ブログから調べていて、驚いてしまいました

 うわっ、人名の漢字がわからないので過去のブログを今読み返していたなら当時の理解と知識なので仕方ないとしても恐ろしいことを堂々と書いていました。びっくりしました。
 ムノ治療については毫鍼を用いていた時代は、帯脈・五枢など股関節の上川の経血へ刺鍼することで目的は果たせておりこれはこれで間違いないのですけど、ていしんだと単形状を動かすだけなので違ってきてしまいます。そして最後に腹部散鍼をするとあったのですけど、これこそリセットをしてしまうのであり現在は用いません。
 何より驚いたのが本治法を片方刺しで行うようになったのが福島弘道先生の功績だと書いてあったのですけど、発案者は工藤先生であり最初は意見が取り入れてもらえなかったので工藤先生が飛び出したというのが実際でした。
 私が漢方鍼医会の中で立ち位置を一番悩んでいた時期のことであり、精神的に苦しかったのかもしれません。「陰陽調和の手法」って、どこへ行ったのだろう?そんなもの最初から理論的にも破綻していたのであり、東日本の人たちの手つきでできるはずのないことを頭だけで考えていたのですから。
 そうそう「陰陽調和の手法」なるものは流注が循環しているのかどうか疑わしいという発想から出てきていたので、警察をして取穴することを停止させた張本人でしたね。これがもっとぐちゃぐちゃになって、昨年のテキスト第三段につながったかと思うと、自分の力のなさに今更ながら情けないですね。