必死ということ

 やっと夜の予約枠に余裕が戻ってきたという感じで、あまりに空きがあるのも寂しいですけど目一杯はやっぱり疲れてしまいます。
 一時間半で四人から五人程度がこちらとしては余裕があっていいのですけど、そんな都合のいいことが続くはずはないこともわかっています。でも、パートさんが夕方でいなくなると寂しいですし、仕事の効率が落ちることにも自分で自分に腹が立ちます。
 滋賀漢方鍼医会の女性会員が本日も治療に来ていたのですが、助手への転身について最後通告のような感じで具体的な話はしていました。けれど彼女たちにとっては勉強をするということ・将来一人で治療をしていける実力を蓄えるということそのものが何なのか、理解していない感じもしました。
 女性であることもそうでしょうけど、最高の治療を提供していくためには必死の上にも必死の努力がなければ身につかないことを、もう少し理解してくれたらなぁというのが正直な感想です。
 視覚障害があってまだインターネットモ内時代から情報をかき集める努力をしていた時代に比べ、黙って座っていても携帯電話へメールが入ってくるのが当たり前だと必死ということすらわからないかも知れません。

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