2005.9.21

 

「漢方鍼医基礎講座」 その5

 

二木 清文

 

 それでは、今から始めたいと思います。第五回まで来まして「あっ」という間に折り返しになるのですけど、今回と次回で理論編を行いたいと思います。一番最初にも断っていますが、わずか十回でまとめてしまおうということなので深くは突っ込めません。深い部分に関しては本部で詳しく行われた講義や池田先生の本・池田先生の講義・他にもテキストがありますし、もちろん今回復習していて「経絡治療の臨床研究」は実によくまとまっていますのでよく読んで頂くということで、表面的なことをさらっとあるいはもう少し違った角度から考えると分かりやすいですよと言う話を出来る限り入れるということだけにします。そのようなことで今回と次回はかなり量が多くなります。では、テキストからです。

 

 

第一章 基礎理論

 

第一項 陰陽論と気

 陰陽論とは、あらゆる物を陰と陽の二つに分ける考え方である。陰と陽の概念は幅広いがおおむね、陰は冷たい、静かに止まっている、重いなどの静的なイメージであり、陽は熱い、活発に動き回る、軽いなどの活動的なイメージを持つ。

 陰と陽の分け方は固定された物ではなく、比べる対象が変わると分け方も変わる。たとえば、臓腑を陰陽に分ける場合、臓は陰で、腑は陽に分けることができる。さらに五臓を陰陽に分けると心と肺は陽で、肝と腎は陰に分けることができる。またさらに心と肺を陰陽に分けると心は陽で、肺は陰に分けることができる。すべてこのように陰と陽の二つに分けることができる。

 気も陰陽と同様に幅広い概念を持つが、最も大きな意味ではあらゆる物は気からできているといえる。この気を性質や働いている場所ごとに区別して、さまざまな名前が付けられている。たとえば人体の気の例をあげると性質と作用する場所の違いから、巡回する気には衛気と栄気があり、この二つの気が各臓腑に行き、その場ではたらいているときには肺気、腎気などと呼ばれる。

 気の性質を大きく二つに分けると陰気と陽気に分けられる。この二つの気が互いに抑制あるいは交流することによって調和がとれていれば、安定した状態にあるといえる。人体においてもこれは同様であり、漢方医学は人体の陰気と陽気の変化をとらえて、調和がとれるように治療していくものである。

 陰陽や気を理解するには固定的にとらわれず、柔軟に考えることが重要である。あまり難しく考えない方がよい。特に古典においては、陰陽や気といった言葉はさまざまな意味で用いられているので、文脈を読んで理解する必要がある。

 

 

 ここにも書いてあったように、あまり難しく捉えないことが大切かと思います。引用はテレビ番組「料理の鉄人」で太極マークが有名になりましたよね。三日月の変形みたいな白と黒とが合わさりお互い黒の中には白・白の中には黒の丸がある、要するに「陰陽というのはお互いに交流するんだよ」ということを表しています。どっちが優勢でどっちが劣勢だとか、あるいは何か一つのものの中に入っているという概念ではないのです。池田先生の本だったと思うのですけど和訳の転載がありました。

 『陰陽というのはその時々によって分けられます、その時々によって一にも十にも千にも万にも分けることが出来ます、都合のいいように分ければいいのです』

 都合のいいようにではちょっと困った話なのですけど、例えば一番簡単なのが男性は陽で女性が陰です。頭が陽で足が・、腑は陽で臓は陰、ここまでは大体分かります。特に男性・女性というのは、お父さんは外で働いてもらって逞しくて力仕事もしてくれてお母さんは子供の面倒をみてご飯を作ってくれて優しくて・ガミっと怒ってくる時はお父さんでそれを優しくお母さんが受け止めてくれるというのがイメージですよね。

 この後にも関わってきますからちょっと話が飛びますけど、男女平等という話で最近は「婦人」という言葉が用いられなくなっています。確かに女性の労働力もそうですし、女性の能力を軽視してきた歴史はあったと思います。けれど結婚してあるいは娘が出来てみてそうなのですが、この「男女の差」があるから調和が取れていることをもっと大切にした方がいいのではないかと思うのです。特に子供を育てているとそうだと感じます。どっちもがガミガミしているのはダメ・どっちもが優しいのもダメ、時によってはお父さんが厳しく叱ってお母さんが優しくする・お母さんが厳しくしつけてお父さんが泣いているところに助け船を出してやる、そのように陰的なことも陽的なこともこなしていけるような形で柔軟にしてあげるのが一番いいのではないかと思うので、婦人という言葉をなくす必要があるのか疑問です。それから看護婦という言葉は非常にいい言葉だと思っていたのに看護師という言葉にどうして変えてしまったのでしょうね。だって、あれは分かりやすいですよね。女性が看護をしてくれるというのは柔らかく優しいイメージがありますし実際そうですし、逆に介護をして欲しい抱き起こして欲しいなどの時には男性に来てもらいたいものです。またこれも話が飛びますけど、今私は娘のオムツを替えていますけど今度は母親の介護をしたとして母親のオムツが替えられるかといえばこれはやりにくいですね。大抵の男性はそうだと思いますし、女性だってそうだと思います。病院での看護実習にこの場合は敢えて男性の看護士さんといっておきますが、内科で順番だからとオムツ交換に女性の部屋へ行くと「ギャー何するの変態!!」とおばあさんにも叫ばれてしまうそうです。言われても当然だと思いますし、男性看護士も「僕だってこんなことしたくない」と感じているはずです。そういう意味でも男女の役割があるのですから、何でも平等というのもどうかと思います。

 だから陰陽というのはその時その時で柔軟なのですけど、陰と陽というものがあって初めてうまく行くものだと捉えていただければ分かりやすいと思います。

 

 もう一つ「陰陽」という話なのですが、かつて東京で雑誌の編集現場だったと聞いているのですけど『陰陽はフィクションかノンフィクションか』という議論になったそうです。滋賀の研修会が立ち上がって経絡治療に入ってきた頃には、それまで刺激治療一辺倒だったものが手足の五行穴を使って肩こりが治せる・腰痛が治せる・それから先程の話ではありませんが免疫疾患の治療も出来るということで夢中になってやってきました。ですから「陰陽というものはこうだ」「五行というものはこうだ」と教わり、陰陽というものがあると思っていました。これがフィクションだと言われたのです。それは違うだろう、太陽と月は交換できないし男が子供を産むことは出来ないのだから絶対的なものがある、だから陰陽というものがあると最初は私も思ったのですけどそうじゃなかったですね。そこまでガチガチに考えると、やっぱり分からなくなってしまいます。どうしても陰になりやすいもの・陽になりやすいものというのか、陰の傾向が極めて強いもの・陽の傾向が極めて強いものと表現した方が適切でしょう、そのようなものはあります。でも月食があったりしますし日食もありますし、女性ホルモンを注射すると男性でも乳房が大きくなり母乳も出るようになると言いますし、まぁ女性が女性を妊娠させたという話は聞きませんけどね(笑い)。しかし、染色体異常でXXX(トリプルエックス)になるとY染色体がないのに男性的な発現をしてくるので、スポーツの世界ではセックスチェックが行われるのです。昔滋賀県の陸上選手ですごい記録を出す女子選手がいたのでセックスチェックをしてみるとトリプルエックスで、記録が認められたのか認められなかったのか覚えていませんがセックスチェックに引っかかった例があったそうです。そのようなこともあったりするので、柔軟に考えることです。

 たとえばお腹と背中で言えばお腹が陰で背中が陽になるのですけど、背中だけでは上の方が陽で下は陰になります。真ん中あたりが痛むということになれば、さらに真ん中を細かく分けて真ん中の中でも上の方が陽で真ん中の下の方が陰になります。ここを陽だときめたらあっちが陰になり、どんどん変わっていくのです。左右でも変わります。その場で変わっていくもので「どこに仕切線を引くのか」で変わっていくものだと考えてください。

 脉診の時によくいうのですが、脉診は鏡のようなものです。上から見ても下から見ても真横から見ても、正面から見ても色々な情報を返してくれます。どれが正しいのかと言えば、全部正しいのです。陰陽というのも同じことです。上から見ているのか下から見ているのか横から見ているのか正面から見ているのか、それによって返ってくる情報のことなのです。

 

 「気」について。気については散々語ってきたのですが、以前にリレー講義の「気について」の最終回を務めさせてもらった時にこんな問いかけをしました、自分の鍼はうまいと思っていますか?自分の技術はうまいと思っていますか?心の中で「んっ!」と思った人がきっとまたおられるでしょう。でも、私はその時に自分で自分のことうまいと思っているで」と喋りました。どこの世界に患者さんに「私はまだ下手ですから」と喋っているのに、それを平気で受け続けてくれる人がいるでしょうか?確かにまだまだ全体のレベルからすればそうではないかも知れないし、それから二木が鍼灸の神様だとも言っていませんし私だってもっとうまくなりたいからこの研修会に来ているのです。だけど三日前よりはうまくなっているはずだし、一ヶ月前よりうまくなっているはずだし、一年前・三年前よりもずっとうまくなっているはずです。このように思っていくことが「気を高めていくことだ」「気を出していくことだ」ということで、陰気を補う・陽気を補うという話があるのですけど後ろ向きの気を補うのではなく気を補う時には常に前向きであるようにということだけ付け加えさせてもらいます。

 

 

五行論

 五行論とは木、火、土、金、水の五つの性質に分ける考え方である。漢方医学では臓腑をそれぞれの性質に分けて五行を配当している。木は春に木々の芽が勢いよく出るようなイメージがあり、臓腑では肝・胆が配当されている。火は火が勢いよく燃えているイメージがあり、陽気が盛んな心・小腸(心包・三焦)が配当されている。土は大地のように生物を養うイメージがあり、脾・胃が配当されている。金は黄金のように汚れのないイメージがあり、肺・大腸が配当されている。水は水のように静かで冷たいイメージがあり、腎・膀胱が配当されている。五行の性質ごとにまとめた表を五行の色体表といい、診察や治療をするのに役立つ。

 五行には相生、相剋、相乗、相侮、勝復といった関係が成り立つ。伝統鍼灸では、これらの関係を診断や治療に利用している。重要な古典の一つである難経にはこういった性質を利用した治療法などが多数記述されている。(難経六十九難、難経七十五難など)

 

一、 相生関係

 相生関係とは母親が子供を産み育てるような関係で互いに五行が生じていく関係である。木が燃えて火が生じる(木生火)。火が燃えて灰ができる(火生土)。土の中に金がある(土生金)。金鉱中に水脈がある(金生水)。水が木を育てる(水生木)というように説明されることがある。生理的な関係である。

 

二、 相剋関係

 相剋関係とは夫婦のように互いに高ぶりすぎないように抑制しあう関係である。木が土から栄養をとる(木剋土)。土手が水の流れをせき止める(土剋水)。水が火を消す(水剋火)。火が金属を溶かす(火剋金)。斧が木を切り倒す(金剋土)と説明されることがある。これも生理的な関係である。

 

三、 相乗関係

 相乗関係とは相剋関係において勝たざるところが通常よりも弱まり、過剰に抑えつけられている状態である。病的な関係であり、証では脾虚肝実証(木剋土)がこれにあたる。

 

四、 相侮関係

 相侮関係とは相剋関係において、勝つところが弱まり、勝たざるところが逆に強くなって抑えつける状態である。病的な関係で、証では肺虚肝実証(金剋木)がこれにあたる。

 

五、 勝復関係

 どこか一つに異常があっても相生相剋の関係が働いて、それぞれが平均するように関係が修復することを勝復関係という。

 (例) 土が弱ると相剋関係から水が旺気し、水が旺気すると火を抑え、火を抑えると金が旺気し、金が旺気すると木を抑えて、土の抑えが弱まるので回復する。

 

 

 この五行関係は既に学校で習っておられると思うのですけど、一回目の時にも喋ったかなと思うのですが五行という言葉が最初に英訳された時には「ファイブ・エレメント」、五つの選択肢と訳されたのです。そうではなくてこれは「入り口が五つである」と、そうでないとあの意見もこの意見もということでは収拾がつきません。二大政党制ということでこっちの政党かあっちの政党かみたいに、まず二つから入っていくのが陰陽ということになるでしょう。どちらかを選んだらその中で選択をしていくのが五行と言いたいところですけども、陰陽と五行というのは確かに陰陽の中に五行はあるのですが発展型ではあるのですけどちょっと分離して考えておいて頂きたいと思います。

 漢方の数というのは一・二・三・五で大体語れるのです。四は飛ばします。一というのは太極で、何もないところから出てきた。出てきたものは何かというと、これは全て気である。気というものは陰陽に分かれて、陰陽だけでは大ざっぱすぎて二極化してしまうのでこれを交流させるために三才があり、代表的なものは天・人・地という三才というものが存在しています。さらに木火土金水という五行に分かれていってこの地球が形成され、その中に生命がはぐくまれ植物がいて動物がいてということにつながっていきます。その循環ということで、漢方には一・二・三・五の数字があれば全て説明出来る、そのように成り立っているのです。それぞれに関係はしているのですけど、考え方をまず五つに整理してさらにその中でどう考えていくのかということで「ファイブ・プロセス」という表現の方が正しいということで、すぐに英訳は修正されました。

 

 私たちが最初に習った時には、五行の関係とは相生と相克だけを習ったのです。それと勝復関係も習いましたね。その時に相克とは互いに抑制する夫婦関係、例えばお父ちゃんが文句を言ってお母ちゃんが従うだけかといえばその逆にお母ちゃんが何かを言ってお父ちゃんが従うこともあるでしょう、それが行き過ぎると夫婦ケンカになって「逆相克」なんて表現もありました(滋賀漢方鍼医会の前身団体だった頃の話ですから忘れかけていますけどね)。これを調べていくと、古典にはちゃんと相生と相克は生理的な関係で親子と夫婦の関係、病理的には相乗と相侮とあります。

 この相乗と相侮をどのように考えたらいいのかと最初に思った時、ジャンケンで例えてみようと発案してみました。パーはグーに勝つ・グーはチョキに勝つ・チョキはパーに勝つ、五行には少ないですけどこれはうまくできています。相乗関係というのは過剰相克と表現すると言葉が違いますけど、パーがグーに勝ってそれだけなら「よしよしお前は俺の子分だぞ」と言っているのだからいいのですけど、調子に乗りすぎたり機嫌が悪くて乱暴になっていると「小遣いも持ってこい」とさらに押さえつけてしまいます。「ごめんなさい」と言っている相手を、さらに蹴飛ばしたり殴ったりしているような状態です。グーはいじけて、とうとうケガをしたり病気になってしまいます。グーはチョキに勝つのですから、これはグーとチョキの間でも起こるかも知れませんしチョキとパーの間でも起こるかも知れません。これが相乗関係です。

 相侮関係の「侮」とは、侮辱の侮ですね。今度は逆になってパーがグーを押さえつけていたのですけど、グーはチョキに勝てるくせに普段押さえ続けられていることにブチッと切れてパーに対して刃物を持ったのか爆弾なのか「普段から俺のことをいじめやがって」と本来勝ってはいけないところへ襲いかかっていったような状態です。

 どちらもやってはいけないことをやっています。グー・チョキ・パーでバランスが整っているからです。このように誰かが暴れた時に、例えばパーが暴れてグーをいじめていたとして、グーがいじめられているので本来押さえつけられているチョキが親分が可哀想なので、チョキはパーに勝てることから「おいおいそんなことするな、いい加減にしないと俺がお前のこと襲いに行くぞ」となり、「襲われては困る」ということからお互い持ちつ持たれつだからまた三人で仲良くしようかというように、自律的に修復していく関係が勝復関係です。人体というのは常に戻ろうという作用が、健康な状態に戻ろうという作用があるのだと理解していただければいいと思います。

 

 

第二章  臓腑の生理

 

第一項 気血津液の生理

一、気血津液とは

中国の古代の思想では、人および自然界の物質、できごとは気の働きによって生まれ、運用されているとされている。漢方医学にもその思想は取り込まれ、人体の組成および生命活動は気の働きによってなされているとみている。気と一言でいっても多様な働き、性質があり、一概に把握しにくい。そのため性質や働く場所によってそれぞれ名前が付けられている。気・血・津液とは、大きな意味での気を、性質や働く場所によって区別し、名前を付けたものである。

 

二、気血津液の生成

気・血・津液は脾胃で水穀(飲食物)から造られる。造られたものを後天の元気といい、それらを性質や働く場所によって宗気、衛気、栄気(営気)、血、津液などと名前が付けられている。概要を示すと、飲食物はまず胃に入りここで消化される。消化作用のことを腐熟という。この段階では気血津液の働きが分けられていないので、できたものを津液と呼ぶことがあるが、腎に蔵されている津液とは別物である。消化されたものは次に小腸に移され、ここで清濁に分けられる。清いものは脾の働きによって肺に運ばれる。この働きを脾の運輸作用という。濁ったもの(糟粕)はさらに液体成分と固体成分に分けられ、液体成分は尿として膀胱の方にしみ出すように移っていく。固体成分は便として大腸に伝えられて排泄される。肺に運ばれたものの一部は天空の気と交わり宗気となって呼吸の原動力となる。残りは働きの違いによって衛気、営気、血、津液と分かれていく。

詳しくは脾胃の生理の項を参照。

 

【参考】第二章 第二項 脾・胃(大腸・小腸)の生理

 

三、気血津液の働き

気血津液は経絡を通じて身体各部に巡らされているので、気血津液の働きは経絡の働きと同じといってもよい。気には循環している気と循環せずに各臓腑で働いている気がある。循環している気には衛気と営気があり、循環していない気は働いている臓腑の名を取って肺気、肝気などと呼ばれる。

気と血は対比されて使われている。広義の意味では、気は目に見えない、形のない、機能的といった意味があり、血には形のあるもの、肉体的といった意味がある。狭義の意味では、気は陽気すなわち衛気のことを意味し、血は経絡内を巡り臓腑や身体各部を栄養し潤す働きをなすものを意味している。気と血は互いに密接に関係しており、血は気の働きによって巡らされ、気は血が臓腑を栄養し潤すことによって生成される。このことを「気は血の帥たり、血は気の母たり」という。

次に気血津液の働きを述べていく、よくわからなければ臓腑の生理も参照してほしい。

 

・宗気

天空の気と脾胃で造られた気が合したもので上焦にあり、循環せずに呼吸の原動力となる。別名、|中の気とも言われ、胸の陽気である。

 

・衛気

経脈外を巡っている。最も陽の性質が強く、とても活発な気である。体表面を保護して外邪の侵入を防いだり、Z理(気の出入りする穴、汗腺)の開闔を調節して体温の調節をしたり、臓腑および身体各部を温める作用がある。

 

・栄気(営気)と血

栄気と血は常に一緒に行動するため栄血と言われることもある。栄気は経脈(血脈)の中を巡り、衛気に比べると陰の性質が強い。栄気は血を循環させている気あるいは血の栄養成分として作用している。血には津液と栄気が含まれていると考えると都合が良い。血の作用としては身体各部を栄養し潤している。

 

・津液

最も陰の性質が強く、臓腑、身体各部を衛気とともにあるいは血の組成成分として巡っている。各部を潤したり、引き締める作用を持つ。性状によって津と液に分けられる。津は粘りが無くさらさらとして、汗として出るのはこれである。液は津より粘りがあり、関節の中や脳髄に存在している。

 

四、その他の気

・精気

広義には各臓に蔵されている気のことである。病気はこの精気が不足することから始まる。

狭義には腎に蔵されている精のことを言う。これを先天の元気とも言う。

 

・先天の元気

父母からもらった精のことを言う。腎に蔵される。

 

・三焦の原気

腎の陰気と命門の火が合したものである。上焦、中焦、下焦のそれぞれで陽気として働く

【参考】第二章 第六項 心包と三焦の生理

 

・胃の気

狭義には胃の部分で働く胃の陽気のことである。広義には脾胃で生成された後天の元気のことである。脈を診るときに使われる胃の気とは後天の元気の充実具合をいっている。

 

 

 この研修会に参加されている先生は、「気」というものを認めている・興味があるあるいは既に操作が出来るのですけれど現在の鍼灸業界、大げさにいえば医療全体の中で一番大きく分かれているところは「気」を認めているか認めていないかじゃないかと思います。認めていない頭は西洋医学ですね。悪くいえば病気になるのは時計の部品が壊れるようなもので、正常に部品が動いていればちゃんと秒を刻むのにどこかが悪いので早くなったり遅くなったり止まってしまったり、だからどこの部品が悪いのかを調べてそれを治せばいいというのが極端ですけど考え方のベースになっています。

 これは、本当はおかしいのですよね。西洋哲学というのはソクラテスなどの昔からあったのですけど、その時には心身一如と表現すれば漢方の言葉になってしまいますが物心一元論で考えていたところへ、いや物心二元論だという考えが出てきてずっと戦っていたのですけど、ある時点で時計という精密機械が出現してきたというのが一つ・もう一つは衛生学の発達だと思います。衛生面を高めることによって病気が劇的に減少したということにより、これは物理的な面をもっと重視すべきだということになりいつの間にか時計の修理と同じことだと考えられてしまうようになったと想像されます。デカルトとニュートンを合わせて「デカルト・ニュートンらいん」などといわれていますけれど、『還元主義』というものがここから出てきたのです。還元主義というのは、機会の構成要素を細かく細かく分けていくと最終的には部品となりどこが悪かったのかが分かるので、それを修繕すれば全体が治る・問題が解ける・全てがうまく行くのような考え方を還元主義といいます。単純に表現し過ぎているので、全てがこれだけではありませんが・・・。

 この思想を批判する側からはデカルトという人が悪者にされていますけれどデカルトは思想学者で一番有名な言葉は「我思うゆえに我あり」(コギト・エルゴ・スム)。あれは「私という人間がここにいたから心が付いてきた」のように解釈されているのですけれど、そうじゃない。「心と体とは一体なんですよ」ということを崇高に語っているのに、弟子や受け取っている人が分かりやすい言葉だけをピックアップするものですから心と体とは別物だと物心二元論をこの人は語ったのだとされてしまいました。デカルトそのものは全然そのようなことを語ってはいないのです。仏教やキリスト教など宗教でも大抵は同じようなことで、それを開いた人はすごく広い目で語っているのですけど、それを伝えていく過程で分かりやすい言葉だけやテレビの報道ではありませんが一部の言葉だけを繰り返すものですから、段々と歪曲して伝わっていくのです。最近出てきているおかしな宗教は、これは元々開いている人の頭が最初からおかしいとは思うのですけど神聖なものでも段々と歪曲されているのです。

 ですから、学ぶ時には全てを受け入れるだけでなく広い視野というのも大切なのです。最初は素直な姿勢というものが大切ですが、前回話をした守・破・理(離)という段階を経る中でも創意工夫がなければならないということも話しました。だから学ぶ時にも、例えば今私がこうして話をしているのですけどまずは素直に聞いて頂く必要はありますが、その中でも創意工夫しながら聞いて頂いて私以外の話も聞いて必ず全体像を構成して頂きたいと思います。

 

 還元主義の話で少し反れましたが、西洋医学とは段々とそのような方向へと進んでしまったのです。東洋医学というものは動物解剖を必ずやっていたはずなのですけど、紀元前の中国にはかなり精密な人体解剖図があったにも関わらず、物理的なことではなく機能的なことを重視して経絡というものを守り通したのです。これは心身一如という考え方が・物心一元論ということがよく分かっていたので、その考え方を貫き通そうということで今の東洋医学になってきたのだと思われます。

 科学的には宇宙はビッグバンという大爆発から誕生してきました。ものすごい高温で加速器を使うと今は完全な粒子の手前までは行けるらしいですが、そのZ粒子とかいうのを作ってしまうと加速器自体が爆発して宇宙全体も吹き飛んでしまうのではないかということで、これを可能にする加速器が作れるのかどうかという話になっています。それじゃ、このビッグバンの前は一体何だったのかといえば何も分かっていないのです。逆に細胞を細かく細かく分解していくと、陽子・電子・中性子さらには中間子というものまでも分解していくとクォークというものになります。このクォークも最初はトップ・ボトム・チャームの三種類で充分とされたのですが、これは小説の中で「海鳥はクォーク・クォーク・クォークと三回鳴いた」というところから命名されたからです。これがちょっと足りないということになって六種類に増やされ、香りが三つ付けられて3*6=18種類のクォークということになりました。名前がトップのくせに最後にトップクォークも見つかりました。そうしたなら、もう見つけるものがなくなってその後はさっぱり話が聞こえなくなってしまったのですけど、やっぱりこの世の構成要素はよく分からないままです。ビッグバンもクォークもそこまでしか分かっていないのです。

 東洋哲学では太極といって、やはりビッグバンのように「ある時産まれた」と書いてあるのですけどその太極というのは、気の誕生だと理解していいと思います。元を正せば全て「気」なのだと、だから心身一如なのだという説明になります。それで、先程の一・二・三・五という数字につながってきます。だから気を認めるか認めないかになってきます。

 

 それで「気」の特徴なのですが、まず流れているものだといつも説明していますし私の頭の理解でもそうなのです。まず電気がそうなのですが、そこにあるだけでは何も役には立ちません。深夜電力が何故安いかといえば、深夜に電力を使っているところもありますし発電所を止めるわけには行かないので発電しても使ってもらえなければ無駄になってしまうからなのです。これと同じで、「気」というものもそこにあるだけではダメなのです。流れることによって初めて働きが産まれるのです。だから掴めないので、今の西洋科学では認めにくいということにもなります。このような働きを認めるかどうかですね。

 これも聴講班の実技の時に「気をこんな風に考えてみれば」とよく話をします。気というものは必ずしも触れなくてもいいのです、空中も飛びます、日本民族というのは例えば元気がいい・熱気がする・殺気がしているなどと気をよく理解しています。もっと具体的な例えなら、ものすごく好きな人がいて私なら可愛い女の子ですしうちの娘ですし、もう少し女の子には興味がありますかね(笑い)。嫁さん後でこれを聞いたら怖いなぁ(笑い)。好きな人が隣にいるとそれだけですごく気持ちがいい、これはその人と気を交流させたいからで、もし手が触れたならその日は一日中気持ちがいいというのは気を交流させたからです。ところが逆にすごく嫌な上司が「お酌でもしろ」と触ってきたなら、ゾクッとして鳥肌が立ちます。これは相手の気が入ってきて欲しくないからです。気というものは流れますから嫌な気があるのに無理に相手の方から交流を求めてくる、無理矢理向こうから流されてきたものですからそれを避けたいために毛を逆立てて「入ってくるな」と抵抗しているわけです。このようにして気は飛ぶこともありますし、触れればなお流れます。

 無理矢理ガツンと掴もうとすれば、これは気が逃げてしまいます。例えば街でお姉ちゃんに声を掛けるとして「姉ちゃん」といいながら肩を掴んだなら、これは絶対に逃げられてしまいます。気というものは掴んでやろうと思うと、絶対に逃げてしまうものなのです。でも、「もしもしあなたのことがこうだから声を掛けたかったのですよ」と説明しながら少しずつ仲良くなってちょっと肩に手が触れても、これなら逃げられないでしょう。だから気というものは、自分がいかに感じようかと思って相手へ伝えていく、あるいは自分が感じよう感じようと努力をして柔らかく接すればうまく掴めることがあります。

 

 実際の気血の説明になりますが、大きく分けると衛気と営気です。衛気というのはいわゆる気と表現しているもので、陽気と言い換えてもいいでしょう。活発で経脈の外を巡っていて、その経絡の流れを守っている気のことです。営気というのは、血中の陽気とも言い換えられます。経脈の中を巡っていて、津液とこの血中の陽気を合わせて「血」と考えると非常に分かりやすくなります。だから血というものは、経脈の中を巡っていて営気と津液の合したものだと思ってください。津液というのは、物理的な液体要素のことをいいます。津液の特徴とは、一人では動けないということです。気は一人で動けるのですが、津液とは例えてみれば貨物列車の貨物の部分なのです。機関車に引っ張ってもらうか押してもらわなければ動けないのですけど、でもこの貨物の部分がなければ物資は運ばれないのです。

 口から取り入れられた食物(五味)は脾胃で腐熟されて津液と糟粕に分けられます。津液の中から胸に昇って呼吸の原動力になる宗気がありますけど、これは胸に向かう時点から宗気という解釈もありますし胸に入ってから宗気という名前になるという解釈があり、このあたりの解釈は難しくて結論は出るのか出ないのかまだよく分かりません。それで天空の気を取り入れ、送られてきた栄養分の高い津液と合して赤い血液が出来ます。糟粕(かす)は大小便に分けられて排出されます。この繰り返しによって人体は営まれます。

 人が誕生する時は父母からまず気を受けるのですが、これを「先天の元気」といいます。それから胎児となって行き段々と成長してオギャーと産まれます。先天の元気というのは持って生まれた気、簡単にいえば体質ということになります。これがあって、さらに先程説明した循環により後天の元気が作られます。先天の元気の性質は変わりません。ただし、量は減ったり増えたりしています。簡単に言えば「ウナギのタレの瓶」みたいなもので、必要な時には使って後天の元気から使った分だけを補充しているのです。一番分かりやすい例えでは、最近は腰を曲げての田植えなどしなくはなりましたけど田舎なら端は腰を曲げて植えているでしょうか、腰を曲げていると呼吸はしていてもなかなか内臓は働かないもので、だからその時に使っているエネルギーは先天の元気だと理解すればいいのです。ずっと曲げっ放しだと後天の元気からの補充がないので先天の元気が減ります、ウナギのタレを使いすぎたような状態です。それで作業が終わったからと腰を伸ばそうとした時には、先天の元気が足りないので「あっ痛っい」ということになるのです。でも、しばらくすると痛みが治るのは後天の元気から補充されて先天の元気の量が元に戻るからです。秘伝の作り方でウナギのタレを元通りに貯めるので、瓶は常に一杯になっているのです。ここから話を延長していくと、腰を伸ばす時に痛むのは腎虚だと分かっていただけるでしょう。

 他にも三焦の気・胃の気など色々な気がありますけど、それらは書いてあるとおりです。ちょっと簡単ですけど、時間的都合がありますのでこのまま五臓の整理について進められるだけ進みます。

 

 

第二項 脾・胃(大腸・小腸)の生理

 脾の五行は土で、中焦に位置している。陰中の至陰の性質を持つ。主な働きは飲食物から気血津液を生成することで、これらを各臓腑、全身に送り栄養している。脾は肌肉、口、唇、四肢、関節を主るので、異常があるとこれらに症状が現れやすい。脾の精気は意智で、記憶、思考を主る。

 

一、脾の生理

・飲食物(水穀)から気血津液を作る。

実際に消化吸収をしているのは胃,小腸,大腸の腑である。脾はそれらの働きを統括している総元締めである。

 

・脾は統血する 

血を血脈の中に運行させ,外にあふれさせないようにする働き。

 

二、胃の生理

食道をとおってきた飲食物を受け取り消化した後、小腸に送る。(受納・化成)

胃の気とは狭義の意味では胃で働いている気のことであり、広義の意味では飲食物からできた気血津液(後天の気)のことである。脈を診ている場合の胃の気は後天の気の充実具合を診ている。

 

・大腸,小腸は胃の一部として考える方が臨床上都合がよい。

黄帝内経霊枢本輸篇には「大腸,小腸皆胃に属す。」とあり、難経三十五難には心肺と小腸大腸が離れている理由として「心は栄気、肺は衛気という陽気をめぐらしているため上にあり,大腸,小腸は陰気(濁った気)を下に伝えているため下にある。」と書かれている。足陽明胃経上には、下合穴として大腸を治す上巨虚穴、小腸を治す下巨虚穴がある。

 

三、小腸の生理

清濁を分けて清いもの(胃でできた気血津液に分けられる前の津液)は吸収され,濁ったものは液体成分(尿)と固体成分(大便)に分ける。液体成分は小腸から染み出して膀胱へ移り,固体成分は大腸へ送る。

小腸の清濁を分けるという働きが衰えるとリウマチや、下痢、便秘、尿の異常がおこる。

 

 

四、大腸の生理

 

大便を肛門に伝えて排泄する。

 

 

 今回はここで終わりになりそうです。まず脾胃です。大腸・小腸は胃の一部と表現した方がいいでしょうか、一つの繋がりで考えた方が都合がいいと分かってきたのは漢方鍼医会での勉強をするようになってからです。言われてみればその通りで、普段から胃腸と呼んでいて一つの繋がりなのです。腑というのは上から下まで一本につながっていて、消化・吸収・排泄を主っています。ですから、元気を出している・後天の元気を作っています。それで陽経には原穴が独立して存在しているわけです。ところが、臓では気血津液を製造しているのは脾しかなく、脾の性格を持っている土穴に原穴を重ねているのです。もちろん肺・肝・腎・心は自分では気血津液を製造していないので、原穴は脾の性格を持っている土穴に間借りして存在していますから、陰経の場合には必ず兪度原穴となるわけです。しかし、陽経の場合には自分で製造しているので原穴は独立しているわけです。このように考えていくと五行穴・五要穴は非常に合理的に出来ているもので、このように調べていくとおもしろいと思います。

 生理については書かれていたとおりなのですけど、私は脾胃の関係について最初はよく理解出来ませんでした。これを草花に例えると脾は根っこあるいは茎の一部だと考えていただければと思います。そして、胃は花や葉っぱの部分になります。普段見えているのは花や葉っぱの部分でありますが、指令を出している・実際に栄養を吸収しているのは根っこの部分です。このように考えると、ちょっと分かりやすいかもです。それで葉っぱがさらに他の部分とも協力していくのが胃腸というように考えていくと、都合がよいようです。

 

 最後に少しだけになりますが、前回に話そびれたことなのですけど鍼灸には潜在的需要というものがまだまだあると思うのです。この脾胃のことなどを考えながら治療をすれば、内臓疾患などはもちろん治療出来ます。書かれていたようにリウマチは脾に関係があり、確かに脾虚で治療するケースが多くあります。自発痛がひどい場合には、肺虚肝実で治療することもありますね。

 うちのカルテを調べていたのですが、電子カルテに変えて三年になります。うちは三年経とうが十年経とうが再来院であったとしてももちろん初診料は頂きませんし、カルテは一度作成するだけで新しくはしないのです。それで個人データをカウントしてみると、三年間で1000件増えていたのです。ということは、全くの新患さんで一年間に300ちょっとということになります。営業日で換算すると、一日の営業に対して一人以上来られていることになります。私の自慢話をしたいのではなくて、守備範囲が広ければ潜在需要というのはまだまだ高いのです。むしろこれからもっともっと高くなると思うのです。そのためにはどうすればいいかと言えば、この「気」というものをもっと勉強して気の扱える鍼灸師になることがまず条件だということで、今回はここで締めくくりたいと思います。




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