「邪正抗争」の考え方

 今月に行われた本部の会長講義を、中身の濃い講義であるとともに一度では把握しきれない内容なので繰り返し聞いているのですが、どうも私がネットサウンド講義で喋ったこととずれている箇所がいくつかあります。
 臨床家であり研究やスタイルの違いで全く同じにはならないのが普通であり、それが切磋琢磨のスタートとなるので、ずれている事自体が悪いのではありません。
 でも、本部はていしんの手法が基本は補法であり瀉法も可能ではあるが一度補ってから抜くというスタイルが正論だと打ち出し始めたのですけど、常に「邪正抗争」があるからこそ補瀉というチョ性が成り立つはずなのに、悪寒や発熱状態のことを指すのだと言われたのはこれも先祖返りしている印象です。それに大阪が提唱する邪気論の扱い、一体どうするのでしょう。

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