嵐のような一日でした2

 その嵐のような一日ですけど、臨床第一ですからしっかり研究課題は追いかけさせてもらっています。
 五気による「季節の治療」は時間がなくてできませんでしたが、六気の時邪を払うことでの脈状変化については観察を欠かすことなく行い、「明らかに邪が侵入してきている」というケース以外では邪論での治療は行わなくなってきました。言い換えれば邪の排除が必要な「これ」というときに用いると切れ味がいい治療法であり、常に用いていると刃先がかけてしまい余計な傷口を作ってしまうように感じ始めています。
 逆の表現をすれば生気論での治療に見切りをつけるのが早かったというか、別の切り口が出てきたなら目を奪われてしまいその夢から覚めると、やはり古里は素晴らしかったというのが実寒です。応用範囲も古典の大半を占めている治療法なのですから、やはり手応えがあります。
 結論を書けば、邪を抜き去る治療法は即効性があり強力で全体を動かす力も大きいのですけど、手段として抜き去っているのですから自ずと限界がありそのうちに効果が薄れて治療間隔を開けないと対処できなくなってしまいます。蓄えがなく前借りだけをしているようなもので、決して貯金をしているわけではないから限界が来るのです。

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