それだったなら変更しなければよかったのに

昨日に本部会へ参加してきたのですけど、新しいテキストに関する講義ということで「これは現地で意見を出さねば」ということからでした。
まぁ今まで難経が鍼に関する最高峰だということで、黄帝内経のあとに出ていますから同列より一つ抜き出た位置づけにしている研修会がほとんどなのですけど、理論の基本を黄帝内経にずらせて書き直したということについては、新しい視点があってもかまわないと思えてきました。ちょっと難行を削りすぎですけど。
それで一番問題になっている手法について、「補法」は陽気を動かすことですから衛気の手法と変わりがないことはわかっていたのですけど、「補中の瀉」はまず名称が不自然。あまり使いたくないんでしょうね。
それで「補法以外はすべて補中の瀉になる」と言われてもわからないので、具体的なことをもっと示してもらわないとと不満が噴出したらしく結局のところは営気の手法へ戻ってきてしまいました。それだったなら、最初から変更しなくても良かったのに。