

 

 これで駆け足でしたが五臓の生理が終わりました。

 ちょっとここでまた寄り道になるのですけど、病理が分からない・わかりにくいという言葉をよく聞くのですけど実際のところはどんな患者さんを見ても病理をきちんと把握できてから治療に取りかかれるケースは少ないと思います。緊急事態も沢山ありますしギャーギャー泣いている言葉の出ない子供もいますし、ある程度の推測で証決定し治療の中で確認をしていくというのが実際だと思います。この時に大切なことは、ちょうどコンピュータグラフィックのように解剖も理論も映像として頭の中に描くことではないかと思います。

 「古典はパッと見て写真のように記憶しなさい」といわれる先生がおられます。実際にその方がいいと思います。昔どの先生だったか「古典を全部暗記して来いと言われたので暗記しました」と報告したら、「後ろ側から逆順で言ってみろ」とやられてギャフンとなったという話があるらしいですけど(笑い)、そのようではなく書物というのは写真のように暗記して後ろからでも斜めでも読める形がよく、理論もそうですし特に解剖についてはコンピュータグラフィックのように頭の中に描くことが大切です。コンピュータグラフィックのようにすれば様々な方向に回転させたり色々なシミュレーションが頭の中で出来るようになります。そのような覚え方をしなければならないと思います。スポーツ傷害で沢山来院されているのですが、自分がやったことのない競技が多くあります。私の場合はスポーツが好きですから「こんなことをやっているだろう」という予想が出来ますので、解剖学での筋肉や骨があって動きを頭で描くと「バスケットの人はこういう動きをしているな」「スケートの人はこういう動きをしているな」というのが大体分かるので、「こんなことをしている?」と一応確認を取って頭でシミュレーションしてみればスポーツ傷害のほとんどはメカニズムの解明は出来るものなのです。あとは骨折や筋や腱・靱帯の断裂などを触覚で探る能力さえあればスポーツ傷害は私にとってはそれほど難しいものではないと実感しています。他には関節の矯正法が必要かな?色々と個々バラバラなことを言ってきますから、それらを情報整理する能力も必要かもです。

 理論も、そうなのです。今つらつらとやってきたのですが、五臓の生理というものはほとんどお経のようにして暗記しなくてはならないと思います。ただし、暗記するだけではなく実際に「肝虚証で治療しましょう」「腎虚証で治療しましょう」と午後の実技では指導者がある程度までは導いてくれますが、「こんな病理があった」「このような生理だったからこのような病理になる」と他臓との関わりも含めて説明がそれぞれから出てくるでしょうから、正面からだけ見るのではなく斜めやぐるっと後ろに回って見られるようなイメージを持って勉強をしていけば、病理というものも咀嚼できていくでしょう。考え方を飲み込むだけでなく、実際に自分で立てていかなければならないのです。一番困るのは、ここなのですよ、病理の解釈とは人がやったものを聞いて「うんうん」とわかるのですがみんなが困っているのは自分で病理を組み立てなければならないと言うところなのです。何故困っているかといえば、コンピュータグラフィックのように立体的なイメージで捉えていないからではないかと推察しています。

 

 時間がなくなったので、病因については最初から詳しくやるつもりもありませんでしたから、ここは本文の読み上げを割愛します。外因・内因・不内外因と書いてありますけど、内因というのは七情の乱れですね。喜・怒・憂・思・悲・恐・驚です。喜びすぎて病気になったという人は知りませんが宝くじに当たって笑い死んだかどうかは知りませんけど(苦笑)、例えば怒った時に脳溢血を起こしたとか恐れ驚いてから精神的な病になったとかはよく聞くだろうと思います。まず七情の乱れというものがなければ、人間は病気にはならないとしているのです。細菌が発見され衛生学全盛の時代に、中世の傑物テッペン・コーヘルという人が「コレラ菌があるからよくないのだと衛生学者たちはいうが、私の精神状態はただいまとても良いものだからコレラ菌の入ったコップ一杯の水を飲んでみせよう」と飲み干したところ、三日間ほど下痢をしただけでコレラにはならなかったという話が残っています。実際にそうですよね、最近はフィリピンへ行ってコレラに感染したという例が極端に少なくなりましたけど大流行をしていた時代でも全員が感染していたかといえば、そうではありませんでしたよね。やはり内側の守りがどうであったかによります。

 助手時代におばさんが治療に来院されたのですけど、息子が昨日からゴルフに出かけて帰ってくる予定が帰ってこず心配で心配でたまらず夕方から体調を崩してとのことでした。後日に話を聞くと交通事故に遭っていたとのことで「母親の勘というものはすごいものやねぇ、やっぱり当たるんやねぇ」と自慢話をしていましたが、「あんたそんなん一晩帰ってこんかったら分かるやろ」と思いながら聞いていましたけど(笑い)。そのようなことで「思いを過ごせば脾を破り」とか憂い悲しみで破られてくる、あるいは先程もいいましたが喜びすぎて病気になることはないかも知れませんけど精神がおかしくなることはあると思います。

 外因については風・熱・湿・燥・寒・火です。例えば本当に風に当たってそのような状況になるかも知れません。でも、ほとんどの場合は「風に当たればこのようになるから」ということで病状に対して、何が原因だろうという時に「風邪に当たったということにして病理の組み立てを進めればいい」と捉えてもらえればいいでしょう。湿邪に当たるとか火邪に当たるとか今時ボイラーマンなどいないですしお灸のやり過ぎというのもめったにありませんから、「このような状況になった時には外因のどれに当たったのか」と考えればいいと池田先生も語られています。

 不内外因というのは、飲食と労倦。これは適正に取っていれば健康に働くのだけれどそれが過度になる、あるいは異常な取り方をすると病気になるとするものです。だから食物というものは摂取しないとならないのですが、好きなものばかりを食べたり暴飲暴食をするでは病気の原因になってしまいます。労倦についても働かないと人間は筋肉も鍛えられませんが、やり過ぎるとダメですね。労倦の中には房事、簡単に言えばセックスですが人間には必要なものなのですけどやり過ぎなくてもダメ、もちろんやり過ぎてもダメになります。適正な形で、乱れないように皆さんしてください(苦笑)。

 

 これで理論編については病理の部分が積み残しになったのですが、ここは次回より「選経・選穴」と「脉診」を合わせてやっていこうと考えていますので、その中で一緒に病理の解説も織り交ぜていきます。

 ということで、五臓については最初の陰陽・五行・気血から始まって生理と病因までということになりましたが、第六回の漢方鍼医基礎講座はここまでとさせて頂きます。




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