生まれてきてくれて、ありがとう


− 妊娠から出産までの軌跡第三章、弐回目の自宅出産(その2)

隆成の初アップ写真

三人目の妊娠

 父親も母親も自身が三人兄弟で育ってきたというのが最大の理由でしたけど、結婚した時から子どもは三人は欲しいと決めていました。二人兄弟だと上下の関係しかありませんが、三人以上になると立体的な関係となりとてもおもしろいものです。
 胎児に対する語りかけはたくさんしていたのですけど、実際に産まれたならすぐ関係図は書き換えられてしまいお姉ちゃんが面倒を見ている時とお兄ちゃんが面倒を見ている時とではお互いに随分と違った反応を示しています。
誕生12分後に三人でピース

おぉっと、胎児名?

 左上の写真は隆成の初アップであり、右の写真は誕生12分後に姉弟三人でピースをしている場面です。
 我が家では、お腹の中へ呼び掛けるために胎児の時だけの名前も付けることが恒例になっていました。 長女 の時には、「おおきに」。ピンと来た方もおられるでしょうが、名字が二木ですから上から読んでも下から読んでも「にきおおきに」。途中から「おおきに子」に少し変更でした(笑)。 長男 の時には、「にんにくん」。最初に女の子が授かりましたから次は男の子が欲しいと、どこからかでてきた語呂合わせでした。語呂合わせついでに、オリジナル曲とその振り付けもあったりして(笑)。
 そして、次男は「ろさき」。何度か話に夢中になって高速道路を降り損ねているので、夕方前の急がねばならない日でしたから標識に注意しながら走っていた時に、「2KM先・左方向・出口です」とカーナビからの声。おぉっと、2KM先 → 「にきろさき」です(笑)。
 親の勝手だったかも知れませんけど、親だけでなく姉弟も気軽ながらもしっかり語りかけをしていたということで、絆を作り上げるには悪くない方法だと今でも思っています。それに世間では胎児に呼び掛けていたことをきっかけに、本当に名前に反映されているケースもよく聞く話ですから。もし次女だったなら、「ろさき」という呼び名を推薦する周囲も多かったんですよね(苦笑)。 三ヶ月の時に、手遊びをしているビデオ

隆成誕生直前の写真

家族がいつも一緒にいられる幸せ

 左の写真は、いよいよ陣痛が強くなり膝立ちになった場面です。。長女は金曜日の深夜から病院へ行きましたが産まれたのは土曜日の夜半であり、長男は土曜日の仕事が済んでからの破水で日付が変わってすぐに産まれました。ところが2009年7月9日は木曜日であり、平日の真ん中でしかも朝からの陣痛です。
 毎回色々なことのある妊娠期間中ですけど、前のページでも書いたように一番頼りたい鍼灸院の目の前に家がある父方のおばあちゃんが既にいてくれません。幸か不幸か予定日を二日過ぎていたので、母方のおばあちゃんが舞鶴から既に泊まり込みで手伝いに来てくれていましたから、本当に助けてもらいました。今さらですけど、ありがとうございました。

 その日は保育園の一時保育が予約してありましたし「陣痛が本格化すればすぐ迎えに行けばいい」と、長女と長男は午前中は保育園で過ごしていました。親戚も顔を見せてくれて、昼食はみんなで少しずつですが食べることも出来ました。朝よりも痛みが落ち着いているということで一度解散となったのですけど、こういう時に限ってすぐ状況は反転するものであり、陣痛が本格化してきたとのことでした。
誕生直前で信成もお腹を出している写真  この日に限って患者さんが、こちらの都合に合わせてもらっているかのように予約時間よりもかなり早めに来院されます。保育園から戻ってきた長女と長男には昼寝の余裕がなさそうなので保育園から直行させ、段々とこちらも気合いが入って右の写真のように長男までお腹を出してしまいます。
 十五時の患者さんを一人だけ前半の治療が終えられたので様子を見に上がると、もうかなり近そうなのでデジカメとビデオカメラの準備を助手に頼みました。そして、もうお一人患者さんがおられたのでちりょうをと階段を降り始めたなら「すぐに上がってきて」との言葉です。そして三分も経過しない間に次男は誕生したのでありました。なんと治療室にいたもう一人の助手は、出産が済んだことに全く気が付かなかったとか。
 そして、夜には長女と長男をまた連れてきて鍼灸院でその夜から五人になった家族が枕を並べて眠れたという幸せ。悲しい出来事や大変な自体を乗り越えてやっとたどり着いた出産の日、2009年では間違いなく一番幸せな夜でした。


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